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三の巻 赤ん坊置き去り騒動
七
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一夜明け、菊と光之助は手がかりを求めてお染を捜しに出かけた。小伝馬町は日本橋界隈の北側にあり、町内には建具職人や長持、挟箱、婚礼道具の足人や商人が多く住んでいる。
「似たような裏長屋ばかりで、わかりづらいな」
「光之介殿、その長屋とは何じゃ?」
「な、長屋も知らないのか? えっと、長屋は江戸の町の人たちの住まいで……」
この当時、江戸の商人や庶民が住んでいたのが集合住宅の裏長屋――細長い建物の内部を薄い壁で仕切り、いくつかの住まいにしたアパートのようなものだ。
一棟に五~十二戸ほどの世帯が、お互い助け合って暮らしていた。玄関を入るとすぐに台所があり、部屋は一~
二間ある程度。井戸と厠(トイレ)は共同で使い、銭湯や水浴びをしていたため基本的に風呂はない。
「ほぉ、皆が一緒に暮らしているのか」
それは江戸城内の大奥と変わらぬが、長屋とは何とも小ぢんまりとした佇まいだ。でも、それが江戸の町人の暮らしだと知り、菊は感慨深い気持ちになった。
「ここは同じような商売や職人が集まっているから、尚更探しづらいなぁ」
途方に暮れる二人だが、運の良いことに偶然お染の姿を見かけた。ところが、当のお染は弓太郎よりも更に幼い赤ん坊を抱いているではないか。
「あの子は一体誰なのだろうか?」
「それはお染に聞くのが手っ取り早いぞ」
駆け足でお染に近づき声をかける。すると、お染は慌てて赤ん坊を隠した。
「お、お前さんたちはお奉行様の……」
「お染殿、その子は一体誰じゃ?」
「か、関係ないだろう。要らぬ口を出さないでおくれ」
「だがな、お染殿。お主はわざわざ奉行所まで、置き去りされた赤ん坊を引き取りに来たであろう?」
「一旦は母だと名乗り出て乳を与え、また置き去りにした。それなのに、今更あの赤ん坊は手前の子ではない、間違いでしたと申すのか?」
「こ、この子は正真正銘、手前が産んだ子だよ」
まさか、この赤ん坊もお染が産んだというのだろうか?
でも、赤ん坊は十月十日、母親の腹の中にいるという。この子はやっと首が据わった頃だろうか。そうなると生まれて、まだ三月くらいだろうか。ならば計算が合わなくなってくる。
「それならば、十月の弓太郎を産んだのはお主ではないはずじゃ」
「それに、さっきお主はこの子は正真正銘、手前が産んだ子だと言ったな」
二人の頭にはその正真正銘という言葉が引っかかっていた。
「あ、あれは……」
「どうして我が子だと名乗りを上げたのだ? それに、そもそもどうして奉行所の前に置き去りにされた赤ん坊がいると知っていたのだ?」
それは置き去りにした張本人にしか知り得ないことだった。
「う、うるさいね。妙な勘繰りはやめとくれ」
足早に逃げるお染に、追いつこうと後を追う二人。長屋に入り込んでお染が戸を開けると、そこには何人かの子供たちが寝転っているのが見えた。
「な、何だ、こりゃあ!」
「一、二、三……」
狭い裏長屋の一部屋に何と子供が六人も居るではないか。それも乳飲み子が一人、三、四歳の幼児が一人。あとは佐喜より二つ三つくらい年下の子供たちだ。
「お、お染殿。この子たちは皆、お主が産んだ子たちなのか?」
「そ、そうだよ。文句があるのかい?」
まさか、そんなはずがないような。だが、それ以外にここに子供たちが居る理由が見つからない。
「帰ったぞ、お染」
二人が呆然と立ち尽くす場に、渡世人風の男が現れた。
「お、お前たちは誰だ?」
「お主はお染殿の亭主なのか? それならば、この子たちの父親なのか?」
「違うよ! そいつらは俺たちの父ちゃんと母ちゃんじゃないよ」
光之助が問うと、中でも一番年上の男児が声を上げた。よく見ると顔には殴られたような青あざがある。
「う、うるさい! 何をぬかす。そ、そうに決まっているだろう」
奉行所でお染は建具職人八十吉の女房だと名乗った。そして、渡世人風の男はお染の亭主だと答えた。何処から見ても人相の悪いこの男が建具職人とは思えない。ふと菊は庄吉の話を思い出し、まさかと思いつつ探りを入れる。
「お主が父親ならば、あの子の名を教えてくれぬか?」
「な、何で見知らぬお前らに教えなきゃあならないんだ。教える理由なんかないだろう」
「教えたくても、知らねば言えぬ。そうなのだろう?」
「う、うるさい! とっと帰りやがれ!」
興奮した男は戸口に置いてある心張棒を振り回し、二人を追い出した。
「菊殿。もしかしたら、あれが例の父子ではないか?」
「光之助殿もそう思ったのか? しかしながら、お染があの子ら全員を産んだとは考えられない」
「しかも、子の名も知らないとは益々怪しいぞ」
と、なると道はただ一つ。目撃者である庄吉に渡世人風の男を確かめて貰うしかない。
「似たような裏長屋ばかりで、わかりづらいな」
「光之介殿、その長屋とは何じゃ?」
「な、長屋も知らないのか? えっと、長屋は江戸の町の人たちの住まいで……」
この当時、江戸の商人や庶民が住んでいたのが集合住宅の裏長屋――細長い建物の内部を薄い壁で仕切り、いくつかの住まいにしたアパートのようなものだ。
一棟に五~十二戸ほどの世帯が、お互い助け合って暮らしていた。玄関を入るとすぐに台所があり、部屋は一~
二間ある程度。井戸と厠(トイレ)は共同で使い、銭湯や水浴びをしていたため基本的に風呂はない。
「ほぉ、皆が一緒に暮らしているのか」
それは江戸城内の大奥と変わらぬが、長屋とは何とも小ぢんまりとした佇まいだ。でも、それが江戸の町人の暮らしだと知り、菊は感慨深い気持ちになった。
「ここは同じような商売や職人が集まっているから、尚更探しづらいなぁ」
途方に暮れる二人だが、運の良いことに偶然お染の姿を見かけた。ところが、当のお染は弓太郎よりも更に幼い赤ん坊を抱いているではないか。
「あの子は一体誰なのだろうか?」
「それはお染に聞くのが手っ取り早いぞ」
駆け足でお染に近づき声をかける。すると、お染は慌てて赤ん坊を隠した。
「お、お前さんたちはお奉行様の……」
「お染殿、その子は一体誰じゃ?」
「か、関係ないだろう。要らぬ口を出さないでおくれ」
「だがな、お染殿。お主はわざわざ奉行所まで、置き去りされた赤ん坊を引き取りに来たであろう?」
「一旦は母だと名乗り出て乳を与え、また置き去りにした。それなのに、今更あの赤ん坊は手前の子ではない、間違いでしたと申すのか?」
「こ、この子は正真正銘、手前が産んだ子だよ」
まさか、この赤ん坊もお染が産んだというのだろうか?
でも、赤ん坊は十月十日、母親の腹の中にいるという。この子はやっと首が据わった頃だろうか。そうなると生まれて、まだ三月くらいだろうか。ならば計算が合わなくなってくる。
「それならば、十月の弓太郎を産んだのはお主ではないはずじゃ」
「それに、さっきお主はこの子は正真正銘、手前が産んだ子だと言ったな」
二人の頭にはその正真正銘という言葉が引っかかっていた。
「あ、あれは……」
「どうして我が子だと名乗りを上げたのだ? それに、そもそもどうして奉行所の前に置き去りにされた赤ん坊がいると知っていたのだ?」
それは置き去りにした張本人にしか知り得ないことだった。
「う、うるさいね。妙な勘繰りはやめとくれ」
足早に逃げるお染に、追いつこうと後を追う二人。長屋に入り込んでお染が戸を開けると、そこには何人かの子供たちが寝転っているのが見えた。
「な、何だ、こりゃあ!」
「一、二、三……」
狭い裏長屋の一部屋に何と子供が六人も居るではないか。それも乳飲み子が一人、三、四歳の幼児が一人。あとは佐喜より二つ三つくらい年下の子供たちだ。
「お、お染殿。この子たちは皆、お主が産んだ子たちなのか?」
「そ、そうだよ。文句があるのかい?」
まさか、そんなはずがないような。だが、それ以外にここに子供たちが居る理由が見つからない。
「帰ったぞ、お染」
二人が呆然と立ち尽くす場に、渡世人風の男が現れた。
「お、お前たちは誰だ?」
「お主はお染殿の亭主なのか? それならば、この子たちの父親なのか?」
「違うよ! そいつらは俺たちの父ちゃんと母ちゃんじゃないよ」
光之助が問うと、中でも一番年上の男児が声を上げた。よく見ると顔には殴られたような青あざがある。
「う、うるさい! 何をぬかす。そ、そうに決まっているだろう」
奉行所でお染は建具職人八十吉の女房だと名乗った。そして、渡世人風の男はお染の亭主だと答えた。何処から見ても人相の悪いこの男が建具職人とは思えない。ふと菊は庄吉の話を思い出し、まさかと思いつつ探りを入れる。
「お主が父親ならば、あの子の名を教えてくれぬか?」
「な、何で見知らぬお前らに教えなきゃあならないんだ。教える理由なんかないだろう」
「教えたくても、知らねば言えぬ。そうなのだろう?」
「う、うるさい! とっと帰りやがれ!」
興奮した男は戸口に置いてある心張棒を振り回し、二人を追い出した。
「菊殿。もしかしたら、あれが例の父子ではないか?」
「光之助殿もそう思ったのか? しかしながら、お染があの子ら全員を産んだとは考えられない」
「しかも、子の名も知らないとは益々怪しいぞ」
と、なると道はただ一つ。目撃者である庄吉に渡世人風の男を確かめて貰うしかない。
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