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▼3「仕組み」

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『声って、ずっと聞こえているのかしらね?』

 数学の授業が終わり、教科書を片付けようと立ち上がったところ、不意に安立さんがそう言った。それは単なる自問だったのかもしれないが、聞こえたからには反応してしまう。
 どうなんだろう? さすがにずっとだと困るよね。

『そうよっ。トイレまでこうだと困るわっ。行きたいのにっ』

 安立さんトイレに行きたかったのか。というかトイレ行くんだなぁ。

『あ、当たり前でしょっ。あたしを何だと思っているのよっ』

 心外だと言わんばかりに告げてくる。それに苦笑しながら謝った。無論、女子がトイレに行かないという幻想を抱いていたわけではなく。僕は単にこの声のリアリティさを痛感してふと思っただけである。
 にしてもトイレなら、別に見えないし音も聞こえないから大丈夫なのではないだろうか。

『まあ確かに、こっちが発する音は聞こえないみたいだけど、それでもその、声が聞こえる状態で脱ぐのとか、ちょっと気まずいじゃない』

 脱ぐという単語に一瞬想像しかけてしまい、けど本人の耳が頭の中にあるものだから慌てて振り払った。

 この現象では一応、僕たちの≪思考≫しか聞こえない。
 つまり、向こうが発する音は含まれないのだ。例えばパンと手を鳴らしても、聞こえるのはせいぜい『手を叩いた』という声ぐらい。ただ、発された言葉に関しては大体頭にも浮かべるからか普通にこちらに届く。とは言え思考として聞こえるので、誰に対して向けたのかは少し判別しづらいところがあった。

 分かっている仕組みはその程度なもので、安立さんが言うように、ずっと声は聞こえたままなのかどうかというのは、大変気になる部分だ。年がら年中これだと間違いなく頭がこんがらがってしまう。誰かと話す時なんかは気が散ってしょうがない。
 自分自身でオンオフを切り替えられるようなものでないことは既に明らかなのだが、学校を出れば途絶えたりするのだろうか。

『どうなのかしらね……。そもそも何でこんな風に声が聞こえているのかも分からないし。いや考えるだけ無駄な気もするけど』

 まあ、不思議なことと受け止める方が賢明だろうね。理論が例えあったとしても、中坊ごときに理解出来るとは思えない。
 とりあえず、目下調べることはこの現象のスイッチの有無だ。一番有力そうなのは場所だろうから、まずは色んな所に行ってみるのが良いだろうか。

『そうね。休憩時間の間に色々ブラついてみましょう』

 方針を決めて足を動かす。いつもならこの時間は友人たちと雑談をしているが、今はこちらの方が優先事項だ。
 と、僕が教室を一歩出た瞬間、

『さすがに学校の外には出ら——』

 突然に、安立さんの声が途切れた。
 それからピタリと頭の中の思考が半分になる。

 あれ? 何も聞こえなくなった? おーい安立さーん。

 数十分前までは現状が普通だったはずなのに、声が途切れた途端、若干の不安を覚えた。このまま聞こえなくなるのではなんていうことも考えてしまう。そのせいで教室の戸の前で足を止めて、クラスメイトからは怪訝な目で見られた。
 それで我に返って行動を振り返る。教室を出た直後に声が消えたとなれば、もしかしたら教室の中限定ということなのだろうか。
 仮説を立てて教室に戻ってみれば、

『——だけってことかしら。あ、聞こえた』

 すぐに安立さんの声が再び聞けて、思わずホッとした。安立さんも同じような安堵を覚えていてなんとなく二人でむず痒い気持ちを味わう。
 どうやら教室の中だけみたいだね。

『そうね。トイレの心配もなくなったから良かったわ』

 トイレとは違うが、僕も家での自分を聞かれるのは少し恥ずかしい気がした。

『あ、それはちょっと惜しいかも。三戸くんが家で性格が違うのとか興味あるわ』

 いや別に変らないけどねっ? うんたぶん。別に家で威張ったりなんかはしていないはずだ。
 というかそういう安立さんだって、実は親に甘えん坊とかだったりして。
 それはそれで見てみたいなと想像を膨らませると、慌てたように否定が聞こえてくる。

『もう中3なんだから甘えたりはしないわよっ。……おやつ作ってとかはそういうのに入らないわよね……?』

 へぇ、おやつ作ってもらうんだ。お母さんが得意なの?

『いやお父さん。なんか昔からお菓子作りが趣味で、これがすっごく美味しいの!』

 声を大きくする安立さんに何か微笑ましくなる。
 手作りお菓子かぁ。そう言うのはあまり食べたことないなぁ。

『え、やっぱり甘えになるのかしら? 中3なのに恥ずかしいかしら!?』

 うーんそうでもない気はするけどな。普通に温かい家庭って感じだよね。僕んちはどっちかというと家の中でより外に連れて行ってもらうことが多いけど。釣りとか。

『釣り! いいわね! あたしもしてみたいのよねぇ』

 なんだかんだ僕と安立さんは感覚が合うのか、すぐに話が盛り上がってしまう。
 ところで安立さんは兄弟いるの?

『いないわよ。一人っ子。三戸くんは?』

 僕も一人っ子だよ。
 というかあれだね、僕たち結構重なる所があるね。

『確かにそうね。他にもないか探したくなっちゃうわ。ふふ、話してみないと分からないものね』

 そう言われ、こうして声が聞こえるようになったことはやはり良かったと改めて思う。

『あたしもよ。まあ、隠し事が筒抜けになっちゃうのはどうにかしたいけど』

 けど僕は、それもそれで楽しいと思っていたり。
 嘘が付けないからこそ、建前なく本音のやり取りしか出来ない。強制的に心が交わされているのだから、自然と意識的にも心が近づいたような気になる。

 なんだか、もっと幼い頃、友達と秘密を共有している時を思い出した。
 誰も知らないけれど二人だけが知っていて。目配せをすれば何のことか分かって、それだけなのにおかしくて。そうやって、無意識に感じ合える繋がりがすごく幸せだった。

 そういう感覚に、この現象は近いのかもと思う。
 勿論相手が安立さんだからと言うのもあるだろうけど。共通点がいくつもあって話が盛り上がる相手だからこそ楽しいのだ。
 そんなことを考えているとチャイムが鳴った。気づけば授業が始まる時間で、僕たちは急いで教科書の準備に向かう。
 ギリギリセーフ。と言い合って、僕たちはまた笑った。
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