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このたびはご愁傷様です

(九)

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 寺本アキラ、大牧澄子おおまきすみこ矢次隼人やつぎはやとなどの名バイプレーヤーを抱えたつかさ芸能事務所は、中堅ながらも安定した経営状態の芸能プロダクションだったらしい。ところが、三年前に社長の門脇司がすい臓がんで急逝すると事態が一変する。看板俳優たちが次々と独立を宣言し事務所から去っていったのだ。
「司への恩も忘れて沈みゆく船からネズミが逃げ出すように、どいつもこいつも逃げ出したのよ。矢次なんか借金まで司に背負わせたのに、知らんぷりを決め込んで逃げたんだから」
「へぇ、あの誠実キャラが売りの矢次隼人が借金を踏み倒したとは、人って見かけによらないんですね」
「だから、俳優として成功できたんじゃない」
「あっ、それもそうですね」
 犬でも一宿一飯の恩を忘れないというのに、恩知らずの不届きものだと悦子は彼らを非難していた。
「でも、あの子だけは違っていたの……」
 今現在、つかさ芸能事務所ではカメレオン俳優と呼ばれる若手人気俳優の荒俣匡哉あらまたきょうやが唯一の頼みの綱だという
「匡哉は高校生の頃に都内の牛丼屋でアルバイトしていたところ、司の目に留まりスカウトしたのよ」
 見た目は地味だがどこか惹かれるところがあり、社長自らが声をかけたらしい。
「門脇司の人を見る目は確かだから、きっと彼には何か光るものがあるかもしれない」
 夫を信じてドラマや映画の端役を何度か経験させると、荒俣匡哉はみるみるその才能を開花させていったそうだ。
「私が司と結婚したと同時期に匡哉が事務所に入ったから、何となく彼と私は同期みたいな感覚なのよ」
 普段の彼は全くオーラのない地味なタイプで、撮影現場に入った途端に強烈な個性が発揮されるそうだ。だからこそ、個性を殺して何の色にも染まらず、どんな役でも演じ切ってしまうのだという。今では荒俣匡哉が出ている作品は間違いなく面白いと言われるほどの高評価を得て、仕事が切れることがないらしい。
「だから、さっきの秘密の恋人一号に詳しいんですね」
「あの子は業界ではちょっとした有名人よ。売れるためには何でもする、売名行為のまぁや。匡哉が同じドラマに出演した時、共演場面がないのに待ち伏せされて大変だったのよ」
 芸能人として売れるためには汚い手も使う――恋人の急死で悲劇のヒロインになるはずだった一ノ瀬まぁやだが、自分以外に二人も別の恋人も現れた。しかも、亡くなった恋人には妻までいたのだ。
「さっき、彼女のマネージャーがスマホを構えていたけど、私と入れ違いに外に出て行ったわ。不倫とわかった時点で引き下がればよかったのに、あんなに大騒ぎして……ちゃんと打ち合わせしていなかったのかしら」
 今の芸能界で不倫は大きなイメージダウンにつながり、世間にバレたらそれこそ命とりのようだ。
「私が代わりに証拠映像を残しておいたから、これで一ノ瀬まぁや対策は万全だわ」
 事務所の大看板・荒俣匡哉にまたちょっかいを出した時に、この証拠映像を見せて追い払うと悦子は息巻いていた。

「それで、芸能事務所とさっきのセレモニーホールと、一体どんな関係があるんですか?」
「ごめん、ごめん。話が脱線しちゃったわね」
 つかさ芸能事務所では所属俳優たちが活動する劇団も運営しているそうだ。だが、荒俣匡哉以外の俳優たちは未だ目立った活躍もできず、仕事も定まらないらしい。そんなところへ他の劇団が主宰する舞台公演や、音楽事務所の若手ミュージシャンのライブのサクラ要員を複数人数で依頼された。
 お互いに持ちつ持たれつの関係だからと、何度となく依頼を受けているうちに、もしかしたら仕事になるかもしれないと事務員の宇賀公香が思いついたという。そこで悦子は心機一転、二年前から代理出席人派遣サービスの事務所も兼ねることを決意したのだった。
「だ、代理出席人派遣サービス? な、何ですか、それ?」
「結婚式や葬儀告別式を代りに出席するとか、ちょっと前に話題になったレンタル家族みたいな代行サービスを提供しているのよ。もちろん、法に触れるような性的なサービスは一切なし」
 すると、様々な役に対応できる修行のようだと所属俳優たちも喜んで受け入れて、今では代理出席人サービスを専門として生活費を稼ぐ劇団研修員まで出てきたらしい。そこまで話すと悦子はもう一枚の名刺を也耶子に渡した。確かにそこには「つかさ総合代理出席人事務所」の名前が記されていた。
「匡哉も時には葬儀告別式の代理出席人として、参列することもあるのよ」
「えぇ? 荒俣匡哉が? そんなことをしたら一発でバレないんですか?」
「まさか、あの子はカメレオン俳優よ。バレるような馬鹿な真似はしないわ」
「確かに……」
 カメレオン俳優の素顔を知る者は、悦子以外の他にはほとんどいないらしい。
「それで、良かったら……也耶子もどう? 人間観察ができて、意外と面白いわよ」
「わ、私?」
「特に資格も必要ないし、社会人としての礼儀や一般常識があれば大丈夫。それに、也耶子も演劇経験者じゃない」
「それはそうですけど、でも……」
 確かに也耶子は悦子と同じ演劇部に所属していた経験者だった。だが、毎回主役を務めた悦子と違い、村人Bとか通行人とか物語に関係のないような役ばかり演じていた。それもそのはず、也耶子の超がつくほど消極的な性格を変えようと、当時の担任教諭が半ば強引に演劇部へと入部させたからだ。
「先輩だって知っての通り役を演じるというよりも、ただ舞台に立っていただけの経験者です。代理出席人なんて務められないですよ」
「それよ、それ! ただ舞台に立っているだけで良いの。代理出席人は絶対に悪目立ちしてはいけないから、単なる傍観者でも構わない。ただ周囲の人々に紛れ込み、場の雰囲気に馴染まければいけないわね。そうしないと速攻でバレてしまうから」
 悦子の気迫に押された也耶子は、ついそれもそうだと頷いていた。
「それに也耶子の性格……あまり感情を表に出すタイプじゃないでしょう。今のような状態でもパニックにならず、冷静に対応ができるのも代理出席人として強みだと思うのよ」
「で、でも、直ぐには何とも……」
「もちろん、今はまだ色々と忙しいと思うから、暇になったら連絡をちょうだい。一緒にランチでもしながら、打ち合わせしましょう」
「ランチですか?」
「イケる口なら夜でも構わないけれど、酔わせて仕事を頼むのはあまり好きじゃないから。お互い素面の時にもう一度会いましょう」
 そうこうしているうちに収骨の案内が放送された。
「さぁ、私はこの辺でお暇しますか」
「え? 先輩、もう帰っちゃうんですか?」
「何よ、情けない声を出して。しっかりしてね、喪主さん。ほら、お仕事の再開だよ。最後まで踏ん張ってこい!」
 悦子に見送られ、也耶子は収骨室へと向かった。

 既に二人一組で遺骨を掴んで骨壷に入れる「箸渡し」が始まっていた。通常は男女がペアになっておこなうものらしい。
「やっぱり若いから、骨も太くて立派ねぇ」
 どこからかそんな風に囁く声が聞こえた。骨の量は男性で三~三・五キロくらい、女性で二・五~三キロ程度が一般的だという。身長一七二センチの逞がこんなに小さくなるものかと、寂しいような切ないような気分になった。
「也耶子、こっちにおいで」
 父親に呼ばれて、二人で箸渡しをおこなった。葬儀での騒動を黙って見守ってくれていた両親には、迷惑をかけ通しで申し訳ない気持ちでいっぱいになる。人一倍正義感の強い小学校教諭の兄がここにいたら、きっと父のように黙っていられなかったはずだ。抜けられない学校行事があるため通夜しか参列できなかったのだが、もしかしたら也耶子にとって好都合だったのかもしれない。
「大丈夫か? さっきのことで、参ってないか?」
 普段は口数の少ない父が心配そうに尋ねた。
「まだまだひと悶着ありそうだけど、ここは我慢の時だからね」
 結納から強烈な個性の姑に押され気味の母親も、すまなそうに声をかけた。娘の一大事なのに何も力になれない……そんな両親の辛さを感じ取り、也耶子は弱弱しく微笑んだ。
「うん、大丈夫。いつかは終わることだから、何とかやれる」
 葬儀途中で三人もの秘密の恋人が現れて、也耶子は針のむしろに座るような状態だった。それでもまだこの後に、初七日法要と精進落としが控えている。
「た、逞ぁ……」
 またもや千栄子が涙にくれている。泣いたところで逞が生き返るわけもないのに、どうしてあんなに涙が出るのか不思議なくらいだった。骨壺を抱きしめ涙する姑を尻目に、也耶子は親子三人肩を並べてセレモニーホールへ戻る専用マイクロバスに乗り込んだ。
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