100回目のキミへ。

落光ふたつ

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〖序章〗

【6話】

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 休日の朝。
 雅文が朝食を摂っていると、向かいの席にユーリが座った。
 どうやら神の使いと言っても食事が不要という訳ではないらしく、コンビニで買ったのだろう弁当を温めもせずに食べている。
 同じ食卓にあって、二人の視線は一度も交わされない。それは雅文が一方的に無関心を装っているもので、ユーリの方は構わず言葉を投げてきた。
「これからも、やっていけそうですか?」
「……やると決めたから、やるよ」
 口重く、それでも過剰な拒絶はせず雅文は応える。
 お互いに必要最低限だけ。故にそれ以上の会話が起こる事はなく、それから二人は黙々と栄養摂取を続けていった。
 ——ピンポーン
 雅文が茶碗を空にした時、呼び鈴が鳴った。ここ数日連続で鳴らされ、聞き飽きてきた感のする音だ。
 けれどそれが彼女によるものではないと雅文は無意識に察する。1度目の記憶。埋もれていた出来事を不意に思い出し、神の使いの判断を仰ぐ前に玄関扉を開けた。

「元気してたか雅文!」

 来訪したのは、陽気に手を挙げる中年の男性。
 真っ白に染まった短髪。雅文とほぼ同じ背丈。容姿もどことなく似ていて、ただ一番似ていると言われていた目元はサングラスで隠されていた。
 その男性——加納啓二は、雅文の父だ。
 豪快な笑顔を見せるその姿に、雅文の視界は堪らず霞む。
「父、さん……っ」
「な、なんだ? そんな泣きそうな声出して。別にそんな久しぶりじゃないだろ?」
 出迎えの声に違和感を覚えて少しうろたえる父。実際、雅文は涙を流してしまっていたのだが、眼前の人物にはそれが分からない。
 加納啓二は両目を失明している。
 そうなったのは雅文が中学3年生の頃。現在通う高校に進学が決まった日の事で。雅文の体感ではもう1年経っているが、現実では1ヶ月前だ。
 未来から来た事情を当然知らない父に、雅文は慌てて涙を拭っていつも通りを心がける。
「いやごめん、何でもないんだ。父さんは、上手くやれてる?」
「あ、ああ。結構楽しくやってるぞ。周りの人も気の良い人ばかりでなぁ」
 息子が誤魔化したのを理解しながらも、加納啓二は言及せずに会話を続ける。失明してから買ったサングラスを見せびらかし、「格好良いだろ?」と自慢していた。
 彼は現在、身体的不利を受け入れるための学校に通っている。少しでも早く仕事を再開出来るよう、それに息子に迷惑をかけないようにと寄宿舎で暮らしていた。
「そっちも一人暮らしは大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
 気遣いに頷くと、父は安心したと笑う。一度はした会話を、それでも雅文は嬉しく思いながら繰り返した。
 会話は10分程度。玄関先で終わる。加納啓二の方から長居は迷惑だろうと区切りをつけ、雅文も今はユーリがいるから引き延ばさなかった。
 それじゃあと雅文が別れの挨拶を告げようとした時、加納啓二が少し口角を下げて言葉を投げてくる。
「雅文。あんまり抱え込むなよ」
 ずっと隠していた心情を見透かして、父は息子の左肩に手を置いた。
 随分と久しぶりな父の手。記憶になかったその行動に雅文は少し驚いていた。ただなぜか、加納啓二もハテナを浮かべている。
「……? んん?」
 さわさわと置いた手で肩を撫でる。
 その仕草の意味を分からずに雅文が言葉を失っていると、加納啓二は「あ」と何かに気づいた様子を見せた。
「ここ、肩か。道理で変だと思った……じゃあ、頭はこの辺か?」
 探るようにして、左肩を撫でていた手が雅文の頭へと移動する。手の平に髪の毛の感触を得ると、わしゃわしゃとかきまぜた。
「ははっ、俺が見なくなった内に大きくなったんじゃないかぁ? もっと頭は低いとこにあると思ってたぞー」
 懐かしくも感じる力の強い撫で方に、雅文は困りながらも嬉しそうに言う。
「1ヶ月じゃそんなに変わらないよ」
 父が失明する前から身長はほとんど伸びていない。事実をそのまま伝えるも、加納啓二は首を横に振った。
「いいや、俺はちゃんとお前を見てやれてなかったんだろうな。もっと小さくて、守ってやらなきゃいけない存在だって、ずっと思ってた」
 懐かしむように悔やむように、父は微笑みを浮かべる。そして見えない瞳をサングラス越しにじっと向けてきた。

「お前はもう、立派になってるんだよな。自分で選んで、何かを成し遂げられる。お前も十分、強くなっているんだ」

 そう言われて、思わず目頭が熱くなる。
 自分では自分を卑下する事ばかりで、ここ最近ではそれがより顕著だった。だけど突然投げられた褒め言葉に、どうしようもない感情が溢れてしまう。
 しばらくして父は撫でるのをやめて表情を崩す。
「そういやもう、俺と変わらない背だったか」
「……うん、父さんと変わらない背だ」
 零れてしまいそうになる涙を押し殺して雅文は応える。それに加納啓二はすこし照れ臭そうにした。
「いやな、親らしい事を言おうと思ってたんだが、やめておくか。お前の人生だし、自分で考えてみる方がいいだろうしな」
 時には励ましが毒になる事もある。加納啓二は自らの経験から悟っていて、それでも父である事だけは伝えた。
「とは言え、父さんは雅文の幸せを何よりも願ってるからな。何かあったら頼ってくれ。どんな事でも、何が何でも、どこへだって助けに行くぞっ」
 最後に少しおちゃらけた風にそう言って背を向ける。
「じゃあ、また来る」
「……うん、じゃあ」
 玄関先には学校の職員なのか付き添いの女性がいて、雅文へと一礼すると加納啓二を連れて一緒に去っていった。
 父を見送りながら雅文は撫でられた頭をそれとなく掻いて、玄関扉を閉める。
 そうして振り返ると、ダイニングからこちらを眺めているユーリが視界に映った。
「……父さんにはいつも通りでいいだろ」
 恐らくやり取りを観察されていたのだろう。途端に居心地の悪さを感じ、また忠告されるかもしれないと先回りして言う。
 しかし意外にもユーリは咎めてこなかった。
「それは仕方ないでしょう。それに、彼に出来る事はほぼありませんしね」
「じゃあ何で見てたんだよ」
「いえ、家族と言うものに興味があっただけです」
「……そうかよ」
 よく分からない回答だと雅文はそれ以上追及せず、朝食の片付けを始めていった。
 皿をシンクへと運び、スポンジを手に取って泡立てる。
「……」

 父に願われている幸せ。それは、どこにあるのだろうか。
 美桜を救い、そのために彼女に嫌われて。果たして本当に報われるというのだろうか。
 ……いや、違う。
 その先だ。
 全てを成し遂げて、自他ともに認められる自分になれたら……
 その瞬間、雅文は明確な目標を見つけ、覚悟がより強固になったのを感じた。

 それから洗った皿の水気を切って、食卓の方を振り返る。丁度ユーリが食事を終えたところで、空いた弁当の空箱をゴミ袋に押し込んでいるところだった。
 得体のしれない少女。相容れないとずっと敬遠していたけれど、それではダメだと今ではハッキリ分かる。
「……ユーリさん、これから俺はもっとどうすればいい?」
 思い改めた雅文は、こちらに気づいた視線と向き合った。
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