これにて一件落着、菊姫は名奉行

勇内一人

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壱の巻 ほろ苦い砂糖騒動

二十四

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「いざ、勝負!」
 相手にするのは皆、菊よりも大きな体格の男児ばかり。
「問答無用じゃ、かかって参れ!」
 それでも菊はひるまない。
「そりゃあ!」
 菊は巧みな腕前を駆使して次から次へと、一人、二人ばった、ばったと、なぎ倒していった。
 そして、最後に控えるは緑風館に通う子供らの中で一番腕が立つ大石宗一郎だ。
「くそぅ、あの男女め」
「小さいくせになかなか手強いな」 
「宗一郎、お前なら絶対に奴を倒せる。あとは任せたぞ」
 菊に叩きのめされたのに、相変わらず口は減らない連中だった。しかし、今や形勢不利。追い込まれた連中は、宗一郎に最後の望みを託した。  
「かかって参れ!」
「俺様が女ごときに負けるはずがない、とりゃあ!」 
 真っ向から勢いよく挑みかかかるも、もちろん菊の方が一枚上手だった。気負い過ぎた宗一郎は菊にひょいと交わされ、そのまま前につんのめってしまう。
「隙あり!」
 遂に勝負あり、あっさりと菊姫に一本取られてしまった。

「口ほどにもないな、お主たち」
 四名と竹刀を合わせても、汗一つかかず菊は涼しい顔をしている。
「完全に軍配は菊に上がったな。見事な腕前、何処の誰に習ったのか?」
「はい、柳生心眼流の小田左ノ介先生直々に習っておりました」
 左ノ介の名前を挙げた途端、師範や弟子たちの表情が変わった。
「な、何だと? 柳生心眼流の小田の弟子とな?」
「はい」
「ほぉ、それならば剣術だけでなく、居合や体術なども習ったのだろうか?」
「はい、まさしく。薙刀も得意です」
「それは頼もしい。これからお主が習得した術を皆に教えてくれぬか。もちろん、光之助への助言も頼んだぞ」
 景朋は満足そうに頷いた。
「しかしながら、この女児の話を簡単に信じて良いものでしょうか?」
 ところが、つかさず狭山が口を挟んだ。
「そうですよ、師範。柳生心眼流の小田左ノ介が、こんな子供に剣術を教えるでしょうか?」
「それとも名騙りの偽者から教えを受けたのかもしれません」
 菊の話が信じられない弟子たちは、途端に噓つき呼ばわりし始めた。
「たわけ者めっ!」
 それを聞いた景朋は、弟子たちの戯言を一蹴した。
「柳生心眼流や小田左ノ介の名は、我々のような剣術に身を捧げている者なら親しんでいるであろう。だが、こんな幼子がおいそれと知っていると思うか?」
 まさにその通り。光之助も菊から教えて貰い、左ノ介の名を初めて知ったくらいだ。
「剣術を嗜む者に名を騙ることがあっても、幼子に名騙して何の得があろうか? その証に小田左ノ介その人に教わったからこその腕前ではないか?」
 剣術の腕前が動かぬ証拠となり、弟子たちもそれ以上疑うような声を上げることができなくなった。
「それでは師範、これから緑風館に通うことをお許し願いますか?」
 改めて菊が景朋に許しを申し出た。
「もちろんだとも。二人とも精進するが良い」
「はい」
 これから光之助は菊と共に師範の許しを得て、正々堂々と道場に通うことができるのだ。
「良いか、お主ら。これから光之助殿をいじめたら、この菊がただでは済まさぬぞ」
 菊の脅し文句が効いたのか、誰も反論することはできなかったのは言うまでもない。
「これにて一件落着」
 そして、これを境に光之助は益々菊に頭が上がらなくなってしまうのであった。

 一方、菊姫の活躍を陰で見守っている一人の男いた。将軍から直々に遣わされた御庭番、忍びの甚八じんぱちだ。子を思う親心で将軍が秘かに菊姫の行動を見張らせているのだ。
 実は根岸屋の一件も甚八が裏で手を回していたのだが、そうとも知らずに菊たちは勝手に周五郎の根回しだ、庄吉と豆福のお手柄だと勘違いしていた。葵の御紋を汚すような輩は江戸から排除する。それも甚八郎に与えられている役目だ。
 実は今回の根岸屋の一件は、幕府に仕えている家臣の悪行だった。不正を働き大奥を追い出された女中に唆されて、名騙りを始めたらしい。
 銭に目のくらんだ家臣も幕府への忠誠心も罪の意識でさえ、直ぐに捨て去ってしまったらしい。ここ一年で騙し取った銭は、湯水のように使い果たしてしまったという。
 幼い小僧や奉公人たちが汗水働き稼いだ銭が、あぶくのように消えるとは何とも悲しい話だ。根岸屋はまだましな方だが、銭が底をつき潰れた店もあったらしい。 騙された店主たちには何の同情できないが、路頭に迷う奉公人たちを思うと胸が痛む。
 意外なことに甚八と同じように、菊姫もまた奉公人たちの行く末を慮っていた。町人の暮らしなんぞ気にかけるような育ち方はしていないはずなのに。その上、あの姫君は利発で度胸がある。
「もしも、あの姫君が男だったならば、さぞかし立派な将軍になっただろうに」
 だが何故ゆえ、姫君が将軍になってはいけないのだろうか。現に今の公方様だって己の遊びに夢中で、公務を老中たちに任せばかりではないか。時期将軍と指名されている若君も、父の配下で小さくなっている。
 それならば、いっそのこと菊姫を時期将軍にすれば、幕府も安定し、江戸の町ももっと栄えるのではないかと思えた。こんなことは決して公方様には言えないが、世の中が早く変わって欲しいものだと独り言ちていた。
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