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7つの「真理の欠片」

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 松ヶ丘の丘の上にある安岡寺(あんこうじ)高校の技術室の一室にて、稽古の音が響く。そこは使われていない技術室棟の一室の机やボール盤を片付けて改造し、作られた専用の柔道場だった。

「今日は遅かったじゃないか、岩平。またなんか寄り道でもしていたのか?」

「うっせえジジイ! ちょっとした野暮用だよ。オカンか、テメーは!?」

 岩平と格闘術の個別訓練をしていたのは、物理学教師の辺理(へんり)砕十郎(さいじゅうろう)だった。とてもいい歳こいた爺さんとは思えない達人の腕捌きで、岩平の拳をことごとく弾いてゆく。

「オカンじゃない、監督役じゃ」

「あっ! あだあぁあああっ!」

 岩平が踏み込んだ瞬間、その力を全て辺理(へんり)爺さんに受け流されて岩平は床へと叩きつけられる。

「ハイ、今日の稽古終わり! 儂はそろそろ職員室へと戻る」

「くぅっ……、もう終わりかよ。勝ち逃げしやがって……」

「遅刻したお主が悪い。それに儂も、本来の物理教師としての仕事があるんでね」

 かけていたゴーグルを額に上げ、技術室の本棚に置いてある物理教科書を手に取り、帰り支度を始める辺理(へんり)爺さん。物理学をマスターしているから格闘術も強いのだとでも言いたいのだろうか? 何故こんなインテリ爺さんがこれ程までに強いのか、その経歴は今だに謎である。それは岩平がいくら聞いても教えてくれない事の一つだった。

「お主も周回遅れとはいえ、中学レベルを修了してこの安高にやっとこさ入学できたのじゃろう? 浮かれて勉学をおろそかにするではないぞ。一年生はもうすぐ最初のテストがあるのでな、儂も今日はその答案作りなんで、お主ばかりを指導してはやれん。今日のところはコイツで自習でもしてるがいい」

 そう言って、辺理(へんり)爺さんから投げられてきたのは何かカード状の物体だった。突然の行動に岩平は反応しきれず、額で受け止めてしまい、痛みが走る。

「あだっ! ……って何だコレ?」

「儂からの少し遅い入学祝いじゃ、ウチの図書館の貸し出しカードじゃよ。それで参考書を借りてきて自習するといい。お主のレベルならもうそろそろ読めるじゃろ。なんせ、初めて受けられる儂のテストじゃ。とびきりの問題用意して待っとるぞい」

「……チッ、うるせぇな……」

「もし、サボったら今晩のメシ抜きだからな」

 砕十郎はそう強引に言い捨てて、技術室を去る。どうやら家長の言う事は絶対らしい。

「ハァ……、しょうがねぇな……。その図書館とやらに行ってみっか……」

 

 口では悪態を吐きつつも、岩平はその実、あまり悪い気はしていなかった。砕十郎には過去に受けた恩義があるので嫌いでは無かったし、なんだかんだで面倒を見てくれているのも分かっている。

 それに岩平は何気に図書館へ入ったのは初めてであった。数年前に砕十郎と出会って、彼の家に居候するようになる以前は、家出した岩平に住所と言えるものは存在していなかったが為に、図書カードなんてものを作るどころか、高校に入れる可能性も有りはしなかったのである。

 ―って、なんだこのやたらとバカ広い図書館は……?

 ―この高校、、図書館だけは充実してやがんな……。

 その図書館は安岡寺高校のコの字状の中央校舎に位置していた。その面積は玄関よりも広く、一階から二階までを占拠している。岩平は物理学関連のコーナーを探して、二階の奥の本棚へと向かう。

 ―おっ、あったあった。この辺か……。

―って、どれがどれだかわかんねぇよ……。

 ようやく、目的の本棚へと辿り着いた岩平だったが、その予想以上の蔵書の多さに戸惑う。しかもそれらの背表紙にはどれも古典力学とか電磁気学とかいう訳の分からない専門用語ばかりが書かれていた。

 ―まぁ、いいか……。とりあえず、上限の十五冊までテキトーに借りとこう。その内どれかは分かりやすいヤツがあんだろ。

 検分が面倒な岩平は、中身を確かめるのを後回しにして、棚からアトランダムに十四冊の本を取り出す。最後の一冊をどれにしてしまおうかと悩んだその時、視界の端に一際目につく真っ黒な背表紙があった。

 その本は不思議な本だった。真っ黒な表紙に銀の装飾で不思議な幾何学模様がデザインされており、タイトルには『量子(りょうし)力学(りきがく)』という文字が大きく書いてある。

 ―ん……? なんだこのカッコ良さげな本は……? コイツもついでに借りとくか……。

 

 もうすっかり日も暮れ、本の貸し出し受付を済ませた岩平は、技術室の方へと戻る。放課後の技術室は誰も来ない貸し切り状態なので、自習室にピッタリなのである。入学当初から岩平はその隣の技術準備室を自分の部屋みたいに活用していた。

「―――って、全然わからーんッ!!」

 しばらく頑張って物理学書の文字列をどうにか理解しようと凝視していた岩平だったが、ついに投げ出して叫んでしまう。

 ―あんのウソつきジジイめ……。どの本もまるで訳が分からねーじゃねぇか……。

 ―しかもなんだ、最後のこの黒い本にいたっては全部、英語で書かれてるじゃねーか! こんなもん読めるワケがねーだろう!!

 ―そう思って、なんとなく黒い本のページをパラパラとめくっていたその時、岩平はおかしなページを見つける。何故かそのページだけが僅かに発光していたのだ。

 ―あれ……? なんだこのページ……。

 ―しかもこの光、なんかだんだん強くなってきてねーか…………?

 それどころか、次第に本自体が光を持ち始めて、その眩しさで岩平は目を開けていられなくなる。

 やがて、部屋の全てが激しい光で真っ白になると、岩平はその場で意識を失った。

 

 「あれ……? ここはどこ……?」

 岩平が目を覚ますとそこはだだっ広くて白い空間だった。見渡す限りの向こうには果てしない地平線が続いており、とてもさっきの狭い部屋とは思えない。

「よう坊主」

 唐突にどこからか声がした。慌てて岩平は振り返ってみるが、そこには誰もいない。

「違う、下だ、下」

 言われた通り、岩平が足元を見るとそこには、さっきの黒い本があった。その声の主は本だったのだ。

「喜べ、坊主。君は7人目の演算者(オペレーター)に選ばれたのだよ」

「……本が喋った?」

「あー、違う違う。この本はあくまで端末だ。私自身は別の所にいる」

 あっけらかんとした口調で答える本。しかし、岩平は思い出せないが、この本の声を遠い昔のどこかで聴いたことがあるような気がしていた。

「どうだい? 『あの日』を生き抜いた気分は――――?楽しそーに日常を謳歌しちゃってまぁ―――」

 その言葉を聞いて岩平の脳髄に稲妻が走る。岩平にとって『あの日』とは、十年前に岩平から両親や家の全てを根こそぎ奪い去った、あの大災害に他ならなかった。そして、その声に唯一心当たりがあったのも、あの時、爆心地の中央に蹂躙するように立っていた『神』らしき者だけである。

「まさか、てめぇは……!? あの時の『神』―――!?」

「ククク、『神』か……。まぁ、合ってるっちゃ、合ってるな」

 動揺して愕然とした岩平の問いかけに、冷笑するような声で答える黒い本。

「人々はその『特異点』を、『宇宙の始まり』と呼んだ――。

はたまたは『ビッグバン』、はたまたは『真理』、はたまたは『神の御業』―――――」

「なっ! なんだとテメェ!?」

「そう私は―――『万物理論』だよ―――――――――。この宇宙の全ての法則を統べる方程式、それが私だ―――」

「や、やっぱり、あの日の隕石はてめぇが落としたもんなのか!? 答えろ神!!」

 岩平は黒い本へと掴みかかって問いかける。

「まぁ待て坊主、話を聞け。もっとも、この本を破ったところで無駄だがね。この本は『真理の欠片』でしかないからな」

 それを聞いた岩平は仕方なく本から手を離す。すると、本はフワリと浮いて、岩平へと向かい合ってきた。

「……ただ、この私も年期が入ってきてね。増大し続ける宇宙の情報量に、物理演算(シミュレート)の為のメモリが足りなくなって

きたのさ。そこで今の宇宙は消去(デリート)される事となった。新たな物理法則で新しく計算効率のいい宇宙を始める為にね」

「んなッ!?」

 黒い本の言っている理由は岩平にはよく分からなかったが、あっさりと宇宙を消去するという台詞に岩平は驚愕する。

「だから、その新たな法則を決める神の後継者が必要となったのだよ。

 ―――その為に行われるのが『真理論争(しんりろんそう)』だ――――。 

 あらゆる時代の人類の英知を集め、『真理の欠片』を奪い合って殺し合い、最初に万物理論へと辿り着いた者のみが、『神の後継者』へとなれる戦いだ」

 そう言うと、黒い本は何を思ったのか、突然七つの本へと分身した。本はそれぞれ配色が違っており、青赤茶黄緑白とまるで虹のようである。また、それら一つ一つは違うタイトルが書かれていた。

 「その奪い合う『真理の欠片』はこの黒い本、『量子力学(クオンタム)』を含めて7冊ある! 『熱力学(サーモ)』・『統計力学(スタティスティクス)』・『古典力学(クラシック)』・『電磁気学(エレクトロ)』・『相対性理論(リレイティブ)』・『素粒子論(エレメンタル)』・『量子力学(クオンタム)』。その7つの真理を記した物理学書を全て集めた者が次の『神』へなれるという訳だ。さらには、この戦いでは、それぞれの分野(カテゴリー)に名を残し、『万物理論』に記録された物理学者(フィジシャン)が演算者(オペレーター)の元へと物理演算(シミュレート)される。教師として、教えを請うのもよし、指示を出して戦ってもらうのもよし。己が戦略で使いこなすがいい!」

 一気に非現実めいた説明された岩平は、混乱して何もかも訳がわからなくなりそうになる。

「これで、説明は以上だ。君達の奮戦に期待する」

 言うだけ言い捨てて、7つの本たちはどこかへ去ろうとする。それを見た岩平は慌てて、さっきの黒い本を掴んで呼び止めた。

「オイ待てよ、神とやら! こっちの質問はまだ終わってねぇぞ! お前なんで、あの日あの時、爆心地にいた!?まさかあの隕石は本当にお前の仕業なのか!?」

「さぁな、知りたければ勝ち進むことだ。それに君もこの地平線世界から目覚めなければ、まずいのではないかね?もう既に、『真理論争』は始まっているんだよ」

「なっ……!? それってどういう……!?」

 岩平が言い終わるより先に、既に視界は揺らぎ始めていた。身体の平衡感覚が保てなくなり、また辺りは光に包まれて、本の姿も見えなくなってしまった。
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