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第4話
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マリアとセバスティアンに呆れた目で見られている事にも気が付かぬままパトリシアとドミニクは、気持ちを新たに再び不可侵条約を締結させたのち、ご機嫌な朝食をとった。
温かいスープに目玉焼き。ソーセージ。柔らかいパンにマーマレード。
現代の日本では当たり前の朝食だが、この世界では朝から卵や肉を食べられるのは貴族だけである。そして二人はそんな贅沢さえも日常な上流階級の存在だった。
朝食を優雅に食べてから、ドミニクはパトリシアを散歩に誘うのだった。
「パトリシア。食後の腹ごなしに散歩でもどうかな?」
「ええ。喜んでっ!」
パトリシアが快諾するとドミニクは席を立ち、彼女と手を繋いで食堂を出て行った。
「・・・・いいなぁ・・・。」
二人の背中を見送りながらマリアがそっと呟いた。
その時のマリアの瞳は乙女の色を放っていた。
ドミニクの事が愛おしい。でも、パトリシアも大切。そんなマリアにとって二人の関係はまぶしすぎたのだ。近寄れば焼き尽くされる太陽のように、二人のそばで二人の仲睦まじい姿を目にすることはマリアの心の毒であった。
両性具有。半妖精。そんな境遇を持つマリアがドミニクへの恋心を諦めることは自然のことかもしれない。しかし、それと同じように簡単に恋心が消えてなくならないことも自然の事なのだ。
マリアはパトリシアが幸せになることを望みながら、心の奥底でドミニクの妻になりたいという欲望に薄い胸を焦がしていたのだった。
(・・・・・なんと哀れで健気な・・・・・)
我が娘の事だからこそ、マリアのそんな姿を見るセバスティアンの胸の内は辛いものとなる。
恐らくマリアがどんな手段に出ようがドミニクがパトリシア以外の女性に心変わりをすることなどありえないのだ。その答えがわかっているが故にセバスティアンはマリアに気休めを言ったり、夢を見させるようなことは言えなかった。彼に出来ることはただ一つ。メイドもしくは執事として最高の技術を仕込んでやることだけだった・・・・。
「マリア。お二人は散歩の後にパトリシア様が提案なされた水道業者との打ち合わせに行かれる。
お前はパトリシア様の御召物の準備をしなさい。それからお二人の馬車、護衛の者達の手配。お前に全て任せる。手抜かりのないようにな。
私は家の事をしなくてはいけないからね。」
セバスティアンはマリアの茶栗色の髪を撫でまわすとそれだけ指示してから食堂を出て行った。
(こういう時は体を動かしたほうが楽になる・・・・。)
それが様々な理由のために恋を諦めなくてはいけない我が娘にかけてあげられる愛情であった。その気持ちをマリアはある程度理解していたので、文句も言わずに自分の仕事をするのだった。
しかし、ここでマリアに大きな試練が訪れる。
なんとパトリシアが自分が用意した外出用の洋服を断わったのだ。
「本日の私は元貴族の娘としてではなく、一人の冒険者として水道業者との打ち合わせに行きたいと思うの。
特に鎧は今回、仲間たちのアドバイスを受けて新調したばかりのものなの。ドミニクもまだ見たことがないはずよ。彼に見せてその感想も聞きたいわ。
だから、マリア。私の荷物の中から甲冑を出して用意して。」
マリアは大いに狼狽えた。
何故なら、いくらなんでも国で一番大きな水道業者に鎧を着ていくなんて思いもよらなかったからだ。
「あの・・・・パトリシア様?
水道業者との話し合いに鎧姿がいくらなんでも不自然ではありませんか?」
マリアがそう言うとパトリシアはクスッと笑った。
「ふふふ、マリア。
貴女はなんだかんだ言ってセバスティアンに私以上の箱入り娘に育てられたからわからないでしょうけど、冒険者にとっては不思議なことでも何でもないことよ。
それどころか、身なりは人を現す物。冒険者装束は言ってみれば身分証とセットみたいなものよ。」
「・・・・むっ。」
マリアはパトリシアに箱入り娘と言われて少しムッとする。
それが実は事実であるからである。マリアはパトリシアの事を「お姫様」呼ばわりする時があるが、実際は半人半妖精という人の目を引く容姿をしたマリアを気遣ってセバスティアンはサルヴァドール家の邸宅から極端に出さずに育てたためにマリアは自由奔放に生きるパトリシア以上の箱入り娘である。
邸宅を出る際などは、馬車の乗客部に入れて隠すほどの徹底ぶり。それゆえにマリアはセバスティアンから習った以上の常識を知らない。冒険者の日常がどのような物か知る由もないのだ。
だから、マリアはパトリシアに反論することは難しかった。
だが、それでもパトリシアの指示に従って鎧の準備を始めた時、その鎧のデザインを見て顔をしかめてもう一度だけパトリシアに提案した。
「パ、パトリシア様。やはり私のご用意したドレスの方がようございませんか?
・・・・こ、この鎧のデザインは・・・・その。
いくらなんでもアレでは御座いませんか?」
鎧を見たマリアがあまりにも顔を引きつらせて否定するのでパトリシアは思わず笑ってしまった。
「ふふふ。いいのいいの。
これは私の冒険者仲間のお友達と一緒に作ったデザインなの。
貴女は知らないでしょうけど、冒険者ってとっても刺激的なのよ?」
「・・・は。はぁ・・・・」
そう言って笑ってあしらわれてしまうとマリアにはそれ以上何も言うことはできない。今度こそ、パトリシアの願い通りに支度を整えてあげるだけだ。
ただ、マリアは支度をしながら(世の冒険者の女性とはみんなこのような恰好をしているのかしら?)と、呆れるばかりだった。
そうやって鎧の準備が整ったら、あとはドミニクと出かけるだけだ。馬車の準備が整ったとメイドからの知らせを受けるとパトリシアは家の外へ出る。そこにはやはり暗い青色に統一された気品ある衣装をまとったドミニクが待っていた。
しかし、それとは真反対に甲冑姿のパトリシア。その姿を見たドミニクは困惑した。
パトリシアの鎧はこれまでドミニクが知っているそれとは大きく異なるデザインで・・・・ようするに色っぽかったのだった。
騎士とはいえ女性のパトリシアは男性のような重装備の鎧は着こめるわけがない。故に鎖帷子に薄い鋼板や革を縫い付けて作った軽量鎧だ。
軽量化のために太ももすれすれの位置まで切り込んだ鎖帷子の胸元には、乳房を大きく見せるために中に布を詰めてあり、その上に貼られた鋼板はまるでブラジャーでもつけているかのようなデザインだった。
下半身を守るためのスカートも下腿部は一切隠れていないほど極端に丈が短く、まるで膝上スカートだ。
挙句に背中に羽織ったマントには、男女の恋愛を司る夫婦の神が抱きしめあう絵が刺繍されているというぶっとんだデザインだったのだ。
「パ、パトリシア? その鎧は一体何だい?
僕の記憶にない鎧だけど・・・・新調したのかな?
か・・・可愛い君によく似合っているけれども、これから商売の打ち合わせに行くのには刺激的すぎるデザインではないかね?」
しかし、当のパトリシアはあっけらかんとした表情で
「あら、私はこれから貴族の娘としてではなく冒険者として水道業者と話し合いに行くのです。これぐらいの服装は冒険者なら普通ですのよ。水道業者に世間知らず娘が来たとか思われるのも癪です。冒険者らしい姿で向かいたいと思うのです。
それに刺激的と仰いましたけど仲間のアマンダなんかまるで下着姿のような鎧を着ていますし、イザベラなんかローブの下は実はほぼ全裸なのです。
私のこの鎧なんか随分と落ち着いたデザインですのよ?」と答えるのだった。
「し、しかしだね・・・・君は以前はもっと気品あるデザインの鎧を着ていただろう?
どうして、そんなイメチェンを?」
往々にして世の男性という者は、愛する女性の薄着姿を好むくせに他の男にその姿を見られるのを不快に思う。
それは独占欲であり支配欲でもある。
ハーレムを形成して家族をなす霊長類が進化して生まれたのが人間であるのならば、人間の男が自分の想い人を他の男から性的な視線を向けられて嫌悪感を示さないわけがない。いわゆる「俺の女に手を出すなっ!!」である。それはドミニクも同じこと。急に刺激的なデザインの鎧に変更してきたパトリシアに困惑するのも無理からぬことである。
「あのね。私、以前から仲間との距離感を覚えておりましたの。
だから、女の子同士で一緒に装備を買いに行ってこれにしましたの。
二人とも私のために随分と抑えたデザインにしてくれましたし、これを着た私のことを「可愛い、可愛い」「似合ってる、似合ってる」と物凄く褒めてくれました。
だから、私、二人の好意を無にしないためにもこれを着たいと思っています。
いいでしょう?
だって、さっきはドミニクだって似合ってるって言ってくれたもの。」
「う、うう~~~ん?」
これにはさすがのドミニクも唸ってしまう。確かにドミニクが昔、接していた冒険者たちはもっと破廉恥なデザインの衣装であった。それに比べたらパトリシアの鎧は随分と落ち着いて見える。
しかし、いくらアマンダとイザベラが彼女達なりに、下々の者なりに、抑えたデザインに仕上げてくれたとはいえ貴族の娘が着る鎧にしてはいささか色っぽすぎるのだ。それに、商売の話し合いに鎧は本当に必要なのか? と悩まずにはいられなかった。
だが、いくらドミニクが渋い顔をしたところでパトリシアの意見を曲げることなど到底不可能な話で、結局5分もすれば拗ねて甘えるパトリシアにドミニクが根負けするのだった。
「似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!」
「あああああああ~~~~~っ!!! わかったっ!! わ~か~り~ま~し~たっ!!
その鎧で行こうっ!!」
こうしていつものように勝利したパトリシアと敗北したドミニクは馬車に乗って市街地に出る。
二人が目指すのは当国で一番の大手水道業者「ペドロ商会」。そこでダンジョン内のトイレ設置事業について話し合うのが目的だった。
町の中心地に一等地で事務所を構えるペドロ商会は、この事業計画を立てた際にパトリシアが最初に相談した水道業者が教えてくれた会社だった。ドミニクも当然、国で一番大きい商会のその名を知っていたので仕事の依頼をするのならば、ここが一番、安心できるのだろうと考えていた。だからパトリシアの選択はドミニクにとっても納得のできるものだった。
商会の正面入り口に立つとパトリシアは
「実は、以前に相談した水道業者を仲介人として会長のペドロとは話し合いを持てる約束を済ませてもらっているのっ!」、と自慢げに言って商会の扉を開けた。
そのことについてはドミニクは「手はずが良い」と感心したが、しかし、いざ二人で商会に入るとパトリシアの事は商会には伝わっていないような様子だった。
商会の建物内に入り受付でパトリシアが名乗って会長と面通しを頼んでも「ええと・・・・本当にお約束されましたか?」と言った返答が返ってくるくらいでとても話し合いが持てそうにはなかった。
よくある話である。パトリシアが最初に相談した水道業者が「はいはい。話を通しておきますよ」と言っておきながらやっていなかったか、もしくはペドロ商会の受付の方が忘れてしまったか。原因はさておき、話が通じていない以上、ペドロに直接会うのは難しい事になっていた。
そんな中、ドミニクとパトリシアがペドロと出会えたのは本当に偶然の事だった。たまたまペドロが執務室から出たところ、受付が騒がしい事に気が付いたので扉の隙間から覗き見たところ、身なりの良い紳士が女騎士を連れている様子が見えた。
ペドロはこれまでドミニクの顔を見たことがなかったが、その身なりと漂う気品から只者ではないと察して「これは金もうけの話が出来そうだ。」と感じ慌てて自分から顔を見せたのだった。
「これはこれは上品なお客様。
当店にどのようなご用命でございますか?
恐れながら私は、当店を取り仕切っております。ペドロと申します。
ささ、どうぞ奥のゲストルームへ。何なりとお申し付けくださいませ。」
ペドロは腰が90度に折れるまでお辞儀をするとニッコリと笑った。その顔を見てドミニクは顔が引きつった。
(なんて卑しい顔だ。)
確かにペドロは醜男であった。浅黒い肌はシミまみれだし、ハゲ頭に小太りでボールのように大きなギョロ目をしていた。鼻はつぶれて広がっていたし、唇はひん曲がりひきつり笑いをしているように見えた。
だが、ドミニクは広大な自分の領地を持った為政者である。決して単純な見た目や出自だけで人は判断しない。優秀な者は公正に判断して重宝する。
問題はペドロの心のありようを映した目つきにあった。
ペドロは経歴不詳の男で有名であったが、成り上がり者であることは彼の素振りからわかる。
きっと、成り上がるために色々と汚い事もしてきたのだろう。人を騙し、出し抜き、裏切り、裏切られ・・・・そうしているうちにペドロの目つきは本心を隠せなくなってしまっていた。
これまで多くの人を見てきたドミニクは彼が自分達を利用してやろうと考えていることを一目見ただけで見抜いたのだった。
「パトリシア、気をつけろ。
彼は一筋縄には行かない男だぞ。」
応接室に入る前にドミニクは他人に聞こえないようにそっとパトリシアに耳打ちするのだった。パトリシアはその言葉を聞いて全てを理解したわけではないが、ドミニクがこれほどの忠告をしてきたことを重大に受け止めて、深く頷くと「困ったときは助けてね。」と言って耳打ちしてきたドミニクの頬にキスをするのだった。
「全く君と言う人は・・・・」
ドミニクは小悪魔に掴まれたハートが自分の物ではないと悟り、諦めたように笑うのだった。
さて、通された応接室は当国一の大商店に相応しいほど立派な物だった。数多くの調度品に絵画、最高級品のソファーと机が置かれた貴族を迎えるに相応しい部屋だった。
「あら、立派なソファーね。
これほどの物は我が家にもそんなにないわ。」
パトリシアは感心しながらそう言うと、自分の鎧でソファーが傷つかぬように小物入れのバッグから絹の織物を出してソファーに被せてから座った。
ペドロはパトリシアの気配りと出した絹織物の上等さ、そして自分が持つ最高級と同じレベルのソファーをパトリシアの実家が持っていることを知ると、思わず「むぅっ・・・・」と言って感心した。
「流石は上品なお客様。
立ち振舞もご立派でございますな。
もしかして貴族の方でしょうか? 果たしてどの家門のお方ですかな?」
ペドロは二人の素性が気になって尋ねる。その時、パトリシアは反射的に自分がパトリシア・ベン・クルスであると正直に名乗ってしまった。
するとペドロは豹変した。
「ああ・・・・男爵家を追放されたオテンバ姫様とはアナタの事ですか。
ご実家に縁を切られて金も住処も失って平民落ちしたと既に街中で噂になっていると聞きましたが、一体、当店に何のご用ですか?」
ペドロはパトリシアを一瞥してからドミニクに目をやると肩をすくめた。その態度から内心で「ご立派な貴族の旦那様が借した金の回収のためにこの貴族娘を俺に売りつけに来たのか?」とでも考えているのが透けて見えるのだ。
その態度を見たドミニクが怒り出すよりも前にパトリシアは慌てて紹介する。
「ああっ! きょ、今日はこちらの貴族の方のご協力を得て、水道工事の打ち合わせをしたいと思ってきたのです。」
パトリシアの言葉はペドロにとっては予想外の言葉だったようで、思考が追い付かぬので一瞬、目が点になってしまう。そして、しばらくたってから「おおっ!!」と、歓喜の声を上げて笑顔になるのでした。
「そ、それはそれはようございました。
いえね。巷では随分と悪い噂が立っていたものですから、正直、お名前を伺った時は、どんな無理難題を押し付けられるのかと・・・・いや、慌てましたぞ。
しかし、お仕事のお話ならば、喜んでお聞きいたしますぞ。なにせ、我がペドロ商会は水道業者としてはこの国一番と自負しておりますので!!」
ペドロは先ほどの自分の態度を詫びるように深々と頭を下げてそう言った。
だが、二人に顔が見えぬほど下げた頭とは裏腹に内心では
(ふ~っ。危ない危ない。早とちりしてお金持の旦那様の仕事を失うところだった。
それにしても、この若造。どこのどなた様だろうか?
若いのに何とも言えぬ迫力があるし、何よりも気品がある。ううむ・・・・間違いなく上客だぞ、これは・・・・上手くいけば、金額を吹っ掛けられるぞ。これ。)と、ドミニクの値踏みし、自分の利益になる様にどうやって利用してやろうかと思案し始めていた。
しかしドミニクはそんなペドロの考えなど百も承知であった。これまで海千山千の荒くれ者どもの冒険者や傭兵を御してきたドミニクにはペドロのような一筋縄でいかぬ男の考えそうなことなど手に取るように読めていたのだ。だから、こう話を切り出した。
「ペドロよ。さきほどこのパトリシア嬢が申した通り、今日、私は水道工事についての話し合いに来た。しかし、これは新事業の内容である。万が一、私の政敵に話が漏れれば、敵は私に大損をさせるために仕事を横取り、先に事業を展開する可能性大である。情報機密保持のために話がまとまるまでは私の身分は明かせぬ。
それでもよいか?」
ドミニクは「よいか?」と尋ねておきながら、その時の刺すような視線と力強い声は大変威圧的であり、ペドロのような階級の者ではとても断ることなどできぬ力が働いていた。
それは隣で聞いていたパトリシアが顔を曇らせるほど厳しい態度だったのでペドロは委縮して同意するよりほかなかった。
「は、はぁ・・・・む、難しい問題がございますのですね。
もちろん、ようございます。」
ペドロはそう言いながら服のポケットからハンカチを出してきて、思わず溢れ出て来た脂汗を拭きとるのだった。
(ううっ・・・。な、なんだこの男は。威厳が半端ではない。
このように威圧的に言われれば、こちらに是非もないことだ。
と、とにかく私がこれまで接してきた貴族共とは比べ物にならないほど高位の存在であることはこの男が放っている空気から間違いないことはわかるが・・・・)
ペドロの焦りは傍目にもすでに隠せないものとなっており、ドミニクはペドロを掌握したと確信する。
(愚かな男だ。私を利用できると思ったのか。
ペドロよ。お前は既に私の支配という名の檻の中だ。逃げることも裏切ることも出来ぬと知れ。)
ドミニクはペドロが汗を拭く姿を見下しながら話を続ける。
「今日来たのは、こちらのパトリシア嬢が私に提案してきた新事業に私が興味を示し、融資をする約束をしたからだ。
だから事業の発案者は彼女で私が出資者となる。案は彼女が出すが、交渉には私も口を挟む。
以上のことを踏まえてから彼女の話を聞くがいい。」
あくまでも威圧し続けるドミニクにパトリシアは(もうっ! そんなにいじめないであげてっ!)という意思を伝えるために一睨みしてから、打って変わったような愛らしい笑顔をペドロに向けてから新事業について語りだした。
「ペドロ。私は、ダンジョンに女性専用の有料トイレを作りたいの。」
ペドロはその言葉を聞いて魂ここにあらずと言った感じの表情で「はぁ・・・・・。」とだけ答えるのだ精一杯だった。何故ならパトリシアが彼に向けた笑顔があまりにも美しかったので、ペドロは思わず見とれてしまって思考が追い付かなかったのである。
・・・・・・
・・・・・・・・応接室内にしばしの沈黙の時間が流れた。その沈黙は、ペドロの返事の仕方が呆れているのか又は話の内容を理解できていないのかパトリシアには判断できずにペドロの次の言葉を待っていた事と、ペドロがパトリシアの美顔を惚けたまま見つめてしまっていた事の二つのわけのわからない状況がかみ合って生まれてしまったものである。
しかし、当然、ドミニクは状況がわかる。パトリシアは自分の笑顔の破壊力を知らないのだ。幼いころからパトリシアをめぐって多くの男たちと陰ながら戦ってきたドミニクには見慣れた風景でしかない。
(全く、罪な女だよ。君は・・・
こんな親子ほど年の離れた男を笑顔一つで虜にしてしまうのだから・・・・)
パトリシアの美貌にやられているのはドミニクも同じこと。だから同じ男としてペドロの気持ちが理解できる。理解できるからこそ自分のパトリシアを見つめて惚けていることに腹が立ってしまい、つい「おいっ」と言ってテーブルの脚を蹴ってペドロの目を覚まさせる。
「まぁっ!! なんてことをなさるのっ!?」
さすがに今度はパトリシアが声を上げて注意しようとすると、テーブルを蹴られたショックで「ハッ」と我に返ったペドロが謝罪する。
「い、いいえっ!! 謝るのはこちらの方でございます。
お話が見えなくて思考が停止しておりました。
申し訳ございませんが、もう一度内容を聞かせて下さいませんか?」
ペドロが正直に謝って止めに入るのでパトリシアは仕方なく引き下がる。だが、内心では納得していない。
(もうっ! ドミニクが自分の家名を言えばペドロももっと身を入れて聞いてくれるだろうから、こんな揉め事は起きないはずなのにっ!!
ドミニクには深い考えがあっての事だろうから家名については仕方ないにしても、どうしてこんなに威圧するの? こんな気さくなおじさんをいじめるなんてドミニクらしくないわ・・・・)などと、的外れな不満をこらえながら、再びペドロに説明する。
「それではもう一度詳しく言います。
私は、貴族の身でしたがこれまで冒険者の一員としてこの王都で活動してきました。
その時に思い知ったのです。ダンジョンにおける女性のお手洗い事情が悲惨なことになっていることを。
私はこれを改善すべく、そして、末永く運営できるように有料の女性専用トイレをダンジョン内に設置したいと思います。」
パトリシアがこれまでの経緯を含めた説明をするとペドロは再び「はぁ?」と気の抜けたような返事をした。
しかし、それは先ほどのような惚けたためにこぼれた声ではなく、明らかに失望の声だった。
そして再び応接室にしばしの沈黙が訪れた。
ペドロは両腕を汲んで困ったように顔をしかめて首を何度もかしげて考えていたが、やがて残念そうに答えた。
「それは・・・・・難しいお話でございますな。
いえね。今までにも何人かの方がこういった計画を持ち込まれたのですよ。」
思いがけないペドロの言葉。自分が最初に考えたのだとばかり思っていたパトリシアはショックで「えっ!?」と、声を上げてしまう。そんなパトリシアに向かって掌で何かを押さえるようなジェスチャーをしてペドロはなだめてから会話を続ける。
「しかし、その計画が実行されなかったのには理由があるのです。」
「・・・・理由とは何だ?」
ドミニクに尋ねられたペドロは臆することなく答える。仕事の事なればペドロは商売人。しっかりと物申す度胸はあった。だからスラスラと答えるのだった。
「はい、旦那様。それは工事期間中に魔物と遭遇する危険がある事と冒険者たちの理解度の問題です。
お嬢様。
お嬢様が仰られたダンジョンとは話の流れからすると間違いなく王都のそばにある古代地下迷宮の事でございますよね?」
「はい。そうです。」
「あそこのことは私もよう存じ上げてございます。なにせ昔からありますからな。
地下6階層に縦横の長さが一つの町になるほど大きな地下迷宮でございます。一説によると古に滅びた魔法王国の地下防衛都市の遺跡を魔物が占拠したものだというほどのもの。
それほどのサイズのダンジョンの工事をしようと思えば工員の往路、作業場所の安全確保も並大抵のことではございません。お手洗いというのですから当然、低い階層ではなく地上に戻るための足掛かり的に休憩する階層に設けたいとお考えでしょう? ならば工事の安全確保はとても難しくなります。
さらにやっかいなのが、ダンジョン内の冒険者活動域にはそれぞれのギルドが行動権を有しているわけでございます。ここにいくら慈善事業的な要素がある施設とはいえ、占有する建物を建てるのには相当な骨折りとなります。なぜならそのためには多くのギルドの承認を得る必要があるからでございます。
もちろん、ダンジョン入り口付近は比較的安全で商売を営んでいる者。店屋を持っている者なども御座いますが、それらは皆、利便状、暗黙の了解で許されたものであり、また長い歴史の中にいつしか世襲制で代々権利を有するようになった家の者たちが経営しております。
そこへ新参者が頭を飛び越えて新事業を行う行為は冒険者たちの大変な怒りを買うでしょう。
仮にいくら施設を建てられても10日も待たずに冒険者たちの打ちこわしにあってしまうのは目に見えております。」
ペドロは長々と語った後、
「どうして今までそのような施設がダンジョンになかったのかおわかりでしょう? 不可能なのです。」
と事業が実現不可能と断じて話を打ち切った。
ペドロとの話し合いが終わった二人は店を出てからため息をついた。
「あああ~~~っ!! 残念だわっ!!
初めて私が思いついたことだと思ったのに~~。
それに、以前に相談した水道業者はこんなお話してくれませんでしたっ!!」
しかし、そうやって諦めのため息をついたパトリシアとは違って、ドミニクが溢した溜息は感心のため息だった。
「う~ん。あの男、中々やり手だな。
無理と言いながら、しっかりと問題点を整理して説明してくれた。
おかげで解決策を出しやすい。
やっかいな男だが、さすが1代で成り上がっただけあって仕事に対しては手抜かりがない。」
ドミニクはそう言うと、落ち込んでいたパトリシアの背中をポンッと叩いて宣言する。
「さぁ、問題点はわかった。あとは解決するだけだ。
僕は、あの男が気に入った。是非ともあの男と一度大きな仕事がしてみたい。そう思ったよ。」
それだけ言うとドミニクはやや興奮気味な表情で速足で馬車に向かってしまう。
ドミニクの急なやる気に取り残されたパトリシアは、つい出遅れてしまう。
「えっ!! ちょっ・・・もうっ!! 待ってよドミニクっ!!
ねぇ、まってったらぁっ!!」
取り残されたパトリシアの抗議の声も今のドミニクには聞こえない。
優秀な者と達成困難な事業に取り込む試練に胸躍らせてしまったのだ。こうなったら男は簡単に止まらない。
結局、馬車まで一人で歩かされたパトリシアにガンガンに説教されるほど、ドミニクは一人で突っ走ってしまったのだった。
温かいスープに目玉焼き。ソーセージ。柔らかいパンにマーマレード。
現代の日本では当たり前の朝食だが、この世界では朝から卵や肉を食べられるのは貴族だけである。そして二人はそんな贅沢さえも日常な上流階級の存在だった。
朝食を優雅に食べてから、ドミニクはパトリシアを散歩に誘うのだった。
「パトリシア。食後の腹ごなしに散歩でもどうかな?」
「ええ。喜んでっ!」
パトリシアが快諾するとドミニクは席を立ち、彼女と手を繋いで食堂を出て行った。
「・・・・いいなぁ・・・。」
二人の背中を見送りながらマリアがそっと呟いた。
その時のマリアの瞳は乙女の色を放っていた。
ドミニクの事が愛おしい。でも、パトリシアも大切。そんなマリアにとって二人の関係はまぶしすぎたのだ。近寄れば焼き尽くされる太陽のように、二人のそばで二人の仲睦まじい姿を目にすることはマリアの心の毒であった。
両性具有。半妖精。そんな境遇を持つマリアがドミニクへの恋心を諦めることは自然のことかもしれない。しかし、それと同じように簡単に恋心が消えてなくならないことも自然の事なのだ。
マリアはパトリシアが幸せになることを望みながら、心の奥底でドミニクの妻になりたいという欲望に薄い胸を焦がしていたのだった。
(・・・・・なんと哀れで健気な・・・・・)
我が娘の事だからこそ、マリアのそんな姿を見るセバスティアンの胸の内は辛いものとなる。
恐らくマリアがどんな手段に出ようがドミニクがパトリシア以外の女性に心変わりをすることなどありえないのだ。その答えがわかっているが故にセバスティアンはマリアに気休めを言ったり、夢を見させるようなことは言えなかった。彼に出来ることはただ一つ。メイドもしくは執事として最高の技術を仕込んでやることだけだった・・・・。
「マリア。お二人は散歩の後にパトリシア様が提案なされた水道業者との打ち合わせに行かれる。
お前はパトリシア様の御召物の準備をしなさい。それからお二人の馬車、護衛の者達の手配。お前に全て任せる。手抜かりのないようにな。
私は家の事をしなくてはいけないからね。」
セバスティアンはマリアの茶栗色の髪を撫でまわすとそれだけ指示してから食堂を出て行った。
(こういう時は体を動かしたほうが楽になる・・・・。)
それが様々な理由のために恋を諦めなくてはいけない我が娘にかけてあげられる愛情であった。その気持ちをマリアはある程度理解していたので、文句も言わずに自分の仕事をするのだった。
しかし、ここでマリアに大きな試練が訪れる。
なんとパトリシアが自分が用意した外出用の洋服を断わったのだ。
「本日の私は元貴族の娘としてではなく、一人の冒険者として水道業者との打ち合わせに行きたいと思うの。
特に鎧は今回、仲間たちのアドバイスを受けて新調したばかりのものなの。ドミニクもまだ見たことがないはずよ。彼に見せてその感想も聞きたいわ。
だから、マリア。私の荷物の中から甲冑を出して用意して。」
マリアは大いに狼狽えた。
何故なら、いくらなんでも国で一番大きな水道業者に鎧を着ていくなんて思いもよらなかったからだ。
「あの・・・・パトリシア様?
水道業者との話し合いに鎧姿がいくらなんでも不自然ではありませんか?」
マリアがそう言うとパトリシアはクスッと笑った。
「ふふふ、マリア。
貴女はなんだかんだ言ってセバスティアンに私以上の箱入り娘に育てられたからわからないでしょうけど、冒険者にとっては不思議なことでも何でもないことよ。
それどころか、身なりは人を現す物。冒険者装束は言ってみれば身分証とセットみたいなものよ。」
「・・・・むっ。」
マリアはパトリシアに箱入り娘と言われて少しムッとする。
それが実は事実であるからである。マリアはパトリシアの事を「お姫様」呼ばわりする時があるが、実際は半人半妖精という人の目を引く容姿をしたマリアを気遣ってセバスティアンはサルヴァドール家の邸宅から極端に出さずに育てたためにマリアは自由奔放に生きるパトリシア以上の箱入り娘である。
邸宅を出る際などは、馬車の乗客部に入れて隠すほどの徹底ぶり。それゆえにマリアはセバスティアンから習った以上の常識を知らない。冒険者の日常がどのような物か知る由もないのだ。
だから、マリアはパトリシアに反論することは難しかった。
だが、それでもパトリシアの指示に従って鎧の準備を始めた時、その鎧のデザインを見て顔をしかめてもう一度だけパトリシアに提案した。
「パ、パトリシア様。やはり私のご用意したドレスの方がようございませんか?
・・・・こ、この鎧のデザインは・・・・その。
いくらなんでもアレでは御座いませんか?」
鎧を見たマリアがあまりにも顔を引きつらせて否定するのでパトリシアは思わず笑ってしまった。
「ふふふ。いいのいいの。
これは私の冒険者仲間のお友達と一緒に作ったデザインなの。
貴女は知らないでしょうけど、冒険者ってとっても刺激的なのよ?」
「・・・は。はぁ・・・・」
そう言って笑ってあしらわれてしまうとマリアにはそれ以上何も言うことはできない。今度こそ、パトリシアの願い通りに支度を整えてあげるだけだ。
ただ、マリアは支度をしながら(世の冒険者の女性とはみんなこのような恰好をしているのかしら?)と、呆れるばかりだった。
そうやって鎧の準備が整ったら、あとはドミニクと出かけるだけだ。馬車の準備が整ったとメイドからの知らせを受けるとパトリシアは家の外へ出る。そこにはやはり暗い青色に統一された気品ある衣装をまとったドミニクが待っていた。
しかし、それとは真反対に甲冑姿のパトリシア。その姿を見たドミニクは困惑した。
パトリシアの鎧はこれまでドミニクが知っているそれとは大きく異なるデザインで・・・・ようするに色っぽかったのだった。
騎士とはいえ女性のパトリシアは男性のような重装備の鎧は着こめるわけがない。故に鎖帷子に薄い鋼板や革を縫い付けて作った軽量鎧だ。
軽量化のために太ももすれすれの位置まで切り込んだ鎖帷子の胸元には、乳房を大きく見せるために中に布を詰めてあり、その上に貼られた鋼板はまるでブラジャーでもつけているかのようなデザインだった。
下半身を守るためのスカートも下腿部は一切隠れていないほど極端に丈が短く、まるで膝上スカートだ。
挙句に背中に羽織ったマントには、男女の恋愛を司る夫婦の神が抱きしめあう絵が刺繍されているというぶっとんだデザインだったのだ。
「パ、パトリシア? その鎧は一体何だい?
僕の記憶にない鎧だけど・・・・新調したのかな?
か・・・可愛い君によく似合っているけれども、これから商売の打ち合わせに行くのには刺激的すぎるデザインではないかね?」
しかし、当のパトリシアはあっけらかんとした表情で
「あら、私はこれから貴族の娘としてではなく冒険者として水道業者と話し合いに行くのです。これぐらいの服装は冒険者なら普通ですのよ。水道業者に世間知らず娘が来たとか思われるのも癪です。冒険者らしい姿で向かいたいと思うのです。
それに刺激的と仰いましたけど仲間のアマンダなんかまるで下着姿のような鎧を着ていますし、イザベラなんかローブの下は実はほぼ全裸なのです。
私のこの鎧なんか随分と落ち着いたデザインですのよ?」と答えるのだった。
「し、しかしだね・・・・君は以前はもっと気品あるデザインの鎧を着ていただろう?
どうして、そんなイメチェンを?」
往々にして世の男性という者は、愛する女性の薄着姿を好むくせに他の男にその姿を見られるのを不快に思う。
それは独占欲であり支配欲でもある。
ハーレムを形成して家族をなす霊長類が進化して生まれたのが人間であるのならば、人間の男が自分の想い人を他の男から性的な視線を向けられて嫌悪感を示さないわけがない。いわゆる「俺の女に手を出すなっ!!」である。それはドミニクも同じこと。急に刺激的なデザインの鎧に変更してきたパトリシアに困惑するのも無理からぬことである。
「あのね。私、以前から仲間との距離感を覚えておりましたの。
だから、女の子同士で一緒に装備を買いに行ってこれにしましたの。
二人とも私のために随分と抑えたデザインにしてくれましたし、これを着た私のことを「可愛い、可愛い」「似合ってる、似合ってる」と物凄く褒めてくれました。
だから、私、二人の好意を無にしないためにもこれを着たいと思っています。
いいでしょう?
だって、さっきはドミニクだって似合ってるって言ってくれたもの。」
「う、うう~~~ん?」
これにはさすがのドミニクも唸ってしまう。確かにドミニクが昔、接していた冒険者たちはもっと破廉恥なデザインの衣装であった。それに比べたらパトリシアの鎧は随分と落ち着いて見える。
しかし、いくらアマンダとイザベラが彼女達なりに、下々の者なりに、抑えたデザインに仕上げてくれたとはいえ貴族の娘が着る鎧にしてはいささか色っぽすぎるのだ。それに、商売の話し合いに鎧は本当に必要なのか? と悩まずにはいられなかった。
だが、いくらドミニクが渋い顔をしたところでパトリシアの意見を曲げることなど到底不可能な話で、結局5分もすれば拗ねて甘えるパトリシアにドミニクが根負けするのだった。
「似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!
似合ってるって言ってくれたもんっ!!」
「あああああああ~~~~~っ!!! わかったっ!! わ~か~り~ま~し~たっ!!
その鎧で行こうっ!!」
こうしていつものように勝利したパトリシアと敗北したドミニクは馬車に乗って市街地に出る。
二人が目指すのは当国で一番の大手水道業者「ペドロ商会」。そこでダンジョン内のトイレ設置事業について話し合うのが目的だった。
町の中心地に一等地で事務所を構えるペドロ商会は、この事業計画を立てた際にパトリシアが最初に相談した水道業者が教えてくれた会社だった。ドミニクも当然、国で一番大きい商会のその名を知っていたので仕事の依頼をするのならば、ここが一番、安心できるのだろうと考えていた。だからパトリシアの選択はドミニクにとっても納得のできるものだった。
商会の正面入り口に立つとパトリシアは
「実は、以前に相談した水道業者を仲介人として会長のペドロとは話し合いを持てる約束を済ませてもらっているのっ!」、と自慢げに言って商会の扉を開けた。
そのことについてはドミニクは「手はずが良い」と感心したが、しかし、いざ二人で商会に入るとパトリシアの事は商会には伝わっていないような様子だった。
商会の建物内に入り受付でパトリシアが名乗って会長と面通しを頼んでも「ええと・・・・本当にお約束されましたか?」と言った返答が返ってくるくらいでとても話し合いが持てそうにはなかった。
よくある話である。パトリシアが最初に相談した水道業者が「はいはい。話を通しておきますよ」と言っておきながらやっていなかったか、もしくはペドロ商会の受付の方が忘れてしまったか。原因はさておき、話が通じていない以上、ペドロに直接会うのは難しい事になっていた。
そんな中、ドミニクとパトリシアがペドロと出会えたのは本当に偶然の事だった。たまたまペドロが執務室から出たところ、受付が騒がしい事に気が付いたので扉の隙間から覗き見たところ、身なりの良い紳士が女騎士を連れている様子が見えた。
ペドロはこれまでドミニクの顔を見たことがなかったが、その身なりと漂う気品から只者ではないと察して「これは金もうけの話が出来そうだ。」と感じ慌てて自分から顔を見せたのだった。
「これはこれは上品なお客様。
当店にどのようなご用命でございますか?
恐れながら私は、当店を取り仕切っております。ペドロと申します。
ささ、どうぞ奥のゲストルームへ。何なりとお申し付けくださいませ。」
ペドロは腰が90度に折れるまでお辞儀をするとニッコリと笑った。その顔を見てドミニクは顔が引きつった。
(なんて卑しい顔だ。)
確かにペドロは醜男であった。浅黒い肌はシミまみれだし、ハゲ頭に小太りでボールのように大きなギョロ目をしていた。鼻はつぶれて広がっていたし、唇はひん曲がりひきつり笑いをしているように見えた。
だが、ドミニクは広大な自分の領地を持った為政者である。決して単純な見た目や出自だけで人は判断しない。優秀な者は公正に判断して重宝する。
問題はペドロの心のありようを映した目つきにあった。
ペドロは経歴不詳の男で有名であったが、成り上がり者であることは彼の素振りからわかる。
きっと、成り上がるために色々と汚い事もしてきたのだろう。人を騙し、出し抜き、裏切り、裏切られ・・・・そうしているうちにペドロの目つきは本心を隠せなくなってしまっていた。
これまで多くの人を見てきたドミニクは彼が自分達を利用してやろうと考えていることを一目見ただけで見抜いたのだった。
「パトリシア、気をつけろ。
彼は一筋縄には行かない男だぞ。」
応接室に入る前にドミニクは他人に聞こえないようにそっとパトリシアに耳打ちするのだった。パトリシアはその言葉を聞いて全てを理解したわけではないが、ドミニクがこれほどの忠告をしてきたことを重大に受け止めて、深く頷くと「困ったときは助けてね。」と言って耳打ちしてきたドミニクの頬にキスをするのだった。
「全く君と言う人は・・・・」
ドミニクは小悪魔に掴まれたハートが自分の物ではないと悟り、諦めたように笑うのだった。
さて、通された応接室は当国一の大商店に相応しいほど立派な物だった。数多くの調度品に絵画、最高級品のソファーと机が置かれた貴族を迎えるに相応しい部屋だった。
「あら、立派なソファーね。
これほどの物は我が家にもそんなにないわ。」
パトリシアは感心しながらそう言うと、自分の鎧でソファーが傷つかぬように小物入れのバッグから絹の織物を出してソファーに被せてから座った。
ペドロはパトリシアの気配りと出した絹織物の上等さ、そして自分が持つ最高級と同じレベルのソファーをパトリシアの実家が持っていることを知ると、思わず「むぅっ・・・・」と言って感心した。
「流石は上品なお客様。
立ち振舞もご立派でございますな。
もしかして貴族の方でしょうか? 果たしてどの家門のお方ですかな?」
ペドロは二人の素性が気になって尋ねる。その時、パトリシアは反射的に自分がパトリシア・ベン・クルスであると正直に名乗ってしまった。
するとペドロは豹変した。
「ああ・・・・男爵家を追放されたオテンバ姫様とはアナタの事ですか。
ご実家に縁を切られて金も住処も失って平民落ちしたと既に街中で噂になっていると聞きましたが、一体、当店に何のご用ですか?」
ペドロはパトリシアを一瞥してからドミニクに目をやると肩をすくめた。その態度から内心で「ご立派な貴族の旦那様が借した金の回収のためにこの貴族娘を俺に売りつけに来たのか?」とでも考えているのが透けて見えるのだ。
その態度を見たドミニクが怒り出すよりも前にパトリシアは慌てて紹介する。
「ああっ! きょ、今日はこちらの貴族の方のご協力を得て、水道工事の打ち合わせをしたいと思ってきたのです。」
パトリシアの言葉はペドロにとっては予想外の言葉だったようで、思考が追い付かぬので一瞬、目が点になってしまう。そして、しばらくたってから「おおっ!!」と、歓喜の声を上げて笑顔になるのでした。
「そ、それはそれはようございました。
いえね。巷では随分と悪い噂が立っていたものですから、正直、お名前を伺った時は、どんな無理難題を押し付けられるのかと・・・・いや、慌てましたぞ。
しかし、お仕事のお話ならば、喜んでお聞きいたしますぞ。なにせ、我がペドロ商会は水道業者としてはこの国一番と自負しておりますので!!」
ペドロは先ほどの自分の態度を詫びるように深々と頭を下げてそう言った。
だが、二人に顔が見えぬほど下げた頭とは裏腹に内心では
(ふ~っ。危ない危ない。早とちりしてお金持の旦那様の仕事を失うところだった。
それにしても、この若造。どこのどなた様だろうか?
若いのに何とも言えぬ迫力があるし、何よりも気品がある。ううむ・・・・間違いなく上客だぞ、これは・・・・上手くいけば、金額を吹っ掛けられるぞ。これ。)と、ドミニクの値踏みし、自分の利益になる様にどうやって利用してやろうかと思案し始めていた。
しかしドミニクはそんなペドロの考えなど百も承知であった。これまで海千山千の荒くれ者どもの冒険者や傭兵を御してきたドミニクにはペドロのような一筋縄でいかぬ男の考えそうなことなど手に取るように読めていたのだ。だから、こう話を切り出した。
「ペドロよ。さきほどこのパトリシア嬢が申した通り、今日、私は水道工事についての話し合いに来た。しかし、これは新事業の内容である。万が一、私の政敵に話が漏れれば、敵は私に大損をさせるために仕事を横取り、先に事業を展開する可能性大である。情報機密保持のために話がまとまるまでは私の身分は明かせぬ。
それでもよいか?」
ドミニクは「よいか?」と尋ねておきながら、その時の刺すような視線と力強い声は大変威圧的であり、ペドロのような階級の者ではとても断ることなどできぬ力が働いていた。
それは隣で聞いていたパトリシアが顔を曇らせるほど厳しい態度だったのでペドロは委縮して同意するよりほかなかった。
「は、はぁ・・・・む、難しい問題がございますのですね。
もちろん、ようございます。」
ペドロはそう言いながら服のポケットからハンカチを出してきて、思わず溢れ出て来た脂汗を拭きとるのだった。
(ううっ・・・。な、なんだこの男は。威厳が半端ではない。
このように威圧的に言われれば、こちらに是非もないことだ。
と、とにかく私がこれまで接してきた貴族共とは比べ物にならないほど高位の存在であることはこの男が放っている空気から間違いないことはわかるが・・・・)
ペドロの焦りは傍目にもすでに隠せないものとなっており、ドミニクはペドロを掌握したと確信する。
(愚かな男だ。私を利用できると思ったのか。
ペドロよ。お前は既に私の支配という名の檻の中だ。逃げることも裏切ることも出来ぬと知れ。)
ドミニクはペドロが汗を拭く姿を見下しながら話を続ける。
「今日来たのは、こちらのパトリシア嬢が私に提案してきた新事業に私が興味を示し、融資をする約束をしたからだ。
だから事業の発案者は彼女で私が出資者となる。案は彼女が出すが、交渉には私も口を挟む。
以上のことを踏まえてから彼女の話を聞くがいい。」
あくまでも威圧し続けるドミニクにパトリシアは(もうっ! そんなにいじめないであげてっ!)という意思を伝えるために一睨みしてから、打って変わったような愛らしい笑顔をペドロに向けてから新事業について語りだした。
「ペドロ。私は、ダンジョンに女性専用の有料トイレを作りたいの。」
ペドロはその言葉を聞いて魂ここにあらずと言った感じの表情で「はぁ・・・・・。」とだけ答えるのだ精一杯だった。何故ならパトリシアが彼に向けた笑顔があまりにも美しかったので、ペドロは思わず見とれてしまって思考が追い付かなかったのである。
・・・・・・
・・・・・・・・応接室内にしばしの沈黙の時間が流れた。その沈黙は、ペドロの返事の仕方が呆れているのか又は話の内容を理解できていないのかパトリシアには判断できずにペドロの次の言葉を待っていた事と、ペドロがパトリシアの美顔を惚けたまま見つめてしまっていた事の二つのわけのわからない状況がかみ合って生まれてしまったものである。
しかし、当然、ドミニクは状況がわかる。パトリシアは自分の笑顔の破壊力を知らないのだ。幼いころからパトリシアをめぐって多くの男たちと陰ながら戦ってきたドミニクには見慣れた風景でしかない。
(全く、罪な女だよ。君は・・・
こんな親子ほど年の離れた男を笑顔一つで虜にしてしまうのだから・・・・)
パトリシアの美貌にやられているのはドミニクも同じこと。だから同じ男としてペドロの気持ちが理解できる。理解できるからこそ自分のパトリシアを見つめて惚けていることに腹が立ってしまい、つい「おいっ」と言ってテーブルの脚を蹴ってペドロの目を覚まさせる。
「まぁっ!! なんてことをなさるのっ!?」
さすがに今度はパトリシアが声を上げて注意しようとすると、テーブルを蹴られたショックで「ハッ」と我に返ったペドロが謝罪する。
「い、いいえっ!! 謝るのはこちらの方でございます。
お話が見えなくて思考が停止しておりました。
申し訳ございませんが、もう一度内容を聞かせて下さいませんか?」
ペドロが正直に謝って止めに入るのでパトリシアは仕方なく引き下がる。だが、内心では納得していない。
(もうっ! ドミニクが自分の家名を言えばペドロももっと身を入れて聞いてくれるだろうから、こんな揉め事は起きないはずなのにっ!!
ドミニクには深い考えがあっての事だろうから家名については仕方ないにしても、どうしてこんなに威圧するの? こんな気さくなおじさんをいじめるなんてドミニクらしくないわ・・・・)などと、的外れな不満をこらえながら、再びペドロに説明する。
「それではもう一度詳しく言います。
私は、貴族の身でしたがこれまで冒険者の一員としてこの王都で活動してきました。
その時に思い知ったのです。ダンジョンにおける女性のお手洗い事情が悲惨なことになっていることを。
私はこれを改善すべく、そして、末永く運営できるように有料の女性専用トイレをダンジョン内に設置したいと思います。」
パトリシアがこれまでの経緯を含めた説明をするとペドロは再び「はぁ?」と気の抜けたような返事をした。
しかし、それは先ほどのような惚けたためにこぼれた声ではなく、明らかに失望の声だった。
そして再び応接室にしばしの沈黙が訪れた。
ペドロは両腕を汲んで困ったように顔をしかめて首を何度もかしげて考えていたが、やがて残念そうに答えた。
「それは・・・・・難しいお話でございますな。
いえね。今までにも何人かの方がこういった計画を持ち込まれたのですよ。」
思いがけないペドロの言葉。自分が最初に考えたのだとばかり思っていたパトリシアはショックで「えっ!?」と、声を上げてしまう。そんなパトリシアに向かって掌で何かを押さえるようなジェスチャーをしてペドロはなだめてから会話を続ける。
「しかし、その計画が実行されなかったのには理由があるのです。」
「・・・・理由とは何だ?」
ドミニクに尋ねられたペドロは臆することなく答える。仕事の事なればペドロは商売人。しっかりと物申す度胸はあった。だからスラスラと答えるのだった。
「はい、旦那様。それは工事期間中に魔物と遭遇する危険がある事と冒険者たちの理解度の問題です。
お嬢様。
お嬢様が仰られたダンジョンとは話の流れからすると間違いなく王都のそばにある古代地下迷宮の事でございますよね?」
「はい。そうです。」
「あそこのことは私もよう存じ上げてございます。なにせ昔からありますからな。
地下6階層に縦横の長さが一つの町になるほど大きな地下迷宮でございます。一説によると古に滅びた魔法王国の地下防衛都市の遺跡を魔物が占拠したものだというほどのもの。
それほどのサイズのダンジョンの工事をしようと思えば工員の往路、作業場所の安全確保も並大抵のことではございません。お手洗いというのですから当然、低い階層ではなく地上に戻るための足掛かり的に休憩する階層に設けたいとお考えでしょう? ならば工事の安全確保はとても難しくなります。
さらにやっかいなのが、ダンジョン内の冒険者活動域にはそれぞれのギルドが行動権を有しているわけでございます。ここにいくら慈善事業的な要素がある施設とはいえ、占有する建物を建てるのには相当な骨折りとなります。なぜならそのためには多くのギルドの承認を得る必要があるからでございます。
もちろん、ダンジョン入り口付近は比較的安全で商売を営んでいる者。店屋を持っている者なども御座いますが、それらは皆、利便状、暗黙の了解で許されたものであり、また長い歴史の中にいつしか世襲制で代々権利を有するようになった家の者たちが経営しております。
そこへ新参者が頭を飛び越えて新事業を行う行為は冒険者たちの大変な怒りを買うでしょう。
仮にいくら施設を建てられても10日も待たずに冒険者たちの打ちこわしにあってしまうのは目に見えております。」
ペドロは長々と語った後、
「どうして今までそのような施設がダンジョンになかったのかおわかりでしょう? 不可能なのです。」
と事業が実現不可能と断じて話を打ち切った。
ペドロとの話し合いが終わった二人は店を出てからため息をついた。
「あああ~~~っ!! 残念だわっ!!
初めて私が思いついたことだと思ったのに~~。
それに、以前に相談した水道業者はこんなお話してくれませんでしたっ!!」
しかし、そうやって諦めのため息をついたパトリシアとは違って、ドミニクが溢した溜息は感心のため息だった。
「う~ん。あの男、中々やり手だな。
無理と言いながら、しっかりと問題点を整理して説明してくれた。
おかげで解決策を出しやすい。
やっかいな男だが、さすが1代で成り上がっただけあって仕事に対しては手抜かりがない。」
ドミニクはそう言うと、落ち込んでいたパトリシアの背中をポンッと叩いて宣言する。
「さぁ、問題点はわかった。あとは解決するだけだ。
僕は、あの男が気に入った。是非ともあの男と一度大きな仕事がしてみたい。そう思ったよ。」
それだけ言うとドミニクはやや興奮気味な表情で速足で馬車に向かってしまう。
ドミニクの急なやる気に取り残されたパトリシアは、つい出遅れてしまう。
「えっ!! ちょっ・・・もうっ!! 待ってよドミニクっ!!
ねぇ、まってったらぁっ!!」
取り残されたパトリシアの抗議の声も今のドミニクには聞こえない。
優秀な者と達成困難な事業に取り込む試練に胸躍らせてしまったのだ。こうなったら男は簡単に止まらない。
結局、馬車まで一人で歩かされたパトリシアにガンガンに説教されるほど、ドミニクは一人で突っ走ってしまったのだった。
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