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心象投影

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 何を思ったのか、彼は突如として避けるのを止めた。そのまま、向かってくる彼女を受け止めて、その場で抱擁する。

「あ……あ……、私……私は……」

 そのショックで錯乱状態から戻った彼女は、己のやった事に気が付いて、茫然と立ち尽くす。彼の脇腹にはカッターの刃が深々と刺さり、血が滴り落ちていた。

「君はもう、他の誰かの『痛み』で苦しまなくたっていい。自分の『痛み』の為に泣いていいんだよ」

「鈴茅……、蒼麻さん……」

 彼の言葉は安らぎを与える不思議なものだった。安堵感から全身の力が抜けた彼女は、彼の身体にもたれかかって、泣きじゃくる。

 だが一方で、心象世界のもう一人の彼女がしつこく彼女に問い詰めてきた。

「何よ! どうして止まるのよ!!」

 暗闇の中で真っ黒な自分の形をした影が話しかけてくる。 

「ねぇ、私を受け入れてよ、真宮瑠璃。自分が傷付けられた分、誰かを傷付けてしまえば楽になれる。あなたもそう思うでしょう?」

 もう一人の自分が彼女に纏わりついてくる。だが、彼女はそれらの影を乱暴に払い除けようともがきだす。

「い、嫌よ……、私は……、本当はもう誰にも私と同じような苦しい思いなんてしてほしくない! 誰かを傷付けてしまうくらいなら、自分が痛いだけの方がまだマシよ!」

「お……、おのれ……、この小娘が……。ならば望み通り、痛めつけてくれるわ!」

 本性を現した影が、無数の手を全身から触手のように生やして彼女へと襲いかかる。

 しかしその瞬間、精神世界は眩い閃光へと包まれる。

「よく言った、真宮瑠璃くん」

 彼女が目を開けると、そこには鈴茅蒼麻の光の左腕があった。その腕は影の彼女の胸を貫いて飛び出てしまっている。

「ぐ……、な……貴様は、鈴茅蒼麻!? そんな馬鹿な!まさか、心象世界にまで入って来れるなんてッ!?」

 そのまま光の腕は、影の胸をこじ開けてしまい、中から鈴茅蒼麻が顔を出す。次第に影の彼女の全身にはヒビが入り、破片が剥がれ落ちてゆく。

「言っただろう? この腕は人の精神体に触れる事が出来るのだと」

 最後には、彼女の中に巣食っていた影も、内側からの閃光でバラバラに砕け散ってしまい、中からは鈴茅蒼麻が現れる。

「迎えに来たよ真宮瑠璃くん。どうか、君の『痛み』を僕に見せてはくれないか?」

 そのまま、彼は彼女を真っすぐに見つめ、その左腕を差し出した。

「うん……、わかった……いいわ。全部見せてあげる、私の全てを――――」

 そう言って彼女は目を閉じて、彼に身を委ねる。そして、彼の光の左手はゆっくりと彼女の胸へと伸びていき、ズブズブと中へと入っていった。

「ああ――――やっぱり、とても綺麗だね――――――、君の『痛み』の形は――――」 

 そうして彼は、彼女の胸から神々しく光る何かを取り出す。それは『剣』だった―――。流線型のラインをかたどり、紅く妖しく光る刀身。鍔の部分には小さな丸鏡が付いており、その姿はさながら聖剣といった感じだった。

「オオオオオオオオオ!! 貴様らあぁぁあああッ!!」

 心象世界の闇もいつしか晴れて、彼女たちは元の世界へと戻ってきていた。向こうには、激昂した真宮十三がこちらへ闇を纏ったまま、突っ込んでくるのが見える。

 それを確認した鈴茅蒼麻は、手にした剣を天高く掲げる。

 心象投影――――――

 『痛殻(つうかく)』解放!!

 彼が剣を思いっきり振り降ろした瞬間、たちまち闇夜の公園一帯は閃光に包まれた。剣は光へと変化し、凄まじい光の衝撃波が真宮十三へと放たれる。

「こ、こんなッ……! 光が!? ぐぅわあああぁあああああああああぁぁぁーッ!!!」

 その聖なる光は真宮十三の闇だけを吹き飛ばし、焼き尽くした。後には、気の抜けた十三だけが、大口を開け、夜空を仰いで跪いている。

「ぐ……、あ……」

「パパ!!」

 やがて、その場で十三が倒れると、呆気に取られていた真宮瑠璃は正気を取り戻し、慌てて父親へと駆け寄る。

「……すまない瑠璃……。私が悪かったんだ……、許してくれ……。すまない、すまない…………」

 意識が朦朧とした彼はうわ言のように、かつての過ちへの謝罪を繰り返す。それらを一通り繰り返すと、やがて十三は意識を失った。

「パパ!!」

「彼は無事だよ、命に別状は無い。彼に巣食っていた精神病は私が浄化させた。朝になって、目を覚ます頃には、きっと元の優しい父親に戻っている筈さ」

 そう言って、鈴茅蒼麻は彼女と十三の元へと歩いてくると、十三を器用に片手で抱きかかえて、傍のベンチへと寝かせた。いつの間にか光の左腕も消えている。どうやら、あの左腕は実体のある物には触れない代物らしい。

「まぁ、僕が彼を倒す事が出来たのは、今まで君がずっと健気に耐え続けてきた『痛み』の力があったからこそなんだけどね。あそこまで強く、美しく、そして優しさに満ちた剣と光を、僕は今まで見た事が無い」

「そうなんだ……。世界にはあなたみたいな不思議な力を持つ人間が本当にいるものなのね……。最初は疑ったりしてごめんなさい」

 父親の無事を確認して安堵した彼女は、その場にへたりこむ。

「いや、構わないさ。おかげでいいモノも見れたしね。少しだけ、僕も痛みがあった頃の感覚を思い出せたような気がするよ」

 そう言って彼はさっき投げ捨てた上着を拾って羽織ると、彼女に背を向けて歩きだす。

「さて、目的は果たしたし、もう僕はそろそろお暇するとしようかな。病院にも寄っとかないといけないしね」

「えっ……、あなたもう帰るの!? ていうか、目的ってそれだけだったの!?」

「ああ、そうだよ。僕は君の『痛み』を少し頂ければ、それで満足だったのさ」

 彼は振り返りもせずにそう答える。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 何でそんなすぐに去ろうとしちゃうのよ! 私まだお礼もできていないじゃない…………」

 彼女は慌てて、若干涙目になりながら彼を引き留める。ここでそのまま別れてしまったら、彼には二度と会えなくなってしまうように思ってのとっさの行動だった。

「あーそっか、報酬の話ね……。三万くれるの?」

「うっ……!」

 話が思わぬ方向へ飛び火して、彼女は一瞬戸惑う。そういえば、彼が最初にそんな事を言っていたのを完全に忘れていたのだ。

「いっ今は、お金は無いけど……、いずれ私が働いて返すから……」

 急に恥ずかしくなって、声も少し小さくなり、彼女は真っ赤に赤面してしまう。

 しかし、それでも彼女は、新しく出来た自分自身の『願い』の為、勇気を振り絞って彼に本当の思いを伝える。

「だっ……だから私を! どうかあなたの助手に雇ってくださいっ!!」

 こんなお願い、私を絶望の淵から救ってくれた恩人に対して、なんて図々しい望みなんだろう。

 正直、私なんかじゃ何の役にも立てないかもしれない。

 それでも、私は何でもいいから、あの人に尽くしてあげたい。

 あの人――――とても強いのに、どこか不器用で儚げなあの人を見てると――――――

 『私が支えてあげなくちゃ』って―――、どうしようもなく思っちゃうんだ―――――――。

 空はすでに白み始めていた。暁の薄明りの中、彼女は彼の顔を見上げる。

「……いいよ、一緒に行こう」

 彼は相変わらず、ぶっきらぼうに答える。けれど、朝日に照らされたその顔は、どこか照れているようにも見えた。

「うんっ!!」

 そこには、めいっぱいの笑顔で答える彼女がいた。
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