100回目のキミへ。

落光ふたつ

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〖1章〗

【12話】‐3/99‐

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 ゴールデンウィークが明けた最初の登校日。
「加納」
 雅文が下駄箱の前に立つと、待ち構えていたように雉尾が現れた。
「休み中、何回か家行ったけど、メモ読んだか?」
 その声音は以前のように問い詰めるものではなく、気遣うように抑えられている。嘘偽りなく心配している様子は伝わったが、しかし問われた内容に心当たりがなかった。
 メモとは何か。彼が家を訪ねたという証拠を、雅文は一度たりとも目にしていない。
 一瞬、雉尾の言葉を疑いそうになって。そこですぐ思い当たる人物が浮かんでくる。
 きっと、同居人の仕業だ。自分のサポートをするために居座っている神の使いユーリ。雅文が見る必要はないとでも判断して、雉尾の残した置手紙を捨てたのだろう。あるいは、読んでしまえば悪影響になると危惧して。
 相変わらず信用されていない。それは雅文も同じではあったが、あの少女にだけは苛立ちめいた感情を浮かべてしまえる。
 などと考え込んでいると、雉尾はまたも無視をされたと解釈した。
「一応オレ、お前の事マジで心配してんだよ。何があったか知らねーけど、そんな風に塞ぎ込んでたら全部悪い方に行くぞ」
 歩み寄って、いつまで経っても心を開かない雅文に説教を聞かせる。
「なあ、せめてこっち見ろよ」
 彼の言葉がどんなに心へ踏み込もうとも応える訳にはいかない。突き放す言葉も持ち合わせていない雅文は、口を閉ざして靴を履き替えていた。
 とその時、

「ちょっとどいて」

 声が割って入る。その人物は雉尾の肩を掴んで強引にどかすと、雅文を前に立った。
「………」
 永見麻沙美。美桜の友人である彼女は冷え切った瞳で雅文を見下ろしている。また何か文句を言われるのだろうか。だとしても無言を貫くだけだ。
 雅文は彼女も同じく無視をしようとして、だがその瞬間、

 ——ゴスッ!

 横っ面に拳がめり込んだ。
 勢いに容赦はなく。身構えていなかった雅文はその場に尻餅をつく。
「はっ? なんっ?」
 第三者となった雉尾は声を上げて、けれど永見は構わず吐き捨てた。
「あんたも美桜に手上げたんだし、お互い様だから」
 侮蔑の視線を最後に送り、彼女は去っていく。それから少しして、呆けていた雉尾が慌てたように雅文を抱え起こそうと手を差し出した。
「大丈夫かっ? てかあれって永見だろ? なんでこんな事なってんだ」
 同じ中学出身である雉尾は永見の事も知っており、当然、美桜との関わりも把握しているだろう。つい疑問符をいくつも投げるが、相変わらず答えは返ってこず、とりあえずと雉尾は優先事項を変える。
「保健室行くぞ。結構モロで入ったろ」
「……いや、いいよ」
 雅文は雉尾が差し伸べる手を払って一人で立ち上がった。その足は若干フラつきながらも、付きまとわれまいとその場を離れていく。
「………加納、お前何したんだよ」
 遠ざかる背中を、雉尾は追いかけなかった。
 事情は知らなくとも、他人から暴力を受ける理由を持っている。それが一方的に悪い事ならば、救おうとしている自分も悪に堕ちてしまうのではないか。
 友人だからと信用出来るほど、雉尾は愚直な性質ではなかった。

◆◇◆◇◆

 まだ右頬が痛い。
 永見による殴打に手加減は一切なく、口内には血の味すら感じた。
 彼女はよほど雅文を警戒、というより忌み嫌っているようで、休憩時間に入る度、2組の教室に現れては美桜に近づけないよう睨みを利かせている。
 しかし、授業中ならその護衛もない。その事実を確認しながら、雅文は真面目に板書をする幼馴染の背中を眺めていた。
 今なら自由に動けると言っても、教師の目があるから行動に制限が付くのは変わりない。それでも早い内に数を稼がなければ手遅れにしなってしまうし、躊躇っている暇などありはしなかった。
 何より、今の美桜が雅文へ向ける感情を正す必要がある。
 将来的には彼女から手を下してくるように。もっと嫌悪を募らせ、攻撃性を孕んでくれなければ。
 それこそ永見のように。
 ……美桜は、全く怒らないという訳じゃない。
 長い間一緒にいたから、彼女の性格はある程度把握している。普段は誰にでも分け隔てなく優しいが、火を点けてしまえば衝動的になる事もあった。
 怒りを買った当時は小学生で、さすがに今も同じような沸点ではないだろうが、それでも彼女が何より嫌う事ぐらいは思いつく。

 他人が傷つく事。
 その要因が悪意でしかないほど、美桜は憤る。

 だとすれば、と雅文は案を固めた。
「……ッ!」
 引き出しの中に両手を隠して、準備をしておく。物音を立ててしまい、隣席の生徒が視線を寄せたが、彼が言葉を発する前に雅文はその場に立った。
 そして、美桜のいる席へと歩き出す。
「ん? 加納、どうした?」
 授業中に突然立ち上がる生徒に教師は眉を顰めるが、雅文が応える事はない。そもそも意識が遠のき始め、目の前以外見えていなかった。
 彼の背後を見つめる生徒たちはその異常事態にどよめいている。騒がしい教室に誰もが注目し、当然彼女も振り返った。
「何、してるの……?」
 その歩みが自分に向いていると理解して、美桜は不審感で見上げる。求めていた瞳が向いた瞬間、雅文は口角を上げた。
「美桜、見ててな?」
 そう言って雅文は、美桜の席を過ぎて足を止める。
 一つ前の席。彼の側で一般生徒がそうするように不安げな目を向けてくるのは、特徴的な銀色の髪を持つ女子生徒——向井悠里。
 彼女の顔を見て、雅文は原動力をまた膨らませた。

 ——ゴッ。

 突然、男の右拳が女子生徒の顔面を襲う。鈍い音と共に被害者は椅子から転げ落ち、近隣の生徒から順に悲鳴が上がり、それは教室中を埋め尽くした。
 殴られた少女だけが口を閉ざしている。その様に男は、特別な感情を抱いていた。
「っ!? 雅文何してんのっ!?」
 凶行を見せつけられた美桜はまなじりを吊り上げて詰め寄るが、対する男は愉快とばかりに笑みを深める。
「怒った?」

 ——パシン!

 直後に美桜が放った平手打ちは、問いかけに肯定を示してしまう。
 美桜は更に罵声を浴びせようとして、だがそれは掲げられた左手に絶句させられた。
「なに、それ……っ?」
 腕を覆いつくす赤。その源泉である手首には、手の平に収まるほどのカッターが突き刺さっていて、垂れ流す血液は床へと伝い、足跡を真紅の絨毯に変えていた。
 しかしまだ足りない。雅文は立っていられる。
 だから彼は、その左手首に刺さったままでいたカッターを抜き取って、紳士的に、飛び出る刃を持ち美桜へと差し出した。

「これ、使う?」

 噴き出した血が、穏やかな笑みを化粧する。
 教室内の誰一人、その場から動く事は出来なかった。
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