上 下
67 / 74
白線の内側に下がってお待ちください

(十二)

しおりを挟む
 一人身の気軽さゆえ日本各地を転々として、彼が落ち着いたのがここ郡山市だったそうだ。店では福島県内で採れた野菜や肉、魚などを使い地産地消の料理を提供しているらしい。もちろん、置いてある日本酒も福島の地酒にもこだわっているという。
 久勝の腕が確かだから、割烹いたみはたちまち予約が取れない人気店になったようだ。だが、人気店といえどもこれ以上、店を大きくするつもりはないらしい。
「不器用だから俺には料理しかないんだよ。店だって俺の目が届く範囲で充分、それ以上大きくしたら質が落ちる。夜の仕込みの関係で松花堂弁当は作れないが、その代わりに地元の食材を使った料理をごちそうするぜ」

 先ず出てきたのは福島県の郷土料理の「いかにんじん」だ。人参とするめを醤油、みりん、酒に漬け込んだシンプルな料理だが、二つの食材の歯ごたえを楽しめる。
 二皿目は阿武隈川あぶくまがわで養殖されたメイプルサーモンのたたきに、焼いた阿久津あくつ曲がりねぎのマリネが添えてある。
「ううん、サーモン大好き。この焼ねぎのマリネも独特の旨味があって最高」
「そうだろう。この阿久津ねぎは郡山が誇る伝統野菜なんだよ。素材が良いからひと手間加えただけで存分に美味しく味わえるのさ」
 そして、三皿目の揚げたて天ぷらには、地元産の巨大なめこや名物の鯉が並んでいた。鯉の生産量が市町村別で全国一の郡山市では、明治時代から養殖が盛んだったそうだ。
「鯉は初めてだけど、思ったより食べやすいですね」
「臭みもないし、柔らかくてふっくらしているわ」
 満足げに料理を平らげていく二人の前に、久勝が嬉しそうにとっておきの一皿を出した。
「次は逞の大好物玉ねぎオムレツだ。玉ねぎは甘みの強い地元ブランド。万吉まんきちどんを使っている」
まず先に繊維に沿って薄く切った玉ねぎと合いびき肉を炒め、塩コショウで味付けしておく。そして、それを砂糖で甘くした溶き卵で包み込んだシンプルなオムレツだ。

「う、嘘。卵が、卵焼が甘い。本当に、本当にこれが逞の好物なんですか?」
 也耶子が驚いて声を上げると、千栄子と久勝が口をそろえて説明した。
「そうよ。逞はこのオムレツと一緒にフランスパンを食べるのが大好きだった。そう、そう、コーンスープがあれば完璧で他は何も要らないって言っていたわね」
「あぁ、そうだったなぁ。ここに来た時も必ずリクエストして食べていったよ」
「で、でも、私には甘い卵焼きは苦手だと言っていました。だから、家でオムレツを作る時は、いつも塩胡椒だけの味付けをリクエストしていました」
「そういえば、あの子は自分でこっそり作っていたのに、私には作って欲しいと一度も言ったことがないような気がするわ」
 甘いオムレツは父親との思い出だから、ずっと胸に秘めたまま大事にしていたのだろうか。最後の最後まで夫の真の姿を知らずに、結婚生活が終わったことが今では悔やまれるばかりだ。
「馬鹿な奴だ。カミさんに自分の好みも伝えられなかったなんて。いやそれよりも、俺のことや郡山に来ている理由まで内緒にしていたなんて……」
「きっと、あの子は私に遠慮して何も言わなかったのよ。ずっと私の顔色ばかり見て生きてきたから、打ち明けられなかったのよ。どうしましょう、何もかも私のせいだわ。私が自分の思い通りにあの子の人生を操ろうとしてしまったから……」
 聞き分けの良い子を演じていた我が子が不憫でならず、千栄子も今更ながらに後悔の念を滲ませている。
「それでも、あいつは大人なんだ。周りに遠慮なんかしないで、自分の好き勝手できるはずだろう?」
――誰に対しても良い顔をする八方美人な面があって、本心がわからない不気味な男だった。
 逞の上司の言葉がふと脳裏をかすめた。母親の顔色を気にして育った逞は、いつの間にか周囲の顔色をうかがう習慣が心底身に染み着いてしまっていたのかもしれない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...