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白線の内側に下がってお待ちください
(一)
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日々は駆け足で過ぎ、はや三月。ホワイトデーが間近に迫ったある日のことだった。也耶子はサプライズプロポーズを計画する依頼者のため、つかさ芸能事務所の役者たちとフラッシュモブの練習中だった。
「練習中にすみません、お時間をいただいてもよろしいですか?」
詳細確認が不要な依頼を受ける場合はメールやラインなどでやりとりするだけだが、今回はつかさ総合代理出席人事務所のやり手事務員・宇賀公香直々に依頼を頼みに来た。ということは、何らかの問題がある依頼だと推測されるというわけだ。
「……今、何て言ったの? もう一度説明してくれない?」
「前回と同じような感じの恋人代理かと思っていたのですが、今回は本格的な恋人代理の依頼です。依頼者様から名指しの指名でしたので、きっと也耶子さんが気に入ったのではないでしょうか?」
「いやぁ、気に入るも入らないも、あの時は会話すらろくにしていないし……」
「とはいえ、こういうことは誰かれ構わず気軽に頼めるものではないですから、同じ相手を指名する確率は高いのかもしれませんね」
以前、恋人代理を引き受けパーティーに同伴したインテリアデザイナー綾部丈彦から、再依頼が来たのは全くの予想外だった。しかも、今度は正真正銘、二人きりでのデートをする恋人代理出だというから更なる驚きだった。
「恋人代理にいかがわしいサービスを期待している人や、逆に胡散臭い商売だと思って敬遠される人も多いようなんです。一時期話題になりましたが健全な感じがしないから、うちの事務所では大きく宣伝していないんですよね。綾部様の場合はパーティー同伴者という役目があったから、引き受けたわけなんです」
悦子先輩がつかさ総合代理出席人事務所を立ち上げてから四年ほど経つが、営業活動はもっぱらHP上で各種提供できるサービスの内容から料金設定まで丁寧に紹介しているだけだ。
だが、つかさ芸能事務所に所属する役者が多く兼業しているため、その他大勢の葬儀告別式の参列や結婚式の招待客などをメインにして、一対一になる恋人代理はできるだけ依頼が来ないよう敷居を高くしているのだという。
前回の対応をから考えて、依頼者綾部がいかがわしい行為を期待しているとは想像できない。しかも、指定されたデート場所は彼がデザインした、中目黒にある人気イタリアンレストランだった。
「今、ネットや雑誌で紹介されまくっている人気店で、予約が取れないと聞いたことがあります」
「へぇ、綾部さんってそんな人気店も手掛けているやり手なんですね」
「依頼者様は業界ではかなり評判が高い方だそうです」
それなのに、デート相手を代理出席人に依頼するとは、ますますおかしな話だと思えた。
恋人代理依頼当日、也耶子は中目黒のイタリアンレストラン「Ponte di Rialto」で依頼者綾部丈彦と落ち合った。場所柄少し気取った感じの高級レストランと思いきや、店内はイタリアの家庭料理を味わえそうな温かな雰囲気だった。
「素敵なお店ですね。綾部さんがインテリアをデザインされたお店はどこも予約が取れない人気だとうかがいました」
「どこの店も腕の良い料理人と商売上手のオーナーがいるからで、店のインテリアなんかおまけみたいなものですよ」
「おまけだなんて謙遜されて……店内の雰囲気も食事を楽しくする大事な演出のひとつです。こんな居心地の良い空間を作り出している、綾部さんのセンスが冴えているんですよ」
「須藤さんはお上手ですね。リップサービスも代理出席人の仕事のひとつですか?」
「いえ、いえ、とんでもない。これは本心から出た言葉です」
「いやぁ、そこまで露骨に褒められると恐縮しちゃいます」
こんな風にまずまずの出だしで、二人きりの重苦しい雰囲気が一気に和んでいった。業界では名の通った成功者らしいが、綾部丈彦はそれを鼻にかけることのない謙虚な男のようだ。
それなのに、恋人代理を依頼しなければならない理由があるとしたら……それを考え始めたら美味しいディナーを味わえなくなってしまうだろう。
「ここのシェフは本場イタリアで修業した研究熱心な男ですから、どれも本格的で美味しいですよ。さぁ、お好きなメニューを選んでください」
「は、はい、喜んで」
メニューは今夜のおすすめ料理からそれぞれが食べたい料理をオーダーした。まず前菜に選んだのはアスコラーナのオリーブ詰め物(イタリア・マルケ州アスコリ地方の伝統料理。オリーブに詰めものをして揚げた一口サイズの温かい前菜)とルマーケ(エスカルゴのトマト煮)だ。
「美味しい。こんな小さなオリーブに詰め物をするなんて、一体誰が考えたのかしら」
初めて食べる料理に感動し、也耶子は仕事を忘れそうになっていた。
「須藤さん、お酒は飲める口ですか? もしかして、仕事だからと控えているとか?」
「私は弱い方なので、もっぱらこれで……」
アルコールに弱い也耶子は毎度お馴染みのミモザで雰囲気だけ味わっている。一方、綾部はまるで己を奮い立たせるかのように、自分好みの赤ワインを指定してボトルで頼んでいた。
「お酒、強いんですね」
「ええ、まあ。それに今夜は飲みたい気分なんです」
そう言って、かなりのハイペースでワインを飲んでいる。パスタはイカ墨を頼みたかったが、一応恋人同士と言う設定のため却下した。也耶子はジェノベーゼのリングイネ、綾部は猪肉を使ったラグーソースの手打ちパスタを注文した。想像以上にニンニクが効いているが、依頼者と接近する可能性が低いので安心して味わえる。
「練習中にすみません、お時間をいただいてもよろしいですか?」
詳細確認が不要な依頼を受ける場合はメールやラインなどでやりとりするだけだが、今回はつかさ総合代理出席人事務所のやり手事務員・宇賀公香直々に依頼を頼みに来た。ということは、何らかの問題がある依頼だと推測されるというわけだ。
「……今、何て言ったの? もう一度説明してくれない?」
「前回と同じような感じの恋人代理かと思っていたのですが、今回は本格的な恋人代理の依頼です。依頼者様から名指しの指名でしたので、きっと也耶子さんが気に入ったのではないでしょうか?」
「いやぁ、気に入るも入らないも、あの時は会話すらろくにしていないし……」
「とはいえ、こういうことは誰かれ構わず気軽に頼めるものではないですから、同じ相手を指名する確率は高いのかもしれませんね」
以前、恋人代理を引き受けパーティーに同伴したインテリアデザイナー綾部丈彦から、再依頼が来たのは全くの予想外だった。しかも、今度は正真正銘、二人きりでのデートをする恋人代理出だというから更なる驚きだった。
「恋人代理にいかがわしいサービスを期待している人や、逆に胡散臭い商売だと思って敬遠される人も多いようなんです。一時期話題になりましたが健全な感じがしないから、うちの事務所では大きく宣伝していないんですよね。綾部様の場合はパーティー同伴者という役目があったから、引き受けたわけなんです」
悦子先輩がつかさ総合代理出席人事務所を立ち上げてから四年ほど経つが、営業活動はもっぱらHP上で各種提供できるサービスの内容から料金設定まで丁寧に紹介しているだけだ。
だが、つかさ芸能事務所に所属する役者が多く兼業しているため、その他大勢の葬儀告別式の参列や結婚式の招待客などをメインにして、一対一になる恋人代理はできるだけ依頼が来ないよう敷居を高くしているのだという。
前回の対応をから考えて、依頼者綾部がいかがわしい行為を期待しているとは想像できない。しかも、指定されたデート場所は彼がデザインした、中目黒にある人気イタリアンレストランだった。
「今、ネットや雑誌で紹介されまくっている人気店で、予約が取れないと聞いたことがあります」
「へぇ、綾部さんってそんな人気店も手掛けているやり手なんですね」
「依頼者様は業界ではかなり評判が高い方だそうです」
それなのに、デート相手を代理出席人に依頼するとは、ますますおかしな話だと思えた。
恋人代理依頼当日、也耶子は中目黒のイタリアンレストラン「Ponte di Rialto」で依頼者綾部丈彦と落ち合った。場所柄少し気取った感じの高級レストランと思いきや、店内はイタリアの家庭料理を味わえそうな温かな雰囲気だった。
「素敵なお店ですね。綾部さんがインテリアをデザインされたお店はどこも予約が取れない人気だとうかがいました」
「どこの店も腕の良い料理人と商売上手のオーナーがいるからで、店のインテリアなんかおまけみたいなものですよ」
「おまけだなんて謙遜されて……店内の雰囲気も食事を楽しくする大事な演出のひとつです。こんな居心地の良い空間を作り出している、綾部さんのセンスが冴えているんですよ」
「須藤さんはお上手ですね。リップサービスも代理出席人の仕事のひとつですか?」
「いえ、いえ、とんでもない。これは本心から出た言葉です」
「いやぁ、そこまで露骨に褒められると恐縮しちゃいます」
こんな風にまずまずの出だしで、二人きりの重苦しい雰囲気が一気に和んでいった。業界では名の通った成功者らしいが、綾部丈彦はそれを鼻にかけることのない謙虚な男のようだ。
それなのに、恋人代理を依頼しなければならない理由があるとしたら……それを考え始めたら美味しいディナーを味わえなくなってしまうだろう。
「ここのシェフは本場イタリアで修業した研究熱心な男ですから、どれも本格的で美味しいですよ。さぁ、お好きなメニューを選んでください」
「は、はい、喜んで」
メニューは今夜のおすすめ料理からそれぞれが食べたい料理をオーダーした。まず前菜に選んだのはアスコラーナのオリーブ詰め物(イタリア・マルケ州アスコリ地方の伝統料理。オリーブに詰めものをして揚げた一口サイズの温かい前菜)とルマーケ(エスカルゴのトマト煮)だ。
「美味しい。こんな小さなオリーブに詰め物をするなんて、一体誰が考えたのかしら」
初めて食べる料理に感動し、也耶子は仕事を忘れそうになっていた。
「須藤さん、お酒は飲める口ですか? もしかして、仕事だからと控えているとか?」
「私は弱い方なので、もっぱらこれで……」
アルコールに弱い也耶子は毎度お馴染みのミモザで雰囲気だけ味わっている。一方、綾部はまるで己を奮い立たせるかのように、自分好みの赤ワインを指定してボトルで頼んでいた。
「お酒、強いんですね」
「ええ、まあ。それに今夜は飲みたい気分なんです」
そう言って、かなりのハイペースでワインを飲んでいる。パスタはイカ墨を頼みたかったが、一応恋人同士と言う設定のため却下した。也耶子はジェノベーゼのリングイネ、綾部は猪肉を使ったラグーソースの手打ちパスタを注文した。想像以上にニンニクが効いているが、依頼者と接近する可能性が低いので安心して味わえる。
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