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第2話 過保護すぎる姉
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あれから、数年の月日が経ちました。
領地を持たない名ばかり公爵である父は、争いを好まない穏やかな性分です。そのため政治的な地位にはつかず、学術院で教鞭をとりながら古代言語の研究をしてのんびり暮らしておりました。
しかしその血筋と派閥の力関係から、とうとう学術院の総裁職に推されることになったのです。夜会など滅多に開かない当家ですが、慣例により祝賀会を開かぬわけには参りません。
「フロレット、その身体では夜会に出るなど辛いでしょう? だから誰に何と言われようと、出なくても大丈夫よ。心配しなくても、わたくしが上手に言っておいてあげるわ」
あれからずっと変わらぬ姉は、今も私に過ぎた保護を続けています。
「いいえお姉様、わたくしは大丈夫です。お父様の栄誉あるお祝いの席なのですもの、欠席などできませんわ」
「ああフロレット、大勢の人の前に出るなんて地獄も同然でしょうに、なんて健気なのかしら!」
「別に、地獄だなんて思ったことはありませんわ」
「まあ! 家族であるわたくしにまで遠慮しなくとも良いのよ? 夜会になんて出たら、きっとまた好奇の目に晒されてしまうわ……かわいそうに」
「誤解なさらないで、お姉様。わたくしは本当に平気なのです。きちんとお客様にご挨拶致しますわ」
「まあ、どうしても夜会に出たいだなんて……フロレットは仕方のない子ね。いいわ、少しだけなら連れて行ってあげましょう」
姉は我がままな子に手を焼く母のような顔をすると、困ったような笑みを浮かべてうなずきました。
*****
そして迎えた、夜会の当日。私は父や姉夫婦と並んで、ひっきりなしにいらっしゃる来客の皆様からの挨拶を受けておりました。そこへ現れたのは、父の元教え子だという人物です。彼は三十も近づく歳ながら珍しく夫人を同伴していない点では、私と同類と言えるでしょうか。
「おお、ヴィルジール君じゃないか……!」
「先生、いえ、もう総裁閣下とお呼びしなければなりませんね。この度はご就任おめでとうございます」
「はは、こんなものただの名誉職にすぎないよ。君こそ騎士団始まって以来の出世ぶりと有名じゃないか。ご婦人方が放っておかぬだろうに、良い人はいないのかね?」
ヴィルジール様と呼ばれたその方は、私と同じ公爵家の第二子だということでした。とはいえ名ばかり公爵の当家と北東の国防を担う三大公爵家の一角とでは、権勢の規模が異なります。
さらに当のご本人についても、学術院首席卒業の才人でありながら、その若さで騎士としても群を抜いた階級章を身に付けていらっしゃるのです。
父と話すその人物から、私は視線を逸らすことができませんでした。ですがそれは、彼が堂々たる体躯に礼装をまとい、高く通った鼻筋に鋭い両眼を持つ……そんな周囲の目を引く容姿を持つからだけでは、ないのです。
はっと気が付くと。彼は父との話を終え、次に控える姉夫婦へと挨拶を始めておりました。それはすみやかに終わったようで、とうとう私の順番です。
こういうとき何の利もない私に対しては殆どの方が素通り同然で、私もそれにはもう慣れっこのことでした。ところが、この人物はどうにも勝手が違う様です。
「ヴィルジール・ド・フランセルと申します。お見知りおきを」
そんなお方に手を取ったままじっと見つめられると、思わず気後れしてしまいます。しかし辛うじて動揺を隠して、無難な挨拶を返し終えると。ようやく彼は踵を廻らせ、私の前から立ち去って行きました。
*****
やがて音楽が変わり、歓談の時間が始まりました。
家族から離れひとり壁際で休んでいた私のもとに、近付いてくる人影があります。私はその人物の顔を確認し、そして全身から血の気が引いてゆくのを感じました。
「これはフロレット嬢ではありませんか……おっと、まだご令嬢で、よろしかったですか?」
数年ぶりにお会いしたシモン様は、そうおっしゃると薄い笑みを浮かべました。二十歳を過ぎても未だに『ご令嬢』……つまり未婚の女性は、この国では珍しいことなのです。
「はい。ローベ伯爵様」
この数年の間に爵位を継いだこの方は、顎を上げて私を見下ろし、口を開きました。
「ずっと独り身では今後もご苦労が尽きぬだろうが、まあ、頑張りたまえ」
恐れ入ります。と、私がつとめて冷静に口を開きかけた……そのときです。
「まあっ、一番辛いときのフロレットを見捨てた男が、どの面を下げて声をかけてきたのかしら!?」
「ベネット夫人! いや、その件はどうやら誤解があろうかと……」
つい先ほどまで余裕の笑みを浮かべていたはずのローベ伯爵は、姉の剣幕に負けたのか、今は引きつった笑みを浮かべています。
「でも、事実でしょう! 今すぐここから出てお行きなさい! さあ!」
詰め寄る姉の背後には、姉のお友だちであるご婦人方が壁を作るように立ち並び、揃って眉をひそめています。
「くっ、公女とはいえ、領地も持たぬ家の女のくせに……」
「まだ何か!?」
舌打ちを残して去っていくローベ伯爵を見送りながら、姉は顎を上げて言いました。
「ふん、恥をお知りなさい!」
姉の勝利を見届けて、背後のご婦人方からどっと称賛の声が上がります。
「さすがベネット様ですわ。妹御のためとはいえ、殿方を相手になんて毅然としていらっしゃるのかしら!」
「このくらい当然ですわ。不幸のさなかにある妹に追い討ちをかけるような仕打ちをしたあの男、断じて許せはしないのだから!」
「まあ! ベネット様はいつも妹御を大切にされていて、本当に素晴らしいわ。お姉様にここまで大事に思われているなんて、フロレット嬢は幸せね。羨ましいわ」
「あら、かわいい妹のためですもの、当然のことをしたまでですわ。さあフロレット、今日はよく頑張ったわね。でもそろそろ疲れたでしょう? お部屋を用意させておいたから、もう下がっていいわよ」
「……はい、お姉様。助けて頂きありがとうございました。それでは皆様、先に退出するご無礼をお許し下さい」
まだ大丈夫だと言ったところで、姉はその主張を譲ってはくれないでしょう。私が頭を下げてその場を離れると、背後からかすかに姉達の声が聞こえました。
「フロレット様も本当にお気の毒ではあるけれど、それほどお世話に付きっきりではベネット様が大変でしょう? もっとお外で息抜きなどされてはいかが?」
「あら、家から出られない妹を一人で放っておいて、わたくしだけ楽しんで来ることなんて出来ないわ。妹がかわいそうですもの……」
「まあ、ベネット様は本当に思いやりのあるお方ですこと!」
「そんなことありませんわ。姉として当然のことをしているだけよ」
「なんて謙虚でいらっしゃるの!」
それからも続く、苦労話を語る姉、そして姉を称賛するご婦人方の声が響く舞踏室を……私は黙って後にしたのでした。
領地を持たない名ばかり公爵である父は、争いを好まない穏やかな性分です。そのため政治的な地位にはつかず、学術院で教鞭をとりながら古代言語の研究をしてのんびり暮らしておりました。
しかしその血筋と派閥の力関係から、とうとう学術院の総裁職に推されることになったのです。夜会など滅多に開かない当家ですが、慣例により祝賀会を開かぬわけには参りません。
「フロレット、その身体では夜会に出るなど辛いでしょう? だから誰に何と言われようと、出なくても大丈夫よ。心配しなくても、わたくしが上手に言っておいてあげるわ」
あれからずっと変わらぬ姉は、今も私に過ぎた保護を続けています。
「いいえお姉様、わたくしは大丈夫です。お父様の栄誉あるお祝いの席なのですもの、欠席などできませんわ」
「ああフロレット、大勢の人の前に出るなんて地獄も同然でしょうに、なんて健気なのかしら!」
「別に、地獄だなんて思ったことはありませんわ」
「まあ! 家族であるわたくしにまで遠慮しなくとも良いのよ? 夜会になんて出たら、きっとまた好奇の目に晒されてしまうわ……かわいそうに」
「誤解なさらないで、お姉様。わたくしは本当に平気なのです。きちんとお客様にご挨拶致しますわ」
「まあ、どうしても夜会に出たいだなんて……フロレットは仕方のない子ね。いいわ、少しだけなら連れて行ってあげましょう」
姉は我がままな子に手を焼く母のような顔をすると、困ったような笑みを浮かべてうなずきました。
*****
そして迎えた、夜会の当日。私は父や姉夫婦と並んで、ひっきりなしにいらっしゃる来客の皆様からの挨拶を受けておりました。そこへ現れたのは、父の元教え子だという人物です。彼は三十も近づく歳ながら珍しく夫人を同伴していない点では、私と同類と言えるでしょうか。
「おお、ヴィルジール君じゃないか……!」
「先生、いえ、もう総裁閣下とお呼びしなければなりませんね。この度はご就任おめでとうございます」
「はは、こんなものただの名誉職にすぎないよ。君こそ騎士団始まって以来の出世ぶりと有名じゃないか。ご婦人方が放っておかぬだろうに、良い人はいないのかね?」
ヴィルジール様と呼ばれたその方は、私と同じ公爵家の第二子だということでした。とはいえ名ばかり公爵の当家と北東の国防を担う三大公爵家の一角とでは、権勢の規模が異なります。
さらに当のご本人についても、学術院首席卒業の才人でありながら、その若さで騎士としても群を抜いた階級章を身に付けていらっしゃるのです。
父と話すその人物から、私は視線を逸らすことができませんでした。ですがそれは、彼が堂々たる体躯に礼装をまとい、高く通った鼻筋に鋭い両眼を持つ……そんな周囲の目を引く容姿を持つからだけでは、ないのです。
はっと気が付くと。彼は父との話を終え、次に控える姉夫婦へと挨拶を始めておりました。それはすみやかに終わったようで、とうとう私の順番です。
こういうとき何の利もない私に対しては殆どの方が素通り同然で、私もそれにはもう慣れっこのことでした。ところが、この人物はどうにも勝手が違う様です。
「ヴィルジール・ド・フランセルと申します。お見知りおきを」
そんなお方に手を取ったままじっと見つめられると、思わず気後れしてしまいます。しかし辛うじて動揺を隠して、無難な挨拶を返し終えると。ようやく彼は踵を廻らせ、私の前から立ち去って行きました。
*****
やがて音楽が変わり、歓談の時間が始まりました。
家族から離れひとり壁際で休んでいた私のもとに、近付いてくる人影があります。私はその人物の顔を確認し、そして全身から血の気が引いてゆくのを感じました。
「これはフロレット嬢ではありませんか……おっと、まだご令嬢で、よろしかったですか?」
数年ぶりにお会いしたシモン様は、そうおっしゃると薄い笑みを浮かべました。二十歳を過ぎても未だに『ご令嬢』……つまり未婚の女性は、この国では珍しいことなのです。
「はい。ローベ伯爵様」
この数年の間に爵位を継いだこの方は、顎を上げて私を見下ろし、口を開きました。
「ずっと独り身では今後もご苦労が尽きぬだろうが、まあ、頑張りたまえ」
恐れ入ります。と、私がつとめて冷静に口を開きかけた……そのときです。
「まあっ、一番辛いときのフロレットを見捨てた男が、どの面を下げて声をかけてきたのかしら!?」
「ベネット夫人! いや、その件はどうやら誤解があろうかと……」
つい先ほどまで余裕の笑みを浮かべていたはずのローベ伯爵は、姉の剣幕に負けたのか、今は引きつった笑みを浮かべています。
「でも、事実でしょう! 今すぐここから出てお行きなさい! さあ!」
詰め寄る姉の背後には、姉のお友だちであるご婦人方が壁を作るように立ち並び、揃って眉をひそめています。
「くっ、公女とはいえ、領地も持たぬ家の女のくせに……」
「まだ何か!?」
舌打ちを残して去っていくローベ伯爵を見送りながら、姉は顎を上げて言いました。
「ふん、恥をお知りなさい!」
姉の勝利を見届けて、背後のご婦人方からどっと称賛の声が上がります。
「さすがベネット様ですわ。妹御のためとはいえ、殿方を相手になんて毅然としていらっしゃるのかしら!」
「このくらい当然ですわ。不幸のさなかにある妹に追い討ちをかけるような仕打ちをしたあの男、断じて許せはしないのだから!」
「まあ! ベネット様はいつも妹御を大切にされていて、本当に素晴らしいわ。お姉様にここまで大事に思われているなんて、フロレット嬢は幸せね。羨ましいわ」
「あら、かわいい妹のためですもの、当然のことをしたまでですわ。さあフロレット、今日はよく頑張ったわね。でもそろそろ疲れたでしょう? お部屋を用意させておいたから、もう下がっていいわよ」
「……はい、お姉様。助けて頂きありがとうございました。それでは皆様、先に退出するご無礼をお許し下さい」
まだ大丈夫だと言ったところで、姉はその主張を譲ってはくれないでしょう。私が頭を下げてその場を離れると、背後からかすかに姉達の声が聞こえました。
「フロレット様も本当にお気の毒ではあるけれど、それほどお世話に付きっきりではベネット様が大変でしょう? もっとお外で息抜きなどされてはいかが?」
「あら、家から出られない妹を一人で放っておいて、わたくしだけ楽しんで来ることなんて出来ないわ。妹がかわいそうですもの……」
「まあ、ベネット様は本当に思いやりのあるお方ですこと!」
「そんなことありませんわ。姉として当然のことをしているだけよ」
「なんて謙虚でいらっしゃるの!」
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