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使用上の注意をよく読み、用法用量を守り正しくお使いください
(七)
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宴もたけなわ、和やかに〆のアイスクリームを食べている時だった。
「あぁあ、美味しかった。お粥鍋なんて病人の食べ物かと思っていたが、案外ボリュームもあって食べ過ぎたくらいだよ」
最初の頃の仏頂面は既になく、やまべんは気さくな兄の表情をのぞかせている。
「冷蔵庫の食材は何でも使って構わないって言うから、私も調子に乗っちゃって……」
遠慮気味に解凍していた高級肉も、気が付けば全て食べ尽くしていた。
「スープがお粥だから、スルスルと食べられちゃったわね」
恥ずかしそうに三保子も同意した。
「栄養バランスが良いから、少しくらい食べ過ぎたって罪悪感がないな」
腹をさすりながら、篠宮は豪快に笑い飛ばす。
「つんちゃんもお肉、こぉんなに食べちゃった」
紡生も大袈裟に両腕を広げておどけてみせた。
「本物を食べたのは十五年程前だったし、一度きりだったので正解がわからないけど、自分では美味しくできたと思います」
鍋奉行に徹していたため満腹には至らなかったが、皆の笑顔を見て也耶子は満足だった。
「クアラルンプールで食べたのかぁ……そういえば、ペナン島に行った時にトランジットで立ち寄っただけで、素通りしちゃったんだよなぁ。マレーシアも美味い飯が多いから、またいつか……また……」
楽しそうに語っていたやまべんが急に黙り込んでしまった。
「また、どうしたの?」
寂しそうな表情が気になり、也耶子はつい問いかけた。
「行きたいのは山々だが、今ではそのチャンスが残っているかどうかもわからない」
「え?」
急に弱音を吐くやまべんの態度に、皆は何やら胸騒ぎを覚えた。
「マレーシアは日本からそう遠くないでしょう? そうそう、私の娘は今シンガポールに住んでいるのよ。確かシンガポールはマレーシア半島の下の方にあるんでしょう?」
「そうだよ、飛行機に乗れば、あっという間に行ける距離だ。確か仕事でよくタイに行っているとテレビ番組で話していたじゃないか。タイもマレーシアも距離的にがそう変わらないだろう?」
一昨年、やまべんがタイ・バンコクで大規模なフェスイベントを開催したことは、ワイドショーなどでも大々的に取り上げられていた。
「でも、もうそれすら今の俺には無理なんだ」
明らかに落胆した様子で、やまべんはがっくりと肩を落としている。
「……どうして、うちの事務所に家族代理を依頼したのか、ずっと気になっていたんです。もしかしたら、旅行すらできないような理由と何か関係があるんですか?」
インターフォンのやり取りからずっと、どこか様子がおかしいと感じていた。それなので、ついお節介にも何か手助けできないものかと声をかけてしまったのだ。
「じ、実は……」
きっかけは大量の取り寄せ便だった。以前からグルメとしても知られている山野辺勉は、取り寄せ便を頻繁に利用していた。ところが、ある時期から見境なく注文するようになり、宅配業者からの受け取りをしていた家政婦からこれは変だと指摘されたそうだ。
「自分で注文した品を忘れてしまい、また同じように注文してしまう。そんなことの繰り返しが何度も続き、心配した家政婦に忠告され病院に行ってみたんだ。そうしたら、そうしたら……若年性アルツハイマー型認知症だと診断されたんだ」
「あ、アルツハイマー?」
「認知症?」
あの大量のメモ書きや食材のストックは、そういう理由があったからなのか。
原因はまだ完全に解明されていないが、若年性アルツハイマーの原因も通常のアルツハイマー型認知症と同様と考えられている。
『アミロイドβタンパク質』という物質が脳に蓄積することで、神経細胞が破壊されてしまうのが原因だ。記憶・思考・行動に障害が起き、日常生活を送ることが困難になるくらい深刻な物忘れやその他の症状が出てしまう。
アルツハイマー病の五%未満が若年性発症型といわれ、年齢が若い分だけ高齢者と比べ脳が委縮していくスピードも速く注意が必要だとされている。
少しでもおかしいと感じたり、周りから注意や心配を受けたりした場合には、医療機関で早期受診することを勧められている。
早期発見・早期治療が病気の進行を遅らせるために重要だが、アルツハイマー型認知症は一度発症してしまうと完治は難しい病気といわれている。現在使われている治療薬は症状を改善する効果はあるものの、根本的に治す効果はないそうだ。
そのため、薬によって記憶力などの認知機能が改善しても、病気は次第に進行していくらしい。ただ、早い段階で診断して適切な薬を使えば、症状が軽い状態を維持することができるという。
しかし、疾病の進行する速度は人によって異なるが、アルツハイマー病の患者の平均余命は発症してから八年だといわれている。
「あぁあ、美味しかった。お粥鍋なんて病人の食べ物かと思っていたが、案外ボリュームもあって食べ過ぎたくらいだよ」
最初の頃の仏頂面は既になく、やまべんは気さくな兄の表情をのぞかせている。
「冷蔵庫の食材は何でも使って構わないって言うから、私も調子に乗っちゃって……」
遠慮気味に解凍していた高級肉も、気が付けば全て食べ尽くしていた。
「スープがお粥だから、スルスルと食べられちゃったわね」
恥ずかしそうに三保子も同意した。
「栄養バランスが良いから、少しくらい食べ過ぎたって罪悪感がないな」
腹をさすりながら、篠宮は豪快に笑い飛ばす。
「つんちゃんもお肉、こぉんなに食べちゃった」
紡生も大袈裟に両腕を広げておどけてみせた。
「本物を食べたのは十五年程前だったし、一度きりだったので正解がわからないけど、自分では美味しくできたと思います」
鍋奉行に徹していたため満腹には至らなかったが、皆の笑顔を見て也耶子は満足だった。
「クアラルンプールで食べたのかぁ……そういえば、ペナン島に行った時にトランジットで立ち寄っただけで、素通りしちゃったんだよなぁ。マレーシアも美味い飯が多いから、またいつか……また……」
楽しそうに語っていたやまべんが急に黙り込んでしまった。
「また、どうしたの?」
寂しそうな表情が気になり、也耶子はつい問いかけた。
「行きたいのは山々だが、今ではそのチャンスが残っているかどうかもわからない」
「え?」
急に弱音を吐くやまべんの態度に、皆は何やら胸騒ぎを覚えた。
「マレーシアは日本からそう遠くないでしょう? そうそう、私の娘は今シンガポールに住んでいるのよ。確かシンガポールはマレーシア半島の下の方にあるんでしょう?」
「そうだよ、飛行機に乗れば、あっという間に行ける距離だ。確か仕事でよくタイに行っているとテレビ番組で話していたじゃないか。タイもマレーシアも距離的にがそう変わらないだろう?」
一昨年、やまべんがタイ・バンコクで大規模なフェスイベントを開催したことは、ワイドショーなどでも大々的に取り上げられていた。
「でも、もうそれすら今の俺には無理なんだ」
明らかに落胆した様子で、やまべんはがっくりと肩を落としている。
「……どうして、うちの事務所に家族代理を依頼したのか、ずっと気になっていたんです。もしかしたら、旅行すらできないような理由と何か関係があるんですか?」
インターフォンのやり取りからずっと、どこか様子がおかしいと感じていた。それなので、ついお節介にも何か手助けできないものかと声をかけてしまったのだ。
「じ、実は……」
きっかけは大量の取り寄せ便だった。以前からグルメとしても知られている山野辺勉は、取り寄せ便を頻繁に利用していた。ところが、ある時期から見境なく注文するようになり、宅配業者からの受け取りをしていた家政婦からこれは変だと指摘されたそうだ。
「自分で注文した品を忘れてしまい、また同じように注文してしまう。そんなことの繰り返しが何度も続き、心配した家政婦に忠告され病院に行ってみたんだ。そうしたら、そうしたら……若年性アルツハイマー型認知症だと診断されたんだ」
「あ、アルツハイマー?」
「認知症?」
あの大量のメモ書きや食材のストックは、そういう理由があったからなのか。
原因はまだ完全に解明されていないが、若年性アルツハイマーの原因も通常のアルツハイマー型認知症と同様と考えられている。
『アミロイドβタンパク質』という物質が脳に蓄積することで、神経細胞が破壊されてしまうのが原因だ。記憶・思考・行動に障害が起き、日常生活を送ることが困難になるくらい深刻な物忘れやその他の症状が出てしまう。
アルツハイマー病の五%未満が若年性発症型といわれ、年齢が若い分だけ高齢者と比べ脳が委縮していくスピードも速く注意が必要だとされている。
少しでもおかしいと感じたり、周りから注意や心配を受けたりした場合には、医療機関で早期受診することを勧められている。
早期発見・早期治療が病気の進行を遅らせるために重要だが、アルツハイマー型認知症は一度発症してしまうと完治は難しい病気といわれている。現在使われている治療薬は症状を改善する効果はあるものの、根本的に治す効果はないそうだ。
そのため、薬によって記憶力などの認知機能が改善しても、病気は次第に進行していくらしい。ただ、早い段階で診断して適切な薬を使えば、症状が軽い状態を維持することができるという。
しかし、疾病の進行する速度は人によって異なるが、アルツハイマー病の患者の平均余命は発症してから八年だといわれている。
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