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泣いたら思う存分抱っこしてあげましょう

(二)

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 財産分与を虎視眈々と狙っている両親と、現在の恋人との板挟みになった珠々。結局、彼女は恋に生きる道を選び、両親の要求を拒否して、めでたく問題は解決された。
 運命の相手と信じる恋人に真実を隠し、子供のない夫婦のために代理母になったと打ち明けたという。それならば、謝礼に一千万円を受け取るのは、おかしくない話に思えるのだが……
「日本では代理出産が認められていないから、それって完全に嘘だってバレバレじゃないですか」
「葬儀告別式ではシラを切っていたけれど、あの女は逞が既婚者だって知っていたようね。あなたたちの間に子供がいなかったから、妊娠すれば勝算があると踏んでいたらしいわ。可愛い女のフリして、したたかよね」
 やはり秘密の恋人二号は、逞が既婚者だと知っていたのだ。嘘をつくなら徹底的に突き通すのが二階堂珠々のやり方らしい。
 妊娠を口実に也耶子から逞を奪おうとしたとは口が裂けても言えず、日本では認められていない代理出産という嘘をでっち上げたというわけだ。
「こっちは妊活しても妊娠できなかったのに、一か八かの賭けで妊娠できたとは……」
 欲しいものは手段を選ばず手に入れる、女の執念ほど恐ろしいものはない。

「将来この子は逞の代わりに私の後を継ぐ立場になったのよ」
 すったもんだはあったが養子縁組も無事に終え、赤ん坊は須藤家の跡取りとなった。須藤家は代々横浜市内で飲食店を経営していた。今では千栄子が手腕を発揮して、関東一円にまで店舗を拡大している。
 逞は四十歳になったら千栄子の跡を継ぐ予定で、それまでは好きなことをする約束をしていたらしい。それが四十歳に手が届かないうちにあの世に逝ってしまい、後継者不在になってしまったのだ。
 千栄子には三歳下の妹がいて、一男一女を設けている。だが、どちらも経営者の器ではないし、そもそも飲食店経営には全く興味がないという。
「二人とも財産分与には関心があるようだけれど、店の経営を任されるのは御免だと言うのよ。身勝手な話だと思わない?」
「それは何もせずに大金が手に入れば、楽に越したことないですからね」 
 金が全てだとは思わないが、なくて不自由するのも辛い。無関心ではいられないが、也耶子は自分が金に執着する方だとは思っていない。
「どいつもこいつも口を開けば金、金、金。私が死ぬことばかり願っているような奴らしかいないのよ」
 今回の養子縁組では親戚一同から異論が出たらしく、千栄子は怒り心頭だった。
「でも、どうしてこんな話を私にするんですか?」
「あなただけだったのよ、金銭を要求しなかったのは……」
 財産分与の際も千栄子の代理人である弁護士の言いなりで、也耶子は特に異を唱えようとはしなかった。
「そ、それは最初から逞の財産なんか当てにしていませんでしたから」
「あなたのそういう裏表のない素直な性格を知っていれば、こんなことにならなかったのにね。いいえ、知ろうとしなかった私のミスなのよね」
 千栄子はプライドをかなぐり捨て、自ら間違いを認めた。後に冷静になって考えてみたら、あの状況で精進落としまで無事に終えられたのは、今まで馬鹿にしていた嫁のお陰だったのかもしれないと。
「それなのに、それなのに……こんなにこの子を愛しているのに、どうして私の言うことを聞いてくれないのよぉ」
 さっきは怒り狂ったと思いきや、今度は一転して千栄子が声を上げて泣き出した。
「私はもう六十八のお婆ちゃんだったのよ。体力だけでなく気力だって続かないし、いつまでこの子の面倒を見てあげられるかわからないのよ。ねぇ、どうしたら良いの、也耶子さん。教えて、お願い」
 既に年金が支給される年齢を超えているが、メンテナンスも行き届いているため肌艶も良く、もうすぐ七十に手が届くようには見えない。だが、本人が言うように老体に長年ぶりの育児はきつかろう。
「お、義母さん。千栄子さん、大丈夫ですか?」
 この情調不安定な様子は……もしかしたら千栄子は育児ノイローゼなのかもしれない。しかし、涙ながらに訴えられても、也耶子は全くの赤の他人。赤ん坊の人生には無関係な存在だ。
「お言葉を返すようで申し訳ないのですが、私はもう須藤の家とは縁を切った人間です。今更あなたが私に何を求めているのか、さっぱり見当もつきません」
「也耶子さん、あなたはこの子が可愛くないの?」
 赤ん坊は生きていくための自己防衛本能として、周りに可愛いと思わせるアピールをしているという。その体の動きや特徴を「ベビーシェマ」と呼び、人間だけでなく動物にも当てはまるそうだ。
「もちろん、可愛いですよ。犬でも猫でも、赤ん坊ってみんな可愛いですよね」
「ち、違う! この子は逞の息子なのよ、あなたの夫の忘れ形見なのよ。可愛くないわけないわよね?」
 しかし、この子は也耶子が産んだわけではない。秘密の恋人二号こと、二階堂珠々が一千万円と引き換えに、ちゃっかり産んだ子だ。それに、この子はどう見ても母親に似たのだろう。気持ち良さそうに眠る赤ん坊に、亡き夫の面影はなかった。
「そう言われもねぇ……」
 あれから一年が経ち、今ではもう逞への気持ちもすっかり冷めていた。何の未練も執着もない、単なる過去の人になりつつある。
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