透明な僕たちが色づいていく

川奈あさ

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1.序章

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  私の一番嫌いな時間が始まった。

「早く帰ってくるなんて知らなかったから。文句があるなら連絡してくれる? いつも遅いんだから」

 それは両親が会話をしている時間。

 棘のあるお母さんの言葉が食卓に響く。私は二人の顔を見比べてしまうけど、悟は知らん顔で豚バラを口に放り込んでいる。

「別に文句を言ったわけじゃない」
「じゃあなんでわざわざ言ったの」
「靴下がある、と感想を言っただけだろ」
「そんな言い方してない」
 
 久々に夕食の時間にお父さんが帰ってきた。手を洗おうとして、洗面所に汚れた悟の靴下が漬けてあったことが気に入らなかったようだ。リビングに入るなり「靴下が邪魔だった」と吐き捨て、それにお母さんがカチンときたわけだ。

 お父さんは気に入らないことがあると我慢できずにぼそりとつぶやき、お母さんはそれに大きく反応してひとこと言い返さないと気がすまない人だ。二人は相性が悪い。子供ながらなぜ二人は結婚することになったんだろうと思うほどには。
 
 二階から苛立ちに任せて扉をしめた大きな音がする。お父さんはイライラすると物に当たりすぐに書斎に閉じこもる。

「ご飯どうすんの!? 食べるの、食べないの!?」

 お母さんが二階に向かって叫ぶけど返事はない。

「はあ、もう……」
 お母さんは「物に当たらないでよ」とため息を付く。
 
 二人の刺々しい会話はいつも私の心を的確に刺す。どうして二人とも全てを吐き出してしまうのだろう。ひとこと留めておくだけでこんな空気にはならないのに。

「今日中に洗わないと明日間に合わないもんね」

 神経質に箸をトントンと打ち付けるお母さんに、私は笑いかけてみる。

「そうよ。それに洗剤に漬け込んでおかないと汚れ取れないし」

 お母さんは私の共感に少し表情を和らげた。

 ……良かった、〝正解〟だった。あまり味のしなくなったご飯を噛み締めながら安堵する。
 だけど機嫌は完全に回復していないらしく、いつもの悟への怒涛の質問もなく、ダイニングには静かな重い空気が漂っている。

「そういえば、今日帰りに久々に田岡のおばちゃんに会ったよ」

 この空気を和らげようと私はどうだっていい話を始めた。絞り出した世間話は自然と早口になる。

「田岡も野球やってるって知らなかったなー。今田岡も私立いってるみたいで――」

 そのとき、私の言葉を遮るように音を立てて悟が立ちあがった。食べ終えた皿はそのままに、白けた顔をして二階に上がろうとする。お母さんはすぐに悟を追いかけて

「悟! 監督にもらってきたプリントがあるから! 後で見てね!」

 と階段に向かって呼びかける。

 そうして私のどうだっていい話は宙ぶらりんになる。この話が聞いて欲しかったわけではない。私にとってもどうでもいい話だ。
 
 誰にも受け止められず無意味となった言葉たちが、私の体積を一ミリ削った。こうして私は少しずつ削られていって最後には消えちゃうのかもしれない。
 
 ――今の感情。あとでLetterに投稿しようか。
  
 お母さんは悟がいなくなると堂々とお父さんの愚痴を始めたから、私はLetterのことを思い浮かべながら、愚痴を一つずつ受け流す。

 お母さん曰く、私は友達のような存在らしいのだ。悟は子供で私は友達。それは喜ぶことなのか悲しむことなのかいまいちわからなかった。

 食べ終えて二階に上がると書斎の扉が開いてお父さんが出てきた。どうやらトイレに行くつもりらしい。

「お父さん、おかえり」

 私は笑顔を作ってみるけれど、お父さんは不機嫌そうにちらりとこちらを見るだけで私の横をすり抜けてトイレに入っていった。

 ……機嫌が悪いだけ。私のことが嫌なわけじゃない。

 そう心のなかで呟いて早足で自分の部屋に入ると、焦るようにスマホを取り出した。身体の力を抜いてベッドに寝転ぶとLetterを開く。

 心臓がすっかり冷えてしまった時は、黒色の投稿を見ることにしている。もやもやが絡まったこの感情と同じ感情を見つけたかった。それから自分の感情を打ち込む。

「暗い文章だなあ……没」

 そして今日も投稿ボタンを押せず、削除する気にもならず、真っ黒の感情を下書き保存した。


【言葉も、視線も、態度も。剥き出しの刃だ。
 誰かを斬り捨ててまで、言葉って吐き出さないといけないの?
 僕の言葉は鞘に収めたまま錆びついて抜けない。
 笑顔の鎧が重いよ】


 目を瞑っても両親の会話が聞こえるみたいだ。相手の気持ちよりも自分の感情を優先した言葉たち。まわりを傷つける言葉たち。

 私は自分の言葉を吐き出すのが怖い。
 
  
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