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泣いたら思う存分抱っこしてあげましょう

(五)

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「……それでは、三十分後にうかがいますので、よろしくお願いします」
 思いのほか話がうまく進み、安堵の笑みがこぼれる。電話を切って目を上げると、眠っているはずの士温がいつの間にか也耶子を見つめていた。残念なことに目を開けたその顔にも、亡き夫・逞の面影は全く見出せない。
「初対面の私を見ても泣かないとは……お主、たいした度胸だわね。今日からしばらくの間、私がお前さんの相棒よ。よろしく頼むわね、須藤士温殿」
「あうぅぅぅ……ぎぃぃぃぃ」
 一通り挨拶を済ませるも、士温は謎の唸り声を上げるだけ。勢いで引き受けたものの、赤ん坊の世話などしたことはない。それゆえ、子育てにも法律にも明るい、一石二鳥の人物に連絡したのであった。
「ふむふむ、そうか」
 育児日記にサッと目を通し、也耶子は一人頷く。六か月ともなると首も座り、抱っこもできる月齢になっているらしい。キャリーバッグの中から抱っこひもを取り出して、さっそく使い方をネットで検索する。
「ふぅん、このサポートベルトで腰への負担を軽減ねぇ。ええと、肩ひもをクロスして、首カックンしないようにこうして……自然なM字開脚って、これ笑える」
 士温を抱っこしてケープコートを羽織ると、外出の準備が整った。例の買い物かご風の物体は、ネット情報によるとチャイルドシートになるそうだ。これに付属パーツをつければベビーカーになるらしいが、荷物にそれらしきものは見当たらない。
「抱っこで済むから、ベビーカーは必要なし。それじゃあ、出かけますか」
 士温を抱きながら、キャリーバッグを転がし出発する。どれをとっても赤ん坊には不可欠な品ばかりで、荷物を減らすことなどできそうにもない。幸いにも紙おむつや着替えなどかさばる物が多いだけ。中身は重くはないので、それだけが唯一の救いだった。
「こんな大荷物じゃあ私一人でも大変なのに、赤ん坊までプラスされたら……世の中のお母さんたちって毎日こんな苦労をしているんだね、尊敬しちゃう」
 荷物もあるし、周囲の目も気になる。混みあう電車なんて、とてもじゃないが乗る勇気はない。どうせ一駅だからと、也耶子は目的地まで歩いて行くことに決めた。

 約束の時間通りにマンションに着くと、エントランスのオートロックに部屋番号を入力する。
「はい、常盤です」
 落ち着いた雰囲気の女性声が返ってきた。彼女がスーパー家政婦の中村さんだろうか。
「須藤也耶子と申します」
「お待ちしていました、どうぞ」
 也耶子が名乗ると、エントランスのガラス扉が開いた。真司だけでなく中村さんまでいるとは、なんとも幸先がいい。いそいそとエレベーターに乗り込み、常盤家のある階まで上がる。玄関ドアのインターフォンを押すと、着物姿の初老の女性がドアを開け出迎えた。
「は、初めまして。私は……」
 也耶子が口を開くと、女性の陰に隠れていた紡生が飛び出した。
「也耶子ちゃん!」
「おっ、つんちゃん。びっくりした、今日も元気だねぇ」
 也耶子が大袈裟に驚いて見せると、紡生は得意げな表情を浮かべて笑った。
「真司さんから話は聞いています。この度は倫代のせいで、色々とご迷惑をおかけしました」
「え?」
 中村さんと思いきや、なんと彼女は常盤倫代の母親・大塚三保子おおつかみほこだというではないか。
「中村さんはぎっくり腰が尾を引いて、家政婦を辞めてしまったのよ」
 だから、その代わりに三保子がここに居るのだろうか?
 でも、そうだとしたら、ちょっとばかり妙な話のような気がする。
「也耶子ちゃんは本当の叔母ちゃんじゃあないんだってね、がっかりしちゃった」
 どうやら紡生にも大人の事情が少しだけ説明されたらしい。
「あぁ、ひゃぁあ……」
 士温が紡生の声に反応し、嬉しそうに声を上げる。
「赤ちゃん? 赤ちゃんを抱っこしているの?」
 ケープコートの膨らみを覗き込もうと、紡ぎ生がぴょんぴょん跳ねる。
「そうよ、ほら」
 靴を脱ぐついでにコートのボタンを外し、士温の姿を紡生に見せた。
「きゃあ、可愛い」
「ぎぃぃぃぃぃ」
 愛想のよい性格なのか、士温はにっこり笑ってよだれを垂らした。
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