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白線の内側に下がってお待ちください
(十二)
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一人身の気軽さゆえ日本各地を転々として、彼が落ち着いたのがここ郡山市だったそうだ。店では福島県内で採れた野菜や肉、魚などを使い地産地消の料理を提供しているらしい。もちろん、置いてある日本酒も福島の地酒にもこだわっているという。
久勝の腕が確かだから、割烹いたみはたちまち予約が取れない人気店になったようだ。だが、人気店といえどもこれ以上、店を大きくするつもりはないらしい。
「不器用だから俺には料理しかないんだよ。店だって俺の目が届く範囲で充分、それ以上大きくしたら質が落ちる。夜の仕込みの関係で松花堂弁当は作れないが、その代わりに地元の食材を使った料理をごちそうするぜ」
先ず出てきたのは福島県の郷土料理の「いかにんじん」だ。人参とするめを醤油、みりん、酒に漬け込んだシンプルな料理だが、二つの食材の歯ごたえを楽しめる。
二皿目は阿武隈川で養殖されたメイプルサーモンのたたきに、焼いた阿久津曲がりねぎのマリネが添えてある。
「ううん、サーモン大好き。この焼ねぎのマリネも独特の旨味があって最高」
「そうだろう。この阿久津ねぎは郡山が誇る伝統野菜なんだよ。素材が良いからひと手間加えただけで存分に美味しく味わえるのさ」
そして、三皿目の揚げたて天ぷらには、地元産の巨大なめこや名物の鯉が並んでいた。鯉の生産量が市町村別で全国一の郡山市では、明治時代から養殖が盛んだったそうだ。
「鯉は初めてだけど、思ったより食べやすいですね」
「臭みもないし、柔らかくてふっくらしているわ」
満足げに料理を平らげていく二人の前に、久勝が嬉しそうにとっておきの一皿を出した。
「次は逞の大好物玉ねぎオムレツだ。玉ねぎは甘みの強い地元ブランド。万吉どんを使っている」
まず先に繊維に沿って薄く切った玉ねぎと合いびき肉を炒め、塩コショウで味付けしておく。そして、それを砂糖で甘くした溶き卵で包み込んだシンプルなオムレツだ。
「う、嘘。卵が、卵焼が甘い。本当に、本当にこれが逞の好物なんですか?」
也耶子が驚いて声を上げると、千栄子と久勝が口をそろえて説明した。
「そうよ。逞はこのオムレツと一緒にフランスパンを食べるのが大好きだった。そう、そう、コーンスープがあれば完璧で他は何も要らないって言っていたわね」
「あぁ、そうだったなぁ。ここに来た時も必ずリクエストして食べていったよ」
「で、でも、私には甘い卵焼きは苦手だと言っていました。だから、家でオムレツを作る時は、いつも塩胡椒だけの味付けをリクエストしていました」
「そういえば、あの子は自分でこっそり作っていたのに、私には作って欲しいと一度も言ったことがないような気がするわ」
甘いオムレツは父親との思い出だから、ずっと胸に秘めたまま大事にしていたのだろうか。最後の最後まで夫の真の姿を知らずに、結婚生活が終わったことが今では悔やまれるばかりだ。
「馬鹿な奴だ。カミさんに自分の好みも伝えられなかったなんて。いやそれよりも、俺のことや郡山に来ている理由まで内緒にしていたなんて……」
「きっと、あの子は私に遠慮して何も言わなかったのよ。ずっと私の顔色ばかり見て生きてきたから、打ち明けられなかったのよ。どうしましょう、何もかも私のせいだわ。私が自分の思い通りにあの子の人生を操ろうとしてしまったから……」
聞き分けの良い子を演じていた我が子が不憫でならず、千栄子も今更ながらに後悔の念を滲ませている。
「それでも、あいつは大人なんだ。周りに遠慮なんかしないで、自分の好き勝手できるはずだろう?」
――誰に対しても良い顔をする八方美人な面があって、本心がわからない不気味な男だった。
逞の上司の言葉がふと脳裏をかすめた。母親の顔色を気にして育った逞は、いつの間にか周囲の顔色をうかがう習慣が心底身に染み着いてしまっていたのかもしれない。
久勝の腕が確かだから、割烹いたみはたちまち予約が取れない人気店になったようだ。だが、人気店といえどもこれ以上、店を大きくするつもりはないらしい。
「不器用だから俺には料理しかないんだよ。店だって俺の目が届く範囲で充分、それ以上大きくしたら質が落ちる。夜の仕込みの関係で松花堂弁当は作れないが、その代わりに地元の食材を使った料理をごちそうするぜ」
先ず出てきたのは福島県の郷土料理の「いかにんじん」だ。人参とするめを醤油、みりん、酒に漬け込んだシンプルな料理だが、二つの食材の歯ごたえを楽しめる。
二皿目は阿武隈川で養殖されたメイプルサーモンのたたきに、焼いた阿久津曲がりねぎのマリネが添えてある。
「ううん、サーモン大好き。この焼ねぎのマリネも独特の旨味があって最高」
「そうだろう。この阿久津ねぎは郡山が誇る伝統野菜なんだよ。素材が良いからひと手間加えただけで存分に美味しく味わえるのさ」
そして、三皿目の揚げたて天ぷらには、地元産の巨大なめこや名物の鯉が並んでいた。鯉の生産量が市町村別で全国一の郡山市では、明治時代から養殖が盛んだったそうだ。
「鯉は初めてだけど、思ったより食べやすいですね」
「臭みもないし、柔らかくてふっくらしているわ」
満足げに料理を平らげていく二人の前に、久勝が嬉しそうにとっておきの一皿を出した。
「次は逞の大好物玉ねぎオムレツだ。玉ねぎは甘みの強い地元ブランド。万吉どんを使っている」
まず先に繊維に沿って薄く切った玉ねぎと合いびき肉を炒め、塩コショウで味付けしておく。そして、それを砂糖で甘くした溶き卵で包み込んだシンプルなオムレツだ。
「う、嘘。卵が、卵焼が甘い。本当に、本当にこれが逞の好物なんですか?」
也耶子が驚いて声を上げると、千栄子と久勝が口をそろえて説明した。
「そうよ。逞はこのオムレツと一緒にフランスパンを食べるのが大好きだった。そう、そう、コーンスープがあれば完璧で他は何も要らないって言っていたわね」
「あぁ、そうだったなぁ。ここに来た時も必ずリクエストして食べていったよ」
「で、でも、私には甘い卵焼きは苦手だと言っていました。だから、家でオムレツを作る時は、いつも塩胡椒だけの味付けをリクエストしていました」
「そういえば、あの子は自分でこっそり作っていたのに、私には作って欲しいと一度も言ったことがないような気がするわ」
甘いオムレツは父親との思い出だから、ずっと胸に秘めたまま大事にしていたのだろうか。最後の最後まで夫の真の姿を知らずに、結婚生活が終わったことが今では悔やまれるばかりだ。
「馬鹿な奴だ。カミさんに自分の好みも伝えられなかったなんて。いやそれよりも、俺のことや郡山に来ている理由まで内緒にしていたなんて……」
「きっと、あの子は私に遠慮して何も言わなかったのよ。ずっと私の顔色ばかり見て生きてきたから、打ち明けられなかったのよ。どうしましょう、何もかも私のせいだわ。私が自分の思い通りにあの子の人生を操ろうとしてしまったから……」
聞き分けの良い子を演じていた我が子が不憫でならず、千栄子も今更ながらに後悔の念を滲ませている。
「それでも、あいつは大人なんだ。周りに遠慮なんかしないで、自分の好き勝手できるはずだろう?」
――誰に対しても良い顔をする八方美人な面があって、本心がわからない不気味な男だった。
逞の上司の言葉がふと脳裏をかすめた。母親の顔色を気にして育った逞は、いつの間にか周囲の顔色をうかがう習慣が心底身に染み着いてしまっていたのかもしれない。
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