これにて一件落着、菊姫は名奉行

勇内一人

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弐の巻 豆福入れ替え騒動

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「御免、少し話を聞かせてもらえぬか」
「失礼するぞ」
 先陣を切って菊が店に入ると、光之介が後に続く。手前たちの名を名乗り、南町奉行である父周五郎の名も出す。すると、子供二人で押しかけたというのに、伊勢本屋の奉公人たちは嫌な顔を一つせず二人の話を聞いてくれた。
「手前どももそんな噂を流されて、困っているんですよ」
 珍しい狆をもらい受けたと聞きつけ、是非とも見せてもらえぬかと店に来る客もいるそうだ。
「うちには狆なぞおりませぬと返すと、逆にけちだとか嘘つきだとか難癖をつけられるのです」
 どうしたものか噂が独り歩きして、迷惑しているという。すると、奥から話を聞きつけた店主が顔を出す。
「確かに日本橋辺りに店を構える商店で、狆を飼っているという話を耳にしました。それがいつの間にか手前の娘が、どこぞの大名領から譲り受けたなどと噂が独り歩きしたようです。ですが、そもそも手前どもは狆がどのような生き物かも知りません」
「狆とはこれだ」
 光之助に抱かれた抜け丸を菊が指さすと、ちょうど禿げ上がった尻に指が当たった。
「おや、まぁ。狆とはそのように禿のある生き物なのですか?」
「いや、いや、これはたまたまじゃ。何かの拍子で毛が抜け落ちてしまったらしい」
 光之助が気を利かせ、抜け丸の顔が良く見えるように体を傾けた。すると、黒く潤んだ大きな目が皆と合い、驚いたように更に大きくなった。
「ほぉ、何とも愛らしい顔をしているではないですか」
 初めて狆を目にしたからであろうか。手代たちの興味津々な表情になった。そんな様子を見れば伊勢本屋が嘘をついていないと思えた。
 それに、さっと見回した限りでは、ここに例の男はいない。確たる証拠がなければ奥まで乗り込んで調べるわけにはいかないだろう。
「狆は犬だとうかがいましたが、小さいし毛足が長く美しい。こんな珍しい生き物を飼っていれば悪目立ちして、商売の邪魔になり兼ねません。しかも、大名領の領主様から譲り受けたなどと噂されたら、他の店から妬まれるだけです」
 今の伊勢本屋の弁が決め手となった。これには誰も反論できないだろう。
「うむ、了承いたした。もしも狆の噂が他にも出たら、教えてくれぬか?」
「私どもで役に立てるのなら喜んでお手伝いさせてください。その代わりと言っては何ですが、狆にまつわるあらぬ噂が事実無根だと広めてください」
「うむ。それが真実ならば伊勢本屋には狆などいないと、周りの者に伝えていこうぞ」
「よろしくお願いいたします」
 伊勢本屋の店主は深々と頭を垂れた。

「菊殿はどう思われた?」
 子供二人が突然押しかけても、嫌な顔ひとつせずに話を聞いてくれた。伊勢本屋の真摯な態度を見れば、入れ替えとは無関係だと思えた。
「どう思うも何も、噂は噂に過ぎなかったと思えたな」
「そうだよな。珍しい狆を譲り受けたとしたら、逆に迷惑だと明言したからなぁ」
 町中に広まっている噂の伊勢本屋に狆はいなかった。やはり、噂は噂。鵜呑みにするものではないと光之助は気落ちした。
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