存在不定彼女

落光ふたつ

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存在不定彼女

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 ある日、幼馴染がエルフになっていた。

 幼馴染とは保育園で出会い、以来家が近いという事もあって小中高で連れ立って登校する間柄。
 と言っても互いにそれぞれの友人関係を築いていて、一緒にどこかへ遊びに行くようなことはなく、せいぜい趣味を勧め合う程度。異性ではあるけれど距離が近すぎて兄妹のような感覚だ。
 ただ最近は割と一緒にいる事が多い。
 彼女はよく俺の部屋に入り浸っているのだ。
 というのも蔵書数千を誇る俺が漫画や小説を次々に貸していたら、次第に暇な休日に図書館代わりにやってくるようになったからで。
 どうやらかなり時間を持て余しているらしく、夏休みの今なんてもう十日連続だった。
 それで、そんな奴が突然エルフになっていた。昨日までは普通の人間だったが、朝起きたらそうなっていたとの事。

 先が尖った耳。
 外見だけではあるが、触ってみれば作り物でないというのは明確だった。
 明らかな異常事態だ。
 だと言うのに、当の本人は平時と変わらず、ビーズクッションの上で漫画を読んでいる。

「お前それ、気にならないのか?」
「んー? まーそんなに不便じゃないよー」
「いや、不便とかじゃなくてだな……」
「そういやあっくんって、こういうの好きだよね? ほらよく漫画に出て来るじゃん」

 幼馴染は自分の耳と照らし合わせるように、読み進めている途中の漫画の表紙を見せて来た。
 ちょうどそこには典型的なエルフの女性が描かれている。
 確かに色んな創作物でエルフはよく登場する。俺の蔵書の中にも百近いエルフがいるだろう。世間的にも人気だし、俺も嫌いと言えば嘘になる。
 だが俺は幼馴染の間違いを指摘した。

「よく出ては来るが、まず勘違いするなよ。エルフの魅力と言うのは耳だけじゃなく、高潔な性格とか確定された美人補正とか長寿故の感覚のズレとかそういうところにあるんだ。外見だけ真似るのはコスプレだ。出直してこいっ」

 思わずオタクが顔を出して説教ぶる。
 男友達には若干引かれる時もあるが、この幼馴染はいつも「そっかー」とだけ聞き流す。こういうところに付き合いの長さを感じる。
 と、思考がそれかけたので戻す。視線もピコピコ動く長耳へ。

 確かに本人が気にしていなければとやかく言う事ではないのだろうが……。

 だとしても俺は、目の前で起きている超常現象を無視出来る精神を持ち合わせていなかった。
 なぜそうなったか、まずは原理を考えてみよう。
 エルフと言う事もあるし、何らかの魔法的な力が加えられたと考えるべきだろう。科学はありえない。ではなぜ、この一般人である幼馴染が変化したのか。

 実は一般人じゃないとか? それか彼女の知人に魔法使いでもいるとか……。

 などと対象を観察しながら考察を深めていく。けれど当人は相変わらず視線も気にならない様子で読み終わった漫画を棚に戻していた。
 そうして、続刊を取り出し彼女がその表紙を見た瞬間だった。

 しゅる。
 と長耳が引っ込み。
 ぽんっ。
 とケモ耳が生えた。

「なっ、今度は獣人だとっ?」
「ん? どしたの?」

 俺が上げた声に幼馴染が振り向く。自分ではその変化に気づいていないらしい。
 ケモ耳。
 頭上に生えるタイプだ。元の耳もちゃんとあるから耳が四つ。果たして頭上のそれに聴覚があるのかは不思議だが、ピコピコと動いてはいる。
 と、そこで気づく。
 見れば彼女が持つ漫画の表紙はケモ耳娘。先ほどの事もそうだったし、もしかしたら漫画に原因があるのではという推測に至る。
 俺が頭を捻りだした時、急に幼馴染が腰辺りを抑えて悶え始めた。

「いっ、いたたたっ。なんかお尻がっ、いたたたっ」

 何やら痛覚を覚えたようで、背中を逸らしてその出所を探そうとしている。俺もつられて見れば、彼女のハーフパンツの裾から筆の毛先のようなものが覗いていた。
 それが何か、俺はすぐに察した。

「お、お前っ、尻尾まで生えてるぞ……!」
「あー、それがゴムに押さえつけられて痛かったんだ」

 あまりにもの温度差。
 幼馴染は淡々と尻尾を外に出して、痛みから解放された心地でふうと息を吐く。それから少し表情を綻ばせて俺に向いた。

「ねね、今わたしどんな感じ? 写真で撮ってよ」
「あ、ああ」

 要求されるままにスマホでパシャリ。その画像を表示させたまま幼馴染にスマホを渡す。

「おーちょっと可愛くない?」

 チラリと視線を向けられたが、いまいち同意を求められているのか分からず返事はしなかった。その事に幼馴染も特段気にした様子はない。

「尻尾があるからちょっとお尻スースーするなぁ……」

 幼馴染は不安げに、項垂れる尻尾を振り返る。僅かに下げられているハーフパンツ。角度によってははみ出た下着が見えてしまい、俺はそれとなく顔を逸らした。

「その恰好で外に出るのはやめた方が良いと思うぞ」
「うん。さすがに人前は恥ずかしいよ」

 どうやら俺の事は人に数えられていないらしい。まあそんなもんか。
 ただ俺の方は不覚にも、一度見えたものが脳裏に焼き付いてしまっている。
 邪念を払うため、俺は部屋を出る事にした。ついでにと振り返る。

「なんか飲み物いるか?」
「あ、じゃあ麦茶ー」
「分かった」
「ありがとー」

 キッチンまで行って二人分の麦茶を注ぐ。ついでに、夏場は常備されているホームランバーも二本取り出して部屋へと戻った。

 すると、幼馴染が悪魔になっていた。

 角と尻尾。
 そして、羽。

「いたたたっ、せ、背中いたぁっ」

 Tシャツを脱いで、幼馴染は背中を晒している。そこには蝙蝠のような羽が生えていて。
 俺は危うく麦茶が入ったコップとホームランバーを落としそうになり、慌てて態勢を整える。一旦、机にそれらを置いて若干涙目になっている幼馴染を見た。

「お前、今度は悪魔になってるぞ……っ」
「あ、あっくん、これ背中どうなってるの?」

 むき出しの肌を見せつけられ、俺は必要以上に釘付けになってしまう。
 滅多に見る事はない乳房矯正下着によって、悪魔の羽が苦しめられパタパタ藻掻いている。痛みの原因は間違いなくそれだろう。つまりこれにも感覚はあるという事だ。

「は、羽が生えてる。なんか、締め付けられてるぞっ」
「これ羽かぁ」

 現状を知ると、幼馴染は何のためらいもなくブラジャーのホックを外した。何か前方で揺れた気配があって、びくりと俺の体も揺れる。

「ふー楽になったー。……うーん、シャツ着るのもちょっと窮屈だしなぁ、まあいいや」

 と言って、中途半端に首元まで上げられていたシャツを脱ぎ始める。

「お、おいっ、はしたないぞっ」
「あはは、こっち見ないでよー」

 からかうように幼馴染は言って、シャツで胸元を隠しながらビーズクッションに覆いかぶさった。
 確かにそれで前面は見えなくなったが、背面は隠されていない。
 自由になってはしゃぐ羽の間を背骨のラインが通っていて、肩は若干赤らんでいるように見える。長年一緒にいる幼馴染とは言え、こうして肌が晒されてしまえば嫌でも意識してしまう。
 なのに、幼馴染の方は平然と読書を再開させている。
 ならば俺も気にしてはいけないのだろう、と極力彼女の姿は視界に入れないようにしながら、放置していた麦茶とホームランバーを渡した。

「……ほら麦茶。アイスも食っていいぞ」
「やったー。ありがとー」

 受け取ると、早速麦茶を飲もうとする。ビーズクッションに対してうつぶせになっているから、体を逸らすわけにもいかず行儀悪くすすっていた。
 このまま、より人間からかけ離れた姿に変わったらもっと大変だろう。
 一応の心配を持って、俺は一刻も早い解決を目指して問いかける。

「そもそも、なんでそうなったのか心当たりはないのか?」
「んー? どうだろ? 別にこんな風になりたいと思ったことはないけどなぁ」
「じゃあ逆に、元の自分が嫌になったとか」

 創作物の知識を総動員して原因の究明に努める。幼馴染は同じように「んー?」と首をかしげるが、そこでふと何かを思い出したように声を漏らした。

「……あ」
「なんだ、何か思い当たることあったのか?」
「まーその、なんていうのかな。えっと、自分が誰か、分からなくなる時は、あるかも」

 どこか歯切れ悪く幼馴染は言う。
 明確ではないものの、なんとなくの繋がりが見えて俺は食い気味に質問を重ねた。

「それはどういう時だ?」

 すると、幼馴染は俺の方をじっと見返す。
 それから、どこか寂しさを消すような笑顔を作ってから応えた。

「あっくんが、名前を呼んでくれない時」

 言ってからまた、照れ隠しのように笑う。

「もしかしたら、あっくんに見て欲しくて、漫画に出て来る女の子みたいな姿に変わったのかもね」

 漫画。ここ数年は取り憑かれたように集めているそれら。
 蔵書数千の内、小説はせいぜい1割ぐらい。そのぐらいこの家には溢れかえっていて、俺が見ている物。
 それに近づく事で、俺に見て欲しかった。
 その事実を知って、そしてその意味を考えてしまう。
 すると途端に気まずさと恥ずかしさが一挙に押し寄せて、また彼女から視線を外した。

「それでさ。あっくんは、どんな格好なら好き?」

 どんな表情をしているかも分からず、その問いかけだけが耳に触れる。
 そう言えば最初にも、似たようなことを尋ねられていたと思い出す。
 なら、状況を解決する策はすぐに思い当たった。
 なんて事のない事。でも、それを俺は多分、何年も避けていた事。
 少し緊張しながら、俺は口を開いた。

「……そ、そんなもん、いつものクルミに決まってるっ」

 視線は逃げようとしたけれど、無理やり見つめた。すると幼馴染の——クルミの顔は急激に赤くなっていって、そして眩しく笑った。

「何年ぶりだろ、名前呼ばれたの」

 確かに自分でも、いつから名前を呼んでいなかったか思い出せなかった。
 あまりに近すぎたから。だからきっと、彼女を見ないようにしていたのだ。
 名前を呼ばないことで彼女に対する認識を歪めて、自分にとっては幼馴染であるという関係性を強調させていた。

 それは、相手の事をちゃんと見れば、知ってしまうからだ。
 気持ちを。
 相手と、自分の。
 目の前にそれがあれば、俺は見ないフリが出来なくて。
 だからまあ、見えないように誤魔化していた。

 気づけばクルミの姿は元に戻っていた。
 なんとなく目が合うのが増えて、でも特に変わらずいつものように彼女は俺の部屋で漫画を読んでいる。
 そして夕方になれば、また明日、と言って別れる。それが、彼女が暇だからというわけじゃない事もなんとなく分かってしまって。
 変わらないけれど、変わっていた。
 それを実感しながら、いつもより少しだけ明日の事を考えるようになっていた。



 翌日。
 ピンポーン。
 いつもクルミがやってくる時間に呼び鈴が鳴った。
 十中八九彼女だろうと思いつつ向かう。いつもなら鍵が開いていれば勝手に入って来ていたのだが、なぜか今日は玄関で待機しているようだ。
 若干の違和感を抱きながらも、深くは考えず玄関を開ける。

 するとスライムが入って来た。

「ありがとー。いやぁこの体じゃドア開けられなくてさー」

 半透明の半液状のそれからは、慣れ親しんだ幼馴染の声。

「く、クルミ、か?」
「そうだよー。お、戻った」

 俺が名前を口にするとその姿はすぐに戻る。スライム状態でも服を着ていなかったのだから、その姿は全裸だった。

「お前っ、そんな格好で外出歩くなよっ!」
「おわっ、またなんか変わった?」
「クルミっ!」

 俺は急いで適当な服を引っ張り出してくる。服を貸すシチュエーションにもなんだかソワソワして、真っ赤な顔のクルミと何度も視線がぶつかった。
 どうやらこの現象はしばらく続くらしい。
 一度や二度では満足いかないらしく、定期的な供給が求められるようで。
 それから俺は、毎朝、彼女の名前を呼ぶ羽目になるのだった。
 きっといつまでも。
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