南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人

文字の大きさ
上 下
31 / 72
相楽屋の女将お糸の訴え

しおりを挟む
「おう、来たか。早く入れ」
 忠相に手招きされて、正太郎は部屋の中に入った。
「前々から耳にしていたが、お主の特別な力は思っていた以上のようだな。寺社奉行も日隠の悪行を見抜けなかったと、悔しがっておったぞ」
 嬉々として語る忠相の向かいには、何故か父平一郎が座っているではないか。
『お前のことは既に御頭様には報告済だ。全て承知でいらっしゃる』
 待っていましたとばかり、筆談で事情を説明していく。
「え? そ、それは真ですか?」
 二人だけの秘密だと約束してはずなのに、まさか忠相に打ち明けていたとは露知らず。既に平一郎から特別な力の話を聞いていた忠相は、常々この目で確かめていたいと望んでいたらしい。
「既に父から話を伺っているそうで、恐縮しきりでございます」
 己の秘密を知られたのは不本意だが、相手は南町奉行の大岡忠相だ。憤りを悟られないよう低姿勢で応えた。そんな正太郎の思いを無視して、突然忠相は本題に入った。
「そこで、貞永正太郎。私からお主に新たな役目を与えたいと考えておる」
「あ、新たな役目と申しましたか、御頭様?」
 正太郎は忠相の唇を読み取り確かめた。
「そうだ、新たな役目だ」
 どうやらお役御免は免れたようだ。だが、吟味方書物役見習いという立派な役目があるのに、更に新たな役目を与えるとはどういう意図があるのだろう。いや、それよりも手前にできる役目が他にあるのだろうか。
「ふぅむ、新たな役目ねぇ」
 考え込む正太郎を無視して、またしても忠相は告げた。
「本日からお主を南町奉行所お耳役として任命する」
 人柄を示すような伸びやかだが規律正しい文字で、『南町奉行所お耳役』と記してあった。
「お耳役とはこれ如何に? 正太郎は耳が聞こえませぬぞ、御頭様」
 事前に何も知らされていなかったらしく、平一郎も驚きの色を隠せない。何故ならば、お耳役とは情報収集をする役回りだ。それを耳の不自由な正太郎に任せるとは、一体全体忠相は何を考えているのだろうか。
「お、お耳役ですか? 御頭様、一体どういうおつもりでしょうか? 耳の聞こえぬ私にお耳役とは、冗談にも程があります」
 もちろん、任命された正太郎も困惑するばかりだった。
「どうにもこうにもない。お耳役は、お耳役だ」
 それなのに、忠相は平然と構えているではないか。
「で、ですが、私は耳が聞こえませぬ」
 もしかしたら、馬鹿にされているのではないか。そんな風に受け止めた正太郎は、つい憮然とした表情を浮かべてしまった。
「はて、誰がそのお耳役と言ったか?」
 ところが、忠相は実にあっけらかんとした態度で答えた。
「え?」
「お主にはお主にしか聞こえぬ声があるだろう。今までも亡き者の声を聞いておるではないか。お耳役とはその声を聞きわける役目だぞ」
「あぁ、そうであったか。亡き者の声を聞くお耳役とは、これ如何に」
 先ずは合点承知した平一郎が、さらさらっと筆談で正太郎に伝える。
「亡き者の声を聞くお耳役?」
 忠相は情報収集役としてのお耳役ではなく、亡き者たちの声を聞くお耳役に任命したというのだ。
「ただ、お主の特別な力を知る者は、奉行所でも私と平一郎しかおらぬ。それゆえ、捜査は内密に進めて欲しい」
 他人とは違う己にしかない特別な力――亡き者の声を聞き取る力を活かせる役目。それが忠相のいうお耳役だとしたら、ここはひとつ受けてみる価値があるのかもしれない。
「正太郎、どうだ? お前にしかできない役目だぞ」
 心配そうに平一郎が顔を覗き込む。聞こえない耳のせいで今まで余分な苦労を掛けてしまった。きっと父は息子の活躍を望んでいるはずだし、できればその期待にも応えてみたい。今まで通り亡き者の声を聞き取り、事件の真相に迫るだけなら迷いはないだろう。
「貞永正太郎、お耳役を精一杯務めさせていただきます」
 晴れ晴れしい気持ちで、正太郎は誓った。今、ここに南町奉行所お耳役が誕生したのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜

皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!? 冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。 あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。 でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変! 『これおかみ、わしに気安くさわるでない』 なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者? もしかして、晃之進の…? 心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。 『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』 そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…? 近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。 亭主との関係 子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り 友人への複雑な思い たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…? ※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です! ※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。

悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です

余り侍~喧嘩仲裁稼業~

たい陸
歴史・時代
伊予国の山間にある小津藩は、六万国と小国であった。そこに一人の若い侍が長屋暮らしをしていた。彼の名は伊賀崎余一郎光泰。誰も知らないが、世が世なら、一国一城の主となっていた男だった。酒好き、女好きで働く事は大嫌い。三度の飯より、喧嘩が好きで、好きが高じて、喧嘩仲裁稼業なる片手業で、辛うじて生きている。そんな彼を世の人は、その名前に引っかけて、こう呼んだ。余侍(よざむらい)様と。 第七回歴史・時代小説大賞奨励賞作品

シンセン

春羅
歴史・時代
 新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。    戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。    しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。    まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。 「このカラダ……もらってもいいですか……?」    葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。    いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。    武士とはなにか。    生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。 「……約束が、違うじゃないですか」     新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。

処理中です...