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2章 レイン・リスター

22 凍えた喉の温め方

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「よくいらっしゃいました。自分の家だと思ってゆっくりお過ごしくださいね」

 出迎えてくれたのは妖艶に微笑むのはアナベル様。皆が魅了されるのもわかる、少女とは違う大人の女性の深い美しさがある。
 以前ご挨拶した時はただ美しい人だと思っていただけだけれど、事情を知ってから目の前に立つとお腹が冷えるような感覚が襲う。

 ついに決戦のパーティーの日がやってきて、私たちは王都から一時間程離れたリスター家に来ていた。

「お招きいただきありがとうございます。二日間よろしくお願いいたします」
 カーティスに微笑まない方がマシだと言われたので笑顔は封印して、真面目に見えるように丁寧に礼をした。

「疲れているからパーティーまで部屋で休ませて欲しい」
 レインは開口一番そう言った。

「レイン、久しぶりなのだから母とのお茶に付き合ってくれない?」
「いえ、妻を一人にはできませんから」
「そうね、それなら明日はどうかしら?アメリアがお姉様が出来たと喜んでいたから。セレンさん、明日ぜひアメリアと過ごしてあげて」
「それでは部屋に向かいます、また夜に」

 アナベル様の提案には返事をせずレインは館に向かっていく。私とカーティスが彼の後ろを追うと
「女性はエスコートしてあげなくちゃだめよ」
 と甘い声が後ろから聞こえた。その声から逃げるようにレインは足を早めた。

 館に入り彼女の影が消えるとレインは息を吐いた。レインの顔は真っ青だ。
 並んでいる使用人たちが「おかえりなさいませ」と私たちの荷物を受け取る。そして「こちらです」と歩き出す、滞在する部屋に案内してくれるようだ。
 王都のリスター家の使用人とは雰囲気が違う。丁寧で完璧な対応だけれどレインを見る目は冷ややかだ。

 数名の使用人の後をついていくと、彼らは二階の一室の前で歩みを止めた。

「滞在中はこちらの部屋をお使いください」
 開かれた扉の前で笑顔を向けてくる使用人に少し戸惑う。まさか……。

「すみません、こちらはレイン様のお部屋でよろしいでしょうか?セレン様のお部屋は?」
 カーティスが横から出てきて、使用人に尋ねる。

「いえ、ご夫婦で使用される部屋でございます」
「ゆっくり過ごせるようにそれぞれの部屋を用意するよう頼んだはずですが?」
「新婚さんですもの、同じ部屋にしてあげないとかわいそうでしょう?」

 くぐもった甘い声が後ろから聞こえてくる。そして、甘い匂いがその場に立ち込める。

「かわいい息子夫婦のためですもの。かわいい孫が出来るかもしれないわね。まさか一度も同じベッドで眠ったことがないだなんてことはないわよね?」

 振り向くと微笑むアナベル様がいる。隣のレインを見るとこんなに涼しいのに汗がにじんでいる。

「ご配慮ありがとうございます。行きましょうレイン」

 ここで話していても無駄だ。私はアナベル様の目を見て伝えると、レインの手をしっかり握った。彼の手は汗ばんでいるのに酷く冷たい。
 アナベル様の目線が私たちの手元に移動するのがわかる。私は凍えるレインの手をもう一度ぎゅっと握り、アナベル様に軽く礼をすると部屋に進んだ。

「夜また会えるのを楽しみにしているわ」

 アナベル様の声が追いかけるように聞こえた。私は聞こえないことにして進む。早くレインをあの人の目の届かない場所に連れていきたい。

 扉を閉めた音が聞こえてようやく振り向くと、使用人たちから全ての荷物を受け取ったらしいカーティスの姿が目に入る。あの冷ややかな目の人たちをこの場に入れたくなかったから、カーティスの心遣いがありがたい。

「レイン、ここに座って」
「ありがとう」

 部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルにレインは座った。
 客人をもてなすために用意された素敵な部屋だ。調度品はどれも見るからに高級品だし、窓は大きく光はたくさん差し込んで明るい。それなのにどこか冷たい部屋だった。
 旅行の夜にレインが怯えてしまったベッドよりも一回り小さいダブルベッドが置いてあり、ソファなどはない。

「私はお茶の用意をしてきます」
 荷物をおろしたカーティスはそう言って出て行った。部屋には沈黙が訪れる。
 レインは座ったまま下をうつむいている。私は彼の目の前に屈んだ。
 結婚式の日もアナベル様には会ったはずだけれど、私の前では気丈に振舞ってくれていたのだろうか。こんな素振りはなかった。それともこの館が彼にとって恐ろしい場所なのだろうか。どちらもかもしれない。

「レイン、手に触れてもいいかしら」
「うん、ありがとう」

 レインの両手をそっと私の両手と繋いでみる。下から彼を見上げるとうつむいた瞳と目が合った。

「ごめんね、セレン。……本当に自分が嫌になるよ」
「ううん、大丈夫よ。大丈夫だから」

 項垂れた頭ごと抱きしめてあげたい。冷たい手をそっと握り続ける。

 しばらくそうしているとノックと共にカーティスが入ってきた。立ち上がろうとしたがレインはぎゅっと手を掴んだまま離さないからそのままの体勢でいることにする。
 カーティスも何も言わずに私たちの近くにお茶を用意していく。

「ありがとうカーティス」
「いえセレン様。こちらこそありがとうございます。では私は自分の部屋におりますので何かありましたらいつものように」
 そしてお茶の用意が終わればすぐにカーティスは出て行った。

「レイン、お茶を飲まない?」
「うん、ありがとう」

 固くこわばっていた手のひらに少し赤味が戻ってきている。少しだけホッとして私も椅子に座った。レインもようやく顔を上げてカップを手に取った。琥珀色が揺れる、レインの一番好きなお茶の香りがする。

「だいぶ落ち着いた、ありがとう」
 レインはようやく笑顔を見せてくれた。少しぎこちなさはあるけれど顔色もずいぶんよくなった。

「どうもこの館が苦手で……領主なのに自分の領地と家が苦手だなんてありえないだろう。セオドアやアメリアに任せてばかりなんだ」
 そしてもう一度目を伏せて、カップの中に生まれる波を見つめている。

「レイン」
 名前を呼ぶと不安そうな瞳がこちらを見た。
 呼びかけてみたけれど何を言えば彼の気持ちが安らぐのかわからない。

「無理しないで……こんなことしか言えなくてごめんなさい」
 素直な気持ちを吐露するとレインは小さく笑ってくれた。

「気を遣わせてしまったね」
「そんなことないわ。解決できることはゆっくりでいいし、できないものは無理はしなくてもいいのよ」
「ありがとう。セレン、ごめん。もう一度手を繋いでくれる?」
「ええ」

 レインは立ち上がると私の椅子の前まで来て、両手を繋ぎ合わせた。
 やっぱりぎゅっと抱きしめてあげたくなる。この館で苦しんだ十五歳のレインごと。

「カーティスにも部屋は用意されているのでしょう?私がそちらに泊まるのはどうかしら?」

 ひとまず落ち着いたけれど夜のことも考えねばならなかった。この館で女性と二人で過ごすだなんてレインにとっては恐ろしいことでしかない。

「ううん、いいよ。このまま二人で」
「でも……」
「使用人用の部屋に客人を泊まらせるだなんて、ありえないことだと言われるよ」
「こっそり夜に抜け出すのは?」
「カーティスが使うだろう部屋は男性使用人たちが寝泊まりしているあたりだ。セレンをそんなところに一人で泊めるのは嫌だよ」

 私の手のひらにぐっと力がこもる。レインを見ると予想に反して穏やかな顔をしている。

「この部屋にセレンといた方が落ち着くと思うんだ、たとえ夜でもね。さっきまであんなに気が張っていたのに今は王都の私たちの家にいるくらいの気持ちでいれる」

「レイン……」

「私はこの館にいい思い出が少ない。アナベルのことだけじゃなく。ここにいるといつでも息苦しいんだ。でも不思議だな。セレンがいると、息がしやすい。だから、一緒にいて」

「……もちろんよ!」

 勢いよく返事をするとレインはようやくいつもと同じ笑顔を見せてくれた。

「レイン、私はいつでもあなたといるから」

 もう一度ぎゅっと握る。

「ちょっとだけ抱きしめてもいいかな」
「だめよ、カーティスに言われたでしょ。滞在期間にショックが起こってしまったらアナベル様に何を言われるかって」
「そうだった」
「試すのは帰ってからにしましょう」
「はあ、早く帰りたいな」

 顔を見合わせて笑う。軽口を叩くいつものレインだ。私の息苦しさも消えていく。

 夜になればパーティーだ。今だけは気持ちを休めていたい。
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