透明な僕たちが色づいていく

川奈あさ

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5.白く輝く

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「雫の想い、聞かせてよ。話すのが苦手なら雫の方法でいいから」
「私の方法……」

 私たちの手の中にあるスマホ。

 うながされるように、浮かされるように、私はLetterを開いた。
 Letterに保存されている、百を超える下書き。これは偽物のピンクの話でもない。〝オトとキイの物語〟でもない。

 私の、瀬戸雫の、リアルな150文字だ。

「こんなに保存してたのは、誰かに知ってほしかったからじゃないの?」

 書いては投稿できなかった150文字たちがここに眠っている。
 削除じゃなくて下書き保存していたのは。本当は誰かに知って欲しかったことだから……?

 Letterの下書き一覧を開く。
 一番直近に保存した話は、黒色だった。塗りつぶされた黒の感情。すべてが塞がるほどに苦しい黒。

「こんな暗い文章、誰かを嫌な気持ちにさせない?」
「誰かへの攻撃じゃない、大丈夫。clearさんの、雫の言葉は誰かを傷つける言葉じゃない、きっと誰かを救うよ。あの日の俺を救ったみたいに」

 数秒だけ悩んでから、黒色の背景をした投稿画面を駆に見せる。

【家族、学校、いろんな組織があっていろんな人がその箱を構成してる。
 あの子は、一番大きな柱。
 あの人は、原動力となる大きな歯車。
 あの子は、箱を美しく彩る装飾。
 そのなかで私は、代替可能な小さなネジだ。
 私がなくなったところで箱は壊れないし、そもそも誰にも気づかれない。小さな不必要なネジ】 
 
「暗くない?」
「暗い」
 
 駆は正直に言って笑う。

「でも俺は好き、俺もわかるからこの気持ち。俺だけが黒い気持ちを抱えてるんじゃないって安心できる」

 知らなかった。駆でも、こんな黒の感情を抱くこともあるんだ。
 でもそうだ。
 私も今までLetterを読んで励まされてきた。
 誰かの想いを知って、同じ気持ちの人がいることに救われた。

 私は投稿ボタンを押した。
 初めて黒の感情を吐き出した。嘘偽りない、お腹に溜まり続けた感情を。


「次は水色。さっきと似てるけど、もう少し寂しさが強いかもしれない」


 下書きから、投稿する。

【必要な歯車になれないなら、せめて潤滑油になりたかった。
この小さな家族という箱を永遠に続かせることができるように、大切な歯車を守るために。
だけど、噛み合わない歯車たちは外れていってしまって
必要ない私だけがここに残っている。
私は歯車がないと、なんの意味も持たない。
透明で、無価値な私】


 相変わらず暗くて少し笑ってしまうけど、紛れもなく私の気持ち、寂しさだ。

 その感情も手から離れていく。
 隣にいる駆が、それを一緒に見ていてくれる。


 次に開いた下書きは赤色だった。
 
【緑から変化した赤が、燃える。真っ赤にたぎる。
 穏やかで爽やかで心地いい緑のままでいたかったのに。
 君があの子と話すところをみた。
 それだけで広がった緑が簡単に燃やされていく。
 緑が燃えてしまうなら、もうこの感情ごと灰にしたい。
 燃え盛った心が怖い。こんな醜い私を知りたくなかった】

 投稿するのは少し迷った。
 だってこれは紛れもなく、駆への感情だから。
 
 今まで感じたことがなかった赤。怒りでも焦りでもある真っ赤な嫉妬。きれいじゃない、醜い感情。

 だけどこの感情は最近大きく膨らんでいて、無視できない。これも私の本当だ。
 気づきたくなかったけど、私にはこんな色もある。


 投稿するたびに蘇る、その時の感情が。

 ……本当だね。本音を隠しているくせに、私って心の中でけっこうおしゃべりなんだ。
 しっかり者で優しいって思われていても、本当は弱くてマイナス思考で心の中では毒づいてたりする。それが本当の私。

 ずっと保存してしまっていた、自分自身を。
 気づかないふりをしていた、自分に生まれた色を。

 次の下書きの背景は黄色。
 友情について書いてみた150文字だ。
 
【自分勝手で自分中心で自分大好きな君がむかつく。
 だけど太陽みたいに明るい君の引力に惹きつけられていく。
 どっちでもいいよって顔しておいしいところは譲らない君がむかつく。
 だけど月みたいに穏やかな君は涼やかで憧れる。
 私が君だったら、君になれたら。
 誰かの一番になれたのに。】

 嫉妬と憧れが入り混じった本音。
 貴方たちになりたくてなれなかった私。
 一緒にいて苦しくて大好きで苦しくて。友情の黄色はレモンみたいに爽やかじゃない。濁った黄色は茶色に近いかも。

 でもこれが私の本当の黄色。

 次に開いた下書きは、緑の背景だ。緑色なんて、珍しい。私がどんな感情を綴ったのだろうかと思い出す。

 
【ラメがふんだんに使われたゴールドとベルベット素材のレッド。
 ツリーに咲くベルとリボンは小さな頃からの憧れだ。
 きらきらしていて、ちょっとお姉さんで。
 背伸びしてた七歳の私に久しぶりに会えたんだ。
 あの頃から夢中なビーズやマスコットも手のひらに包んで
 ここには私の宝物が詰まってる】


 ああ、これはシンプルにクリスマスマーケットで見た風景だ。
 きれいなものを美しいと思う、穏やかな気持ち。瞼を閉じると、あの日の煌めいたツリーたちが柔らかく光る。

 醜いだけじゃない、澄んだ感情だって私の中にちゃんとある。
 大嫌いで仕方なかった私の感情の中に、好きだと思う部分がある。


「あれ……」

 瞳からぽろりと涙がこぼれ出た。
 何年も見ていなかった涙。

 今まで心を揺るがせたくなくて。平気だよって言い聞かせて、感情を下書き保存していた。
 それが防波堤のかわりになって、涙をせき止めていた。
 
 隠していた感情を投稿するたびに、私の感情を手放すたびに、涙が溢れていく。


「う……ぁ……」

 溢れた感情が喉から出てくる。涙になってこぼれ落ちていく。

 私が何度も殺した想いは生きていた。
 言えなかった言葉たちは、ここに生きていた。ちゃんと私の感情は私の中にいてくれて、私は存在している。

 たくさんの色が溢れてきて、私はもう透明じゃなかった。

 私を無色にしていたのは他でもない私だった。


 涙が次から次へと溢れてきて、次に滲んだ視界に現れたの背景はピンク色。
 
【君といるときの僕が一番すき。
 無理に口角をあげなくてもいいし、変に声を高くしなくてもいい。
 ありのままの僕がいて、君が僕の言葉を受け入れてくれる。
 誰かと一緒にいるといつもどうしようもなく疲れる。
 君といると、ひとりでいるより解放されていて
 ふたりでいることが嬉しいんだ。
 君が好きだよ】

 あまり飾っていないシンプルな150文字のピンク。

 このピンクは偽物のピンクじゃない。 

 これは駆への想いだ。
 オトでもキイでもなく、私から駆への。シンプルな恋する気持ち。

 それも全部投稿する。
 これは私の感情の中で、私が一番好きな色だから。
 駆といるときの私が一番好き。シンプルで優しい気持ちでいられる、淡い穏やかなピンク色。


「これで終わり。全部」

 百を超える下書きをすべて投稿した。
 一体どれほど時間がかかったのだろうか。
 涙で頭はぼうっとするし、手の中のココアはすっかり冷めきっている。
 だけど、指先は不思議とあたたかい。

 
 今までずっと仮面を作り上げていた。
 誰かに求められる私になろうと思って。そうすれば人に必要としてもらえるから。
 本音を塗りつぶしているうちに自分がわからなくなった。
 ……だから仮面を剥いだら、そこには何も残らないと思っていた。
 
 だけど全部剥がれたら、ぐしゃぐしゃに泣いている私が現れた。
 瞼が重くて、目はいつもの半分以下の大きさかもしれないし、鼻は赤くて鼻水もたれているかもしれない。
 それでもいつものへらへらした顔より、自分のことを悪くないと思える。


「雫、ありがとう」

 ずっと隣にいてくれた駆が笑ってくれる。
 駆の瞳からも一粒雫が落ちる。ずっと隣で私の言葉を受け止めてくれていた。

「俺、ほんとうに雫の言葉が好き」
「……ありがとう」


 連投したから、タイムラインは私の言葉と私の色で埋まっていた。
 
 ここは誰かの感情を受け止めてくれる場所。
 雑音も何もない。ただ人の心に寄り添ってくれるあたたかい場所。

 私の、私の一部が誰かに届く。それは本当は怖いことではなかった。

「ありがとう」

 私はスマホを抱きしめて、どこかの誰かに呟いた。
 誰かが受け取ってくれるかもしれない。
 ……私の言葉は、誰かに届いているだろうか。少しでも誰かに寄り添えた言葉になっているだろうか。
 
 ううん。本当は、こうして気持ちをただ受け止めてくれる場所があるだけで十分だ。

 私がLetterで言葉を保存し続けていたのは、誰かに伝えたかったからじゃない。

 自分の中に生まれたこの気持ちを、殺したくなかったから。
 私自身が、私の感情を知ってあげたい。

 だから、本当は誰かに届かなくてもいい。
 私にはたくさんの色が溢れている。
 きれいで澄んだ色も、醜く濁った色も。
 恥ずかしくないし、どれも私の一部だ。

 すべての色を、私が、私自身が、知るだけでいい。

 これからも嫌いな時間も灰色の日々も大きくは変わらない。でも自分に嘘はつかなくてもいい。そう思うだけで、目の前の景色がすっきりとして見える。

「ひどい顔してるよね」
「まあな」
「でもいつもの顔よりいいでしょ」
「んー? 俺の前では前から雫いい顔してたけどな」

 少しだけ赤い目で駆は笑った。駆にはやっぱり全部ばれている気がしてしまう、私の気持ちも。

「泣いてる雫さん。どうですか、俺の肩貸せますけど」
「ではお邪魔します」
「え、素直」

 今夜はもう少しだけ本音をさらけ出してもいいでしょう。私たちはしばらく優しい光の下で寄り添っていた。
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