南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人

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材木商桧木屋お七の訴え

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「藤次郎の出番があると熱心に通うので、旦那さんや女将さんも呆れています」
 これは今でいうところの推し活のようなものだろうか。
「でも、いくら安い席でもかなりの出費になるのであろう?」
 庶民が利用する土間席で三,六匁、大名の留守居役や上級武士、大店の主人や家族などの富裕層が利用する桟敷席は一間七人詰めで三十五匁と高額だった(時代ごとによって多少異なる。元禄時代の記録による)
 当時の歌舞伎役者はファッションリーダー的存在で、芝居小屋は流行の発信地だった。
 その上、舞台と観客席が近かったため、役者から観客がよく見えたそうだ。もちろん、他の観客の目もあっただろうから、観劇にはお洒落も必須だったようだ。
「毎回同じじゃあ恥ずかしいからと、着物だってたくさん仕立てていました」
 藤次郎にちなんだ模様や色合いの着物、もちろん藤の花の帯、簪、帯紐なども揃えていたという。
 藤の花の小物は比較的集めやすいので、ついつい買い過ぎてしまうのが難点らしい。
「とんだ銭食い虫だな、お千は」
「そうなんです。だから、火事場泥棒って聞いた時に、お千お嬢さんの顔が浮かんできたんですよ」
 余りの散財ぶりに頭を痛めた桧木屋では、お千がつけ買いできないよう小間物屋等に頼み回ったくらいだった。
 それでも、歌舞伎見物は止めないし、銭の無心も相変わらず。いや、ここ最近に至っては更に増えていたそうだ。
「歌舞伎見物に銭の無心。席料だけでは済まないのか?」
「さあ、それは手前にはわかりません。でも、席料よりも多くの銭が必要だったみたいです。でもね、銭が必要だったはずのお千お嬢さんでなく、お七お嬢さんが担ぎ売りのために手引きしたって言うじゃないですか」
「お梅殿はその担ぎ売りを知っていたのか?」
「いいえ、とんでもない。お嬢さんと恋仲だったなんて、寝耳に水ですよ」
 色恋沙汰とは無縁のお七に、降って湧いた恋仲の相手――桧木屋の店主夫婦をはじめ奉公人の誰一人して、八十吉なる担ぎ売りの存在を知らなかったそうだ。
「たとえ秘めた恋でもお七お嬢さんに限って、人の道を外れる真似はしないはず。それにお嬢さんの好きなった相手なら、確かなお人に違いありません」
 納得できない様子でお梅は訴えた。
「それなのに、お千お嬢さんは、お千お嬢さんは……」
 厄介払いできてちょうど良かったと、実姉が亡くなったにも関わらずこんな口を利く薄情な娘だった。
「姉妹だから仲が良いとは限りません。それにお千お嬢さんだって端からお七お嬢さんを嫌っていたわけではないんです」
 お七が桧木屋にいる限りお千は婿取りになれないし、姉より先に嫁にも行けない。それゆえ、お七は桧木屋の厄介者、邪魔者と周囲から焚きつけられていたようだ。
「どこにも意地の悪い連中がいる者だなぁ」
 身の覚えがある正太郎は益々お七に同情した。
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