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このたびはご愁傷様です
(五)
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一般的な慣習では故人の配偶者が喪主になる場合が多いそうだ。法律では祭祀継承者(*家を祀る行事を受け継ぐ人)は一人と定められているが、喪主は複数でも問題ないらしい。それを知ってか姑は嫁には任せられないと、自ら喪主を買って出ていた。だが、也耶子を差し置いて強引に出しゃばると、弔問客の反感を買いかねない。そのため、嫌々ながらも也耶子とともに二人で喪主を務めることに同意したのだった。
「喪主様。申し訳ございませんが、精進落としの人数確認をお願いします」
最愛の夫が急逝したというのに、喪主である妻・也耶子は悲しむ隙を与えてもらえないようだ。昨晩におこなわれた通夜も、これから始まる葬儀告別式でも、葬儀担当者がことあるごとにうかがいを立ててくる。それなので、おちおち悲しみに浸っている場合ではいられなかったのだ。
「喪主様、弔電の方はどれを紹介しましょうか?」
もう一人の喪主様はどうしているかと思いきや、息子の棺に付き添い涙に暮れてばかりだった。也耶子が逞に近づこうものなら鬼の形相で睨みつけ、こんな風に暴言を吐きまくる。
「この子が死んだのは、あなたのせいよ。あなたみたいな女と結婚したから、逞は早死にしたのよ!」
理不尽な言葉だと思うが、今の也耶子は耐え忍ぶほかに手立てはない。担当者との進行確認も、喪主の挨拶も全て也耶子が引き受けて、心安やらかに読経を聞いたり祈りを捧げたりすることなどできない状態にいる。
「喪主様。参列者様の返礼品と礼状が足りなくなりそうですが、あとどのくらい追加いたしましょうか?」
「え? 確か百名分をお願いしたんですよね? それならば……」
事前の打ち合わせを全て姑に任せたら、金に糸目を付けず一番豪華なプランを選んでいた。一人息子の最期を盛大に見送りたいという母親の気持ちを思い、也耶子も反対はしなかった。それに費用の全ては千栄子が払うと請け負ったのだ、私の懐が痛むわけではない。返礼品や礼状が不足しそうなら、追加すれば良いだけの話だ。
「それじゃあ、あと五十ほど用意していただけますか?」
「はい、かしこまりました。すぐに手配いたします」
こんな風に也耶子が葬儀告別式そっちのけでスケジュールに追われているのに、姑は相変わらず棺のそばから離れようとしない。姑は知らない。自慢の一人息子が嘘をついて家を出たことを。郡山でなく大阪に行くと出かけたことを。
しかも、郡山行は出張ではなく、有給休暇を取って出かけていたのだ。だが、也耶子はその真実を姑に伝えるつもりはなかった。息子が誰にも看取られず息を引き取ったなど、知りたいと思う親はいないと思っているからだ。
どうして夫は妻に嘘をついてまで郡山に出かけたのだろうか?
有給休暇で一人旅を楽しむことが後ろめたかったから?
それとも、どうしても妻に隠しておきたい秘密があったからだろうか?
そのことがずっと心に引っ掛かり、也耶子は素直に夫の死を悼むことができずにいる。
「……もしも郡山で急死しなかったら、あの人は一体どこで肉まんを買うつもりだったのかしら?」
近所のスーパーでも手に入る肉まんではなく、大阪本店や関西圏にある支店でしか購入できない肉まんを、逞はどこで手に入れるつもりだったのだろうか?
きっと賢い彼のことだから、アリバイ工作にも抜かりはなかっただろう。実際に大阪出張に出向いた同僚に買ってきてもらう手はずを整えていたかもしれない。
そんな風に葬儀の場に相応しくないような想像をしていると、何やら斎場の外にある受付から女性の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「須藤逞が亡くなったって、本当ですか?」
「逞さんはどこですか?」
「ちょっと、早く中に入らせてください!」
受付の制止をはねつけて、三人の女性が脇目も振らずに須藤逞が眠る棺に向かっていく。何事が起きたのかと驚いた司会者が、弔電を読むのをやめてしまった。そして、彼女たちは棺の中の遺体を確認すると、各々逞の名前を叫びながら泣き出した。
「た、タッくん……ど、どうしてこんなことに?」
一人目は何となく見た覚えがあるが、その名が全く出てこない芸能人と思しき女性。どうやら逞の勤める会社が運営する、ネットテレビの企画で知り合ったらしい。
原則として故人への哀悼の意を表すのならば、一般参列者は通夜・葬儀告別式に地味な平服でも構わないそうだ。しかし彼女の場合、その見事なスタイルを強調するかのような黒いニットのミニワンピースに、艶めかしい黒い網タイツという格好は誰の目からも場違いにしか見えないだろう。ひと際目立つ格好でやたらと大袈裟に悲しみをアピールして、まるで安っぽいメロドラマのワンシーンのようだった。
「逞さん、どうして? ついこの間までは、あんなに元気だったのにぃ」
二人目は逞が半年前に同僚の紹介で入会したマラソンサークルの仲間で、いつも皇居ランの後でデートを重ねていたという。色白の肌に映える栗色の巻き髪、喪服に真珠のネックレスが似合う清楚系女子だ。
――俺は既婚者だから関係ないけど、女子の方が多くて驚いたよ。
サークル内には二十代の独身女性が多くいると逞から聞いたことがあった。それらの女性を蹴散らせ彼女の座を射止めたのだから、裏側にはかなりしたたかな面を持っているに違いない。努力の甲斐あって射止めた恋人が一向に結婚の二文字を口に出さないので、どういう理由があるのか疑問に思っていたそうだ。
「た、たくぅ」
三人目は逞と同じ勤務先、インターネット広告会社の美人広報だそうだ。男顔負けで仕事をバリバリこなす、エネルギッシュなタイプと評判らしい。二人は同期入社で十二年来の仲だという。
彼女が結婚したため、しばらく逞とは距離を置いていたそうだ。ところが、最近になって離婚したため再び急接近したらしい。てっきり逞も自分と同じように離婚したかと思っていたと嘆いていた。
「喪主様。申し訳ございませんが、精進落としの人数確認をお願いします」
最愛の夫が急逝したというのに、喪主である妻・也耶子は悲しむ隙を与えてもらえないようだ。昨晩におこなわれた通夜も、これから始まる葬儀告別式でも、葬儀担当者がことあるごとにうかがいを立ててくる。それなので、おちおち悲しみに浸っている場合ではいられなかったのだ。
「喪主様、弔電の方はどれを紹介しましょうか?」
もう一人の喪主様はどうしているかと思いきや、息子の棺に付き添い涙に暮れてばかりだった。也耶子が逞に近づこうものなら鬼の形相で睨みつけ、こんな風に暴言を吐きまくる。
「この子が死んだのは、あなたのせいよ。あなたみたいな女と結婚したから、逞は早死にしたのよ!」
理不尽な言葉だと思うが、今の也耶子は耐え忍ぶほかに手立てはない。担当者との進行確認も、喪主の挨拶も全て也耶子が引き受けて、心安やらかに読経を聞いたり祈りを捧げたりすることなどできない状態にいる。
「喪主様。参列者様の返礼品と礼状が足りなくなりそうですが、あとどのくらい追加いたしましょうか?」
「え? 確か百名分をお願いしたんですよね? それならば……」
事前の打ち合わせを全て姑に任せたら、金に糸目を付けず一番豪華なプランを選んでいた。一人息子の最期を盛大に見送りたいという母親の気持ちを思い、也耶子も反対はしなかった。それに費用の全ては千栄子が払うと請け負ったのだ、私の懐が痛むわけではない。返礼品や礼状が不足しそうなら、追加すれば良いだけの話だ。
「それじゃあ、あと五十ほど用意していただけますか?」
「はい、かしこまりました。すぐに手配いたします」
こんな風に也耶子が葬儀告別式そっちのけでスケジュールに追われているのに、姑は相変わらず棺のそばから離れようとしない。姑は知らない。自慢の一人息子が嘘をついて家を出たことを。郡山でなく大阪に行くと出かけたことを。
しかも、郡山行は出張ではなく、有給休暇を取って出かけていたのだ。だが、也耶子はその真実を姑に伝えるつもりはなかった。息子が誰にも看取られず息を引き取ったなど、知りたいと思う親はいないと思っているからだ。
どうして夫は妻に嘘をついてまで郡山に出かけたのだろうか?
有給休暇で一人旅を楽しむことが後ろめたかったから?
それとも、どうしても妻に隠しておきたい秘密があったからだろうか?
そのことがずっと心に引っ掛かり、也耶子は素直に夫の死を悼むことができずにいる。
「……もしも郡山で急死しなかったら、あの人は一体どこで肉まんを買うつもりだったのかしら?」
近所のスーパーでも手に入る肉まんではなく、大阪本店や関西圏にある支店でしか購入できない肉まんを、逞はどこで手に入れるつもりだったのだろうか?
きっと賢い彼のことだから、アリバイ工作にも抜かりはなかっただろう。実際に大阪出張に出向いた同僚に買ってきてもらう手はずを整えていたかもしれない。
そんな風に葬儀の場に相応しくないような想像をしていると、何やら斎場の外にある受付から女性の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「須藤逞が亡くなったって、本当ですか?」
「逞さんはどこですか?」
「ちょっと、早く中に入らせてください!」
受付の制止をはねつけて、三人の女性が脇目も振らずに須藤逞が眠る棺に向かっていく。何事が起きたのかと驚いた司会者が、弔電を読むのをやめてしまった。そして、彼女たちは棺の中の遺体を確認すると、各々逞の名前を叫びながら泣き出した。
「た、タッくん……ど、どうしてこんなことに?」
一人目は何となく見た覚えがあるが、その名が全く出てこない芸能人と思しき女性。どうやら逞の勤める会社が運営する、ネットテレビの企画で知り合ったらしい。
原則として故人への哀悼の意を表すのならば、一般参列者は通夜・葬儀告別式に地味な平服でも構わないそうだ。しかし彼女の場合、その見事なスタイルを強調するかのような黒いニットのミニワンピースに、艶めかしい黒い網タイツという格好は誰の目からも場違いにしか見えないだろう。ひと際目立つ格好でやたらと大袈裟に悲しみをアピールして、まるで安っぽいメロドラマのワンシーンのようだった。
「逞さん、どうして? ついこの間までは、あんなに元気だったのにぃ」
二人目は逞が半年前に同僚の紹介で入会したマラソンサークルの仲間で、いつも皇居ランの後でデートを重ねていたという。色白の肌に映える栗色の巻き髪、喪服に真珠のネックレスが似合う清楚系女子だ。
――俺は既婚者だから関係ないけど、女子の方が多くて驚いたよ。
サークル内には二十代の独身女性が多くいると逞から聞いたことがあった。それらの女性を蹴散らせ彼女の座を射止めたのだから、裏側にはかなりしたたかな面を持っているに違いない。努力の甲斐あって射止めた恋人が一向に結婚の二文字を口に出さないので、どういう理由があるのか疑問に思っていたそうだ。
「た、たくぅ」
三人目は逞と同じ勤務先、インターネット広告会社の美人広報だそうだ。男顔負けで仕事をバリバリこなす、エネルギッシュなタイプと評判らしい。二人は同期入社で十二年来の仲だという。
彼女が結婚したため、しばらく逞とは距離を置いていたそうだ。ところが、最近になって離婚したため再び急接近したらしい。てっきり逞も自分と同じように離婚したかと思っていたと嘆いていた。
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