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2.緑から赤へ

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 【喉まで登った言葉を飲み込むのは、誰かを傷つけないためだ。
 私なら、言わないのに。私なら、こうするのに。
 だけどそれはぜんぶ私の物差しで私の正しさは正解ではない。
 標準時間があるように、世界基準があるように、法律のように。
 心の物差しも統一されていたらいいのに】


**

「本当にくれるのー!? ありがとーっ、二枚も!? お母さんの分もくれるの!?」


 登校して一番に香菜のもとに向かい、特典フィルムを出すと想像通り大喜びしてくれた。
 感情を爆発させてその場で飛び跳ねる香菜は、誰が見たってかわいい。

「香菜の好きなハヤテくんうつってるやつ!」
「きゃーっ! 最高! ありがとう雫!」

 香菜は嬉しそうな顔でフィルムを受け取ると、二枚をじっと確認する。

「あ、こっちはダブりだから返すわ」

 一枚が私に戻される。

「ダブり……?」
「私たちも昨日観に行って、これは彼氏が引いたやつと同じなの。あー五十種類もあるのにダブっちゃったかあー」
「そっかあ、残念」

 笑顔を浮かべる私の手に戻ってきたのは、桜の下にいるハヤテくんが微笑んでいるもの。
 ……私が引いた特典だ。

「てか聞いて! みんなハヤテくん引くのに私だけが引けなかったんだよー? 友梨と友梨の彼氏が引いてくれたやつもハヤテくんだったのに! 物欲センサーってやつ?」
「あはは、そういうのあるよね」
「ハヤテくんうつってるのはあと十種類くらいあるみたい。これコンプする人いるのかなー?」
「結構大変だよね、集めるの」
「フリマアプリとか使ってんのかも」

 ――私なら。
 私ならダブったことは言わずに笑顔で受け取る。
 人間、知らなくてもいいことってある、と思う。

 だけど素直に言うことも別に間違っては……ない。もらったものをこっそりフリマアプリに出品する人よりはよっぽど誠実なのだから。
 
「おはよー」

 そこに友梨が登校してきた。
 私たちのもとまでやってきて、香菜の手元を覗き込む。

「特典のやつー?」
「そうそう、雫もくれたんだ」
「良かったね。香菜、私の彼氏にもお願いしてて笑ったわ。どんだけ必死なのって」
「友梨だって自分の推しなら必死でしょ。昨日行ったレストランが推しとコラボしてたからって、フードファイターかってくらい頼んで――」

 二人はそのまま昨日のダブルデートの話で盛り上がるから、私は目を細めてうなずき役に徹する。
 
 ――私なら。
 その場にいなかった人がいるなら、その話はやめておくのに。
 三人の共通の話題になりそうな映画の中身について話す。


 もっと鈍感になれたらいいのに。
 細かいことを気にしないでいられたらいいのに。
 私の物差しってすごく目盛りが細かいか、十センチもない短いものなのかもしれない。



 **


 三回目の水曜日が訪れた。

「それでは三回目の作戦会議を始めます」
 
 駆はコホンとわざとらしく咳払いをして宣言した。
 西日に照らされた駆の髪の毛が透けている。この光景も見慣れたものになった。

「俺たちはのんびり会議を続けてる場合ではありません」
「同感です」
「というわけで今日で決め切って、明日からはどんどん内容を書いていきましょう」
「了解しました」
 
 私たちに残された時間は二カ月。

 設定か、どういう方向性にいくのか、そんなことを話し合っている段階ではない。
 なんせ私たちは七十回は投稿をしないといけないのだから。そのためにはたくさんの150文字が必要だ。

「それでは今回の俺の宿題を発表します」

 先週とは打って変わって、お母さんに褒められ待ちの子供のような表情になる駆。どうやら今回はかなりの自信があるのだろう。

「まず一つ目。一応短編小説になるわけだし主人公たちの名前を決めておこうと思って」
「いいね!」
「というわけで名づけをしました。主人公の男はオト。ヒロインの名前はキイ。啓祐のペンネームから取ってみたけど、安直すぎ?」
「ううん、呼びやすくて良いと思う。オトとキイ、カタカナね」

 ネイビーの革の手帳の新しいページに『主人公:オト ヒロイン:キイ』と駆の字が追加されている。お兄さんより、太くて丸い字だ。

「二つ目にこの短編小説のあらすじを決めました! オトの恋を四季と共に追う話。秋から二人の関係が始まって恋愛感情を自覚する。冬と春は切ない片思いが続いて、夏にオトがキイに告白をして友達以上恋人未満の関係が終わる」
「うんうん。いいね」
「三つ目に構成。小説における地の文みたいな150文字と、Letterらしい150文字で完結する文章を合わせていこうと思う」
 
「これは俺が考えた〝地の文の150文字〟」と言って、駆は印刷した用紙を私の前に置いた。


【僕たちは友達の試合を応援するために秋の公園を訪れた。
まだ色づいていない木々を抜けてグラウンドまで歩いていく。
いつもの五人で普段通りの会話を続けるけど、制服姿ではないキイがやけに目につく。
僕はキイから目をそらして、緑のままの紅葉を眺めながら歩いた】

「すごい! 状況もわかるし、150文字でも完結してるし素敵だよ……!」
「方向性はっきりしたら、ちょっとだけ書けた」

 照れたように頬をかいて駆は笑う。

「で、これが〝Letterらしい150文字〟」

 と言いながら紙をめくると、次の文字があらわれた。
 
【「キンモクセイの香りがすると秋が来たって思うんだよね」
 君がそんなことを言ったから、
 風が頬を撫でるたびに君のことを思い出す
「オレンジが好きなんだ、気持ちが明るくなるから」
 目に入る橙が発光するように主張し始めて
 秋はどこにいても、君がここにいるみたい】
 
 これは公園に行った後に私が考えた秋の花のお話だ。

「この二つの話みたいな〝地の文の150文字〟と〝Letterらしい150文字〟を繰り返すことで一つの短編小説にしていく」
 
 一つの短編小説をただ単に150文字に区切るのではLetterに投稿する意味がないし、Letterのようなポエム調だけでは短編小説としては抽象的すぎる。
 二つを組み合わせながら、Letterならではの小説にしていくということだ。

「〝地の文の150文字〟を俺が担当して、雫は〝Letterの150文字〟心理描写を担当してほしい。内容はいつもclearさんが投稿している感じで」
「わかった!」
「〝Letterの150文字〟の割合が多くなると思うから俺も書く。でも文章能力とか語彙力はあんまりないから、俺が考えた話は一度ブラッシュアップしてもらえると助かる」
「了解。私はアイデア出しが一番困るからちょうどいいかも」

 適材適所・役割分担で異論は全くない。

「共作だとしてもコンテスト応募は代表がしないといけないから、こないだ決めた通りkeyのアカウントで投稿していく。二人でいくつか考えて採用したものだけを投稿しよう」
「おっけー」
「投稿順番は任せてもらっていい?」
「もちろん! そこは主導権握ってもらったほうがスムーズにいきそう」

 今後の方針も固まって二人で一息つく。
 面白いくらいに決まっていくから、これだけで少し満足してしまうくらいだ。
 そういえば駆は成績も上位だった。詩的な表現は苦手だとしても仕事はできる。

「よし! 次は中身に入っていこ!」

 張り切った駆の言葉が図書館に響き、私たちは目を合わせて肩をすくめた。お互いがシーッと人差し指を自然と立てるから声を出さずに含み笑いをする。

「……まずは一つ目の秋について。二人の恋の始まり、だけど。オトとキイはクラスメイトなわけで、出会って半年くらい経っちゃってる。〝出会い〟からスタートはできないよな」
「春なら同じクラスになって一目惚れとかもできたけどね。秋に〝出会い〟を入れるなら、転校生とか?」
「あー」
「それか何かのきっかけで特別な関係になるとか」
「俺らみたいに、か」

 駆は何の気なしに言ったんだろうけど、まるで自分が特別と言われているみたいでどぎまぎする。
 ただのクラスメイトからLetterをきっかけに、こうして毎週顔を突き合わせて作戦会議をする関係にはなっている。
 駆は何の意図もなくありのままを言っているだけ。
 ……モテ男はこういうことを言っちゃうからモテ男なのだ。

「特別なきっかけを考えるのって大変だな」
「ね。私たちは一万文字の短編だし、何か設定を練るよりかはもっと単純に『仲がいい友達がふとした瞬間に特別に思えた』くらいがいいかもしれない。さっき駆が考えてくれた〝地の文〟もグループの中のひとりって感じだったね」
「そうしよう。秋に始まったわけじゃなく、気付いたってわけだな。よし、色々考えてても仕方ないし! まずは秋を攻略! 〝ただの友達が、クラスメイトが、特別に変わる瞬間〟これを秋から冬まで書く」

 私と駆はそれぞれ自分のノートや手帳に
『秋:ただの友達・クラスメイトが特別に変わる瞬間』と記入した。
 やるべきことが固まったら、あとは150文字を書いていくだけだ。

 今回の宿題は〝友達から特別になるまでの150文字〟を思いつくだけ作ってくることに決まった。
 
 締め切りまで二ヶ月。七十回投稿する。季節でわけると、半月で十七回程。そう考えれば間に合いそうだ。カレンダーアプリを二人で確認して安堵する。
 
「次の水曜日までにお話考えるの頑張ります!」
「clearさんの150文字、普通に楽しみ。でも俺はインプットがないと難しい。――というわけで今週末もでかけませんか?」

 毎週水曜日、図書館で作戦会議をして、週末には二人で出かける。
 それは特別な関係に思えてしまって、頷くまでに数秒かかった。
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