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壱の巻 ほろ苦い砂糖騒動
七
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しばらくして、ある日のこと。二人は茜から使いを頼まれ、手習い所の帰り道に団子屋の甘露庵へと出向いた。
「へぇ、こんな所に団子屋があったのか」
光之助も甘露庵の菓子は好物だが、買物に来たのは初めてだった。
「どれ、どれ。ふむふむ、どれも美味しそうじゃな」
男勝りの菊姫だが、実は甘い物には目がない。そして、強面の周五郎も酒を飲まない甘党だった。
「団子には餡子やきな粉、みたらしなどの種類もあるぞ。どれもこれも美味しそうだな。しかも、団子も大福も結構な大きさだ。それなのに値段も手頃なのは嬉しいな」
「ほぉ、そうなのか?」
光之助がいうところでは、大きめの団子で変わり種なのに高値ではないらしい。
当時の相場として団子四個一串で四文(一文が約二〇円とし八〇円)、大福も一個四文。ちなみに蕎麦やうどんが一杯十六文(約三二〇円)だと教えられた。
だが、それが高いのか安いのか、金銭を持ったことのない菊にはわからなかった。
「南町奉行所の冨岡だが、母の使いで参った。いつもように団子と大福を包んでもらえぬか?」
「これは、これは冨岡様。本日もありがとうございます」
人の善さそうな店主の弥平は、江戸の町でも名の知れた菓子屋で修業したという。近所の評判も上々で、ひっきりなしに客が訪れていている。すると、奥から愛らしい娘が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
それは甘露庵の看板娘、弥平の一人娘のお美代だった。
「あら、可愛いお客様だわね」
「南町奉行の冨岡周五郎様のご子息と、そちらの……」
弥平が困り顔で口を閉ざした。男児の格好をしているが、男児にしては美しい容姿をしている。いつも奥様は娘を連れて来るが、その娘とは別人かと思える。それならば、この子は一体誰だろう?
「私は冨岡光之助と申す。えっと、こちらは遠い親戚の……」
他所でも菊を親戚だと紹介するように言いつけられた。だが、そう簡単に見ず知らずの者に名まで教えても構わないものか。光之助が考えあぐねた矢先、菊が自ら名乗った。
「菊と申します」
「え? き、菊ちゃん? 格好はそうだけど、男ではないのね?」
「はい、左様で。このような格好をしておるが、れっきとした女児です」
清々しい態度で菊が答える。
「まぁ、お菊ちゃんって、面白い子ね」
すると、いともあっさりお美代は菊を受け入れた。その笑顔に光之助はすっかり魅了されてしまう。
「お母様のお使いに来たご褒美に、好きな団子を一串おまけするわね。ここで食べていく?」
「はい!」
「はい!」
二人同時に大きく返事した。
「俺はみたらし」
「私は餡子をいただこうか」
二人が店の軒先で団子を食べようとすると、お美代がお茶を運んできた。
「出がらしで申し訳ないけど、飲んでいって」
「ありがとうございます」
父親譲りの人当たりの良さ、美しいだけでなく性格も良いようだ。
「出がらしとは何ぞや?」
菊は湯飲み茶わんを不思議な物を見るようにしげしげと眺めた。
「お茶だよ。何度も淹れているから、薄くなったお茶を出がらしというのだ」
「ふぅん、そうなのか」
菊が出がらしをひと口含む。
「うむ、本当だ。匂いはないが、お茶の味が微かにするぞ。どれどれ、団子とやらも食べてみようぞ」
大きな口を開け、ぱくりと餡団子を頬張った。
「うぅむ。柔らかな餅にさっぱりとした甘さの餡子がよく合うなぁ」
「みたらし団子の甘しょっぱいみつが、香ばしい焼餅が更に美味しくしているなぁ」
美味しい団子に二人も饒舌になる。
「まぁ、二人ともお上手だこと」
「いや、本当に美味しいです」
「そうであるぞ、お美代殿。出がらし茶に餡団子、どちらも初めて口にするが、本当に旨いぞ」
「えぇ? 団子も初めて食べるのか?」
「うむ。そうだが、おかしいか?」
「い、いや。別におかしくはないけれど」
おかしくはないが、やはり変だと思えた。世間に疎い菊を見て、光之助は益々興味が湧く。
手習い所に通ったことがなく、金銭も持ったことがない。そして、出がらし茶も知らない。一体この子はどんなところで生まれ、どういう風に育ったのだろうか?
「ふぅ、美味しかった。かたじけない、ご馳走になりました」
「いいえ、遠慮しないで。こちらの包みが大福で、こちらが団子ね。冨岡様はいつも沢山買ってくださる、うちの店のお得意様だもの」
甘党の周五郎が食べる以外に奉公人や、部下である与力や同心たちへの差し入れもある。それなので常日頃、母の茜は大量の団子や大福を購入しているらしい。
「その割に俺の口に入る団子は、いつも一串のような気がするな」
「冨岡殿は己の息子よりも、周囲の者に気を配っておるのだな」
面倒見がよい周五郎のお陰で、菊は庶民の暮らしを送ることができている。それを思うと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
「へぇ、こんな所に団子屋があったのか」
光之助も甘露庵の菓子は好物だが、買物に来たのは初めてだった。
「どれ、どれ。ふむふむ、どれも美味しそうじゃな」
男勝りの菊姫だが、実は甘い物には目がない。そして、強面の周五郎も酒を飲まない甘党だった。
「団子には餡子やきな粉、みたらしなどの種類もあるぞ。どれもこれも美味しそうだな。しかも、団子も大福も結構な大きさだ。それなのに値段も手頃なのは嬉しいな」
「ほぉ、そうなのか?」
光之助がいうところでは、大きめの団子で変わり種なのに高値ではないらしい。
当時の相場として団子四個一串で四文(一文が約二〇円とし八〇円)、大福も一個四文。ちなみに蕎麦やうどんが一杯十六文(約三二〇円)だと教えられた。
だが、それが高いのか安いのか、金銭を持ったことのない菊にはわからなかった。
「南町奉行所の冨岡だが、母の使いで参った。いつもように団子と大福を包んでもらえぬか?」
「これは、これは冨岡様。本日もありがとうございます」
人の善さそうな店主の弥平は、江戸の町でも名の知れた菓子屋で修業したという。近所の評判も上々で、ひっきりなしに客が訪れていている。すると、奥から愛らしい娘が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
それは甘露庵の看板娘、弥平の一人娘のお美代だった。
「あら、可愛いお客様だわね」
「南町奉行の冨岡周五郎様のご子息と、そちらの……」
弥平が困り顔で口を閉ざした。男児の格好をしているが、男児にしては美しい容姿をしている。いつも奥様は娘を連れて来るが、その娘とは別人かと思える。それならば、この子は一体誰だろう?
「私は冨岡光之助と申す。えっと、こちらは遠い親戚の……」
他所でも菊を親戚だと紹介するように言いつけられた。だが、そう簡単に見ず知らずの者に名まで教えても構わないものか。光之助が考えあぐねた矢先、菊が自ら名乗った。
「菊と申します」
「え? き、菊ちゃん? 格好はそうだけど、男ではないのね?」
「はい、左様で。このような格好をしておるが、れっきとした女児です」
清々しい態度で菊が答える。
「まぁ、お菊ちゃんって、面白い子ね」
すると、いともあっさりお美代は菊を受け入れた。その笑顔に光之助はすっかり魅了されてしまう。
「お母様のお使いに来たご褒美に、好きな団子を一串おまけするわね。ここで食べていく?」
「はい!」
「はい!」
二人同時に大きく返事した。
「俺はみたらし」
「私は餡子をいただこうか」
二人が店の軒先で団子を食べようとすると、お美代がお茶を運んできた。
「出がらしで申し訳ないけど、飲んでいって」
「ありがとうございます」
父親譲りの人当たりの良さ、美しいだけでなく性格も良いようだ。
「出がらしとは何ぞや?」
菊は湯飲み茶わんを不思議な物を見るようにしげしげと眺めた。
「お茶だよ。何度も淹れているから、薄くなったお茶を出がらしというのだ」
「ふぅん、そうなのか」
菊が出がらしをひと口含む。
「うむ、本当だ。匂いはないが、お茶の味が微かにするぞ。どれどれ、団子とやらも食べてみようぞ」
大きな口を開け、ぱくりと餡団子を頬張った。
「うぅむ。柔らかな餅にさっぱりとした甘さの餡子がよく合うなぁ」
「みたらし団子の甘しょっぱいみつが、香ばしい焼餅が更に美味しくしているなぁ」
美味しい団子に二人も饒舌になる。
「まぁ、二人ともお上手だこと」
「いや、本当に美味しいです」
「そうであるぞ、お美代殿。出がらし茶に餡団子、どちらも初めて口にするが、本当に旨いぞ」
「えぇ? 団子も初めて食べるのか?」
「うむ。そうだが、おかしいか?」
「い、いや。別におかしくはないけれど」
おかしくはないが、やはり変だと思えた。世間に疎い菊を見て、光之助は益々興味が湧く。
手習い所に通ったことがなく、金銭も持ったことがない。そして、出がらし茶も知らない。一体この子はどんなところで生まれ、どういう風に育ったのだろうか?
「ふぅ、美味しかった。かたじけない、ご馳走になりました」
「いいえ、遠慮しないで。こちらの包みが大福で、こちらが団子ね。冨岡様はいつも沢山買ってくださる、うちの店のお得意様だもの」
甘党の周五郎が食べる以外に奉公人や、部下である与力や同心たちへの差し入れもある。それなので常日頃、母の茜は大量の団子や大福を購入しているらしい。
「その割に俺の口に入る団子は、いつも一串のような気がするな」
「冨岡殿は己の息子よりも、周囲の者に気を配っておるのだな」
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