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1章 セレン・フォーウッド
12 セレン・フォーウッド
しおりを挟む「くしゅんっ」
自分のくしゃみで目を覚ました。……やけに埃っぽい場所だ。そうだ、資料室にいたんだっけ。掃除しないといけないと思っていたんだ。
ううん、資料室じゃない。しっかり目を開けるとそこは知らない場所だ。
物置だろうか。小さめの部屋には大きな棚が両面にあり、物が無造作に置かれている。
そして、手首が痛い。ロープでぐるぐる巻きにされている。足首も同様だ。しかし一人用の小さなソファに座らされているからお尻は痛くなかった。服装は仕事中の白衣のままで、ゴソゴソ身を捩って自分の身体を触ってみる。怪我はしていなさそうだ。
部屋は暗いが、私の身長よりも高い場所にある小窓から月明かりが漏れてくる。どうやらまだ夜らしい。
そして目の前の扉が開き、痩せた眼鏡の男が入ってきた。――そうだ、私をここに連れてきたのは副所長だ。
「ああ、目覚めたんだね」
彼が手に持ったランプが私を照らす。光に照らされた眼鏡が不気味に反射する。
「どうして……」
まさかリスター家と副所長に繋がりがあったとは思わなかった。レインの母に頼まれたのだろうか。
「どうしてってそれは僕のセリフだよ。セレン・フォーウッドがセレン・リスターになるだなんて許されないんだよ」
私がリスター家には似合わないのだと言いたいらしい。
副所長は私の前に屈んで、私の首に手を伸ばす。汗ばんだ指が首筋をなぞる、嫌悪感がこみ上げる。
「ああごめんね、セレンたんの美しい肌が傷ついてしまった。でも大丈夫、ここから逃げた後に回復してあげるね」
「……どこに連れて行くんですか」
「どこにしようか?セレンたんはどこがいい?ベストエンドと同じくフォーウッド領の近くがいいとは思うんだけど見つかってしまいそうだよね。二人きりでいられるように誰も僕たちを知らない他国まで行こうと思ってるんだけどどうかな?」
熱に浮かされたように副所長は言うと、私の手を握った。ネットリとした指が絡みつく。……気持ち悪い。レインと手を繋ぐと胸が満たされたのに、今は身体が冷えて吐き気すらする。触られたくない人に触られる気味悪さを知る。
「……リスター家に頼まれたのではないのですか?」
「リスター家?何のことかわからないけど、セレンたんの名前が他の名前になるのは許せないよ!セレンたんはセレン・フォーウッドなんだ!」
どうやらこの行為はリスター家とは関係がなく、彼の意思で行われたことのようだ。
「セレンたんが主人公と結ばれるなら諦めるよ、だって僕はモブだからね。でも同じくモブの男と結婚するだなんて、それは絶対に許されないだろう……!」
「待ってください、何を言って――」
まさか、もしかして、
「私のことを、私と出会う前から知ってるんですか」
副所長は私が入社した時には既に働いていた。それよりもっと前から私を知っていたのだろうか。そう、前世から。
「そうだよ、セレンたんは僕の初恋で最愛の人なんだ。セレンたんがいる世界に転生できたなんてね……」
「転生……まさか……」
「おや?セレンたん。心あたりがあるのかい?……あはは!セレンたんも元は日本人だった!?そういうことかな!?」
私の反応を見て、勘のいい副所長はすぐに判断したらしい。身体を折り曲げて笑い始めた。
「そういうことか!セレンたんの設定にしては変なところがあると思ってたんだ!日本人の魂が入ったからだったのかな!?……でもいいよ、僕はセレンたんを愛しているからね。多少の変更くらいは問題がないんだ」
「どういうことですか」
「セレンたん、もしかして『エンドレスメモリーラブ』のことは知らない?」
「知らないわ」
「そんなに睨まないで、教えてあげるから。ああでもこうやってセレンたんに睨まれたかったんだ、最高だな。」
うっとりとした表情で副所長は私の顎を撫でる。
「セレンたんは『エンドレスメモリーラブ』の攻略対象の一人、セレン・フォーウッドだよ」
「攻略対象……乙女ゲームだったの」
「違うよ、美少女ゲーム『エンドレスメモリーラブ』だよ。ああ大丈夫、『エモラブ』は全年齢だからね。セレンたんの恥ずかしい姿はまだ見ていないから。これから僕だけに見せて」
「美少女……ゲーム……」
私は悪役令嬢ではなく。攻略対象の、ヒロインの一人だった!?
「僕は名前もないモブだったからね。今まで君やヒロインと関わることもなかったから前世のことも思い出さなかったんだけど。君が入社してきたんだよ……!全てを思い出して、もちろん運命だと思ったね」
当時のことを思い出すように副所長は目を閉じた。
「まさか君が入社するなんてね。ゲームの中の君とはまるで違う」
「セレン・フォーウッドは働いていなかったの?」
「そうだよ。君は人を信じることが出来ない引きこもりのご令嬢なんだ」
前世で働きたいと私が強く願っていたからセレン・フォーウッドの人生が変わったのだろうか。
「でも僕はわきまえていたんだよ、モブだからね。セレンたんを見守っているだけでよかったんだ。モブとしての役目を全うしていたんだよ。主人公はリリーたんと結ばれたからセレンたんの心の氷はとけることなく笑顔がないままだけど、それでも良かったんだ。僕はベストエンドを迎えたセレンたんよりも、共通ルートの冷たいセレンたんが好きだしね」
ベラベラと早口で語る副所長に、思考が追いつかない。ひとつわかるのは、ゲームは既にエンディングを迎えているようだ。
「推しはセレンたんだけど、シナリオはリリーエンドが一番好きだから最高だよ。リリーたんはメインヒロインで幼なじみポジなんだ。残念だったねセレンたん、主人公と結ばれなくて」
そう言われても、リリーの夫になった人は幼き頃からリリーの許嫁で。私は家族同士のお茶会にもほとんど参加しなかったから、会話をしたこともない。リリーの許嫁、という印象しかない。
「彼をそんな風に見たことはありません」
「それなのに、どうしてっ!」
機嫌よく語っていた副所長が突然激昂した。私の肩を掴んでゆさぶる。
「どうして、君は!ゲームにも登場しない、ただのモブの男と結婚しているんだ!!!君はセレン・フォーウッドというキャラクターだろう!?セレン・リスターだなんて許されない!!!」
「キャラクターじゃないわ」
私は生きてる、二十年間の記憶と積み重ねがある。副所長の都合のいいキャラクターではない。
「僕だってこんなことするつもりはなかったんだよ、ずっと君のそばで君の上司として君のことを見守っていられたらいいんだ。主人公のように微笑まれなくてもいい。僕は君のその冷たい瞳を愛しているからね」
言い聞かせるように彼はつぶやき始める。
「それなのに、君は……!他の男と結婚して、僕の知らない表情であの男を見つめる!君には変わってほしくないんだ、いつまでも出会った頃のセレン・フォーウッドでいてもらわないと」
「……」
「大丈夫だよセレンたん。本当はわけのわからない男と結婚なんて怖かったんだよね?僕と逃げよう。他国には日本のような国があるみたいなんだ。所長のような黒髪黒目の人がたくさん住んでいてね。僕たちが安心できる国だと思うよ」
ニタリと笑いながらもう一度私の頬を撫で始める。
「行きません、あなたを好きになることなんてない」
「それでいいんだよ。僕はね、君のその冷たい瞳が好きなんだから。何もうつさない瞳のままでいてほしい。だから、大丈夫だよ」
この男は、私を『エモラブのセレン・フォーウッド』というキャラクターとしか見ていない。理想のセレンたんのために、私に幸せにならなくていいと言う。心が凍ったままでいいと言う。
私は、キャラクターじゃない。ちゃんと生きたセレン・リスターだ。
「さあセレンたん、君がいなくなったと騒ぎが広まる前に出発しようか」
そう言って彼はマスクのようなものを取り出し、私の耳にかけた。
「魔法具開発者というのはいいよね。今日のために色々開発しておいたんだ。このマスクはどれだけ叫んでも声は漏れないように作ってみたんだ。試しに叫んでみてもいいよ」
彼は物置の隅に置いてあった荷台を私のもとに進めた。荷台の上には先程私が入れられていた木箱がある。
荷台を私の前まで進めると、副所長は私に近寄り手足のロープに電気を放った。微力なものだが、手足は痺れて動かなくなる。そして私を……抱き上げた。
「はあ夢みたいだ、セレンたんを抱きしめられるなんて」
生暖かい息が私の顔にかかる。私は目を閉じて顔を背ける。
「ふふ、マスクしているとキスが出来ないのは残念だね。いつまでもこうやってお姫様抱っこしていたいんだけど、追手が来たら困るから後にしよう」
そして彼は私をあっさりと木箱の中にいれた。
「君が失踪したからと言ってすぐに僕に疑惑の目が向くことはないとは思うんだけど、職員全員に聞き取りがあるかもしれないからね。僕の家にも捜査が入るかも。まあここは僕の家ではないから、バレることもないんだけどね、ふふっ」
早口で彼は笑って、私の頭を撫でる。
「ごめんねセレンたん、少し居心地が悪いよね。それに蓋を閉めてしまうから暗いけど怖がらないでね、王都を離れたら出してあげるから」
彼の脂ぎった顔がランプで照らされている。そして、蓋は閉められて暗闇が訪れた。
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