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割れ鍋に綴じ蓋、正太郎と縫

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 南町奉行吟味方与力貞永平一郎が無事に成仏して半年ほど経った。息子である正太郎は南町奉行所吟味方書物役見習いとして勤めながら、陰で亡き者の声を聞くお耳役として活動している。
 そんな正太郎に降って湧いたような縁談話が持ち上がる。しかも、仲介役は南町奉行大岡忠相であった。
 江戸時代の平均初婚年齢は男性の場合二十五~二十八歳、女性は十八~二十四歳だったといわれている。地域や階層によって大きな差があったそうだが、江戸の町では地方からひと旗揚げに集まった男達が未婚のまま一生を終えるような状況だった。
 正太郎はもう直ぐ二十一歳、一人前と呼ぶには心許ない若輩者だ。そして、縁談相手は大岡忠相の親戚筋にあたる娘・ぬい、十七歳だという。
 家督を継いだばかりの父親が江戸参府の途上に急逝し、母子は国を追われたそうだ。それがなければ一領国の姫君として、何不自由なく暮らしていけた高い身分の娘だったらしい。
「そのような高貴な身分のお方と、私とでは釣り合いが取れませぬ」
 その上、正太郎は耳が不自由だ。分相応とはいえない縁談話に訝しがる正太郎に対し、忠相は反論を受け付けないという頑な態度を取った。
「どうして私なのでしょうか? 身の丈に合った相手なら、他にもたくさんいるはずです」
「正太郎、縫の相手はどうしてもお主でなければ務まらないからだ」
 聞こえなくとも、手前の意見が跳ねられているのはわかる。
「それならば、然るべき理由をお教えください」
 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。強い態度で正太郎は尋ねた。
『会えばわかる』
 一言書き記し、忠相が頷く。訳も教えず、頭ごなしに命令するとは、何て乱暴な態度だろう。南町奉行の命令ならば、皆が何でも従うのは当然とでも思っているのだろうか。
 釈然としない正太郎の耳に、覚えのある声が聞こえてきた。
――御頭様が決めたことに間違いはないと思うぞ、正太郎。
「そ、その声は? ま、まさか、まさか?」
 まさか、そんなはずはない。だが、この声を聞き間違うはずがない、父平一郎の声なのだから。
「どうした、正太郎?」
 正太郎の驚いたような、はたまた怯えたような表情を見て、思わず忠相は声をかけた。
「どうしたも、こうしたもないです。い、今、成仏したはずの父の声が、父の声が」
 動揺を抑え切れず言葉が続かない。
「何? 平一郎の声が、どうした?」
――ほら、正太郎。御頭様も心配しておるぞ。私がここに居ると教えてあげなさい。
「ち、父上! あなたは成仏したはずですよ。どうして、まだここに居るのですか?」
 正太郎が驚くのも無理がない、成仏したはずの平一郎が再び現れたのだ。
――生憎、極楽浄土に逝くはずの船に乗り遅れてしまったのだよ。しばらくこの世で待っていろと命じられて、再び舞い戻ってきたというわけだ。
 そうしたら、息子に縁談話があると聞いて、思わず口を挟んでしまったと笑い飛ばした。
「そ、そんな馬鹿な話があるものか。今まで声を聞いた亡き者たちは、事件が解決した途端直ぐに成仏していきましたよ」
――それでも皆が皆、極楽浄土に行けるわけではないらしい。徳を積んでいる者が逝くのは、誰でも滅多やたらに逝ける所ではないそうだ。
 母八重は平一郎が枕元に現れ、無事成仏したと喜んでいた。もちろん、正太郎も寿三郎も、忠相をはじめとする南町奉行の役人たちも平一郎は既に成仏したものと思っている。
「このことを母上に知られたら、厄介になりますよ」
――それならば、八重には勘付かかれないようにすれば良いだけだ。
 妻の怖さを充分知っている平一郎は平然と構える。
「ち、父上」
 事件も無事に解決して、全てが丸く収まった。それなのに、肝心の平一郎は成仏せずに、この世に舞い戻ってきたとは頭が痛い。
「どうやら平一郎の奴、まだこの世におるようだな」
――はい、御頭様。平一郎は隣におります。
「はい。御頭様の隣に控えております」
 諦め調子で父の存在を伝えた。
「益々面白い。平一郎がおるのなら話が早い、さっそく正太郎の縁談話を進めていくぞ」
「お、御頭様」
 こうして大岡忠相の独断で、貞永正太郎の縁談が決まったのであった。
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