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第22話 あいつは全方位的に怪しい男だ

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 思いがけずラッセルがあらわれたおかげで、ルークは店主のねばっこい視線から逃れることができた。リリの籠、それに書類と卵の箱をかっさらって、急ぎ足で胡桃通りから遠ざかる。
 橋の近くで乗合馬車に出くわしたので、あわてて飛び乗った。御者が「お客さんはどこまで?」とたずねた。
「大学――いや、王立公園まで」
「はいよ」

 リリを公園に連れていくといったのを思い出したのだ。籠にはまだ覆いをかけている。馬車が動き出すとルークはほっとして、かたい座席に背中をあずけた。リリの籠を膝に抱えて今の出来事を振り返る。向かい側に座った親子連れらしい女性二人組がそろって頬を染めていることなど、もちろん気づいていない。

 館長はいったい何用で〈竜のヤドリギ〉を訪れたのだろうかとルークは思った。なんにせよ、今回ほどラッセルに感謝した瞬間はなかった。彼がすぐそばにいると平静でいられないのはあいかわらずだが、さっきはあいまいな目礼しか返せなかったのが悔やまれる。明日図書館で会ったら、礼をいわなくては。

 王立公園の入口で馬車を下りると焼き栗の香りが漂ってきた。騎兵のように整列した常緑樹のむこうには葉を落とした木立があり、小石を敷いた小道がそのあいだに伸びている。道の先には冬薔薇の花壇と温室があり、貴婦人や紳士がゆったりと散歩していた。

 ルークは近くのベンチに座ってリリの籠から覆いをはずした。ドラゴンは籠の底で丸まっている。
「リリ。眠っているのか?」
 籠の戸をあけてささやく。ドラゴンの首がぴょこんとあがって、ルークをみつめた。
「ほら、出ておいで」
 ルークの手に導かれてドラゴンは籠をのそのそと出てきた。ルークは籠をベンチの端に押しやり、マントの膝にリリをのせた。ドラゴンの藍色の目に星のきらめきが戻ってくる。リリは首をのばして身づくろいをはじめ、しばらくするとすっかり元気を取り戻した。

「すこし歩こうか。私も王立公園はひさしぶりだ。前に来たのは……学生の時だったか」

 ひさしぶりというか、ルークが王立公園を訪れるのは今日で二度目である。学生のころ友人に誘われてピクニックに来ただけなのだ。王立公園では季節ごとにフェスティバルが行われている。王都の出身なら身分を問わず、子供のころから時々足を運んでいてもよさそうなものだが、ルークの父は公園の催し物にまったく興味がなかった。

「あっちにあるのは噴水かな。川の近くにも行けるらしい」
 ドラゴンをつれて公園を散歩するうちにルークの気分は晴れやかになってきた。〈竜のヤドリギ〉の店主の怪しい目つきも気のせいにちがいないと思えた。




 ところがルークの予想とは反対に、それは「気のせい」では終わらなかったのである。

 翌日いつものように出勤したルークは、いつものようにリリを副館長室で遊ばせつつ、日々の業務に邁進していた。
 この日のルークは会議その他で忙しく、ずっと副館長室を留守にして、昼食も他の職員と一緒に王立図書館の食堂でとった。そのあとの休憩時間はリリと中庭ですごすつもりで(図書館職員一同心待ちにしている眼福の時間である)正面ロビーを通り抜けようとしたときである。

「ルークさん」
 栗色の髪の男に声をかけられて、ルークは飛びあがりそうなくらい驚いてしまった。
「……あ、〈竜のヤドリギ〉の……」
「昨日はご来店ありがとうございました。そういえばルークさんはこちらの副館長でしたね」

〈竜のヤドリギ〉の店主はうっすら微笑みをうかべていった。なぞそれを、と聞き返しそうになって、ルークは思い出した。サブスクの申込書類に職業や住所を書いたから、店主が知っているのは当然だ。
「……はい。今日は図書館に御用ですか?」
「調べたいことがあったのですが、王立図書館は初めてでね。こんなに立派だとは知りませんでした」
 店主はさっと距離を縮め、ルークのすぐそばに立った。
「立派すぎて、どこへ行ったらいいかわからなくて困っていましてね。ルークさんに会えてよかった」
「えっと、その……」
「案内していただけませんか?」

 ルークはこれまでの人生で、こんなふうに他人に距離を詰められたことはなかった。美貌に困惑が浮かんでも店主は意に介さず、それどころか内緒話でもするように顔を近づけてきた。
「そうだ、ドラゴンは昼間どうしています? ご自宅もこの近くでしたね」

 と、いきなり大きな声が響いた。
「副館長、そこにいたか」
 ラッセルが靴音も高く、つかつかとルークの方へやってくる。
「探していたんだ。ああ、取り込み中か?」

 ラッセルがじろりと見たとたん、店主は蜘蛛のような素早さでさっとあとずさった。ラッセルがルークの前に立ったときにはもう、ロビーの柱の影に隠れてしまっている。
「今のは〈竜のヤドリギ〉の男だろう」
「ええ」
「何の用でここに?」 
「……何か調べにきたといいましたが……」
「副館長に用があったわけではないんだな」
「……だと思いますが……」
「全方位的に怪しい。気をつけた方がいい」

 ルークはうなずいた。それだけでなく、またもラッセルのおかげであの男がいなくなったことにほっとして、気づくと子供のようにぶんぶんと頭をふっていた。

 ところでラッセルはというと、ルークのそんな様子をみて、いつになく(というか、いつも以上に)心をかき乱されていた。
 ラッセルに面と向かったときのルークは、だいたいにおいて過剰なほどに礼儀正しいか素っ気ないかのどちらかだ。ところが今のルークにはふだんはみせない隙があった。それがラッセルをどうしようもなくときめかせたのである。

 くそっ……ラッセルは内心の動揺を抑えた。
 一方でルークはもう我にかえり、平常心を取り戻していた。

「ところで、私に用事というのは? 館長」
「ああ? ……えっと」
 ラッセルは口ごもった。
「何だったか……すまない、度忘れしたらしい」
「いえ。お気になさらず――」
 ルークは答えようとして、ふとあることを思い出した。

「そういえば私も聞きたいことがありました」
「なんだ? 歩きながら話そう」
 ラッセルは廊下にあごをしゃくる。館長室の方向だ。副館長室へ行くつもりだったから、ルークも並んで歩きはじめた。

「最近気がついたのですが、王立図書館には精霊族の文献がほとんどありません。ドラゴンの卵について調べようとしたのですが、おとぎ話や伝説をまとめたものくらいです。ドラゴンはこの国の……王家の象徴なのに」
「ああ」

 ラッセルはうなずいた。ふたりは館長室(とその隣の副館長室)へ通じる廊下にさしかかっていた。ラッセルがさりげなく周囲をみまわしたので、ルークもなんとなく左右をみた。他の職員も利用者もおらず、ふたりきりだった。

「実は王宮には、ドラゴンに関する書き物がいくつかある」とラッセルがいった。
 ルークは思わず彼の横顔をまじまじと見てしまった。それはアルドレイク王国の金貨に刻まれた横顔によく似ていた。彼が王子だということをルークはあらためて意識した。

「この国はドラゴンの守護によって発展した」とラッセルは続けた。
「だから先祖が過去の……ドラゴン関係の出来事を書き残しているんだ。王宮の宝物庫にある」
 宝物庫? ルークはがっかりした。
「……つまり私には閲覧できないということですね」
「ふつうはそうだが、いや」
 ラッセルはあわてた口ぶりでいった。
「副館長に必要なら貸し出せるように……俺がどうにかしよう」
「え、ほんとうに?」
 ルークは思わず声をあげた。ラッセルがこっちをむき、二人の目があった。

 その瞬間、ルークの中で奇妙なことが起きた。鍵が鍵穴にはまるように、なにかがぴったり噛みあったような気がしたのだ。でも同時に、たった今まで忘れていたあの感覚がやってきた。ラッセルに見られていることを意識してルークの心臓はドキドキしはじめ、体がかっと熱くなる。

 ルークはあわてて顔をそらした。
「すみません。ありがとうございます」
「いや、べつに俺は」
「ではその、私は業務にかかりますので」
「あ、ああ?」

 ルークは急に足を早め、ラッセルを追い越した。副館長室のドアをあけてさっと中にすべりこむ。リリが天井からさっと舞い降りて、ルークの肩にとまった。
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