これにて一件落着、菊姫は名奉行

勇内一人

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壱の巻 ほろ苦い砂糖騒動

十三

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 翌日。二人は再び甘露庵を訪れた。どうやらこちらも新たな砂糖問屋と取引すると決めたらしい。
「今度こそ呉竹屋とは縁のなさそうな問屋を選びました。根岸屋さんより若干質が落ちるが、値段はその分安いので助かります」
 笑顔で語るが、弥平の表情はどこか曇っている。気になった菊が尋ねると、ここでも例の話が出てきた。
「うちは根岸屋さんでも値段の安い黒砂糖を買っていました。しかも、最上級の交趾産には手が出せませんから、福州産を注文していたのです。ところが、一年ほど前から品薄になったので、シャム(タイ)産に品替えして欲しいと頼まれました」
 質はそう変わりない上、値段が少しばかり安かったので、喜んでシャム産の黒砂糖に切り替えたそうだ。ところが、新しく取引する砂糖問屋で売っているカンボチヤ(カンボジア)産と、今まで使用していた黒砂糖が大差ないような気がすると打ち明けた。
 黒砂糖の場合は交趾産が最上級とされ、台湾産、福州産、シャム産と続き、なんとカンボチヤ産は下等品とされているというではないか。
「もしも、今までカンボチャ産を買っていたとなると、呉竹屋が言った通りに本当に安もんの黒砂糖を使っていたことになる。これが世間に知れたら恥ずかしいやら、悔しいやら……」
 嘘のような真実にたどり着き、弥平は愕然としていた。
「根岸屋さんから品替えして欲しいと頼まれた時、おかしいとは思わなかったのか?」
「商売は信用第一ですから、根岸屋さんを信じて取引していました。ですから、おかしいとはこれっぽっちも思いませんでした。でも、今は不信感しかありません」
 つかさずお美代が口を挟む。商売は信用第一、甘露庵も呉竹屋も根岸屋を信じて取引していたのだ。ところが、当の根岸屋の考えはそうではなかったらしい。
「確かにうちの店では安い黒砂糖しか手が出ませんが、仕入れる量はそれなりに大きいです。もしも、一年前から騙されていたとしたら、うちの店は大損ですよ」
 時期は一年前、格下の砂糖を根岸屋から売りつけられる。しかも、産地を偽って――奇妙なことに甘露庵でも、呉竹屋でも同じことが起きていた。
「面白いことに今と同じ話を呉竹屋で聞いた。向こうも南京産を台湾産の極上品だと騙され買っていたらしい」
「な、何だって? 呉竹屋も?」
「しかも、呉竹屋さんも甘露庵さん同様に、根岸屋さんから一方的に取引を中止させられたそうです」
「そ、それじゃあ……」
「例の買い占めの話は、どうやら根岸屋さんが吹聴した嘘だったようですね」
「でも、どうして? そんな嘘をついて、何の得があるのかしら?」
 信用第一の商売でいかさまをしてまで得る利益とは、果たしてどのような物だろう?
「利益がなければ嘘偽りをつく必要はないだろう。だから、きっとこれには理由があるのだろうな」
 訝しがる甘露庵親子にも、根岸屋の目論見などわかるはずもない。それならば、今度こそ本丸を狙うしかなさそうだ。

 翌日、手習い所の帰り道で光之助は文句をたれていた。
「言い出したのはお主だから、一緒につき合うのが筋だろう」
 もちろん、文句の相手は菊だ。
「うむ。もちろん、そのつもりだ。だから、こうやって一緒について来たであろう」
 根岸屋は間口こそ大きくない店構えだが、奥に幾つもの砂糖倉があるらしい。

 奈良時代、砂糖は鑑真によって伝えられたとされている。やがて戦国時代に南蛮貿易が開始されると、宣教師たちによって金平糖が持ち込まれた。更に中国などの亜細亜の国々から輸入が盛んになり、徐々に砂糖の消費量は増えていったそうだ。
 江戸時代には海外からの主要な輸入品の一つに、砂糖があげられるようになる。阿蘭陀や中国の貿易船が船を傾けさせないための重し代わりの底荷として、大量の砂糖を出島に持ち込んだらしい。
 この頃、日本からは大量の金銀が産出されており、その経済力を持って砂糖は高値で輸入されていたという。ところが、十七世紀後半に金銀が枯渇したため、金銀流出の原因の一つとなった砂糖輸入を減らす策が考えられた。それが砂糖の自国生産拡大だった。
 八代目将軍の徳川吉宗が製糖(甘蔗栽培)を奨励し、琉球からサトウキビを取り寄せ江戸城内で栽培させたそうだ。また、殖産興業を目指す各大名領も価格の高い砂糖に着目し、自領内で栽培を奨励したという。
 特に高松藩ではサトウキビ栽培が奨励され、天保期には国産白砂糖流通量の六割を占めるまで至る。製糖は黒砂糖から白下糖、やがて和三盆と改良が進み、和三盆は純国産の砂糖として大変重宝されていく。
 こうした動きにより十九世紀に入ると、砂糖の多くは日本国内で賄えるようになっていた。
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