8 / 36
第一章 下拭き
2-3 王都民
しおりを挟む
投げ込まれた物はどれも壊れたものだが、すべて修理した。
壊れたものを放置しておくなど彼にはできない。
それらは家を拠点として充実させるために使えるものばかりだった。
自分にとって助けとなる付加価値を持っている。
となれば元の姿に戻す、これ一択だ。
ユシャリーノの直したい欲求を満たすことと、勇者として活躍するために必要な拠点づくり。
そのどちらも叶うのだから。
ようやく猪を調理できるようになり、飯にありつくことができた。
「たらふく食ったあ」
空っぽの腹を一気に満たすと力が抜け、その場で腰を下ろして天を見上げる。
調理後の焚火から上がる煙を見ながら呟いた。
「狼煙みたいだな……思いっきり肉を食べちまった、このままだとまずい。眠くなる前に次の作業をしよう」
両手で地面を叩いて体を起こし、焚火に向かって両手を合わせると頭を下げた。
「ごちそうさま。作業の助けになってもらうよ」
ユシャリーノは、腹を満たした後、直したものを届けるために家を出た。
薄暗い茂みを抜けて街道まで出ると、まず左右をちらちらと見る。
次に、たいして高さが変わらない背伸びをし、おでこに片手を当てて遠方を確認した。
二度の拠点破壊を経験したのだから、自ずと警戒してしまう。
きょろきょろとあちこち見ているユシャリーノの方が不審者に見えるが、幸い人の目は無かった。
「大丈夫そうだ」
ぼそっと呟くと、王都民の居住区へと向かって歩く。
城から拠点までの間しか見ていないユシャリーノは、居住区で目に入る景色すべてが新鮮だ。
「町って感じだなあ。家がくっついているのって生活し難そうだけど、どうなんだろ」
山育ちのユシャリーノは、隣の家というと隣の山か、近くても同じ山の麓だ。
人とのやりとりは、山仕事中に出会うか、大声を出して話をすることで互いの情報を得ていた。
静かな山だからこそできる伝達方法である。
やまびこがいい感じにムードを盛り上げていた。
「近所に向かって叫ばなくてもよさそうだけど、逆に何でも聞こえそうだな」
ユシャリーノの予想は当たっている。
夜の居住区では、夫婦が家の外で皿やレンガの投げ合いやら罵り合いやらをするか、抱き合ったまま朝まで愛を語り合う。
または、酒場から追い出された酔っ払いが、意味の分からない奇声を上げて文句を言っている。
そんな夜の町を知らないユシャリーノは、山で味わうことのない活発な雰囲気に心躍らせていた。
「みんな色んなことしてるなー。全部手伝ってあげたくなるじゃないか。とりあえず壊れたものを直す手伝いはできたから、早く返したいんだが――」
持ち主のわからない物を返そうというのだから、ただ歩くだけでは叶わないだろう。
町の光景を楽しみながら、どうしたものかと考える。
「せっかく人がいるんだから、聞くしかないな」
答えはすぐに出た。
返す相手はおそらく王都の人。
その王都の人たちが、見える範囲のあちこちにいる。
もしかしたら、尋ねた相手が偶然にも持ち主かもしれない。
ユシャリーノは早速、家の前で花の手入れをしている婦人に声を掛けてみた。
「こんにちは」
婦人は、聞きなれない声に振り返り、優しそうな顔で答えた。
「こんにちは。見かけない顔ね、どなた?」
「勇者です」
「……え?」
「壊れたものを直したのでお返ししたいんですが、持ち主がわからなくて……って、ちょ、何を!」
婦人は突然、目の前にある花壇の土を一掴みすると、ユシャリーノに向けて投げつけた。
「ちょっとー、あんたー!」
婦人は比較的穏やかだった表情を険しくして、家の中へ向かって叫んだ。
「お? どーした。もっと美人にでもなったか?」
家の中から婦人の夫と思われる男性が現れた。
「この子がさ、勇者だって言うんだよ」
「勇者だあ? はっはっは。久しぶりにがつんと一発パンチの効いた冗談を聞いたな」
婦人はユシャリーノの相手を夫に任せ、手入れの続きを再開する。
夫は代役を引き受け、ユシャリーノに笑顔で話し掛けようとした――。
したのだが……突然婦人の横をかすめて土を掴み、ユシャリーノに投げつけた。
「うわっ、何するんですか!?」
「わからねえ」
「はあ?」
夫は、土をオーバースローで投げ終わった後の格好で止まっている。
そばにいる婦人は構わず作業を続けているので、ただ夫がふざけているようにしか見えない。
夫は態勢を戻して言う。
「なんだか無性に投げつけたくなった」
「そんなこと……」
「えっと、勇者……だっけ? まあ、たまにはそんなピリッとした冗談もないとな。飯も香辛料を使った方が美味い。俺は好きだぜ、そういうの」
「えっと、冗談じゃなくて、その――」
「まあまあ、いいってことよ。んで、そんなにいろんな物を担いでどうした」
ユシャリーノは、直した物の中で一番大きい樽を背負い、その中にお返し物品を入れていた。
「あ、これ、壊れていたものを直したんです。なので持ち主に返したいんだけどわからなくて」
「ほう、樽まで直すとはなかなかやるねえ。見たところ俺んとこの物は無いな」
「そうですか」
「なあ坊主、持ち主探しを一軒一軒回る気か? それじゃあいくら時間があっても足りねえぞ。おまけにそれ全部、いらないものじゃねえか?」
「いらないもの、ですか?」
ユシャリーノにとっては、とても便利で助けられた道具だ。
どうにもいらないもの扱いができないので、不思議そうな顔をする。
「おうよ。人の好みの問題だからな。いらないと思うやつもいるし、必要だと思うやつもいる。人それぞれってことだ」
ユシャリーノは夫婦に礼をしてその場から離れる。
とりあえず片っ端から尋ねてみることにして、民を見つける度に声を掛けた。
しかし……、
「おっと、ごめんよ。珍しいな、俺が手を滑らせるなんて」
「ひっ! ナイフが飛んできた!?」
別の場所では、
――――がっしゃーん!
「うわっ! 植木鉢が落ちて来た!?」
「なんてこったい、それ高いやつだったんだよ。あんたが受け止めてくれてたらねえ」
「そ、そんな……いや、勇者としては受け取るべきだったか。すみません!」
「まったくだよ。なんで当たらないのかねえ」
「――え?」
行く先々で危険にさらされるユシャリーノは、居住区の一画を回っただけでヘトヘトになった。
居住区から離れ、街道で気持ちを落ち着かせる。
「ふう。町ってめちゃくちゃ危ないところなんだな。山とは違い過ぎだって。これじゃあ獣も弱くなるはずだ」
町からすると間違った認識だが、ユシャリーノにとっての事実は確かに危険な場所だった。
山に育てられた鋭い五感が無かったら、すべてを失っていたかもしれない。
「一人も持ち主に会えなかったし、いったん帰るか」
ユシャリーノは、投げ込まれた物の持ち主へお返しすることすらできず、しょんぼりして歩き出す。
「何か大きな間違いをしちまったのか? いくら知らない町とはいえ、ただ話を聞くってことがこんなに大変なわけがない。この町にとっては相当失礼なことをやらかしているのかも」
ぶつぶつ言いながらとぼとぼ歩いているところで呼び止められた。
また王都民かと思い、反射的に身構えてしまうユシャリーノ。
「ちょいとそこの少年、こちらで話を聞かせておくれよ」
家路に就いた矢先であり、そのまま早く拠点に戻りたい気持ちだったが、
「ん?」
「こっちじゃこっちじゃ。声を掛けたのはあたしじゃよ」
「何か用?」
小柄な身体に大きな帽子をかぶり、全身を染料にでも浸けたのかと思うほど濃い紫色を放つ老婆が手招きしている。
「久しぶりに話がしたいのじゃ。さあ、はようこっちへ」
「え。あのー、お金は無いよ」
「そんなものいらんよ……いるけどいらん」
老婆は、片手を適当に振って『いいから来い』という圧を放った。
ユシャリーノは、一抹の不安を覚えるが、ふと、お店のおばさんから受けた『威嚇』を思い出して素直に従った。
「まあまあ、ここに座りな。あたしゃ色んな国を回っているただの占い師さ。珍しい人が目に入ったものでね。あんた、勇者じゃろ?」
占い師は、小ぶりな机の前に置かれた椅子に座るよう促した。
ユシャリーノの経験上、自分から勇者を名乗ると酷い目に遭うが、声を掛けてくる人は好意的に接してくれるという流れがある。
確証はないが、淡い期待を持つ理由にはなるようで、言われるままに腰かけた。
「そ、そうだけど」
「なんだい、勇者ならもっと堂々としてな――と言いたいところだけども、まだ新人ならしかたがないねえ」
占い師は、慣れた手つきで、机の上に置かれている手触りの良さそうな布切れを取り去る。
すると、様々な色をした石が現れた。
しばらくの間、手をかざしてじっとする。
ユシャリーノは初めてみる光景に、何が始まるのかと占い師の手から目が離せなくなった。
占い師がかざした手は、石を光らせながら宙を泳ぐ。
「ほう。これはまた、結構やられておるな。少年よ、自分では気づいておらんじゃろう」
「何を?」
「精神も身体もあまりよろしくないと出ておる。最近ひどい目に遭っていたり、自分の主張を聞いてもらえないなどはなかったか?」
「おお、当たってる。確かにその通りで」
ユシャリーノは困り顔をして頬を掻いた。
「こういう状態は一刻も早く治した方が良い。一度、心療内科で診てもらった方がいいかもしれんな」
「しんりょうないか……?」
ユシャリーノは、なんとなく体のあちこちを確かめながら撫でてみる。
「見える傷ではない。心に傷があるんじゃよ」
「心に……」
きょとん顔で胸に手を当ててみる。
「そうじゃ。外傷よりも厄介な時がある。ひどくなる前に治さないと、大病を患うことになりかねない」
「それは困る」
ユシャリーノは、『外傷よりも厄介』、『大病を患う』という言葉に驚きはするものの、きょとん顔のままだ。
「ふむ。幸いここは王都じゃからな、たいていの医者が揃っておる。場所がわからぬのなら、連れて行ってもよいぞ」
ユシャリーノは、馴染のないことを勧められて困惑する。
これまで、医師に診てもらうことなど一度もなかった。
ありがたいことに、心は晴れやか、五体満足で育っている。
「病院、か」
「そうじゃ……ん? 病院は初めてか」
――体の調子が悪いだと? 俺の体がそんなことあるわけない。
ユシャリーノは俯いた。
しかし振り返ってみると、占い師の言う通り、ろくなことがない。
占い師は、俯いたユシャリーノに向けて同情している風に話を続けた。
「知らぬままの方が良いこともある。じゃがそれは、精神が蝕まれていると実感する期間を短くして誤魔化しているに過ぎぬ。知らぬまま絶えるか、知って立ち上がるか。勇者ならば後者だと、あたしゃ思うがの」
占い師から気付けの一発『勇者』が発せられた。
ユシャリーノの勇者心に薪が継ぎ足され、火力を復活させる。
「もちろんですよ! 俺が落ち込んだら民はどん底を突き抜けちまう。助けられるのは勇者である俺っすよ」
短い時間だが、俯いて落ち込みかけたことに恥ずかしさを覚えたユシャリーノ。
しかし、燃え上がる勇者心の勢いに任せ、きれいさっぱり事実を消し去った。
「ほっほっほ。やはり勇者は違うのう。ところで……医者はどうする?」
「紹介してください!」
ユシャリーノは、およそ心療内科を紹介してもらおうという者の言い草とは思えない、張りのある声でお願いした。
壊れたものを放置しておくなど彼にはできない。
それらは家を拠点として充実させるために使えるものばかりだった。
自分にとって助けとなる付加価値を持っている。
となれば元の姿に戻す、これ一択だ。
ユシャリーノの直したい欲求を満たすことと、勇者として活躍するために必要な拠点づくり。
そのどちらも叶うのだから。
ようやく猪を調理できるようになり、飯にありつくことができた。
「たらふく食ったあ」
空っぽの腹を一気に満たすと力が抜け、その場で腰を下ろして天を見上げる。
調理後の焚火から上がる煙を見ながら呟いた。
「狼煙みたいだな……思いっきり肉を食べちまった、このままだとまずい。眠くなる前に次の作業をしよう」
両手で地面を叩いて体を起こし、焚火に向かって両手を合わせると頭を下げた。
「ごちそうさま。作業の助けになってもらうよ」
ユシャリーノは、腹を満たした後、直したものを届けるために家を出た。
薄暗い茂みを抜けて街道まで出ると、まず左右をちらちらと見る。
次に、たいして高さが変わらない背伸びをし、おでこに片手を当てて遠方を確認した。
二度の拠点破壊を経験したのだから、自ずと警戒してしまう。
きょろきょろとあちこち見ているユシャリーノの方が不審者に見えるが、幸い人の目は無かった。
「大丈夫そうだ」
ぼそっと呟くと、王都民の居住区へと向かって歩く。
城から拠点までの間しか見ていないユシャリーノは、居住区で目に入る景色すべてが新鮮だ。
「町って感じだなあ。家がくっついているのって生活し難そうだけど、どうなんだろ」
山育ちのユシャリーノは、隣の家というと隣の山か、近くても同じ山の麓だ。
人とのやりとりは、山仕事中に出会うか、大声を出して話をすることで互いの情報を得ていた。
静かな山だからこそできる伝達方法である。
やまびこがいい感じにムードを盛り上げていた。
「近所に向かって叫ばなくてもよさそうだけど、逆に何でも聞こえそうだな」
ユシャリーノの予想は当たっている。
夜の居住区では、夫婦が家の外で皿やレンガの投げ合いやら罵り合いやらをするか、抱き合ったまま朝まで愛を語り合う。
または、酒場から追い出された酔っ払いが、意味の分からない奇声を上げて文句を言っている。
そんな夜の町を知らないユシャリーノは、山で味わうことのない活発な雰囲気に心躍らせていた。
「みんな色んなことしてるなー。全部手伝ってあげたくなるじゃないか。とりあえず壊れたものを直す手伝いはできたから、早く返したいんだが――」
持ち主のわからない物を返そうというのだから、ただ歩くだけでは叶わないだろう。
町の光景を楽しみながら、どうしたものかと考える。
「せっかく人がいるんだから、聞くしかないな」
答えはすぐに出た。
返す相手はおそらく王都の人。
その王都の人たちが、見える範囲のあちこちにいる。
もしかしたら、尋ねた相手が偶然にも持ち主かもしれない。
ユシャリーノは早速、家の前で花の手入れをしている婦人に声を掛けてみた。
「こんにちは」
婦人は、聞きなれない声に振り返り、優しそうな顔で答えた。
「こんにちは。見かけない顔ね、どなた?」
「勇者です」
「……え?」
「壊れたものを直したのでお返ししたいんですが、持ち主がわからなくて……って、ちょ、何を!」
婦人は突然、目の前にある花壇の土を一掴みすると、ユシャリーノに向けて投げつけた。
「ちょっとー、あんたー!」
婦人は比較的穏やかだった表情を険しくして、家の中へ向かって叫んだ。
「お? どーした。もっと美人にでもなったか?」
家の中から婦人の夫と思われる男性が現れた。
「この子がさ、勇者だって言うんだよ」
「勇者だあ? はっはっは。久しぶりにがつんと一発パンチの効いた冗談を聞いたな」
婦人はユシャリーノの相手を夫に任せ、手入れの続きを再開する。
夫は代役を引き受け、ユシャリーノに笑顔で話し掛けようとした――。
したのだが……突然婦人の横をかすめて土を掴み、ユシャリーノに投げつけた。
「うわっ、何するんですか!?」
「わからねえ」
「はあ?」
夫は、土をオーバースローで投げ終わった後の格好で止まっている。
そばにいる婦人は構わず作業を続けているので、ただ夫がふざけているようにしか見えない。
夫は態勢を戻して言う。
「なんだか無性に投げつけたくなった」
「そんなこと……」
「えっと、勇者……だっけ? まあ、たまにはそんなピリッとした冗談もないとな。飯も香辛料を使った方が美味い。俺は好きだぜ、そういうの」
「えっと、冗談じゃなくて、その――」
「まあまあ、いいってことよ。んで、そんなにいろんな物を担いでどうした」
ユシャリーノは、直した物の中で一番大きい樽を背負い、その中にお返し物品を入れていた。
「あ、これ、壊れていたものを直したんです。なので持ち主に返したいんだけどわからなくて」
「ほう、樽まで直すとはなかなかやるねえ。見たところ俺んとこの物は無いな」
「そうですか」
「なあ坊主、持ち主探しを一軒一軒回る気か? それじゃあいくら時間があっても足りねえぞ。おまけにそれ全部、いらないものじゃねえか?」
「いらないもの、ですか?」
ユシャリーノにとっては、とても便利で助けられた道具だ。
どうにもいらないもの扱いができないので、不思議そうな顔をする。
「おうよ。人の好みの問題だからな。いらないと思うやつもいるし、必要だと思うやつもいる。人それぞれってことだ」
ユシャリーノは夫婦に礼をしてその場から離れる。
とりあえず片っ端から尋ねてみることにして、民を見つける度に声を掛けた。
しかし……、
「おっと、ごめんよ。珍しいな、俺が手を滑らせるなんて」
「ひっ! ナイフが飛んできた!?」
別の場所では、
――――がっしゃーん!
「うわっ! 植木鉢が落ちて来た!?」
「なんてこったい、それ高いやつだったんだよ。あんたが受け止めてくれてたらねえ」
「そ、そんな……いや、勇者としては受け取るべきだったか。すみません!」
「まったくだよ。なんで当たらないのかねえ」
「――え?」
行く先々で危険にさらされるユシャリーノは、居住区の一画を回っただけでヘトヘトになった。
居住区から離れ、街道で気持ちを落ち着かせる。
「ふう。町ってめちゃくちゃ危ないところなんだな。山とは違い過ぎだって。これじゃあ獣も弱くなるはずだ」
町からすると間違った認識だが、ユシャリーノにとっての事実は確かに危険な場所だった。
山に育てられた鋭い五感が無かったら、すべてを失っていたかもしれない。
「一人も持ち主に会えなかったし、いったん帰るか」
ユシャリーノは、投げ込まれた物の持ち主へお返しすることすらできず、しょんぼりして歩き出す。
「何か大きな間違いをしちまったのか? いくら知らない町とはいえ、ただ話を聞くってことがこんなに大変なわけがない。この町にとっては相当失礼なことをやらかしているのかも」
ぶつぶつ言いながらとぼとぼ歩いているところで呼び止められた。
また王都民かと思い、反射的に身構えてしまうユシャリーノ。
「ちょいとそこの少年、こちらで話を聞かせておくれよ」
家路に就いた矢先であり、そのまま早く拠点に戻りたい気持ちだったが、
「ん?」
「こっちじゃこっちじゃ。声を掛けたのはあたしじゃよ」
「何か用?」
小柄な身体に大きな帽子をかぶり、全身を染料にでも浸けたのかと思うほど濃い紫色を放つ老婆が手招きしている。
「久しぶりに話がしたいのじゃ。さあ、はようこっちへ」
「え。あのー、お金は無いよ」
「そんなものいらんよ……いるけどいらん」
老婆は、片手を適当に振って『いいから来い』という圧を放った。
ユシャリーノは、一抹の不安を覚えるが、ふと、お店のおばさんから受けた『威嚇』を思い出して素直に従った。
「まあまあ、ここに座りな。あたしゃ色んな国を回っているただの占い師さ。珍しい人が目に入ったものでね。あんた、勇者じゃろ?」
占い師は、小ぶりな机の前に置かれた椅子に座るよう促した。
ユシャリーノの経験上、自分から勇者を名乗ると酷い目に遭うが、声を掛けてくる人は好意的に接してくれるという流れがある。
確証はないが、淡い期待を持つ理由にはなるようで、言われるままに腰かけた。
「そ、そうだけど」
「なんだい、勇者ならもっと堂々としてな――と言いたいところだけども、まだ新人ならしかたがないねえ」
占い師は、慣れた手つきで、机の上に置かれている手触りの良さそうな布切れを取り去る。
すると、様々な色をした石が現れた。
しばらくの間、手をかざしてじっとする。
ユシャリーノは初めてみる光景に、何が始まるのかと占い師の手から目が離せなくなった。
占い師がかざした手は、石を光らせながら宙を泳ぐ。
「ほう。これはまた、結構やられておるな。少年よ、自分では気づいておらんじゃろう」
「何を?」
「精神も身体もあまりよろしくないと出ておる。最近ひどい目に遭っていたり、自分の主張を聞いてもらえないなどはなかったか?」
「おお、当たってる。確かにその通りで」
ユシャリーノは困り顔をして頬を掻いた。
「こういう状態は一刻も早く治した方が良い。一度、心療内科で診てもらった方がいいかもしれんな」
「しんりょうないか……?」
ユシャリーノは、なんとなく体のあちこちを確かめながら撫でてみる。
「見える傷ではない。心に傷があるんじゃよ」
「心に……」
きょとん顔で胸に手を当ててみる。
「そうじゃ。外傷よりも厄介な時がある。ひどくなる前に治さないと、大病を患うことになりかねない」
「それは困る」
ユシャリーノは、『外傷よりも厄介』、『大病を患う』という言葉に驚きはするものの、きょとん顔のままだ。
「ふむ。幸いここは王都じゃからな、たいていの医者が揃っておる。場所がわからぬのなら、連れて行ってもよいぞ」
ユシャリーノは、馴染のないことを勧められて困惑する。
これまで、医師に診てもらうことなど一度もなかった。
ありがたいことに、心は晴れやか、五体満足で育っている。
「病院、か」
「そうじゃ……ん? 病院は初めてか」
――体の調子が悪いだと? 俺の体がそんなことあるわけない。
ユシャリーノは俯いた。
しかし振り返ってみると、占い師の言う通り、ろくなことがない。
占い師は、俯いたユシャリーノに向けて同情している風に話を続けた。
「知らぬままの方が良いこともある。じゃがそれは、精神が蝕まれていると実感する期間を短くして誤魔化しているに過ぎぬ。知らぬまま絶えるか、知って立ち上がるか。勇者ならば後者だと、あたしゃ思うがの」
占い師から気付けの一発『勇者』が発せられた。
ユシャリーノの勇者心に薪が継ぎ足され、火力を復活させる。
「もちろんですよ! 俺が落ち込んだら民はどん底を突き抜けちまう。助けられるのは勇者である俺っすよ」
短い時間だが、俯いて落ち込みかけたことに恥ずかしさを覚えたユシャリーノ。
しかし、燃え上がる勇者心の勢いに任せ、きれいさっぱり事実を消し去った。
「ほっほっほ。やはり勇者は違うのう。ところで……医者はどうする?」
「紹介してください!」
ユシャリーノは、およそ心療内科を紹介してもらおうという者の言い草とは思えない、張りのある声でお願いした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
金貨1,000万枚貯まったので勇者辞めてハーレム作ってスローライフ送ります!!
夕凪五月雨影法師
ファンタジー
AIイラストあり! 追放された世界最強の勇者が、ハーレムの女の子たちと自由気ままなスローライフを送る、ちょっとエッチでハートフルな異世界ラブコメディ!!
国内最強の勇者パーティを率いる勇者ユーリが、突然の引退を宣言した。
幼い頃に神託を受けて勇者に選ばれて以来、寝る間も惜しんで人々を助け続けてきたユーリ。
彼はもう限界だったのだ。
「これからは好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時に好きな子とエッチしてやる!! ハーレム作ってやるーーーー!!」
そんな発言に愛想を尽かし、パーティメンバーは彼の元から去っていくが……。
その引退の裏には、世界をも巻き込む大規模な陰謀が隠されていた。
その陰謀によって、ユーリは勇者引退を余儀なくされ、全てを失った……。
かのように思われた。
「はい、じゃあ僕もう勇者じゃないから、こっからは好きにやらせて貰うね」
勇者としての条約や規約に縛られていた彼は、力をセーブしたまま活動を強いられていたのだ。
本来の力を取り戻した彼は、その強大な魔力と、金貨1,000万枚にものを言わせ、好き勝手に人々を救い、気ままに高難度ダンジョンを攻略し、そして自身をざまぁした巨大な陰謀に立ち向かっていく!!
基本的には、金持ちで最強の勇者が、ハーレムの女の子たちとまったりするだけのスローライフコメディです。
異世界版の光源氏のようなストーリーです!
……やっぱりちょっと違います笑
また、AIイラストは初心者ですので、あくまでも小説のおまけ程度に考えていただければ……(震え声)
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる