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第5話
交渉決裂・2
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その後。二人は酒場の前に馬車を停めた。酒場の前にはドミニクの家の馬車とは比べるまでもないが、それなりに立派なサイズの馬車が停められており、一目でそれが『白き獅子の団』の団長レオナルド・ベン・ルチアーノの物だとわかった。彼はここにいる。
それを確認した二人が酒場に入った時、普段よりも多くの冒険者で店はごった返していた。恐らくは半数以上が白き獅子の団の団員であろう。
パトリシアはいつもよりもにぎわった酒場を見て「まぁっ!」と呆れた声を上げる。
昼間っから酒を飲むこれほどの数の荒くれ者共の中から一人を探すのは大変に骨が折れる。パトリシアもドミニクも「これは覚悟が必要だ」とため息をついた。
ところが、パトリシアが
「これでは、何処にイザベラがいるのかわかりませんわ。
ルチアーノ殿に口を利いてもらおうと思いましたのに・・・・」と、呟いた声を白き獅子の団のメンバーは耳ざとくきいていて、「イザベラなら奥にいるぜ。団長と一緒にいる。」と、教えてくれた。
パトリシアは人目を惹きつける美人であるだけでなく、その出自も含めて冒険者で知らぬ者がいないほどの有名人であったので多くの者が親切にしてくれるのだ。
「ありがとう!」
パトリシアは荒くれ者に礼を言うとイザベラを探して酒場の奥へと入っていった。
可憐なパトリシアが荒くれ者でごった返す酒場を歩く。その姿は狼の群れを子羊が歩くようなものである。
これまでは貴族の娘として誰もが触れもしない存在だが、既に多くの冒険者が貴族から落ちた噂を聞きつけており、パトリシアは無防備な状況である。いつその美貌に目がくらんだ荒くれ者どもに言い寄られてもおかしくはない。
ただ一つ問題があるとすれば、彼女の後ろを百獣の王の覇気を放つ大男が付いて歩いていることだけだ。
冒険者は危険を察知する能力が高い。ドミニクが冒険者を離れて久しく、その姿を知らぬ世代の者も酒場には多かったが、その強者の迫力は冒険者たちをすくみ上らせるのだった。
誰もパトリシアに近づけず、誰もが彼女に道を譲った。
その姿は現実には子羊などではなく無人の荒野を歩く戦女神の如き姿だったのである。
そうして、パトリシアは苦も無くイザベラの前に立つことができた。
酒場の一番奥の一番大きな席にイザベラは一人で座っていた。大胆に胸元をはだけさせ下着がむき出しになった姿でソファーに背もたれて上機嫌で酒を飲んでいた。
レオナルドは席を外しているようだが、そのあられもない姿から、どうやら色仕掛けの交渉が功を奏している最中なのだろう。
パトリシアがイザベラの前に立った時、パトリシアの影が視線に入り、イザベラは誰か来たのかしら?と思って視線をパトリシアの方へ向けた。
「イザベラっ!」
「パ、パトリシアっ?・・・・」
二人が顔を見合わせた時、パトリシアは嬉しそうに声を上げ、イザベラは気まずそうに上着を着ると顔をそむけた。
イザベラに顔を背けられてしまってはパトリシアにとって話しかけにくい状況である。しかし、そんなパトリシアの背中をポンッとドミニクが押してやるとパトリシアは勇気を取り戻し、イザベラに話しかけた。
「イザベラっ! あの・・・・アマンダから聞いたわ。」
「・・・・っ、あの女。黙っててって言ったのにっ!」
イザベラはアマンダの名を聞いて不愉快そうに、そしてパトリシアが自分を見つけた理由を悟った。
そして、パトリシアとドミニクをアーモンド形大きな目でジロッと睨みつけると「・・・で?」と用件を伺う。
「イザベラ・・・。実は今日は、あなたにレオナルド・ベン・ルチアーノ殿を紹介していただこうと思ってきたの。」
「えっ? れ、レオっ!?
なんで? 私を責めに来たんじゃないの?」
予想外の人物の名前が出てきたのでイザベラはビックリして話を聞く体勢になった。パトリシアはここぞとばかりにイザベラに内容を話して聞かせると、イザベラは何度も頷きながら納得した。
「なるほどねぇ・・・・あなた、只者じゃないとは思っていたけれど凄い事を思いつくのね。
わかったわ。私がどれほど口利きできるかわからないけれど、話してあげる。確かにアマンダの言う通り今、王都でレオほど話の分かる兵団の頭はいないわ。
ちょうど、彼と話をしていたのよ。なんだか仲間の人が来て、今、裏で話をしているみたいだから、ちょっと待ってて。」
イザベラは何のわだかまりもなかったかのように協力を申し出てくれた。アマンダの言う通りであった。
そうして、そんな二人の会話が丁度終わるタイミングでレオナルドは戻ってきた。
腰に見事な大剣と太い鉄鎖を下げたまま巨体を揺らしてパトリシアとイザベラの前に歩いてきた。そしてレオナルドは彼女の衣服が整っているのを見て「折角話がまとまった祝いで可愛がってやろうかと思っていたのに」と、残念そうに呟くと、ジロリとパトリシアとドミニクの二人を見た。
「なんだ? パトリシア嬢と・・・・そのボディガードか?」
レオナルドはドミニクを見て、心の奥では(只者じゃない。それにどこかで見た顔だ。)と、思いつつも敢えて的外れな質問をして答えを引き出そうとした。
しかし、ドミニクの方はそんなレオナルドの企みなどお見通しであった。
「私のことなどどうでもよい。聞くな、下郎。
それよりもこちらのご婦人が貴様に話がある。聞く気はあるか?」
と、つれない返事をした。あまりに不遜な態度にレオナルドは「それが人にものを頼む態度か?」と、憤るものの、イザベラに引き留められてしまう。
「レオ。パトリシアがアナタに話があるらしいの。
なんでも迷宮に女性用トイレを作りたいんだって。」
「はぁっ!?」
イザベラに話しかけられたレオナルドは突拍子もない話に大げさに顔を歪めて呆れた。
それはそうだろう。そのような話はレオナルドにとっては何のメリットもない。それに工事の規模の大きさを考えれば、荒唐無稽な話にも思えた。だから「呆れたお姫様だなっ!」と鼻で笑い飛ばし、パトリシアを指差して説教を始める。
「いいかい? あんた何もわかってねぇよ。
俺がそんな仕事に協力して何の得になるよ。資金、安全面。とても実現可能とは思えないね。
それどころか俺が手伝った場合は逆に俺まで背負うリスクは計り知れない。
目に浮かぶようだぜ。”レオナルドは金勘定が出来ないバカ野郎だ。”って、町の連中に噂されるのが。そうなりゃ俺の貫目が下がるってもんだ。(※貫目が下がる。極道用語で価値が落ちるという意味。)
あんたは足りねぇ頭で下らねぇ夢みたいなこといってねぇで身の丈に合ったことしてろ。
つまり、いい年して意地を張っていないでさっさと実家にかえって頭下げて、どこぞの貴族のおっさんの嫁にでもなってろってことだ。それが世間知らずのお姫様であるあんたの限界だし、あんたの為だよ。」
レオナルドの言い分は特に珍しい事ではない。実際、貴族の家に生まれた女性は皆、そのように人生を送る。それでも何不自由ない生活が保障される。食べるのも必死なものが多い時代に貴族のお姫様のままでいられるというの本当に夢のような生活であった。言葉は悪くてもパトリシアの人生としてはそれが幸せだと考えるのは当然の事だった。
しかし、「言葉は悪くても」の「言葉は悪い」という部分が許せない人物がいた。
イザベラだった。
彼女は何も言う前にレオナルドの頬を強く引っ叩いた。
「いいかげんにしなさいよっ!!
パトリシアをバカにしないでっ!! パトリシアは凄いのよっ!!
前衛に出たら男にだって負けないんだからっ!!
それに女がこんな大事業に手を出そうって言うのがどれほど覚悟がいるかわからないのっ!?
あなたこそ、なにもわかっていないわっ!!」
「・・・・てめぇ・・・・」
不意を突かれたとはいえ大衆の面前で女の平手打ちを食らってしまったレオナルドは大恥をかかされたと思って一気に逆上してしまった。髪が逆立つほど殺気満ちた形相でレオナルドは立ち上がると拳を握り締める。
「ちょ・・・・ちょっと、まってよ。ねぇっ・・・
ねぇったらぁっ!!」
その姿に恐怖したイザベラは、子供のような声を上げて怯えた。しかし、それで収まるわけがない。収められるわけがない。レオナルドは男のメンツをつぶされたのだ。報復をしなければメンツを失うのだ。
レオナルドとて、イザベラの美貌にほれ込み言い寄っていたくらいだから、手を上げることに戸惑いがないわけがない。しかし、そうしなければ収拾がつかないのだった。
だから、その大きな拳を天井高く振り上げた。
その瞬間だった。ファサッっと、レオナルドの顔に手袋が投げつけられた。
誰もが息を呑む瞬間だった。手袋を投げたのはパトリシア。レオナルドのメンツに傷をつけたのは、またしても女だったのだ。
「決闘ですっ!! 私の親友に手を上げるというのならば、絶対に許しませんっ!!
どうしてもやるというのなら私を倒してからにしなさいっ!!」
パトリシアの決闘の口上は述べられた。あとはレオナルドが投げつけられて床に落ちた手袋を拾うだけで決闘は成立する。当然、メンツにかかわる問題であるのでレオナルドがこれを受けないわけにはいかない。いや、受けないわけにはいかないどころか、女性に舐められ続けたレオナルドの感情は怒髪天を衝く状況に達し、迷うことなく手袋を拾おうとした。
だが、その手が手袋に触れる寸前にイザベラが身を捨ててその手袋を拾い上げる。
「まってっ!! ダメよっ!! こんなの駄目っ!!
二人ともやめてっ!
パトリシア、謝ってっ!! いくらあなたが強くてもレオナルドは王都最大規模の兵団の団長なのよっ!!
殺されるだけだわっ!!」
イザベラの必死の願いにレオナルドは興ざめした表情で彼女の腕を掴んでその手袋を奪い取ると、彼女の額に自分の額をこすりつけるようにして脅した。
「この女は殺す。その後はお前だ。
お前は殺さねぇが、ただで済むと思うなよ。」
「ひっっ!!!」
イザベラが悲鳴を上げた瞬間だった。その頭を冷やすかのようにパトリシアがレオナルドの頭にバケツの水をかけた。
「お黙りなさいっ!! そんな口は私に勝ってから言いなさいっ!!
アナタの相手は私だと忘れたのですかっ!!」
パトリシアはそう言うとバケツを床に捨てた。バケツが床にぶつかってガンっという音がしたかと思うとカラカラ音を立てて回った。
その乾いた音が静まり返った酒場に響き渡った。誰もが声も出せなかった。
信じられないものを見たからだ。王都最大規模の兵団の団長に女騎士が決闘を挑む。さらにその頭にバケツの水をぶっかける。もはや血を見ねば収まりがつかない事態だった。
「・・・・・上等だっ!! 殺してやるっ!!」
とうとう逆上したレオナルドは自制できずにイザベラを片手で投げ飛ばすと腰の大剣を抜き取って戦闘態勢をとる。
「きゃあああああっ!!」
悲鳴を上げて宙を舞うイザベラだったが、彼女が床に叩きつけられることはなかった。ドミニクが素早く彼女の体をキャッチしたからだ。
「大丈夫かい?」
「あ・・・・あなた・・・。
いや、私よりも二人を止めてっ!! パトリシアが死んじゃうっ!!」
イザベラは自分よりもパトリシアを心配した。だが、ドミニクはパトリシアを観察しながら「さぁ、どうかな?」と呟くだけで決して止めようとしなかった。
それどころか比較的落ち着いた目で二人の戦いを見ていた。
パトリシアとレオナルドの決闘が始まると冒険者たちは巻き込まれないためにその場のテーブルや椅子を一斉に運んで距離を取った。剣を取って向かい合う二人を中心に空きスペースが生まれ、さながら競技場のような空間ができた。
そして、その空間を生かすようにパトリシアは半歩下がってレオナルドの大剣の間合いから離れた。
ただそれだけのことで二人の間には大きな緊張感が生まれた。
パトリシアとレオナルド。両者が手にした剣は長さがほぼ同等のロングソードであるが、肉厚と幅が大きく事なる。女性のパトリシアにはレオナルドのような大剣は振り回せない。それ故、細身の薄い剣である。しかし、その剣の軽さは速度を産む。瞬発力は圧倒的な男女差があるが、パトリシアは武器を軽くすることで速度を手にした。いくら細身の剣でも剣は剣。肌に触れれば容赦なく切れるし、血は止まらない。その上、あわよくば交渉の後でイザベラをウマウマと頂く予定だったレオナルドは軽装であった。肌の露出部が多いレオナルドと甲冑姿のパトリシア。
二人は装備の上でパトリシアの方が有利であった。
さらにパトリシアが巧妙に作った距離もレオナルドには不利である。二人はあと一歩でお互いの剣が届く距離であるが、一歩踏み込まねば切れない距離である。
つまり、先に深く踏み込んだ方が狙い撃ちされやすいという距離。防御面に不安が多いレオナルドはおいそれと踏み込んで切り込めない。
パトリシアはレオナルドのそんな心理を見抜いて剣を手前に引くと自分の眼前につき立てるようにして構え直す。
自分の体の中心線以外の守りを一切捨てた、隙だらけの構えを見せることで「こいっ!」と、誘っているのだ。
レオナルドは、この誘いを見て逆上する。
パトリシアとの距離を一足飛びに距離を詰めながら、胴を切り飛ばすような横なぎにしながら襲い掛かってきた。
それを確認した二人が酒場に入った時、普段よりも多くの冒険者で店はごった返していた。恐らくは半数以上が白き獅子の団の団員であろう。
パトリシアはいつもよりもにぎわった酒場を見て「まぁっ!」と呆れた声を上げる。
昼間っから酒を飲むこれほどの数の荒くれ者共の中から一人を探すのは大変に骨が折れる。パトリシアもドミニクも「これは覚悟が必要だ」とため息をついた。
ところが、パトリシアが
「これでは、何処にイザベラがいるのかわかりませんわ。
ルチアーノ殿に口を利いてもらおうと思いましたのに・・・・」と、呟いた声を白き獅子の団のメンバーは耳ざとくきいていて、「イザベラなら奥にいるぜ。団長と一緒にいる。」と、教えてくれた。
パトリシアは人目を惹きつける美人であるだけでなく、その出自も含めて冒険者で知らぬ者がいないほどの有名人であったので多くの者が親切にしてくれるのだ。
「ありがとう!」
パトリシアは荒くれ者に礼を言うとイザベラを探して酒場の奥へと入っていった。
可憐なパトリシアが荒くれ者でごった返す酒場を歩く。その姿は狼の群れを子羊が歩くようなものである。
これまでは貴族の娘として誰もが触れもしない存在だが、既に多くの冒険者が貴族から落ちた噂を聞きつけており、パトリシアは無防備な状況である。いつその美貌に目がくらんだ荒くれ者どもに言い寄られてもおかしくはない。
ただ一つ問題があるとすれば、彼女の後ろを百獣の王の覇気を放つ大男が付いて歩いていることだけだ。
冒険者は危険を察知する能力が高い。ドミニクが冒険者を離れて久しく、その姿を知らぬ世代の者も酒場には多かったが、その強者の迫力は冒険者たちをすくみ上らせるのだった。
誰もパトリシアに近づけず、誰もが彼女に道を譲った。
その姿は現実には子羊などではなく無人の荒野を歩く戦女神の如き姿だったのである。
そうして、パトリシアは苦も無くイザベラの前に立つことができた。
酒場の一番奥の一番大きな席にイザベラは一人で座っていた。大胆に胸元をはだけさせ下着がむき出しになった姿でソファーに背もたれて上機嫌で酒を飲んでいた。
レオナルドは席を外しているようだが、そのあられもない姿から、どうやら色仕掛けの交渉が功を奏している最中なのだろう。
パトリシアがイザベラの前に立った時、パトリシアの影が視線に入り、イザベラは誰か来たのかしら?と思って視線をパトリシアの方へ向けた。
「イザベラっ!」
「パ、パトリシアっ?・・・・」
二人が顔を見合わせた時、パトリシアは嬉しそうに声を上げ、イザベラは気まずそうに上着を着ると顔をそむけた。
イザベラに顔を背けられてしまってはパトリシアにとって話しかけにくい状況である。しかし、そんなパトリシアの背中をポンッとドミニクが押してやるとパトリシアは勇気を取り戻し、イザベラに話しかけた。
「イザベラっ! あの・・・・アマンダから聞いたわ。」
「・・・・っ、あの女。黙っててって言ったのにっ!」
イザベラはアマンダの名を聞いて不愉快そうに、そしてパトリシアが自分を見つけた理由を悟った。
そして、パトリシアとドミニクをアーモンド形大きな目でジロッと睨みつけると「・・・で?」と用件を伺う。
「イザベラ・・・。実は今日は、あなたにレオナルド・ベン・ルチアーノ殿を紹介していただこうと思ってきたの。」
「えっ? れ、レオっ!?
なんで? 私を責めに来たんじゃないの?」
予想外の人物の名前が出てきたのでイザベラはビックリして話を聞く体勢になった。パトリシアはここぞとばかりにイザベラに内容を話して聞かせると、イザベラは何度も頷きながら納得した。
「なるほどねぇ・・・・あなた、只者じゃないとは思っていたけれど凄い事を思いつくのね。
わかったわ。私がどれほど口利きできるかわからないけれど、話してあげる。確かにアマンダの言う通り今、王都でレオほど話の分かる兵団の頭はいないわ。
ちょうど、彼と話をしていたのよ。なんだか仲間の人が来て、今、裏で話をしているみたいだから、ちょっと待ってて。」
イザベラは何のわだかまりもなかったかのように協力を申し出てくれた。アマンダの言う通りであった。
そうして、そんな二人の会話が丁度終わるタイミングでレオナルドは戻ってきた。
腰に見事な大剣と太い鉄鎖を下げたまま巨体を揺らしてパトリシアとイザベラの前に歩いてきた。そしてレオナルドは彼女の衣服が整っているのを見て「折角話がまとまった祝いで可愛がってやろうかと思っていたのに」と、残念そうに呟くと、ジロリとパトリシアとドミニクの二人を見た。
「なんだ? パトリシア嬢と・・・・そのボディガードか?」
レオナルドはドミニクを見て、心の奥では(只者じゃない。それにどこかで見た顔だ。)と、思いつつも敢えて的外れな質問をして答えを引き出そうとした。
しかし、ドミニクの方はそんなレオナルドの企みなどお見通しであった。
「私のことなどどうでもよい。聞くな、下郎。
それよりもこちらのご婦人が貴様に話がある。聞く気はあるか?」
と、つれない返事をした。あまりに不遜な態度にレオナルドは「それが人にものを頼む態度か?」と、憤るものの、イザベラに引き留められてしまう。
「レオ。パトリシアがアナタに話があるらしいの。
なんでも迷宮に女性用トイレを作りたいんだって。」
「はぁっ!?」
イザベラに話しかけられたレオナルドは突拍子もない話に大げさに顔を歪めて呆れた。
それはそうだろう。そのような話はレオナルドにとっては何のメリットもない。それに工事の規模の大きさを考えれば、荒唐無稽な話にも思えた。だから「呆れたお姫様だなっ!」と鼻で笑い飛ばし、パトリシアを指差して説教を始める。
「いいかい? あんた何もわかってねぇよ。
俺がそんな仕事に協力して何の得になるよ。資金、安全面。とても実現可能とは思えないね。
それどころか俺が手伝った場合は逆に俺まで背負うリスクは計り知れない。
目に浮かぶようだぜ。”レオナルドは金勘定が出来ないバカ野郎だ。”って、町の連中に噂されるのが。そうなりゃ俺の貫目が下がるってもんだ。(※貫目が下がる。極道用語で価値が落ちるという意味。)
あんたは足りねぇ頭で下らねぇ夢みたいなこといってねぇで身の丈に合ったことしてろ。
つまり、いい年して意地を張っていないでさっさと実家にかえって頭下げて、どこぞの貴族のおっさんの嫁にでもなってろってことだ。それが世間知らずのお姫様であるあんたの限界だし、あんたの為だよ。」
レオナルドの言い分は特に珍しい事ではない。実際、貴族の家に生まれた女性は皆、そのように人生を送る。それでも何不自由ない生活が保障される。食べるのも必死なものが多い時代に貴族のお姫様のままでいられるというの本当に夢のような生活であった。言葉は悪くてもパトリシアの人生としてはそれが幸せだと考えるのは当然の事だった。
しかし、「言葉は悪くても」の「言葉は悪い」という部分が許せない人物がいた。
イザベラだった。
彼女は何も言う前にレオナルドの頬を強く引っ叩いた。
「いいかげんにしなさいよっ!!
パトリシアをバカにしないでっ!! パトリシアは凄いのよっ!!
前衛に出たら男にだって負けないんだからっ!!
それに女がこんな大事業に手を出そうって言うのがどれほど覚悟がいるかわからないのっ!?
あなたこそ、なにもわかっていないわっ!!」
「・・・・てめぇ・・・・」
不意を突かれたとはいえ大衆の面前で女の平手打ちを食らってしまったレオナルドは大恥をかかされたと思って一気に逆上してしまった。髪が逆立つほど殺気満ちた形相でレオナルドは立ち上がると拳を握り締める。
「ちょ・・・・ちょっと、まってよ。ねぇっ・・・
ねぇったらぁっ!!」
その姿に恐怖したイザベラは、子供のような声を上げて怯えた。しかし、それで収まるわけがない。収められるわけがない。レオナルドは男のメンツをつぶされたのだ。報復をしなければメンツを失うのだ。
レオナルドとて、イザベラの美貌にほれ込み言い寄っていたくらいだから、手を上げることに戸惑いがないわけがない。しかし、そうしなければ収拾がつかないのだった。
だから、その大きな拳を天井高く振り上げた。
その瞬間だった。ファサッっと、レオナルドの顔に手袋が投げつけられた。
誰もが息を呑む瞬間だった。手袋を投げたのはパトリシア。レオナルドのメンツに傷をつけたのは、またしても女だったのだ。
「決闘ですっ!! 私の親友に手を上げるというのならば、絶対に許しませんっ!!
どうしてもやるというのなら私を倒してからにしなさいっ!!」
パトリシアの決闘の口上は述べられた。あとはレオナルドが投げつけられて床に落ちた手袋を拾うだけで決闘は成立する。当然、メンツにかかわる問題であるのでレオナルドがこれを受けないわけにはいかない。いや、受けないわけにはいかないどころか、女性に舐められ続けたレオナルドの感情は怒髪天を衝く状況に達し、迷うことなく手袋を拾おうとした。
だが、その手が手袋に触れる寸前にイザベラが身を捨ててその手袋を拾い上げる。
「まってっ!! ダメよっ!! こんなの駄目っ!!
二人ともやめてっ!
パトリシア、謝ってっ!! いくらあなたが強くてもレオナルドは王都最大規模の兵団の団長なのよっ!!
殺されるだけだわっ!!」
イザベラの必死の願いにレオナルドは興ざめした表情で彼女の腕を掴んでその手袋を奪い取ると、彼女の額に自分の額をこすりつけるようにして脅した。
「この女は殺す。その後はお前だ。
お前は殺さねぇが、ただで済むと思うなよ。」
「ひっっ!!!」
イザベラが悲鳴を上げた瞬間だった。その頭を冷やすかのようにパトリシアがレオナルドの頭にバケツの水をかけた。
「お黙りなさいっ!! そんな口は私に勝ってから言いなさいっ!!
アナタの相手は私だと忘れたのですかっ!!」
パトリシアはそう言うとバケツを床に捨てた。バケツが床にぶつかってガンっという音がしたかと思うとカラカラ音を立てて回った。
その乾いた音が静まり返った酒場に響き渡った。誰もが声も出せなかった。
信じられないものを見たからだ。王都最大規模の兵団の団長に女騎士が決闘を挑む。さらにその頭にバケツの水をぶっかける。もはや血を見ねば収まりがつかない事態だった。
「・・・・・上等だっ!! 殺してやるっ!!」
とうとう逆上したレオナルドは自制できずにイザベラを片手で投げ飛ばすと腰の大剣を抜き取って戦闘態勢をとる。
「きゃあああああっ!!」
悲鳴を上げて宙を舞うイザベラだったが、彼女が床に叩きつけられることはなかった。ドミニクが素早く彼女の体をキャッチしたからだ。
「大丈夫かい?」
「あ・・・・あなた・・・。
いや、私よりも二人を止めてっ!! パトリシアが死んじゃうっ!!」
イザベラは自分よりもパトリシアを心配した。だが、ドミニクはパトリシアを観察しながら「さぁ、どうかな?」と呟くだけで決して止めようとしなかった。
それどころか比較的落ち着いた目で二人の戦いを見ていた。
パトリシアとレオナルドの決闘が始まると冒険者たちは巻き込まれないためにその場のテーブルや椅子を一斉に運んで距離を取った。剣を取って向かい合う二人を中心に空きスペースが生まれ、さながら競技場のような空間ができた。
そして、その空間を生かすようにパトリシアは半歩下がってレオナルドの大剣の間合いから離れた。
ただそれだけのことで二人の間には大きな緊張感が生まれた。
パトリシアとレオナルド。両者が手にした剣は長さがほぼ同等のロングソードであるが、肉厚と幅が大きく事なる。女性のパトリシアにはレオナルドのような大剣は振り回せない。それ故、細身の薄い剣である。しかし、その剣の軽さは速度を産む。瞬発力は圧倒的な男女差があるが、パトリシアは武器を軽くすることで速度を手にした。いくら細身の剣でも剣は剣。肌に触れれば容赦なく切れるし、血は止まらない。その上、あわよくば交渉の後でイザベラをウマウマと頂く予定だったレオナルドは軽装であった。肌の露出部が多いレオナルドと甲冑姿のパトリシア。
二人は装備の上でパトリシアの方が有利であった。
さらにパトリシアが巧妙に作った距離もレオナルドには不利である。二人はあと一歩でお互いの剣が届く距離であるが、一歩踏み込まねば切れない距離である。
つまり、先に深く踏み込んだ方が狙い撃ちされやすいという距離。防御面に不安が多いレオナルドはおいそれと踏み込んで切り込めない。
パトリシアはレオナルドのそんな心理を見抜いて剣を手前に引くと自分の眼前につき立てるようにして構え直す。
自分の体の中心線以外の守りを一切捨てた、隙だらけの構えを見せることで「こいっ!」と、誘っているのだ。
レオナルドは、この誘いを見て逆上する。
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彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆

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