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相楽屋の女将お糸の訴え
四
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その日の夜。貞永家では父と息子が身を寄せ合い、何やらひそひそと話し込んでいた。
「というわけで、お糸は身投げではなく心中だと言い張っております」
お糸の話を聞き悩み込む正太郎に、平一郎がまたもや助言する。
「心中とはやぶさかではないな。お前に声が聞こえるならば、今度は心中に見せかけた殺しというわけではなかろうか?」
平一郎が『殺し』と物騒な文字を書いた。
「しかしながら、父上。まだこの件が殺しだという確証は何もありません」
まだ今の段階では心中が直接殺しには結びついていない。最後の最後で日隠なる男が逃げ出したという可能性もあるからだ。
「だが、お糸の話だと心中相手の男が怪しいような気がするぞ」
長年の経験から平一郎は推測した。
「たとえそうだとしても、その日隠とやらの事情を聞かなければ、何とも言えませんね」
心中なんぞ物騒なことに加担するには、それ相当の事情があるはずだ。何が何でも日隠なる男を探し出して、事情を聞かねばなるまい。
「医者の日隠ねぇ。しかし、聞いたことのない名だな」
未経験者でも看板を出せたように、この時代はまだ医者の資格は定まっていなかった。それゆえ、多くの輩が医者を騙っていたという。
念のため牧方父子にも尋ねてみたが、平一郎と同様に聞き覚えがない名だと答えた。
「お糸の弁によると、剃髪姿の男前だそうです。その上、話し上手で学もあるらしいです」
「うぅむ。それならば、僧侶の可能性はないだろうか?」
「僧侶ですか?」
江戸の一時期まで僧侶が漢学の知識を生かし、医療に従事していたため剃髪姿の医者が多かったそうだ。それもあり僧侶と医者の区別がつきにくかったらしい。
「そうだ、正太郎。その可能性も捨ててはならぬぞ」
「はい、わかりました」
それから、間もなくお糸の心中相手、日隠の正体が判明する。これには寺社奉行による吉原での一斉摘発が関係していた。
深夜、大門が閉まるまでに吉原を出る僧侶は見逃し、朝帰りの女犯僧侶を標的にして摘発したのだ。その際に医者になりすまし、摘発をかいくぐろうとした僧侶が多くいたそうだ。
江戸時代、僧侶は浄土真宗以外、妻帯を認められていなかった。そのため、女性との性行為は「女犯」と呼ばれ重い戒律違反となっていた。元来女犯は重罪なため死罪だったのだが、吉宗の治世に遠島へと変更された。刑期を決めず島へと配流されることで決着がついたという。
当時、女犯は寺持ちの僧侶の場合は八丈島への島流しが定番だったようだ。
それ以外の僧侶は日本橋で「密通の上女犯に及び候始末、一同不届に付」という罪状が書かれた捨札が立った小屋掛けで三日間晒され、後に元居た寺院に引き渡され、破門の上追放されていた。
そして、人妻と通じた僧侶は獄門に処されていたらしい。
「というわけで、お糸は身投げではなく心中だと言い張っております」
お糸の話を聞き悩み込む正太郎に、平一郎がまたもや助言する。
「心中とはやぶさかではないな。お前に声が聞こえるならば、今度は心中に見せかけた殺しというわけではなかろうか?」
平一郎が『殺し』と物騒な文字を書いた。
「しかしながら、父上。まだこの件が殺しだという確証は何もありません」
まだ今の段階では心中が直接殺しには結びついていない。最後の最後で日隠なる男が逃げ出したという可能性もあるからだ。
「だが、お糸の話だと心中相手の男が怪しいような気がするぞ」
長年の経験から平一郎は推測した。
「たとえそうだとしても、その日隠とやらの事情を聞かなければ、何とも言えませんね」
心中なんぞ物騒なことに加担するには、それ相当の事情があるはずだ。何が何でも日隠なる男を探し出して、事情を聞かねばなるまい。
「医者の日隠ねぇ。しかし、聞いたことのない名だな」
未経験者でも看板を出せたように、この時代はまだ医者の資格は定まっていなかった。それゆえ、多くの輩が医者を騙っていたという。
念のため牧方父子にも尋ねてみたが、平一郎と同様に聞き覚えがない名だと答えた。
「お糸の弁によると、剃髪姿の男前だそうです。その上、話し上手で学もあるらしいです」
「うぅむ。それならば、僧侶の可能性はないだろうか?」
「僧侶ですか?」
江戸の一時期まで僧侶が漢学の知識を生かし、医療に従事していたため剃髪姿の医者が多かったそうだ。それもあり僧侶と医者の区別がつきにくかったらしい。
「そうだ、正太郎。その可能性も捨ててはならぬぞ」
「はい、わかりました」
それから、間もなくお糸の心中相手、日隠の正体が判明する。これには寺社奉行による吉原での一斉摘発が関係していた。
深夜、大門が閉まるまでに吉原を出る僧侶は見逃し、朝帰りの女犯僧侶を標的にして摘発したのだ。その際に医者になりすまし、摘発をかいくぐろうとした僧侶が多くいたそうだ。
江戸時代、僧侶は浄土真宗以外、妻帯を認められていなかった。そのため、女性との性行為は「女犯」と呼ばれ重い戒律違反となっていた。元来女犯は重罪なため死罪だったのだが、吉宗の治世に遠島へと変更された。刑期を決めず島へと配流されることで決着がついたという。
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それ以外の僧侶は日本橋で「密通の上女犯に及び候始末、一同不届に付」という罪状が書かれた捨札が立った小屋掛けで三日間晒され、後に元居た寺院に引き渡され、破門の上追放されていた。
そして、人妻と通じた僧侶は獄門に処されていたらしい。
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