19 / 31
第19話〈竜のヤドリギ〉とその店主
しおりを挟む
〈竜のヤドリギ〉の看板は、レンガ造りの建物の端にぶらさがっていた。建物は王都を東西に流れる川に面している。王都のこの地区では、川は工場の排水で汚れていて、黒っぽく濁っていた。
ドラゴンをはじめとした精霊族、森と澄んだ湖に棲む存在には似つかわしくない立地だ。最初にここへ来たときはそこまで考えなかったとルークは思った。
リリは夜用の小さな籠の中でおとなしくしている。朝の散歩のときはいつもと同じように、ルークの頭上を飛んだり肩にとまったりしていたのに、官舎へ戻って〈竜のヤドリギ〉へ行く準備をしていたら寝室に閉じこもってしまった。なだめすかしてやっと連れてきたのはいいが、思ったより時間がかかってしまった。
「リリ、サブスクの更新がすんだら王立公園に行こう。今日は休みだからね」
ルークは覆いをかけた籠にささやいた。平底の運搬船が黒い煙をあげながら川を通っていくのを横目に、看板の下に立つ。
アルドレイク王国の王都は、大雑把にみて五つに分かれている。中央にあるのは王立図書館と王立大学を取りかこむ大学街。そこから北東へ行ったところが王宮と官庁街だ。
大学街と官庁街の端は蛇行する川に区切られ、川岸一帯は王立公園で、橋を渡ると貴族の屋敷街。広い街路の左右には贅沢品をあつかう店が軒をつらね、タイル張りの歩道が整備されて、暑い日には街路樹が涼しい木陰をつくる。〈竜のヤドリギ〉でサブスクしたドラゴンをつれて散歩する紳士淑女をみたければ、公園からこのあたりまで歩いてみればいい。
一方、大学街から西側は庶民が暮らす地域である。北西は職人の工房や工場のあいだに入り組んだ路地が走り、川岸には倉庫がずらりとならぶ。
橋を渡って南西側には市場があり、庶民向けの店はこのあたりに集中する。南西側は郊外の農地に通じているので、この地域は王都といっても牧歌的な雰囲気がある。
しかし〈竜のヤドリギ〉のある胡桃通りは、王都の北西から川岸の倉庫街に達する長い道路で、緑の木はほとんどみかけない。通りの名は胡桃材の家具工房に由来する。工場の煙でどの建物も煤けているし、いつも土埃の匂いがする。
ルークはドアを片手で押し開け〈竜のヤドリギ〉に足を踏み入れた。明かり取りの窓から光がさしこみ、店の中を照らしている。
壁沿いの棚には籠がずらりと並んでいて、奥側にはカウンターがあった。そこにも籠がひとつ置かれて、中に褐色と黄色の縞のドラゴンがいるのがみえた。すぐそばに男が立っている。栗色の髪をして手足がひょろりと長く、吊り上がった細い目がじろりとルークをみた。
〈竜のヤドリギ〉の店主だ。たしか名はロイといった。
「先日契約した者です。更新に来たのですが」
ルークがそういったとたん、店主の目つきはうってかわって柔らかくなった。
「ああ、それはどうも。書類はお持ちですか?」
「ええ」
「ドラゴンは連れてきましたね? 特にご不満はありませんでしたか」
店主はカウンターに置かれた籠をひょいとつかんで、奥の棚にのせた。籠の中にうずくまっている縞柄のドラゴンは、妙にぐったりしているようだ。
「ええ、サブスクを更新したいんです」
「権利書をみせてください。籠はそこに」
ルークはリリの籠をカウンターに置いて、覆いをあげた。リリは籠の底でじっとしていたが、店主が籠をのぞいて「ああ、こいつか」といったとたん、キュッと首を羽根のあいだにつっこんでしまった。どういうわけか、店主のその声を聞いた瞬間、ルークのうなじの毛も逆立った。
「おや、大きくなったな。いい暮らしをさせてもらったか」
かたんと籠の戸をあけて、店主が手をつっこむ。曲げた首をぐいっともちあげたが、リリはまぶたをぎゅっと閉じていた。さらにリリの尻尾を無造作に引っ張り、指で皮膚をざっと撫でてから、籠の奥に押しやった。
ルークは眉をひそめてその様子をみていた。うなじの毛はもとに戻ったが、店主がリリを扱う手つきが気に障ってどうしようもない。自分が神経質なのかとも思ったが、リリは明らかに店主に弄られるのを嫌がっていた。それは見ればわかる。
店主はそんなルークにもまるで無頓着な様子で書類を確認している。
「サブスクのオプションは今のままでいいですか?」
「はい」
「気に入っていただいてよかったですよ。では、次はどれにします?」
「え?」
ルークは店主をまじまじと凝視した。
「次って……」
「ドラゴンですよ。新しいのを選べますよ」
「まさか!」
思わず首を横に振り、ルークは自分でも意外なほどきつい声をだしていた。
「別のドラゴンなんてとんでもない。私はリリがいいんです」
「リリ? ああ……名前をつけたんですね」
店主の唇がくいっと曲がった。あきれているような、小馬鹿にしているような、なんにせよ感じの悪い表情だった。
「変えなくていいならかまいませんが、飽きても次の契約更新まではこのままですよ」
ルークは内心の怒りを顔に出さないよう、抑えなくてはならなかった。
「問題ありません。飽きるなんて」
「それならいいですが、じゃ、ここにサインを」
ルークは差し出された書類にさっと目を走らせてから署名し、リリの籠に覆いをかけた。店主は小さな紙包みをカウンターの上にすべらせた。
「更新特典ですよ。与えると皮膚の発色がよくなります」
「……どうも」
「他に聞きたいことは?」
ない、と首をふりかけたそのとき、ふいにルークは思い出した。
「ええと、これを……」
ポケットから小箱を取り出す。薄紙から透明な石――卵を取り出したとたん、店主の目つきがまた変わった。
「どこでこれを?」
「先日朝起きると、リリが――」
「産んだのか? 卵を?」
鋭い声とともに手がさっとのびた。ルークは反射的に小箱をひっこめた。
「では、これはやはりドラゴンの卵なのですね?」
店主はハッと我に返ったような顔になり、ルークに向き直った。
「ああ、失礼。精霊族のドラゴンは雌雄同体で、条件がそろうと卵を産むことがあります。サブスク中に産むことはめったにないものですから、驚いてしまいまして」
「卵……」
「ただ、つがいのいないドラゴンの卵は孵りません。無精卵ですから」
店主はルークの手元をじっとりした目でみつめた。
「とにかく見せてください」
ルークはしぶしぶ小箱を押しやった。薄紙をめくったとたん、店主の目が丸くなった。
「ふたつ? 色違い?」
「え、ええ……」
「同時に産んだんですか?」
「そうだと思いますが……いや、よくわかりません」
「変ですね。ドラゴンの卵は個体によって色がちがうはず」
ルークは店主の言葉の意味を考え、ハッと思いついた。
「まさか、私が別のドラゴンをここから連れ帰ったといいたいんですか?」
店主はみょうにゆっくりした動作で小箱に卵をもどした。
「いいえ。うちのドラゴンのことはよくわかっていますよ」
ねばっこい視線がルークに注がれる。頭のてっぺんから舐めていくような目つきだった。ルークは気分が悪くなった。早くこの店を出たい。
その時だった。店のドアがバタンと音を立てて開くと、ブーツの踵が店の床を踏みならした。
「店主はいるか? 第七王子のラッセルだ。ここのドラゴンについて聞きたいことがある」
ドラゴンをはじめとした精霊族、森と澄んだ湖に棲む存在には似つかわしくない立地だ。最初にここへ来たときはそこまで考えなかったとルークは思った。
リリは夜用の小さな籠の中でおとなしくしている。朝の散歩のときはいつもと同じように、ルークの頭上を飛んだり肩にとまったりしていたのに、官舎へ戻って〈竜のヤドリギ〉へ行く準備をしていたら寝室に閉じこもってしまった。なだめすかしてやっと連れてきたのはいいが、思ったより時間がかかってしまった。
「リリ、サブスクの更新がすんだら王立公園に行こう。今日は休みだからね」
ルークは覆いをかけた籠にささやいた。平底の運搬船が黒い煙をあげながら川を通っていくのを横目に、看板の下に立つ。
アルドレイク王国の王都は、大雑把にみて五つに分かれている。中央にあるのは王立図書館と王立大学を取りかこむ大学街。そこから北東へ行ったところが王宮と官庁街だ。
大学街と官庁街の端は蛇行する川に区切られ、川岸一帯は王立公園で、橋を渡ると貴族の屋敷街。広い街路の左右には贅沢品をあつかう店が軒をつらね、タイル張りの歩道が整備されて、暑い日には街路樹が涼しい木陰をつくる。〈竜のヤドリギ〉でサブスクしたドラゴンをつれて散歩する紳士淑女をみたければ、公園からこのあたりまで歩いてみればいい。
一方、大学街から西側は庶民が暮らす地域である。北西は職人の工房や工場のあいだに入り組んだ路地が走り、川岸には倉庫がずらりとならぶ。
橋を渡って南西側には市場があり、庶民向けの店はこのあたりに集中する。南西側は郊外の農地に通じているので、この地域は王都といっても牧歌的な雰囲気がある。
しかし〈竜のヤドリギ〉のある胡桃通りは、王都の北西から川岸の倉庫街に達する長い道路で、緑の木はほとんどみかけない。通りの名は胡桃材の家具工房に由来する。工場の煙でどの建物も煤けているし、いつも土埃の匂いがする。
ルークはドアを片手で押し開け〈竜のヤドリギ〉に足を踏み入れた。明かり取りの窓から光がさしこみ、店の中を照らしている。
壁沿いの棚には籠がずらりと並んでいて、奥側にはカウンターがあった。そこにも籠がひとつ置かれて、中に褐色と黄色の縞のドラゴンがいるのがみえた。すぐそばに男が立っている。栗色の髪をして手足がひょろりと長く、吊り上がった細い目がじろりとルークをみた。
〈竜のヤドリギ〉の店主だ。たしか名はロイといった。
「先日契約した者です。更新に来たのですが」
ルークがそういったとたん、店主の目つきはうってかわって柔らかくなった。
「ああ、それはどうも。書類はお持ちですか?」
「ええ」
「ドラゴンは連れてきましたね? 特にご不満はありませんでしたか」
店主はカウンターに置かれた籠をひょいとつかんで、奥の棚にのせた。籠の中にうずくまっている縞柄のドラゴンは、妙にぐったりしているようだ。
「ええ、サブスクを更新したいんです」
「権利書をみせてください。籠はそこに」
ルークはリリの籠をカウンターに置いて、覆いをあげた。リリは籠の底でじっとしていたが、店主が籠をのぞいて「ああ、こいつか」といったとたん、キュッと首を羽根のあいだにつっこんでしまった。どういうわけか、店主のその声を聞いた瞬間、ルークのうなじの毛も逆立った。
「おや、大きくなったな。いい暮らしをさせてもらったか」
かたんと籠の戸をあけて、店主が手をつっこむ。曲げた首をぐいっともちあげたが、リリはまぶたをぎゅっと閉じていた。さらにリリの尻尾を無造作に引っ張り、指で皮膚をざっと撫でてから、籠の奥に押しやった。
ルークは眉をひそめてその様子をみていた。うなじの毛はもとに戻ったが、店主がリリを扱う手つきが気に障ってどうしようもない。自分が神経質なのかとも思ったが、リリは明らかに店主に弄られるのを嫌がっていた。それは見ればわかる。
店主はそんなルークにもまるで無頓着な様子で書類を確認している。
「サブスクのオプションは今のままでいいですか?」
「はい」
「気に入っていただいてよかったですよ。では、次はどれにします?」
「え?」
ルークは店主をまじまじと凝視した。
「次って……」
「ドラゴンですよ。新しいのを選べますよ」
「まさか!」
思わず首を横に振り、ルークは自分でも意外なほどきつい声をだしていた。
「別のドラゴンなんてとんでもない。私はリリがいいんです」
「リリ? ああ……名前をつけたんですね」
店主の唇がくいっと曲がった。あきれているような、小馬鹿にしているような、なんにせよ感じの悪い表情だった。
「変えなくていいならかまいませんが、飽きても次の契約更新まではこのままですよ」
ルークは内心の怒りを顔に出さないよう、抑えなくてはならなかった。
「問題ありません。飽きるなんて」
「それならいいですが、じゃ、ここにサインを」
ルークは差し出された書類にさっと目を走らせてから署名し、リリの籠に覆いをかけた。店主は小さな紙包みをカウンターの上にすべらせた。
「更新特典ですよ。与えると皮膚の発色がよくなります」
「……どうも」
「他に聞きたいことは?」
ない、と首をふりかけたそのとき、ふいにルークは思い出した。
「ええと、これを……」
ポケットから小箱を取り出す。薄紙から透明な石――卵を取り出したとたん、店主の目つきがまた変わった。
「どこでこれを?」
「先日朝起きると、リリが――」
「産んだのか? 卵を?」
鋭い声とともに手がさっとのびた。ルークは反射的に小箱をひっこめた。
「では、これはやはりドラゴンの卵なのですね?」
店主はハッと我に返ったような顔になり、ルークに向き直った。
「ああ、失礼。精霊族のドラゴンは雌雄同体で、条件がそろうと卵を産むことがあります。サブスク中に産むことはめったにないものですから、驚いてしまいまして」
「卵……」
「ただ、つがいのいないドラゴンの卵は孵りません。無精卵ですから」
店主はルークの手元をじっとりした目でみつめた。
「とにかく見せてください」
ルークはしぶしぶ小箱を押しやった。薄紙をめくったとたん、店主の目が丸くなった。
「ふたつ? 色違い?」
「え、ええ……」
「同時に産んだんですか?」
「そうだと思いますが……いや、よくわかりません」
「変ですね。ドラゴンの卵は個体によって色がちがうはず」
ルークは店主の言葉の意味を考え、ハッと思いついた。
「まさか、私が別のドラゴンをここから連れ帰ったといいたいんですか?」
店主はみょうにゆっくりした動作で小箱に卵をもどした。
「いいえ。うちのドラゴンのことはよくわかっていますよ」
ねばっこい視線がルークに注がれる。頭のてっぺんから舐めていくような目つきだった。ルークは気分が悪くなった。早くこの店を出たい。
その時だった。店のドアがバタンと音を立てて開くと、ブーツの踵が店の床を踏みならした。
「店主はいるか? 第七王子のラッセルだ。ここのドラゴンについて聞きたいことがある」
436
お気に入りに追加
721
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる