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はじまりの巻 菊姫誕生
三
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それは、ある日のことだった。
「あちこちすり傷だらけで、一体そなたは何をなされたのですか?」
「あの松の木に登りました」
柔肌がすり傷だらけになろうとも、菊姫は平然とした態度で答える。
「ま、松の木に登ったのですか? あれほどいけないと言ったのに」
「兄上たちが菊には無理だろうと馬鹿としたので、やればできることを証明しただけです」
無我夢中で登っていったらすり傷だらけになってしまったというわけであった。
「まぁ、何てことを。母君に似て美しい顔立ちをされているのに、その負けん気の強さは一体誰に似たのやら」
もちろん、将軍である父君そっくりである。これではお転婆を通り越してじゃじゃ馬だ。だが、単なる乱暴者に育ったかと思いきや、狆の豆福をまるで弟のように可愛がる優しい面もある。
狆は日本原産の愛玩犬種で、江戸時代に大奥や各地の大名たちから寵愛され数が増えた。やがて裕福な町人の間でも飼育されるようになっていった。将軍も愛でていて、大奥でも既に十数匹の狆が飼われている。その中に一番上の兄君が将軍から譲り受けた、豆福という特別な狆がいる。
ところが、肝心の兄君は大の犬嫌いで、豆福の世話は人任せ。これ幸いと他の兄弟姉妹達は悪戯し放題だった。大人しい性格の豆福は何もされても、悩まし気に鼻を鳴らし怖がるばかり。そんな姿がおかしいのか、兄弟姉妹達の悪戯はどんどん加速していく。ある日、兄君達が縄で木に縛り付け、豆福めがけ石を投げつけようとした。その時、とうとう菊姫の怒りが頂点に達した。
「小さきものを乱暴に扱うのは弱い者いじめ。いくら兄上殿といえども許しませぬ!」
一本筋の通った男前気質の菊姫は豆福を守るため、袋竹刀を手に兄君達に果し状を突きつけた。もちろん、妹姫の腕前を知っている兄君達は、早々に逃げ出したのは言うまでもない。
この一件もあり、菊は豆福の世話を忠之助の母である御台所へ申し出る。
「忠之助の兄上が要らないと申すなら、代わって育ててあげたいと望んでおりまする」
兄弟姉妹たちの悪行や、主人忠之助のいい加減な態度を見かね、直談判して世話を買って出たのであった。もちろん、当時流行した犬の飼育書「犬狗養畜傳」を読み込み、しっかりと勉強もしている。無暗に甘やかすのではなく、躾や世話も完璧にこなす。その上、周囲に迷惑をかけないよう、細やかな配慮もする。そんな菊姫に豆福もすっかりなついていた。
「あちこちすり傷だらけで、一体そなたは何をなされたのですか?」
「あの松の木に登りました」
柔肌がすり傷だらけになろうとも、菊姫は平然とした態度で答える。
「ま、松の木に登ったのですか? あれほどいけないと言ったのに」
「兄上たちが菊には無理だろうと馬鹿としたので、やればできることを証明しただけです」
無我夢中で登っていったらすり傷だらけになってしまったというわけであった。
「まぁ、何てことを。母君に似て美しい顔立ちをされているのに、その負けん気の強さは一体誰に似たのやら」
もちろん、将軍である父君そっくりである。これではお転婆を通り越してじゃじゃ馬だ。だが、単なる乱暴者に育ったかと思いきや、狆の豆福をまるで弟のように可愛がる優しい面もある。
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ところが、肝心の兄君は大の犬嫌いで、豆福の世話は人任せ。これ幸いと他の兄弟姉妹達は悪戯し放題だった。大人しい性格の豆福は何もされても、悩まし気に鼻を鳴らし怖がるばかり。そんな姿がおかしいのか、兄弟姉妹達の悪戯はどんどん加速していく。ある日、兄君達が縄で木に縛り付け、豆福めがけ石を投げつけようとした。その時、とうとう菊姫の怒りが頂点に達した。
「小さきものを乱暴に扱うのは弱い者いじめ。いくら兄上殿といえども許しませぬ!」
一本筋の通った男前気質の菊姫は豆福を守るため、袋竹刀を手に兄君達に果し状を突きつけた。もちろん、妹姫の腕前を知っている兄君達は、早々に逃げ出したのは言うまでもない。
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