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第30話 それからまもなく王宮の宝物庫でおきたこと

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 宝物庫の中は埃っぽく、古いものが放つ独特の匂いが漂っていた。
 ラッセルが鎧戸を開けると、地上から交代する衛兵のかけ声が塔の中まで聞こえてくる。石の壁を覆うタペストリーには王国縁起が刺繍されている。はるか昔、宮殿の大廊下に飾られていたものだ。

 ルークはきょろきょろとあたりを見まわしている。いつも平静な副館長も好奇心には勝てないらしい。ラッセルの口もとにうっすらと笑みが浮かび、ルークはそんなラッセルをみて、怪訝な目つきになった。

「何かおかしなことでも?」
「いや。はじめてここに入った時のことを思い出したんだ。……こっちだ」

 ラッセルは奥の一段高くなった場所へルークを導いた。鍵のかかった箱が置かれている。大人が二人がかりで持ち上げるほどの大きなもので、ラッセルが取り出した鍵もこれにふさわしい大きさだった。

 蓋はぎいっときしみながら開いた。箱の中は藍色のびろうど貼りで、小さな仕切りに区切られている。
 ――が、そこには何もなかった。

「この箱にはかつてドラゴンの卵が保管されていた。王家の者の伴侶が産んだものだ。だが、あるとき何者かが忍びこんで鍵を壊し、卵をすべて持ち去ってしまった」
「ずいぶん……大きな箱ですが」
「その仕切りひとつひとつに卵がおさめられていたんだ。知らない者は宝石だと思っただろう。もっとも盗んだ者はこれには気づかなかった」

 ラッセルは箱の奥に身を乗り出した。小さな丸い穴に小さな鍵を差しこむ。からくり仕掛けが動く小さな音がして。仕切り全体が手前にずれた。
「ここにドラゴンにまつわる王家の記録が入っている。この箱を作った時にまとめて装幀したらしい」

 それはひとかかえもある大きさの本で、黒ずんだ革で装幀され、金属の留め金がついていた。表紙には何も書かれていないが、窓のそばの小机に置くと竜の紋様が浮き出ているのがわかる。

「……館長はこれを全部読んだのですか?」
 ルークが表紙を睨んでたずねた。
「いや、時代が新しいものだけだ。あまりにも古いものは学者でなければ難しい」
 ルークはうなずくと、小机に両手をついてページをめくりはじめた。古めかしい書体を目で追いながら、垂れてきた黒髪をかきあげて背中に流す。その拍子に白いうなじがあらわになり、ラッセルの目は自然に惹きつけられた。

 おい、やめろ。ラッセルは自分にいいきかせた。こんなときに邪な気分に囚われるんじゃない。

 真剣にページをめくるルークから離れて、壁を覆うタペストリーを眺める。いにしえの王領の森を行く騎士が巨大な竜と対面している。ダンジョン――精霊族の都にいたドラゴンは今のような可愛らしい大きさではなかったという……。

 ふと気配を感じてふりむくと、ルークがぼうっとした顔でラッセルを見ていた。ラッセルが近づくとあわてたようにページをめくった。
「……館長はこれを……あ、いえ、何でもありません」
 ラッセルは怪訝な顔で近づいたが、ルークは顔を赤らめたまま素早くページをめくり、しだいに本を閉じてしまった。
「もういいのか?」

 ルークは妙に落ちつかない様子でうなずいた。その様子がどうも気になって、ラッセルはルークの横であらためて本を開いた。
 王の末子の義務として、大叔父に読むようにいわれたところは目を通しているが、実はこの本をくまなくめくったことはない。クララに「筋肉で考える男」と呼ばれるわけだが、何気なく開いたページはさっきルークがあわてて閉じた場所だった。そこに書かれて――いや描かれていたのは、二人の人物が寝台で睦みあう様子だった。

 おっと――
 俺の先祖、いったい何の記録をとってやがる!

 思わず数秒そのページを凝視してから、ラッセルはさっきのルークとまったく同じようにあわてて次のページをめくった。そこに描かれていたのはドラゴンの卵の絵で、色褪せてはいるものの、淡い水色をしたそれはついこの前、ラッセルがこの目でみたものとそっくりだった。

 ラッセルはまたも、さっきのルークとおなじように本を閉じた。

「ルーク……」
「は、はい?」
 ふたりはぎこちなく視線をかわしあった。
「自分がどこで生まれたか、父上に聞かされたことがあるか?」
「え、ええ。休暇旅行先の村です。湖の近くだと聞いています」
「そこへ行って調べてみるといいと思う」
「……私の……私の……性質がどこからきたのかを?」
「ああ」
 ルークが目を伏せたのをみて、ラッセルは思わずつけくわえた。
「俺も一緒に行くから」
「ええ……」

 ルークがまた目をあげる。いつしか二人はおたがいの眸をのぞきこんでいる。肩が触れあった。どちらが先に動いたのか、ほぼ同時だったかもしれない。ラッセルはルークのあごを持ち上げ、ルークはラッセルに手を伸ばす。唇が重なりあう。
 がたんと小机が揺れた。

 ラッセルは口づけながらルークの背を抱きしめ、タペストリーにその背を押しつけた。ルークの体は熱く、唇は甘く、触れあった部分からはおたがいの欲望が感じられる。ラッセルの手の下でルークの体がぴくんと震えた。そっと舌をさしこみ、口の中を愛撫する。ルークの膝が震えたと思うと、ラッセルの背中に回った手が上着をきゅっとにぎりしめた。

 ルークは目を閉じている。ひらきかけた襟元にさらに欲望をそそられて、ラッセルはごくりと唾を飲んだ。ルークの耳に舌をはわせると、桜色の唇が半開きになり、甘い吐息がこぼれ出る。ラッセルは耳の下から首筋へと舌をずらしつつ、ルークの細い腰をそっとつかんだ。

 石の壁に囲まれた宝物庫の静けさのなか、聞こえるのはふたりの吐息だけ。体を押しつけあっているうちに腰帯がずれていく。素肌をへだてる邪魔なものをかなぐり捨てたい、このまま――と思った、まさにその時だった。

「殿下? 御用の方はいかがでしょう?」
 出入口のあたりで衛兵の声が響いた。ラッセルを子供のころから知っている、王宮警備の兵士である。

「殿下、何か運び出すものがおありですか? お手伝いが必要でしたら……」
「――大丈夫だ」
 ラッセルは声の方向を振り向いて怒鳴った。
「もうすぐ交代時間になりますので」
「わかった!」

 みるとルークがあわてた顔で服の乱れを直している。ラッセルも解けかかった腰帯をもとに戻し、咳ばらいをした。沈黙が耐えられなかったのである。
「……もとに戻しましょう」
 ルークがドラゴンの記録を両手で持ち上げようとしたが、ラッセルは急いで「俺がやる」といった。
「重いだろう」
「……この程度の本は図書館にたくさんありますよ」
「いいから」

 ルークに見られていることを意識しながら、ラッセルは本を元に戻して鍵をかけた。ぎこちない沈黙のなか宝物庫を出ると交代の衛兵が並んでいた。みなラッセルが昔から知っている兵士たちだ。
 王族の一員としてラッセルが彼らをねぎらっていると、ルークがするりと横に来て「館長、ありがとうございました」といった。

「私はひとりで戻ります」
「え、一緒に――」
「帰り道はわかります。大丈夫です」

 焦るラッセルをその場に残し、ルークはすばやく身をひるがえして廊下を歩いていった。ラッセルは知る由もなかったが、その顔は真っ赤に染まっていたのである。
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