俺は全てを撃ち殺す

落光ふたつ

文字の大きさ
12 / 29

第12話「enemy」

しおりを挟む
 いつも通りだ。
 放課後になると来栖湊がやって来て、それから力の覚醒を目指して特訓に向かう。場所は優が決めて、高架下の用水路か近所の公園か、その日の気分で変える。
 来栖湊はただついてくるだけでどちらかも聞きはしない。暇そうに景色を見渡して、疑問に思った事があれば尋ねてくる。いつもの優は勝手な推測をしてでも全部答えていた。
 ただし今日だけは、来栖湊の疑問を解消しなかった。分からないと素直に伝えて、そのまま足を進めている。
 足が向かう先も未だ決まっていない。
 公園が見えてきて、あと数十秒で選択肢が一つ消えると迫られたところで、優はようやく切り出す。

「なあ、今日は特訓じゃなくてさ、」

 だが、その言葉は遮られた。

「みはとぉー、ほこにいたのかぁ?」

 聞き慣れない声。粘着質で、活舌の悪い音。
 それは、優と来栖湊。二人の前に立ちはだかるようにいた。
 やせぎすな男だ。歳は四〇から五〇。みすぼらしい身なり。白髪交じりに無精髭。襟のよれた白いシャツにはいくつものシミが目立ち、チェック柄の上着のボタンは掛け違えている。

 誰だ?

 まず真っ先に優の脳内には疑問符が生じ、改めて男の格好を見て嫌悪が勝る。
 その男はなぜか、自分の左手の小指を執拗にしゃぶっていた。活舌が悪かったのはそのせいだろう。今もちゃぷちゃぷと唾液が鳴っている。
 男が見つめるのは、来栖湊。異常な生気を宿らせる眼光だ。

「………」

 対する来栖湊は無言だった。怯えではない。むしろその様子を見る優の方が、怯えていたと言えるかもしれない。
 彼女はあまりに自然体だったのだ。にこやかとすら感じる表情で、平時と何も変わらない空気を纏っている。

 目の前の異様を、当たり前のように受け止めている。

 どういう、関係なのだろうか。
 知人同士なのか。だとしても二人が漂わせる雰囲気は妙だ。まるで状況が呑み込めない優は、隣の少女と道先の男とで視線を行き来させた。
 すると、男の視線がふと優へと向く。

「おぁ? おはえ、なんだぁ?」

 小指は咥えたまま。存在への問い。
 優は口を開けなかった。明らかな異常者を前に体が強張る。一般的な反応のごとく。会話を交わしていい相手なのかの判別もつかずに動けない。
 無意識に、ともすれば助けを求めるように隣を見た。連れ立つ少女を。
 しかしその姿は、僅かな大気の動きと共に、視界の外へと消えたところだった。
 その時男は、応えない優に声を投げる。

「おぉぃ、喋れへぇのはぁ? なんれ、みはとのとーー」

 直後、その鼻っ面に靴先がめり込んだ。

 ーーゴッ!

 頭が先行し、しゃぶられていた左手が口から離れる。僅かにペキ、と硬いものが折れる音。その出所。衝撃の中心点に空く二つの穴から赤い液体が宙へ舞った。
 足取り覚束なかった体は、そのまま背後へと倒れていく。
 受け身も取れず。頭部が跳ねて重い音が響く。
 ぐったりと仰向けになった体はそのまま、しばらく動きを止めた。

「うーん、やっぱり警察に言った方が良いのかなぁ? ヤツメさんにはまだ大きな事頼めないし……」

 呑気に呟く少女。倍以上の歳の差はある男を軽々と蹴り倒していて、未だ表情は揺らがない。
 それはまるで、調味料を増やすかどうかで悩んでいる主婦のような。そんな些事で、倒れる男を見つめている。
 困惑しながらも、優は来栖湊の隣に立った。警戒心で歩みは遅く男への視線も険しい。
 近くで見れば、意識を失っているのは明確だ。
 口を大きく開け、白目を剥いている。息はしているようで胸は上下していた。四肢は投げ出されていて……
 と、確認作業で動く瞳は、左手を捉えて見開かれた。

 口に詰め込まれ、見えていなかった小指。
 それは、第一関節より上が存在していなかった。

 事故によるものか。それとも生まれつきなのか。失ってから時間は経っているようで、歪んだ先端はすっかり肌色で覆われている。
 優は人体の欠損を目の前にして、思わず視線をそらした。一瞬、自身の指も消失した感覚が脳裏をよぎり、嫌な動悸が始まる。
 どうにか思考を整理しようと、問いを投げた。

「こ、コイツは誰なんだ? 知り合い、なのか?」
「叔父さん。お父さんの弟さんだね。ちょくちょくこうして来るんだよねー」

 あまりに平然と応えるものだから、その意味を理解するのに少しの間が空いた。

「……それって、ストーカーじゃないのかっ?」
「あーそう言うのかもね」

 へへ、と来栖湊は被害者らしからぬ笑みを浮かべた。
 だから優も、危機感を覚える自分の方が間違っているのではないかと錯覚する。そんな事はない。明らかに少女の方がおかしい。
 それこそが、ようやく見えた彼女の素性なのかもしれなかった。優はそう悟りながら、肝が冷えていくのを実感する。
 その時だ。

「みなどぉッ‼」

 倒れていた体が、バネ仕掛けのように跳ね上がる。ガバリと起きた男はまっすぐに来栖湊を捉え、更なる光で瞳を濁らせた。
 腕が伸びる。欠けた左手が。
 少女は突然の事にキョトンとしている。このままでは、掴まれてしまう。
 何が何だか分からない。それでも優は、無意識に足を踏み出した。

 ーーダッ!
 なんの捻りもない、体当たりだ。

「ごあっ!?」

 側面からの力にやせぎすの体はあっさりとバランスを崩される。呻きながら、しかし男はすぐに起き上がろうと足に力を入れた。

「逃げるぞ!」

 優は来栖湊の手を取り走り出す。途端に意味不明な叫び声が背後で聞こえ、必死に路面を蹴った。

 無我夢中だった。何も考えず。ひたすらに足を動かす。

 いつもは通らないような複雑な道をわざわざ選んで、何度も何度も角を曲がる。度々後ろを確認すれば、男は追って来ていない。それでも不安は消しきれず、足は止められなかった。
 あんな異常者とは関わってはいけない。
 それは自分だけでなく、彼女も同様だ。例え、半身が異常に浸っているのだとしても優は守るべきだと考えた。
 何も知らなくたって、本能がそう言っている。

 それこそが、ずっと悩んでいた答えだったのだろう。

 ギュッと握る手に力を籠める。すると、握り返される。それに応えなくては、と疲れた足に鞭打った。
 それから更に迂回路をいくつか通って、たどり着いた勝手知る場所で、優はようやく足を止めた。

「はぁっ、はぁっ」

 息は切れ切れ。左手を膝について呼吸を整える。右手はまだ、来栖湊の手を握っていた。
 彼女の方も多少息が荒い。けれど優ほどではない。体力面では彼女の方が秀でているようだった。
 その事実に情けなさを感じつつ、優は逸る動悸を無理やり抑え込む。

「あいつ、追ってきてないよな……?」

 振り返っても姿はない。声も聞こえない。だから大丈夫なはずだ。
 すると、ポロリと来栖湊が零す。

「優くんが撃ち殺してくれたらよかったのに」

 そう言われてドキリとした。それは胸の高鳴りなんかではなく、心臓を握り締められたような感覚によるもので。
 優は言い訳みたく口を開く。

「……力はまだ、ちゃんと使えないから」
「そうだったね。だから特訓してるんだ」

 忘れていたとばかりに納得する。あまりに平常運転だ。
 先ほどの叔父だという人物を前にしても、蹴り倒しても変わってはいなかった。
 知らない面が、急に表層へ浮かんできている。それがよく分からない焦りを生んで、優の思考を散乱させた。

 これからどうするべきなんだ……?

 来栖湊の叔父が襲撃してくる直前、優が言いかけた提案。それを改めて伝えるべきなのだろうが、未だに躊躇がある。その先の恐怖が膨らんでいる。
 不意に、優の右手がグイっと引っ張られた。繋がる相手が動いたのだ。それによって、これまでずっと手に触れている事を思い出して、急に恥ずかしくなった。
 離した方が良いよな、と思春期男子を呼び起こして、手の平を広げようとしたが、その直前に声を投げられる。

「ねえ」
「んっ!?」

 身構えていなかったからか、優は肩を跳ねさせて大きな音で返事をしてしまう。そう言った事は今までもよくあったので少女の方は特に気にせず、空いた右手で、ある場所を指さした。

「ここ、優くんのお家だねっ」

 人差し指の先。そこには《多々良》という表札が掲げられている。
 まさに、優の実家だった。生まれも育ちもこの一軒家だ。
 逃げる先で一番安全そうだと思いついたのが、中に無断で入れるこの場所。けれど女子を家に連れ込む抵抗感が、玄関前で足を止めさせていた。
 優は未だ握られる手の羞恥もあってか、少しぎこちなく頷く。
 すると、来栖湊はぱっと顔をほころばせた。

「だったら、今日はお家で特訓しようよっ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...