3 / 74
このたびはご愁傷様です
(三)
しおりを挟む
「け、今朝こちらに救急搬送された須藤逞の家族です」
病院に到着し受付で名前を告げると、神妙な面持ちの職員女性が現れた。
「ご遺体はこちらです。ご確認をお願いします」
病院の霊安室には眠っているように穏やかな顔をした夫が横たわっていた。既にエンゼルケアと呼ばれる遺体処置が済み、体はアルコールで清拭され、鼻・口・耳などには脱脂綿が詰められていた。
「須藤逞様でお間違いありませんね」
「は、はい。た、確かに主人の須藤逞です」
死亡原因は「虚血性心不全」だと聞かされたが、也耶子にはピンとこなかった。
「心筋梗塞や狭心症をまとめて「虚血性心疾患」と呼んでいます。心臓の筋肉、いわゆる心筋への血流が阻害されることによって起こる心臓疾患の総称です」
「し、心臓病ですか?」
日本人の死因原因第二位が心疾患で、中でも突然死の大半を占めるのが「虚血性心不全」だそうだ。最近では若者でも発病することが多くなっているのだという。誰にも看取られることなく一人で、須藤逞は三十五年という短い人生の幕をここ郡山市で閉じたのだった。
息子命の母・千栄子よりも、逞は先に逝ってしまった。気が重いがいち早く姑に連絡しなければ、後々しこりが残るだろう。それに、逞が亡くなったということは、これから然るべき祭儀が待っている。
「あ、あのぉ、也耶子ですが……」
「そんなことわかっていますよ。スマホの画面に名前が出るんだもの」
無視されないだけも幸いだと思わなくてはいけない。
「何なのよ、こんな時間に電話してきて。ランチタイムが終わって、これから貴重な休憩時間に入るのよ」
「た、大変なことが起きたので、お義母さんに連絡しました。じ、実は逞さんが、逞さんが……」
怒って電話を切られる前に、ちゃんと伝えなければいけない。そう思っても、言葉が口から出てこなかった。
「何よ、一体。逞がどうしたのよ?」
「た、逞さんが亡くなりました」
「え? 何ですって?」
「だ、だから、逞さんが「虚血性心不全」で亡くなりました」
「う、嘘でしょう? 也耶子さん、あなたは私をからかっているんでしょう? 何でそんな嘘を……そんなに私が嫌いなの? 逞が死んだって嘘をつくほど私のことを……」
逞が郡山市で亡くなったという事実を告げると、想像した通り姑は半狂乱になっていた。
「こんな嘘をついて、私にどんな得があるっていうんですか? 嘘だったらどんなに良かったか……これから遺体を連れて帰る予定です。それよりも通夜とかお葬式のことですが、私はその辺りは不得手で。どうしたら良いのかわからないので、ネット検索でもしようかと……」
也耶子が発したネット検索という言葉が癇に障ったようで、千栄子は我に返りいきり立った。
「ね、ネット検索ですって? これだから、あなたって人は駄目なのよ! 葬儀一式は私が責任をもって手配しますから、あなたは逞を無事に連れ戻してください」
病院で教えてもらった営業許可証を持つ霊柩運送事業専門会社に遺体の運搬を依頼した。運搬料金は会社ごとに国土交通大臣に届出を行い、適正だと認められた金額になっているという。
移動距離、時間帯によって細かく設定されて、郡山市から逞の実家がある横浜までは十万円ほどだった。これはあくまでも搬送料金のみで、車両代、高速代、棺や遺体を覆う防水シート、温度を管理するドライアイスなどの料金が加算される。不謹慎だが遺体が腐敗しやすい真夏でなくて助かったと也耶子は秘かに考えていた。
配車準備が整い迎えに来るまでまだ少し時間があった。この間に病院の支払いも済ませなければならないし、遺体搬送にもまとまった金額が必要になるだろう。也耶子は見知らぬ街に飛び出して、一目散にコンビニへと向かった。今はどこのコンビニにもATMが設置されているが、一回に引き出しできる限度額が違うそうだ。だから、限度額五十万円(紙幣枚数五十枚)をうたっている某コンビニを血眼になって探した。
これからどのくらいの現金が必要になるか全く見当がつかない。葬儀一式は姑に任せたから、きっと支払いの方も世話になるのだと思う。だが、それ以外の出費を自分の貯金を崩すべきか、それとも……
「あっ、そうだ」
逞名義の口座のキャッシュカードを預かっているのを思い出した。もちろん、暗証番号も教えてもらっている。残高を確認すると口座には百四十万円ほどの入金があった。
「よし、これを全額引き出そう」
新聞に死亡広告を載せると、故人の銀行口座が凍結されてしまうそうだ。信用金庫に勤める父親の話によると役所へ死亡届を提出しても、金融機関に連絡がいくことは一切ないという。新聞で訃報を把握することが多く、他にも親族からの連絡や、外回りの営業担当者が耳にする場合もあるらしい。
逞の荷物を確認していないが、きっと私が知らない銀行口座やクレジットカードが存在するに違いない。コンビニならば二十四時間いつでも引き出すことが可能だ。後で夫の財布を調べてから、対処しても間に合うはずだろう。
当座の支払いはできそうだとホッとしたのもつかの間、也耶子はすぐさま病院へと戻った。
病院に到着し受付で名前を告げると、神妙な面持ちの職員女性が現れた。
「ご遺体はこちらです。ご確認をお願いします」
病院の霊安室には眠っているように穏やかな顔をした夫が横たわっていた。既にエンゼルケアと呼ばれる遺体処置が済み、体はアルコールで清拭され、鼻・口・耳などには脱脂綿が詰められていた。
「須藤逞様でお間違いありませんね」
「は、はい。た、確かに主人の須藤逞です」
死亡原因は「虚血性心不全」だと聞かされたが、也耶子にはピンとこなかった。
「心筋梗塞や狭心症をまとめて「虚血性心疾患」と呼んでいます。心臓の筋肉、いわゆる心筋への血流が阻害されることによって起こる心臓疾患の総称です」
「し、心臓病ですか?」
日本人の死因原因第二位が心疾患で、中でも突然死の大半を占めるのが「虚血性心不全」だそうだ。最近では若者でも発病することが多くなっているのだという。誰にも看取られることなく一人で、須藤逞は三十五年という短い人生の幕をここ郡山市で閉じたのだった。
息子命の母・千栄子よりも、逞は先に逝ってしまった。気が重いがいち早く姑に連絡しなければ、後々しこりが残るだろう。それに、逞が亡くなったということは、これから然るべき祭儀が待っている。
「あ、あのぉ、也耶子ですが……」
「そんなことわかっていますよ。スマホの画面に名前が出るんだもの」
無視されないだけも幸いだと思わなくてはいけない。
「何なのよ、こんな時間に電話してきて。ランチタイムが終わって、これから貴重な休憩時間に入るのよ」
「た、大変なことが起きたので、お義母さんに連絡しました。じ、実は逞さんが、逞さんが……」
怒って電話を切られる前に、ちゃんと伝えなければいけない。そう思っても、言葉が口から出てこなかった。
「何よ、一体。逞がどうしたのよ?」
「た、逞さんが亡くなりました」
「え? 何ですって?」
「だ、だから、逞さんが「虚血性心不全」で亡くなりました」
「う、嘘でしょう? 也耶子さん、あなたは私をからかっているんでしょう? 何でそんな嘘を……そんなに私が嫌いなの? 逞が死んだって嘘をつくほど私のことを……」
逞が郡山市で亡くなったという事実を告げると、想像した通り姑は半狂乱になっていた。
「こんな嘘をついて、私にどんな得があるっていうんですか? 嘘だったらどんなに良かったか……これから遺体を連れて帰る予定です。それよりも通夜とかお葬式のことですが、私はその辺りは不得手で。どうしたら良いのかわからないので、ネット検索でもしようかと……」
也耶子が発したネット検索という言葉が癇に障ったようで、千栄子は我に返りいきり立った。
「ね、ネット検索ですって? これだから、あなたって人は駄目なのよ! 葬儀一式は私が責任をもって手配しますから、あなたは逞を無事に連れ戻してください」
病院で教えてもらった営業許可証を持つ霊柩運送事業専門会社に遺体の運搬を依頼した。運搬料金は会社ごとに国土交通大臣に届出を行い、適正だと認められた金額になっているという。
移動距離、時間帯によって細かく設定されて、郡山市から逞の実家がある横浜までは十万円ほどだった。これはあくまでも搬送料金のみで、車両代、高速代、棺や遺体を覆う防水シート、温度を管理するドライアイスなどの料金が加算される。不謹慎だが遺体が腐敗しやすい真夏でなくて助かったと也耶子は秘かに考えていた。
配車準備が整い迎えに来るまでまだ少し時間があった。この間に病院の支払いも済ませなければならないし、遺体搬送にもまとまった金額が必要になるだろう。也耶子は見知らぬ街に飛び出して、一目散にコンビニへと向かった。今はどこのコンビニにもATMが設置されているが、一回に引き出しできる限度額が違うそうだ。だから、限度額五十万円(紙幣枚数五十枚)をうたっている某コンビニを血眼になって探した。
これからどのくらいの現金が必要になるか全く見当がつかない。葬儀一式は姑に任せたから、きっと支払いの方も世話になるのだと思う。だが、それ以外の出費を自分の貯金を崩すべきか、それとも……
「あっ、そうだ」
逞名義の口座のキャッシュカードを預かっているのを思い出した。もちろん、暗証番号も教えてもらっている。残高を確認すると口座には百四十万円ほどの入金があった。
「よし、これを全額引き出そう」
新聞に死亡広告を載せると、故人の銀行口座が凍結されてしまうそうだ。信用金庫に勤める父親の話によると役所へ死亡届を提出しても、金融機関に連絡がいくことは一切ないという。新聞で訃報を把握することが多く、他にも親族からの連絡や、外回りの営業担当者が耳にする場合もあるらしい。
逞の荷物を確認していないが、きっと私が知らない銀行口座やクレジットカードが存在するに違いない。コンビニならば二十四時間いつでも引き出すことが可能だ。後で夫の財布を調べてから、対処しても間に合うはずだろう。
当座の支払いはできそうだとホッとしたのもつかの間、也耶子はすぐさま病院へと戻った。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる