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弐の巻 豆福入れ替え騒動
壱
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徳川家将軍の十二番目の姫君、菊姫が南町奉行冨岡周五郎の住まいに来てから三月ほど経った頃。周五郎の息子である光之助の生活にも変化が見え始めていた。
菊と共に毎日緑風館に通っているが、以前のように仲間たちからからかわれることはない。相変わらず剣術の腕前は上達しないし、情けない思いをする場面もあった。けれど、師範の奥山景朋が剣術は強ければ良いわけではないと、きっぱり宣言したのだ。
それからは光之助だけでなく、道場に通う子供たちの意識が変わりつつある。腕が立っても稽古をさぼったり、不真面目な態度を取ったりする子は容赦なく叱られる。その逆に真面目に稽古に打ち込み、弱音を吐かない子がいれば褒められるのだ。
もちろん、真面目に道場に通う光之助は、いの一番に師範たちから褒められた。だが、それが嬉しいような、恥ずかしいような何ともいえない複雑な思いになる。そして、剣の腕前も確かで面倒見の良い菊は、特に年下の子供たちの憧れの的になっていた。
緑風館に通う子供の中でも一番の腕前を誇っていた大石宗一郎は、菊にこてんぱんに打ちのめされたのが余程悔しかったのか、はたまた恥ずかしかったのか。尻尾をまいて姿を消し、今では別の道場に通っていると聞く。
今まで好き勝手をしていた弟子たちも、師範が頻繁に道場に顔を出すようになると、急に別人のように大人しくなった。例の狭山は師範になりたいならば精神鍛錬が必要だと、修業僧のように山に籠っているらしい。代わりに新しく指導には立石甚八郎という弟子が加わった。
「気配を消すのが上手い奴じゃのう。それにあの構え、立ち振る舞い。子供相手だから力を抜いているが、相当の腕っぷしだと思うぞ」
目つき鋭く口数少ないが、菊も一目置く腕前らしく的確な助言で早くも子供たちから慕われている。それに、菊の生意気な言動にも顔色ひとつ変えず、さらりと受け流す心の広い男だ。
剣術は己の心を写す鏡だと師範は言う。本来は身を守る術だが、邪念があれば凶器にもなる。己の心次第で善悪が決まるのだと教えてくれた。
道場に通う子供たちには難しい話だが、光之助には言わんとするところが何となくわかるような気がした。
そんな、ある日のことだった。
「誰か後ろから付いてこないか?」
光之助と菊が甘露庵への使いの帰り、狆の豆福と共に家路に着いている最中だった。
「ふむ、見知らぬ男がこちらをうかがっておるようだ」
「やはり、菊殿も気づいておられたか」
「光之助殿の知っている男か?」
「いいや、初めて見る顔だ。どこにでもいるような平凡な風貌だが、何処の誰か皆目見当もつかない」
気弱そうな商人風の色白の男、年の頃は二十歳くらいだろうか。それからというもの、二人は男の姿をよく見かけるようになる。
「何だか不気味な感じがするのです。こちらから声をかけても良いものか」
光之助が周五郎に相談すると、もっともらしい答えが返って来た。
「万が一、かどわかし(誘拐)の手先なら大変だ。いいか、手前たちで解決しようなどと考えるのではない。またその男を見かけたら、自身番へと駆け込むのだぞ」
何かと騒動に首を突っ込みたがる菊を案じて、前もって周五郎は釘を刺した。
菊と共に毎日緑風館に通っているが、以前のように仲間たちからからかわれることはない。相変わらず剣術の腕前は上達しないし、情けない思いをする場面もあった。けれど、師範の奥山景朋が剣術は強ければ良いわけではないと、きっぱり宣言したのだ。
それからは光之助だけでなく、道場に通う子供たちの意識が変わりつつある。腕が立っても稽古をさぼったり、不真面目な態度を取ったりする子は容赦なく叱られる。その逆に真面目に稽古に打ち込み、弱音を吐かない子がいれば褒められるのだ。
もちろん、真面目に道場に通う光之助は、いの一番に師範たちから褒められた。だが、それが嬉しいような、恥ずかしいような何ともいえない複雑な思いになる。そして、剣の腕前も確かで面倒見の良い菊は、特に年下の子供たちの憧れの的になっていた。
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今まで好き勝手をしていた弟子たちも、師範が頻繁に道場に顔を出すようになると、急に別人のように大人しくなった。例の狭山は師範になりたいならば精神鍛錬が必要だと、修業僧のように山に籠っているらしい。代わりに新しく指導には立石甚八郎という弟子が加わった。
「気配を消すのが上手い奴じゃのう。それにあの構え、立ち振る舞い。子供相手だから力を抜いているが、相当の腕っぷしだと思うぞ」
目つき鋭く口数少ないが、菊も一目置く腕前らしく的確な助言で早くも子供たちから慕われている。それに、菊の生意気な言動にも顔色ひとつ変えず、さらりと受け流す心の広い男だ。
剣術は己の心を写す鏡だと師範は言う。本来は身を守る術だが、邪念があれば凶器にもなる。己の心次第で善悪が決まるのだと教えてくれた。
道場に通う子供たちには難しい話だが、光之助には言わんとするところが何となくわかるような気がした。
そんな、ある日のことだった。
「誰か後ろから付いてこないか?」
光之助と菊が甘露庵への使いの帰り、狆の豆福と共に家路に着いている最中だった。
「ふむ、見知らぬ男がこちらをうかがっておるようだ」
「やはり、菊殿も気づいておられたか」
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「いいや、初めて見る顔だ。どこにでもいるような平凡な風貌だが、何処の誰か皆目見当もつかない」
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「何だか不気味な感じがするのです。こちらから声をかけても良いものか」
光之助が周五郎に相談すると、もっともらしい答えが返って来た。
「万が一、かどわかし(誘拐)の手先なら大変だ。いいか、手前たちで解決しようなどと考えるのではない。またその男を見かけたら、自身番へと駆け込むのだぞ」
何かと騒動に首を突っ込みたがる菊を案じて、前もって周五郎は釘を刺した。
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