透明な僕たちが色づいていく

川奈あさ

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3.ブルー時々ピンク

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【プラスとマイナスの天秤って人類平等なんだろうか。
 私の天秤は、常にマイナスに傾いている気がする。
 プラスとマイナスは交互に来るって言うけれど本当かな?
 マイナスの皿の方に悪魔がどっかり座ってたりして。
 幸せなことがあると、それが許せないみたいに
 すぐに傾くの、大きく、マイナスに】
 

 駆と〝オトとキイの物語〟を始めてから、一度も書いていなかった黒く塗りつぶされた感情。黒い背景の気持ちを久々に下書き保存した。


 今週は駆との予定はない。お父さんは会社の人とゴルフに出かけていて、悟は練習試合。お母さんはもちろんその付き合い。今日は送迎だけでなく、手伝いの仕事もあるとはりきっていた。
 香菜と友梨は今日もデート。もしかしたらダブルデートかもしれない。
 よくある週末だ。何も変わらない週末のはずだった。お母さんが帰ってくるまでは。

 Letterを眺めながら、お母さんが用意してくれていた卵サンドイッチを食べていた昼食の時間。玄関から扉を強く閉める音がした。

 お父さんがもう帰ってきたのかと玄関側を見やると、勢いよくリビングに入ってきたのはお母さんだった。動作は大きく、目は赤く息も荒い。

「お母さん、大丈夫……? 体調悪い?」

 私が思わず立ち上がるとお母さんは私の姿にようやく気付いたみたいだ。その場にへなへなと座り込むから、私は慌ててお母さんの元に駆け寄る。

「どうしたの? 熱?」
「……してた」
「え?」
「お父さん、本当に浮気してた」
「……えぇ?」

 お母さんは頼りなく息を吐き出した。それ以上は何も言わず頭も垂れるから、私はお母さんの隣にかがみ背中に手を当ててみる。
 大きく息を吐いているお母さんを眺めてみても、頭が真っ白になっていて私もよくわからない。

 ええと。お母さんは今「お父さんが浮気していた」と言った?
 悟の練習試合に行っていたはずのお母さんがなぜこんなに早く家に戻ってきているのか……。そんなことはどうでもいいな。
 そこから考えてしまう私もだいぶ混乱していた。

 お父さんが浮気だなんて、信じられない。
 だけど今のお母さんの状態を見れば、お母さんが嘘をついているとは思えない。

 私が混乱しているうちにお母さんは立ち上がり

「ちょっとお茶飲むわ。のどがカラカラなの」

 眉を下げた笑顔でキッチンに向かう。私はいまだ回らない頭でお母さんが麦茶をグラスに注ぐ様子をぼんやりと見ていた。

 お母さんは私の分の麦茶も注いでダイニングテーブルに座った。私の席の前にお茶が置かれているから、私も座る。お茶を一気に飲み干すとお母さんはまた笑顔を作った。

「ごめんね。まさか雫が下にいると思わなかったから情けない姿見せちゃった」

 どう見ても先ほどまで泣いていた真っ赤な目。

「お父さんが浮気してたの。……お母さんの話、聞いてくれる?」

 弱弱しい声でお母さんが訊ねる。
 質問だけど、それは柔らかな命令だ。

 だめ。聞きたくない。お父さんの浮気の話なんて。心臓の音がやけに大きく頭に響いて私を引き留める。

 お父さんのそんな姿知りたくない。
 だって私はお父さんのこと……。

「うん、大丈夫だよ」

 痛々しいお母さんの姿に、唇が勝手に呪いの口癖を呟く。

 許可を得たお母さんはすべてを放出していく。はじまりから、すべてを。
 私はそれをどこか現実味のない知らない家庭の話のようにぼんやりと聞いていた。まだ半分以上残っている卵サンドを見つめながら。

 お母さんが語るには。
 数ヵ月前から女性の影を感じていたお母さんは、今日お父さんの後をつけることにしたらしい。悟の送迎担当というのは、お父さんを油断させるための嘘だったのだという。
 この日のためにレンタカーを借り、お父さんの車の後をつけたお母さんは、女性を車に乗せるお父さんをとうとう見つけたらしい。

「取引先の人が女の人だったとかは?」
「ううん。そのままホテルに向かったから」

 ガン、と頭で殴られたような衝撃。ほんの少し縋りつきたくなる希望も打ちのめされた。

 生々しいその言葉に吐き気がこみあげてきて、その現場を直に見たお母さんが目を赤くする理由もわかった。
 絶句してしまった私にお母さんは困った顔をするから「そ、そっかあ……」と慌てて言った。それしか言えなかったけれど。

「これからのこと、考えておいてね」
「……これからのこと?」
「まだどうなるかはわからないけど、お父さんについていくかお母さんといるか、よ」

 お母さんが帰ってきてから、ずっと脳がうまく機能していない。
 どくどくと鳴り響く心臓がうるさくて、耳鳴りがして何か考えようとしても雑音にかき消される。

 お母さんの質問の意味を考えたくないから、頭を真っ白にするしかなかったのかもしれない。

「お母さん頭痛いから少し寝るわ……。夕飯はちゃんと作るからごめんね」

 その『ごめんね』は何に対しての『ごめんね』なのかわからない。

 お母さんはげんなりとした表情を向けるが、私に話したことで気持ちは落ち着いたようだ。先程より顔色は悪くない。
 二階に上がろうとしたお母さんは、思いだしたように振り向いた。

「そうそう。お父さんと悟にはこのこと言わないでね。慰謝料とかのことを考えると、お父さんのことは泳がせたいし。悟に余計な負担かけたくないから」
「わかった、大丈夫。もちろん言わないよ」

 私は階段に向かって笑顔を向ける。
 お母さんから吐き出された毒素を全身で受け止めてしまった私は立ちすくむ。
 
 そしてお母さんの姿が完全に見えなくなってからテーブルに突っ伏した。身体が重くて頭をうまく支えられない。

 どうして。
 どうして、私に話したの。やり場のない気持ちをスマホに打ち込んで……そしてはそれは投稿せずに削除した。

 この気持ちをどこかに捨てられたらいいのに。
 
【受け取った言葉を、ゴミの分別みたいに分けられたらいいのに。
 人にあげたい言葉だけをリサイクルに出して。
 いらない言葉はすぐに燃やすんだ。
 どうして人からの言葉をどんどん貯めこんでしまうんだろう。
 忘れたい。捨てたい。なかったことにしたい。
 でも、全部全部蓄積されて、私はゴミ箱の中】
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