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三の巻 赤ん坊置き去り騒動
弐
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すると、二日後。我こそが母親だと名乗る女が、なんと二人も現れたから驚いた。
一人は日本橋小伝馬町に住む、建具職人の女房だという恰幅の良いお染。もう一人は、お峰と名乗る小綺麗だが顔色の悪い陰気な女だった。
「赤ん坊は一人なのに母親が二人とは、何ともおかしな話ではないか?」
菊が指摘した通り、何とも奇妙な話だった。どちらが嘘をついているのか、はたまた勘違いなのか。しかし、置き去りにされた相手が赤ん坊なら、勘違いでは済まされない。これにはさすがに周五郎も頭を痛めた。
「お頭様、例の子供の腕を引っ張るやつはどうでしょうか?」
名案を思い付いたとばかり、一人の見習い同心が顔をほころばせた。その昔、名奉行と呼ばれる大岡越前守がおこなった、『子争い』の裁きを例に出したのだ。
「馬鹿言え、いくら何でも相手は赤ん坊だぞ。腕なんか引っ張ったら、簡単に抜けてしまうだろう」
念のため二人は別々の部屋で待機させ、両者の言い分を聞いた。
「一昨日、南町奉行所裏玄関に赤ん坊を置き去りしたのはお主だな」
同じ質問をすると、二人ともそうだと答える。
「だか、どうしてそんなことを? しかも、直ぐに赤ん坊を引き取りに来るとは、わけがわからないぞ」
すると、ここから二人の言い分は違ってくる。
お染は亭主が勝手に連れ出したと言い、お峰は赤ん坊が何者かに連れ去られたと物騒なことを言い出した。
「亭主の八十吉は手前の稼ぎが悪いくせに、餓鬼が多いからと勝手に口減らししようとしたんだよ」
ぺらぺらとありそうであってはならぬ話を喋るお染。一方、お峰の言い分はどこかぎごちない。
「いつものように昼寝をさせていたらあの子が、弓太郎がいなくなっていたのです」
あちらこちらを捜し回っていたら、南町奉行所の前に置き去りにされた赤ん坊がいると聞きつけたそうだ。
しばらくすると腹が減ったのか赤ん坊が泣き出した。お染とお峰には別々に、二人の母親が名乗り出ていると告げてみる。そして、赤ん坊が腹を空かせているので、両者に乳をあげてほしいと頼んでみた。
お染めは乳が張ってきたから、直ぐに赤ん坊に会わせてくれとせがんだ。ところが、お峰はさらに困った様子でおろおろし始めたではないか。
「お前さん、乳は張ってこないのか?」
「そ、それが……」
何でもお峰は産後の肥立ちが悪く、乳が出ず乳母に任せているという。顔色が一層悪くなり、貝のように口を閉ざし黙り込んでしまった。
意気消沈しているお峰をよそに、お染に泣きわめく赤ん坊を預けてみた。
「ほら、乳だよ。たんと飲みな」
乳が出ないから母親ではないというわけではないが、これをお染に告げると鼻であしらった。
「そいつが嘘をついているのさ。ほら、赤ん坊だって美味しそうに手前の乳を飲んでいるだろう」
如何にも手慣れた様子で赤ん坊に手前の乳房を含ませ乳を飲ませる。そして、腹いっぱいで満足した赤ん坊にげっぷをさせると、有無を言わさず布団に寝かしつけた。
「あれれ? 母親っていうのは赤ん坊に乳を与えた後、あやしたりするものではないのか?」
まだ独り身の見習い同心は、妙に思いながらお染の様子をじっとうかがっていた。
するとここで突然、お染が奇妙な行動に出る。何を考えているのか、赤ん坊をまたもや置き去りにして帰ってしまったのだ。
一人は日本橋小伝馬町に住む、建具職人の女房だという恰幅の良いお染。もう一人は、お峰と名乗る小綺麗だが顔色の悪い陰気な女だった。
「赤ん坊は一人なのに母親が二人とは、何ともおかしな話ではないか?」
菊が指摘した通り、何とも奇妙な話だった。どちらが嘘をついているのか、はたまた勘違いなのか。しかし、置き去りにされた相手が赤ん坊なら、勘違いでは済まされない。これにはさすがに周五郎も頭を痛めた。
「お頭様、例の子供の腕を引っ張るやつはどうでしょうか?」
名案を思い付いたとばかり、一人の見習い同心が顔をほころばせた。その昔、名奉行と呼ばれる大岡越前守がおこなった、『子争い』の裁きを例に出したのだ。
「馬鹿言え、いくら何でも相手は赤ん坊だぞ。腕なんか引っ張ったら、簡単に抜けてしまうだろう」
念のため二人は別々の部屋で待機させ、両者の言い分を聞いた。
「一昨日、南町奉行所裏玄関に赤ん坊を置き去りしたのはお主だな」
同じ質問をすると、二人ともそうだと答える。
「だか、どうしてそんなことを? しかも、直ぐに赤ん坊を引き取りに来るとは、わけがわからないぞ」
すると、ここから二人の言い分は違ってくる。
お染は亭主が勝手に連れ出したと言い、お峰は赤ん坊が何者かに連れ去られたと物騒なことを言い出した。
「亭主の八十吉は手前の稼ぎが悪いくせに、餓鬼が多いからと勝手に口減らししようとしたんだよ」
ぺらぺらとありそうであってはならぬ話を喋るお染。一方、お峰の言い分はどこかぎごちない。
「いつものように昼寝をさせていたらあの子が、弓太郎がいなくなっていたのです」
あちらこちらを捜し回っていたら、南町奉行所の前に置き去りにされた赤ん坊がいると聞きつけたそうだ。
しばらくすると腹が減ったのか赤ん坊が泣き出した。お染とお峰には別々に、二人の母親が名乗り出ていると告げてみる。そして、赤ん坊が腹を空かせているので、両者に乳をあげてほしいと頼んでみた。
お染めは乳が張ってきたから、直ぐに赤ん坊に会わせてくれとせがんだ。ところが、お峰はさらに困った様子でおろおろし始めたではないか。
「お前さん、乳は張ってこないのか?」
「そ、それが……」
何でもお峰は産後の肥立ちが悪く、乳が出ず乳母に任せているという。顔色が一層悪くなり、貝のように口を閉ざし黙り込んでしまった。
意気消沈しているお峰をよそに、お染に泣きわめく赤ん坊を預けてみた。
「ほら、乳だよ。たんと飲みな」
乳が出ないから母親ではないというわけではないが、これをお染に告げると鼻であしらった。
「そいつが嘘をついているのさ。ほら、赤ん坊だって美味しそうに手前の乳を飲んでいるだろう」
如何にも手慣れた様子で赤ん坊に手前の乳房を含ませ乳を飲ませる。そして、腹いっぱいで満足した赤ん坊にげっぷをさせると、有無を言わさず布団に寝かしつけた。
「あれれ? 母親っていうのは赤ん坊に乳を与えた後、あやしたりするものではないのか?」
まだ独り身の見習い同心は、妙に思いながらお染の様子をじっとうかがっていた。
するとここで突然、お染が奇妙な行動に出る。何を考えているのか、赤ん坊をまたもや置き去りにして帰ってしまったのだ。
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