森を守るお仕事です。

落光ふたつ

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第1幕

第5話「空を見上げる」

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▽▽△△

「……んーっ」
 伸びをすると眠気が少し飛ぶ。固まっていた体が解れていく感覚は気持ちが良い。
 ぐっすり眠れたみたいで頭の中はスッキリしていた。良い一日になりそうと鼻歌でも歌いたくなってくる。
 外では薄っすらと会話する声が聞こえていて、二人はもう起きているみたい。
 それに急かされたあたしは、まだ隣で寝ている子の体を揺すった。
「ほら、もう朝だよっ。いつまで寝てんのーっ」
「んぅ? ぅんん……」
 瞼を開けたかと思えば、すぐに閉じてしまう。その様子にあたしはちょっとムキになった。
「ちょっと! 起きてって!」
「……掟? 起こす、べからず……」
 声を大きくしても、イズミは寝ぼけた事を言ってそのまま。
 もうっ、本当にこれであたしより年上なの?
 腹が立ちそうになるものの、同性でも見惚れるその寝顔に仕方ないなと言う感情が勝ってしまう。これだから美人はズルい。
 それにあたし自身、誰かの世話をするのは別に嫌いじゃない。以前にもしていたような気がするのだ。
 体だけでも起きている時に近い状態にしようと、脱力しきったイズミの上半身を壁に寄りかからせる。
「また服脱いじゃってるし……」
 改めて彼女の格好を見て、ため息がまた一つ。この子が寝ぼけてここを出る前に、服は着せておかないといけない。
 けど、寝てる子の着替えって大変なんだよなぁ……。
 じゃあその前に、とあたしは外に顔を出した。

「おはよーっ! イズミ起きないからちょっと待ってて!」

 外は晴れている。今日は気分が良い。

△△▽▽

「にしても、ちっとは残しときゃよかったな」
 リツがポツリと零す。先ほど消費しきった食料の事を言っているのだろう。それに、呆れたみたくテンちゃんがジト目を向けた。
「とか言って、一番食べてたのリツじゃん」
「そりゃあ体がデカいから仕方ねぇだろ」
「はあ? じゃあなんであたしは、いっぱい食べてもおっきくなんないのっ!?」
「し、知らねぇよっ」
 予期せぬ地雷を踏んで困惑するリツ。対するテンちゃんは答えが返ってこない事に、より不満を増幅させていた。
 そんなやり取りを愉快に思いながら、僕は隣を歩くイズミへ意識を戻す。彼女は無心に正面を見据え、僕らを先導してくれていた。
 現在向かっているのは泉だ。
 あそこにはたくさんの魚がいて水もある。安全かは不明だが、可能性があるだけ行く価値はあるだろうと話し合い、目指す事になった。
 それに、他の所へと行く術もない。
 昨日はどれだけ歩いても大木の下へと戻ってしまった。新しい場所を切り開く事は出来ず、出口のない証明だけに終わったのだ。
 ただどうやら、イズミには今回の目的地の位置が分かるらしい。道を知っているのではなく気配を感じるとの事で、恐らく『お仕事』によって与えられた感覚なのだろう。
 代り映えのない景色の中、彼女は道が見えているかのように迷いなく進んでいる。僕含む三人はついていくだけだった。
 森の精達には留守を任せてある。どうにかこうにかコミュニケーションを取った結果、彼らは大木の下を離れるのが難しいらしい。嫌や不可能と言うわけでないというのがまた、よく分からないところだ。
 そうして四人だけで拠点を出発し、数分が経った頃。
「着いた」
 まるでその言葉がきっかけだったかのように目的地が姿を現す。
 境界線のように立ち並ぶ木々。それは大きな円形になっていて、そこを抜けるとすぐ、地面が土から石へと変わった。
 足音も硬い音に。すると、空気も違うもののように思えて。
 光がよく届く。反射する水面は、奥に潜むいくつもの影によって輝きの形を何度も変化させていた。
「おぉ! こんなに魚いたのか! これならしばらくは持つな!」
 真っ先に歓声を上げたのはリツだった。水面ギリギリまで近づいて、その奥をじっくりと見つめている。
「ふぁー、やっぱキレイだねここ」
「でしょ」
 見惚れるテンちゃんに対して、自慢げに口角を上げるイズミ。僕はリツの隣に並んで、彼と同じように泉を覗き込んだ。
「大分深そうだし、潜って獲るより釣竿作った方がいいかな?」
「釣りってエサ必要なんじゃないの? む、虫とかあたしっ、触れないんだけどっ」
 想像するのも嫌だとばかりにテンちゃんが震えると、リツがその恐怖を笑い飛ばす。
「そもそも虫なんていねぇだろ、この森」
「そ、そうだった。ほんっとそれだけは最高っ」
 と喜ぶテンちゃんではあるが、表裏一体に問題点もある。
「つってもエサがないのはキツいぞ? ルアーでも作るか?」
 今のところ使えそうな素材は木材程度だが、ヒィちゃん達を頼るにしても細かな作業には向いていない。魚にエサと勘違いさせる完成度を目指せるかは微妙だし、耐久性も求めにくい。まだ素潜りの方が成果を出せそうにも思える。
 にしても難しいかな、と思考を巡らせていると、イズミが首を横に振った。
「……たぶん、必要ない」
 すると彼女は、泉の端にしゃがみ右手を水の中へと入れた。
「え、まさか手掴み……?」
「いやいや、せめて潜らねぇと無理だろ」
 けれど僕らは改めて、この森では常識が通じないと知る。
 水面に沈む手の平。おもむろに広げられ少しして、一匹の魚が近づいてくる。するとその魚は、何の躊躇いもなく波紋の中心へと寄っていった。
 それはまるで、自らを捧げるようで。
「獲れた」
 ばしゃ、と掴み上げた獲物をイズミが披露する。種類はよく分からないが、大きさは20㎝程と十分に食べ応えがありそうな魚だ。
「はあ!? なんだそれ!? カンタン過ぎんだろ!」
「あ、あたしもやってみる!」
 好奇心でテンちゃんが泉に手を突っ込むと、リツも疑心を抱きつつ真似る。そうすると同じように彼らも、魚を掴み上げる事に成功した。
「マジで獲れた! ……って死んでね?」
「うっわ、あたしのも動かないんだけど!」
 しかし不気味な事に、水面を上がった魚はどれも急に動かなくなっていた。イズミが持つのも同様だ。
 やはり普通ではないのだろう。興味をそそられて、それぞれの手に乗る魚を観察する。
「あんまり魚に詳しいわけじゃないけど、なんかこれ、死んでるって感じじゃないよね」
「……確かにな。目は濁ってねぇし、体もなんつーかピンとしてんぞ」
「えぇ、じゃあなんなのこれ……?」
「……時間が止まってる、とか」
 イズミの推測は、なんだかピタリと嵌った気がした。けれども証明は出来ないから、そうと決めつけるのはまだ早いだろう。
「毒とかで死んでるって可能性も捨てきれねぇ。それと、これがそもそも魚じゃないとかな。一応、中身調べといた方がいいか」
「そうだね。それじゃあ一旦戻ろう」
 得体のしれない物を食べるにはまず火を通すべきだろう。火を熾せるヒィちゃん達を頼ろうと決め、僕達は一度引き返す事にした。
 手に入れた三匹の魚はイズミが代表して持っている。それとついでに、拠点作りに使えそうなので周辺の手ごろな石もみんなで協力してかき集めた。
 一足先にポケットをパンパンに膨らませた僕は、ふと輝く水面に視線を向ける。
 そこでは変わらず優雅に魚が泳いでいた。今見る限りでは健康な様子だが、水から上がった途端動かなくなったと考えると普通の魚ではないのだろう。
 そう言えば、と僕は自分だけ試していなかった事に思い至り、水中へ右手を潜らせてみた。
 本当に魚が得られるのかを疑っているというより、魚が動かなくなる瞬間を見て何かヒントを得たい気持ちだ。
 そうしてしばらく待つ。じっと、波紋が消えるまで動かないでいた。
「………」
 けれども、泳ぐ魚は寄ってこない。今もまた、僕の方を見向きもせず通り過ぎていった。
「おもーっ、もうこれでいい?」
「まあ、イズミがいればいつでも来れるみてぇだし、小分けして運べばいいだろ」
「ん、任せて」
 気づけば他の皆も準備を終えていた。それを察して空の手を泉から引き上げる。その結果に僕は、不思議と疑問を抱いていなかった。
 深く考える事はせず、濡れた右手の水気を払う。するとなんだか視線を感じた。
「……」
「どうしたの、イズミ?」
「…………なんでもない」
 じっとこちらを見つめる彼女は、それから泉の方へと振り返り、同じように視線を固定する。
「…………」
 その意図はよく分からない。表情の変化が少ないから、読み取るのは難しかった。
「ほら、皆行ってるよ」
「……ん」
 泉からは大木を遠目に見つけられ、案内は必要なさそうだった。リツとテンちゃんは早速歩き出していて、足を止めているイズミを催促する。
 引き返す道の間、イズミはやはり、僕をずっと見ていた。


 拠点に着くと、帰りを待っていたとばかりにヒィちゃん達がワラワラと集まってくる。その内の一匹を、イズミがすかさず掴み上げた。
「ヒっ?」
「クッキング」
 言うが早いかイズミは、早速魚をさばき始める。
 帰還直後にリツが足元へと下ろした一抱えある石をまな板にして、魚のエラに三角錐の頂点を遠慮なく突き入れた。それからグリグリと穴を広げれば、血が流れ、身が崩れ、内臓が潰れ、まな板の上が悲惨で染まっていく。
「ヒぃイイっ……!?」
 さすがのヒィちゃんもその様相には血の気が引いたようで、頭上の光景から背けるよう、簡素な目を体の中に収納させていた。
 そうして、調理と言うより解体に一区切りをつけて、イズミが告げる。
「見た感じは、普通」
「うへぇ、もうちょっとキレイに出来ないの?」
「ま、まあ、包丁でもないし仕方ないよ」
 無惨な魚に、テンちゃんはあからさまに顔を歪めた。それに僕はフォローを入れておく。
 正直、魚の内側を暴いたところで具体的な事は分からなかった。知識もないのだし当然だろう。とりあえずの結論は、素人目で見つけられる異常はなしという事にした。
「んじゃあ、焼いてみるか」
 リツが言うと早速、ヒィちゃん達による火熾しが始まる。昨晩の焚火跡へ、またも一匹の三角錐がジャイアントスイングで投げ入れられ、すぐに火が上がった。
 焚火と呼ぶに相応しい大きさになったところで、リツが崩れた魚の身の一部を枝に突き刺して熱源へと近づける。するとすぐに火が通り、魚の身から透明感がなくなって縮んだ。端が若干黒くなって火から離す。
「……で、誰が食べるの?」
「俺が食ってみる」
 枝を握っていたリツがそのまま、焼いた魚の身を口に放り込む。量に対して少し多めの咀嚼後、慎重に感想を発した。
「……味は、問題なさそうだな」
「じゃあ食べれるってこと!?」
「まだ早計」
 早まって乗り出すテンちゃんを、イズミが言葉で制した。彼女の言う通り、食事の影響はすぐに出るとは限らない。
「リツ、舌が痺れたりとか、お腹が痛くなったりはしてない?」
「今んとこは大丈夫だ」
 言い切るリツは、傍から見ても健康そうだ。しかし数日経ってから食中毒になる事もあるから安心は出来ない。とは言え、他に食料の当てがない今は悠長な経過観察でも不適切。
「……二、三時間は様子を見た方がいいかな」
「ま、妥当だな」
 時間が経ってもリツが大丈夫そうなら、あの魚の異常性は、森の不可思議で決めつけるのが最善だろう。
 危機感の欠ける選択をしてしまうのは、どうしてもこの森で、そう過酷な目に遭うとは思えないからだ。根拠としては森の精の存在が一番大きいが、それ以上にやっぱり、直感と言うか僕自身が感じるものとして、森に対する好感がある。
 ただ、説明しようのない感覚をまるっきり信じるわけにはいかないため、手探りな行動をやめるつもりはないが、変に考えすぎなくても良いようには考えている。
 とは言え万が一を考慮して、リツにはしばらく焚火の前でじっとしてもらう事になった。
 数時間も何もしないのは暇だろうから、リツには残りの魚を焼く係を任せてある。加えて緊急時にすぐ報せを貰えるよう、ヒィちゃんを一匹お供に付けた。
「それじゃあ、僕達はどうしようか」
「昨日の続き?」
 まだお腹が空く時間でもないし、僕含む三人は充分に動ける。僕の投げかけにイズミが屋根と壁のない男子用の寝床を指差すと、割って入るようにテンちゃんが意見を出した。
「それよりさっ。あの泉、今後も使うだろうし道作っとこうよっ。ほら、ヒィちゃん達は行くのが難しいって言うんだから、道でも作れば行けるようになると思うんだよね!」
 どこか息巻いた少女は、続いて「ねっ?」と森の精達へと確認する。すると、三十近い声が一斉に肯定を示すように鳴いて、少女の不十分な根拠を補強した。
 ……道を作れば、彼らでも行けるのか。
 気づきから考察を進めつつ、提案には素直に頷いておく。
「うん、良い案だと思うよ。彼らにはいろんなところで働いてもらいたいし、僕らも簡単に行き来出来るようにしたいしね」
「だよねっ!」
「……けど、道がないからでついてこなかったのはやっぱ変」
「迷うのが怖いってだけじゃないの?」
 イズミの疑いは当然なものであったが、今はテンちゃんのような、思いつきで結論を出して先を考える方が適しているだろう。
「とにかく道は作ろうか。それで、泉はどっちだっけ?」
 話を進めようと問いかければ、案内人は両の人差し指を自分の頬へと指した。
「イズミはここ」
 ぐにっ。
 と頬肉を押し上げ口角が上がる。けれどその表情は相変わらず乏しく、どうやら彼女と愛嬌の相性はあまりにも悪いらしい。
 唐突な茶目っ気に失笑した僕は、冗談が言えるという事は心に余裕がある証拠だなと解釈しておいた。
「僕が言うのも何だけど、名前、やっぱり紛らわしいかな?」
「もーふざけてないでよっ」
「……実はあっち」
 少女の不機嫌を即座に感じ取ったイズミは、両の人差し指を正しい方向へと動かす。
「……って、さっきとは違う向きだね」
「目を離したら変わってた」
 イズミが指す方角は先ほど行き来したものとは明らかに異なっていた。とは言え、彼女の感覚に間違いはないとの事だ。
 もしかしたら、どこも同じに見えるこの森は、実際に同じ森なのではないのだろうか。
 永遠に森が続いているというよりも、僕達がずっと同じ場所を歩いているという感じ。だからどこにも辿り着けないし、時間も出鱈目になる。そんな迷宮の中だから、大木や泉のようなスポットを目指すには不思議な感覚を頼るしかないというわけだ。
 確証はないが、道を作れば行き来可能と言う点にも繋がる気はする。大木や泉周辺で迷う事はないのだから、道を作り出せればそれが新たなスポットとなり、各地を繋いでくれるのではないだろうか。
 などと複雑に考えてはみたものの、やっぱり動いて試してみるのが一番早い。
 一応年長者として、僕は皆に指示を出した。
「それじゃあヒィちゃん達には、正面の木を全部倒してもらおう。それに続く感じで僕達が地面を整備して、道っぽくしていけばいいかな」
「分かった!」「りょい」
 二人に続いて森の精達からの返事も上がり、早速作業へと移る。その間際、僕らの会議を聞いていたリツが、念押しするように声を投げて来た。
「ちゃんと、伐った奴らは使ってくれよ?」
「あ、ゴメン。分かったよ」
 言われてからリツの『お仕事』を思い出す。やはり彼にとってこの森の木々は、ただの植物と言うわけではないようだ。
 リツの頼みを改めて皆に伝え、道作りを開始する。
 案内人が目を離せば位置が変わってしまうため、イズミには目的地の方角を眺めて固定してもらいながら、ヒィちゃん達の伐採作業の監督をお願いした。ヒィちゃん達には勿論伐採と、加えて切り株を引っこ抜く作業を任せてあり、僕とテンちゃんは彼らに続く形で草むしりだ。
 森の中とあって茂みだらけだから、除草するだけでも道っぽくなる。更にヒィちゃん達が倒した木々を両脇に置き道幅の目安にした事でよりぽくなった。
「泉って案外近くにあったんだね」
「さっきより距離も変わってるんじゃないかな」
 正面の木々が全て倒されると、泉のある空間が僕らの目でも捉えられるようになる。大木からの距離はおおよそ100mぐらいか。これなら日常的に行き来するのもそれほど苦ではないだろう。
 ヒィちゃん達も泉に辿り着く事が出来たみたいで、歓喜の鳴き声が聞こえてきている。それは道がスポットと化した合図でもあり、イズミによる目的地の固定も必要がなくなって草むしりに合流してもらった。
 ひとしきり新天地に感動した森の精達はしばらくして、切り株の引っこ抜きを始める。数匹がかりで地中に潜り根っこを露出させてから引っ張り上げる。するとずぽっと気持ちよく抜けて地面は穴ぼこになった。
 切り株はどれもしっかりしていて、上手く加工すれば椅子や机にでも使えそうだ。ただ、今すぐの作業は難しいため、とりあえず大木の下に寄せ集めている。
 そんなこんなで二時間ほど。
「これくらいでっ、もーいいよねっ!?」
 雑草を引っこ抜きながらのテンちゃんの訴えに、僕は頷いた。
「うん、良いんじゃないかな。頑張ったよ皆」
「頑張ったっ」
「ヒーヒぃ」「ヒっヒヒーっ」
 疲れによる吐息は、それと共に達成感を呼び込む。煌びやかな水面を前にして、僕は後ろを振り返った。
 100m続く剝き出しの地面。それは幅2mの直線を描き、左右の横倒しになった木々もあってすっかり道らしい出来に仕上がっている。
 ただまあ細かな雑草は残っているし、手当たり次第に引っこ抜いたものだから穴だらけで、見た目は良くない上に歩き辛そうだが、そこは将来性に目を逸らすとしよう。
「はぁー疲れたーっ。お腹も空いてきたーっ」
「じゃあ一旦、リツのとこ戻ろっか」
「ん。魚焼き上がってるはず」
 意見を揃えて100mの道を引き返す。
 リツの姿は全く見えない場所というわけでもないため、そんなに大変な事になっていないのは分かっているが、それでも心配は消せず少し早足になった。
「リツー、大丈夫ー?」
 テンちゃんが間延びした問いを投げると、焚火を前にするリツが振り向く。
「お、そっち終わったか」
「まあ一区切りって感じかな。体調は問題なさそうだね」
「ああ、全然平気だぜー」
 久しぶりに見た感のする彼の顔つきは、さして変化はなかった。その事にただホッとする。
「それとこれ、暇だったから作ったんだ。見てくれ」
 不要と分かった心配は早々に切り捨てて、リツは僕らの知らない成果を披露した。
「へぇ、かまどを作ったんだ」
 その出来に僕は思わず感嘆の息を漏らす。
 焚火を囲うU字型のそれは、皆で泉から運んだ石によって作られていた。土台部分は地面に半分埋まっていて安定しており、サイズの不揃いな素材ながらに上手く組み合わせていて、強度も申し分ない。
 既に火元を守る仕事は成し遂げており、一部空いている箇所は一回り大きな石で閉じることも可能なようだった。
「これがあれば、風も多少しのげるだろ?」
「リツ君、やるー」
「リツって結構器用だよね」
 女子二人も素直に賛辞を贈る。するとリツは照れくさそうに鼻の下を擦り、それを真似してお供のヒィちゃんも自慢げな素振りを見せた。
「それと、魚もしっかり焼けてるぜ。ちっと冷めちってっけど」
 続いてリツが持って見せたのは、枝に串刺しした二尾の魚。
 その焼き加減も見事なもので、茶色く焦げ目の付いた皮には思わず胃が刺激された。ついでに解剖してボロボロになった魚の方も、石製まな板の上に置いたまま火を通した様で、充分食べられる状態になっている。
「あ、あたし食べる!」
「わたしも……!」
 空腹を我慢出来なかった二人が我先にと魚を受け取る。その様子に僕とリツは苦笑を浮かべ合い、身が崩れた魚を二人で分ける事にした。
「食料はこれでどうにかなった、で良いかな?」
「俺は決めつけちまっても良いと思うぜ」
 もっと慎重にすべきか、という迷いはリツが早々に断ち切った。それぐらい彼の体は万全という事だろう。女子二人の方もとても美味しそうに魚を平らげているし異論はないみたいだ。
 しかし、僕らの生活が満足いくものになったとはまだ言えない。
「コップとかバケツでもありゃ、水も使いやすくなんだけどな」
「木や石で作るしかないかな。それか、落ちてたりすればいいんだけどね」
 チラリ、と少しだけ期待を込めてヒィちゃんを見る。
 リツの健康を見守っていてくれたその一匹は、けれど何を言っているか分からないというように僕の視線に対して首を傾げた。
 森の精だというのだし、人間が作った物を知らなくても無理はない。それにこの自然の中で人工物が落ちている可能性は低いだろうし、やはり自分達で作るのが妥当か。
 と、甘えを引っ込めていると、テンちゃんが僕の意思を継ぐかのように身を乗り出した。
「コップとかバケツ、分かんない?」
 まるで小さい子供に物事を教える口ぶりで、少女は地面にコップとバケツの絵を描いて見せる。
「こういう感じの容れ物だよ。コップは水呑む用で、バケツはもっと大きくて、大量に水を運ぶ時用、かな?」
 テンちゃんが手振りも交えてどんなものか伝え終えると、知識を与えられた森の精は少し考える仕草をしてから仲間を呼び寄せた。
「ヒぃヒー」
「ヒヒぃヒヒ?」
「ヒっヒ」
「「ヒぃ」」
 数匹のヒィちゃんが何やら談合している。それから意見がまとまったのか、代表した五匹が僕達を見上げて声を上げた。
「「「「「ヒぃヒ!」」」」」
 トン、と胸を叩くような動作。まるで任せろと言わんばかりだ。
「なんだ? 見つけてこれるのか?」
「え、ほんと!? やっぱこの子達良い子だよ!」
 彼らの意図を僕達なりに解釈していると、早速一〇匹の三角錐がどこかへと旅立った。小さな体ゆえにその姿はすぐに茂みで隠れて見えなくなる。
 今までも散々頼りになった彼らだ。期待しても良いのだろう。
 そう考えれば調子が上向いている感じがしてきてなんだか活力も生まれ、手持無沙汰になった途端、次へと動き出したくなってくる。
 それは皆も同じだったのか、魚をあっさり平らげたテンちゃんから声が上がった。
「ねえさ、もっと魚取りに行こうよ! 一匹じゃ足んないって!」
「食べたら余計お腹空いた」
 イズミも魚を完食していたが、満足には遠いらしい。それは僕とリツも同意見だった。
「そうだね。僕とリツは半分ずつだったし、もう少し欲しいよね」
「だな。俺ももう休む必要ねぇし、きっちり腹満たして色々やっぞ!」
 一つ一つの事にやる気を漲らせながら立ち上がる。それから僕ら四人は、案内のいらなくなった道へと歩き出した。
 改めて手作りのその道を歩いてみれば、不十分な点がいくつも視界に入る。それに連鎖して必要な物や場所が数多く頭に浮かび、やはり課題は山積みだと思わされた。
 加えて、この森に迷い込んでまだ二日だ。
 今までは無視出来ていた問題も、時間経過が否応なく表に引きずり出してくる。
 それは、思いの外すぐだった。
「ここで水浴びしたいな……」
 泉に辿り着き、変わらず頭上からの光を反射する水面を前にして、ポツリとテンちゃんがそう零した。
「なんだ? 遊びてぇのか?」
「違うって! 体洗いたいのっ。二日もお風呂入ってないんだよっ?」
 そう訴える彼女の姿は、連日の作業で汚れが目立っている。それは他二人と僕も同様だった。
 木材加工で木屑が。草むしりで泥が。
 それに当然汗も掻いているが、着替えもなくそのままでいる。
 体中にベタつきや若干の痒みも感じていた。テンちゃんもそうなのだろう。さすがに異性を意識してまだ自制は効いているようだが。
 けれど口に出すとつられて体も動いてしまい、食い入るように水面を見つめていた少女の体は更に前傾姿勢になる。
 少しだけ、と伸びる少女の手。
 水面に触れる直前、その手首は強引に引き戻された。

「ダメ。ここを汚さないで」

 手首を掴んだのはイズミだった。彼女は珍しく表情を険しくして、少女の行いを軽蔑するように睨みつけている。
「別に、今すぐ入るわけじゃないって。男子の目もあるし」
「今じゃなくてもダメ」
 イズミは頑なに言って、手首を離そうとしない。
 すると徐々に、テンちゃんの顔つきが見るからに不機嫌な色に染まっていき。

 ーービュゥウ……。

 風が、強くなっていた。
 空は曇り、辺りの温度が低くなっている。
 しかしその変化に、二人は気づいていないようだった。
「……いや、水浴びには使おうよ。体汚いまんまだと病気になるかもだし、嫌じゃん」
「…………ダメ」
「なんでっ?」
「……ダメ、だから」
 言葉を変えないイズミは、自分でも理由がよく分かっていない様子だった。それに対する答えは、傍から見ていればすぐに思いつく。
 けれども周りが見えなくなっていれば、どんな推測も結べない。
 テンちゃんは、イズミの手を力任せに振り払った。

「我儘言わないでよっ! 皆で協力しないとでしょッ!?」

 ーーゴウッ!

 一際強い風が吹く。
 それは体が持っていかれそうな勢いで、踏ん張っていなければ転びそうになる程だった。周囲の木々も大きくしなっていて、足下からは大量の木の葉が舞い上がっている。
 穏やかだった水面も、荒ぶる風に乱されていて。
「……っ!」
 イズミの瞳で、怒りが膨らんだのが分かった。
 彼女が動き出した途端、それを止めようと僕は足を踏み出す。隣の彼も察してか、もう一人の少女へと向く。
 風に押され、二人が衝突する直前、

「「「「「ヒぃっ!」」」」」

 珍妙な鳴き声が、風を割った。
 すると僅かに風が弱まったような気がした。全員の視線が彼らへと集まっていて、注目される森の精達は、構わず陽気な声を上げ成果を自慢している。
 掲げる手には四つのコップと一つの大きなバケツ。
 それらはどれも角ばっていて色は白く、その材質に気になる所があったが、考えるのは今じゃなくても良い。
 健気にも依頼を成し遂げた彼らに救われた気分になって、僕はとっさにこの場を取りなす言葉を引き出した。
「二人とも。ヒィちゃん達がバケツを持ってきてくれたし、ここを汚さなくても水浴びは出来るんじゃないかな? それにテンちゃん。水を汚しちゃったら、他の使い道も減っちゃうと思うよ?」
 名指しすれば視線が向く。それから少女は無邪気な森の精達を見つめると、少し顔色に落ち着きを取り戻していた。
「……そう、だね。確かに汚したら飲めなくなっちゃうもんね。せっかく、コップも持ってきてくれたのに」
 しゃがみ込んだ少女は、感謝を告げるように森の精達を一人ずつ撫でる。嬉しそうな鳴き声を聞いて、彼女はすっかり笑顔を思い出していた。
 次いでイズミの方を確認すれば、どこかバツの悪そうに視線を逸らしている。彼女も冷静になって反省している様子だった。
 気づけば、あれほど荒ぶっていた風は嘘のように収まっていた。
 舞っていた木の葉は力を失いその場に落ちて、波立っていた水面も元通り穏やかになっている。
 僕とリツは顔を見合わせて、まあこんなこともあるだろう、と通じ合った。
 引きずらないためにも次の話題を、と考えていれば、リツが率先して調子外れに発する。
「てか、風呂入るんなら服も着替えてーよなー」
「そうだね」
 彼に続いて僕も場を保つように仕向ける。
 まだなんとなく、女子二人はぎこちなかったけれど、それでも表向きの感情は落ち着いていて、その事に安堵しつつ、僕達は以前のようにこれからの事を話し合う。
 そんな最中、僕はふと空を見上げた。
 まだ、少し曇っている。
 でもすぐにまた晴れるだろう。
 不確かな根拠でそう思った。
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