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このたびはご愁傷様です

(十三)

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 パントリーに見立てたレンジ台の下や冷蔵庫の中身を確認する。
「ええっと、野菜は玉ねぎに人参、じゃが芋。パプリカと茄子、ブロッコリーとエリンギか」
 野菜はこれだけ揃えば十分だ。それに、冷凍室には鳥のむね肉が一枚残っていたはずだ。
「よっしゃ! やっぱりあったね、鶏のむね肉」
 ちょっと早めの夕飯は、肉も野菜も天の恵みを丸ごと喰らう「オーブン焼き」を作ろう。最初に半分にカットしたパプリカと丸ごとの茄子をオーブントースターで焼いておく。皮が黒焦げになっても剥いてしまうので構わない。
 根野菜はある程度レンジで柔らかくしておく。人参は皮つきで1/2をレンジで加熱して、玉ねぎも皮だけ剥いてまるごとレンジへ。じゃが芋は水で良く洗いそのまま水に濡らしたキッチンペーパーで包み、上からラップをしてレンジで加熱する。私の拳くらいの大きさ(一五〇グラムくらい)だと強五〇〇Wで二~三分、弱二〇〇Wで四~五分くらいでちょうど良いだろうか。様子を見ながら時間を調節する。これだけでホックホクのふかし芋の出来上がりだ。
 備え付けの天板に油を塗り、具材をぎゅうぎゅうに並べる。その上から市販のハーブ塩を振りかけ、鶏むね肉に粒マスタードを塗りたくる。後はオーブントースターに入れて焼くだけだ。
 下ごしらえが済んだら、先にシャワーを浴びて身を清めてしまおう。自分の好きなように時間を使えるのも、独り暮らし良い点だ。たった二年の結婚生活で、いつの間にかそんな些細な喜びも忘れてしまっていた。
食事のお供は白ワインをソーダ水で割ったスプリッツァーにしよう。ドイツ語で「はじける」という意味、スプリッツェン(Spritzen)からきた軽めの簡単カクテルを作る。
「まずは食事の前に一口……うぅん、美味しい」
 ワインはコンビニで買った「安価でも美味しい」と評判の銘柄だ。アルコールに弱い也耶子には、手軽に楽しめるコンビニワインで充分満足できる。食店を経営する母親の影響で、逞は幼い頃から美味しい料理を食べ慣れていたグルマンだった。ワインや日本酒などにも詳しく、酔うとうんちくを語りたがったものだ。だが、結婚してからは健康のために腹八分目と決め、食事を楽しむことをしなくなっていた。
 それもそのはず、秘密の恋人とのデートで腹八分目、自宅に戻り也耶子の手料理を腹八分目食べていたのだ。これでは完全にカロリーオーバーだった。八分目と八分目、合わせたら十六分目ということは……一六〇パーセント、満腹な胃に更に夕食を詰め込んで、まるでフォアグラを生産するために餌を与えられるガチョウのようではないか。そんな食べ方では料理そのものを味わうことなどできるはずがない。それに、それだけ食べたらマラソンを始めたところで体調管理などできるわけがなかった。
 この間、ネット検索していたら「心臓に負担をかける生活習慣診断」というサイトが目に飛び込んできた。既にこの世にいない逞を診断しても意味はないが試しに調べてみた。
 一、働き過ぎである→YES。所属部署では責任ある立場にいたため、楽ができる身の上ではなかったようだ。
 二、休日は外に出ない→YES。結婚してから逞は本性を現したのだが、明るく社交的だと思っていた彼には裏の顔があった。外で愛想の良い男を演じているのが疲れるのか、休日は部屋に閉じこもり好きな音楽を聴きながら本を読んだり、プラモデルを作ったりする方が楽しいようだった。周囲の顔色をうかがって、常に気を遣う典型的な「良い子」も楽ではないと思えた。
 三、マラソンを始めてみた→特大YES。秘密の恋人二号との出会いは、体調管理のために入会したマラソンサークルだった。マラソンさえ始めなければ、夫との関係は違ったものになっていたかもしれない。そんな風に考えてみても、後の祭りだった。
 四、急に体重が増えた→おっとこれもYES。食べ過ぎで体重が増えたので、そのためにマラソンを始めた。でも、その結果また食べる量が増えてしまったのだから、本末転倒も甚だしかった。
 五、足や手が冷える→これはどうだろう? 一緒のベッドに寝てはいたものの、皮肉にも妊活宣言後は夫婦がぴったり寄り添うことはなかった。
 六、心電図をとったことがない→毎年会社で健康診断をしていたけれど、どうだったのか? ずっと健康維持を気にかけていたことで、也耶子も逞は大丈夫だと思い込んでいた。
 七、ストレスがたまりやすい→これは質問中で最大のYESだろう。家庭と秘密の恋人たち三人との四重生活で、ストレスがたまらないわけがない。

 ふと悦子との会話が頭の中で駆け巡った。
「可哀そうな男だよね、也耶子の旦那って」
「何を言うんですか、悦子先輩。可哀そうなのは私の方ですよ」
「そりゃあ、也耶子も気の毒だけど、それはまた別の次元よ。秘密の恋人たちは我先に、私が、私がと出しゃばるような女ばかりだったじゃない。どちらかというと控えめな也耶子は、旦那にとって安らぎを与えてくれる存在だったはずなのよ」
 それなのに、逞は家庭に安らぎを求めなかった。それどころか、嘘をつき隠し事をして、自分で自分の首を絞めていったのだ。
「外面が良いのは考え物だよね。どこにも気を許せる場所がないんだもの。結婚して素っ気なくなったのは、也耶子に気を遣う必要がなくなって安心したからかもしれないわね」
「そういうものですかね? 悦子先輩のところもそんな感じでした?」
「うちの場合は逆かなぁ。司は外で威張り散らして、家では甘えん坊の赤ちゃんだったもの。それにしても昼間は会社、夜は秘密の恋人たちと妻との四重生活って、想像するだけで息が詰まるわね」
 もしかしたら、それが早すぎる死につながったのかもしれない。嘘で塗り固めた須藤逞の輝かしい人生。妻である也耶子も知らない、その全貌を知る人物がどこかに存在するのだろうか?
 あれから郡山市の謎も解明されないままだ。そして、本当に夫が秘密の恋人たちを求めていたのかもわからず仕舞いになっている。いや、そんなことよりも、須藤逞が古木也耶子を愛していたのかもさえ、今では疑わしいところだった。
――誰に対しても良い顔をする八方美人な面があって、本心がわからない不気味な男だった
 上司はそんな風に逞を評していた。確かに三人も愛人を囲っていたが、逞は女好きの色情狂ではない。ただ、押しに弱くNOとは言えない外面良し男なだけだったのだ。也耶子の胸には逞の本性を知りたいような、知りたくないような、まだ複雑な気持ちが残っていた。

 スプリッツアーと一緒にオーブン焼きを食べながら、冷凍庫で保存していたロールパンを二個ほど温めた。丸ごと焼いた茄子はジューシーで、おろしにんにくを入れたポン酢ダレをつけると更に美味しくなる。いや、ポン酢ダレは何につけても美味しい万能調味料だ。
「うぅん、美味い。ほっこりするのは人情話より芋に限るよねぇ」
 人間は生きていればお腹が空く、お腹が空いたら満たされたいと願うものではないか。健康のために腹八分目とは何事だ。逞はそうほざいて亡くなった。
 それならば、私はお腹いっぱい食べてから死んでやると叫びたい。
「うぅん、お腹いっぱい。満足、満足」
 空腹が満たされると、自然に笑顔が浮かんでくる。

――神様はいつも私に優しい。だから、私は大丈夫。
 こうやって根拠のない言葉を呟いて、自分自身を励ます。
「次はどんな仕事が待っているかなぁ」
 きっと明日も今日以上に楽しい日がやって来ると願いながら……
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