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白線の内側に下がってお待ちください

(二)

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 さっきからずっと誰かの視線が気になるのか、綾部がチラチラと也耶子の背後を確認している。もしかしたら、恋人代理を依頼した理由がそこにあるのかもしれもしれない。
 どうにも我慢できなくなった也耶子が何気なく視線の先を見やると……何とそこには秘密の恋人三号こと、三國慶子の姿があった。
「げっ! み、三國慶子」
 思っていたより大きな声が出たらしく、向いに座る綾部が素早く反応した。
「えっ? ええぇ? ど、どうして須藤さんは慶子を知っているんですか?」
 知っているも何も、彼女は色々と過去に因縁のある関係だった。
「え、ええ、まぁ。知っているというか、何というか……それより、綾部さんは彼女とはどのような関係、いえ、あの、こんなプライベートなことをうかがって失礼しました」
「いや、いいんです。前回も、今回同様に慶子に見せつけるために、デート相手をお願いしたようなものですから」
 どうしたことか彼は慶子にやきもちを焼かせるために、わざと恋人同伴で目の前に現れたと告白した。
「み、見せつける? 一体、何でまた? あぁ、すみません。私って自分で思っているより詮索好きなのかもしれないです」
 しかし、そんな妙な話を聞いてしまえば、その理由が知りたくなるのが人の常だろう。
「ここまで話したのですから、最後まで聞いていただきませんか。実は私と慶子は二年前まで夫婦だったんですよ」
 偶然とはいえ恐ろしい展開だ。綾部丈彦があの三國慶子の元夫だと判明した。
「これって何か因縁めいたものを感じますね。私の亡くなった夫が慶子さんと会社の同期だったんです」
「ま、まさか……夫って、あの須藤逞さんですか?」
「はい、そうです」
「あぁあ、何たる偶然。いや、我々の出会いは必然だったのかもしれない。でも、その偶然が思わぬ産物を生んでくれたかもしれません」
 彼によると二人の結婚生活は、須藤逞の陰がちらついたせいで破綻したという。
「慶子の相談に乗っているうちに、俺なら彼女を救ってあげられると自惚れていたんですよ。でも、彼女の須藤に対する未練は、俺の想像をはるかに超えていた。だから、結婚してからも慶子の気持ちを俺に向かせることができなかった」
 ところが、肝心の逞は綾部との結婚を心から祝福していたそうだ。その上、慶子に何の感情を持っていないと示すように、さっさと也耶子と結婚してしまったのだ。
「さすがに須藤が結婚すれば、慶子も諦めると思ったんですけどね。あれは偽装結婚だなんて言い出して、あなたにライバル心を燃やし始めました。それには俺もさすがにお手上げ状態でした」
 思い込みの激しい妻に太刀打ちできず、仕方なく離婚を受け入れたそうだ。だが、未だ踏ん切りがつかない綾部は慶子を振り向かせたいと、あれこれと策を講じて来たらしい。そして、偶然を装い今回も遭遇したのだという。
「つかぬことをお聞きしますが、綾部さんはまだ慶子さんのことを愛しているってことですか?」
「それがおかしな話なんですよね。あいつより美しい女や、従順な女はたくさんいるのに。でも、あいつはどこか放っておけないところがあって……頭も良く鼻っ柱が強くて仕事もバリバリできるのに、恋愛音痴で少女漫画の世界に憧れるような純なところがあるんですよ」
 これを世間は『惚れた弱み』と呼ぶのだろう。三國慶子は学生時代から勉強一筋の真面目な性格で、社会人になっても同僚の男性陣に負けまいと気を張っていたせいか男女の色恋には疎い方だったそうだ。
 知人を介して知り合った綾部はそんな危なっかしい慶子を、いつも兄のように見守り続けていたという。そして、それがいつしか恋心に変わり慶子と一生涯共にしたいと望むようになったらしい。
「元妻にやきもちを焼かせるためにデートを見せつけるなんて、この年なって恥ずかしくて誰にも頼めなかったものですから……」
 だから、金銭を払うと割り切って、赤の他人に恋人役を頼んだのだ。そんな風に自分の胸の内を告白した彼も、見かけと違って純な男性だと思えた。
「メイン料理の兎の赤ワイン煮コニッリオと、コトレッタ・アラ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)です」
 全てさらけ出した綾部はいつの間にかワインを飲む手を止め、美味しそうにカツレツを頬張っていた。
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