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第17話 ドラゴンのリリと人間の本性
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朝の冷たい空気に、吐く息がうっすら白くなる季節になった。
王立図書館を囲む大学街は最近静かである。秋の学寮対抗戦もとっくに終わり、学生たちは試験を前に戦々恐々としているからだ。
試験は教授の本性も学生の本性もあからさまにする。王立図書館は朝から晩まで目の下に隈をつくった学生たちでいっぱいだった。試験前のこの時期は深夜まで開館することになっているので、図書館職員にとっては繁忙期である。
そんなときだというのに、ドラゴンのリリが卵を産んだあの朝以来、副館長のルークは館長のラッセルに向きあうたび、これまで以上の困惑にかられるようになってしまった。
ルークはラッセルのように、学生時代のとある一夜の出来事を黒歴史と結びつけてはいない。何があったのか覚えていないのだから当然である。問題はあの夢だ。
夢とは荒唐無稽なものだから、とルークは考えようとしたが、ラッセルとふたりきりになるのは怖かった。ただでさえ彼を前にすると体が妙な感じになるというのに、面と向かいあっているとき、あの夢を思い浮かべたりしたらどうなることか。
というわけで、ルークはラッセルとふたりきりにならないようにした。具体的には、これまでは隣室へ報告ついでに書類を届けたりしていたのだが、そういった雑用は職員に頼み、ラッセルに報告することがあっても、打ち合わせや会議の席などですませることにした。
他の職員の目を意識すると、これまで自分がラッセルに対して無意識にとっていたつっけんどんな態度が恥ずかしくなって、できるだけ礼儀正しく穏やかに話すよう努力もした。その結果どうなったかというと、これまでのようによくわからない理由でラッセルと口論になって、周囲をハラハラさせることはなくなった。
このような副館長の変化をめぐって、図書館職員をはじめとした人々はさまざまな意見を交わしたが、それは本人のあずかり知らないことである。
すっかり朝が冷えこむ日々が来ても、現在のルークには出勤前の散歩が完全に習慣づいている。
これまでのルークなら、毎朝ぎりぎりまで官舎のベッドで丸くなっていたことだろう。ところがドラゴンと一緒に暮らしていると、だらだら朝寝を決めこむことは休日であっても不可能なのだ。ルークがいつまでもベッドにいると、リリが耳もとで羽ばたいたり肩をつついたりして起こしにくるのである。
夜はドラゴンを籠に入れておくようにという〈竜のヤドリギ〉の店主の言葉をルークは聞かなかったことにした。ルークがベッドに入ると、リリはルークの左肩へ下りてきて、ルークの首と肩のあいだで小動物のように丸くなって眠る。鉤爪を丸めたお腹にしまいこみ、首を水鳥のように折りたたんで。
ただし、これはルークのあずかり知らないことだったが、ルークが完全に眠りにおちて、けっして覚えていない夢をみたり寝返りをうったりするころには、リリはパチリと目を覚まし、ベッドをそっと抜け出していた。
リリはルークを起こさないよう、できるだけ音を立てずに寝室を飛び回る。サイドテーブルに置かれた読みかけの本やメモのあいだを歩きまわったり、ルークのマントの裾にまとわりついたりと、ひとり遊びをしてまたベッドに戻る。
毛布とルークのあいだにもぐりこむと、リリはルークの体をめぐる音に耳をすませた。ルークが明け方の夢をみているとき、ルークから響く音を通してリリもおなじ夢をみる。その夢はリリを――精霊族のドラゴンにしては驚異的な速さで――成熟させていた。
実は精霊族であるドラゴンが聞き取っているのは、単なる音、空気の振動ではない。ドラゴンにきこえるのはそのものの本性なのだ。つまり〈竜のヤドリギ〉の籠の中にいるドラゴンは、訪れる人間たちの本性をききとっている。もちろんあの店主の本性も。
とはいえドラゴンは小さくて非力だし、籠に入れられると何もできない。ルークが〈竜のヤドリギ〉にやってきたとき、いちはやくルークの本性をききとったリリにやれたのは、精一杯のアピールだけだった。でもルークはちゃんと、リリをみつけてくれた。あの恐ろしい店で気がついて以来、リリがいまほど幸せだったことはない。
リリは決意していた。何があってもルークのそばから離れないことを。
王立図書館を囲む大学街は最近静かである。秋の学寮対抗戦もとっくに終わり、学生たちは試験を前に戦々恐々としているからだ。
試験は教授の本性も学生の本性もあからさまにする。王立図書館は朝から晩まで目の下に隈をつくった学生たちでいっぱいだった。試験前のこの時期は深夜まで開館することになっているので、図書館職員にとっては繁忙期である。
そんなときだというのに、ドラゴンのリリが卵を産んだあの朝以来、副館長のルークは館長のラッセルに向きあうたび、これまで以上の困惑にかられるようになってしまった。
ルークはラッセルのように、学生時代のとある一夜の出来事を黒歴史と結びつけてはいない。何があったのか覚えていないのだから当然である。問題はあの夢だ。
夢とは荒唐無稽なものだから、とルークは考えようとしたが、ラッセルとふたりきりになるのは怖かった。ただでさえ彼を前にすると体が妙な感じになるというのに、面と向かいあっているとき、あの夢を思い浮かべたりしたらどうなることか。
というわけで、ルークはラッセルとふたりきりにならないようにした。具体的には、これまでは隣室へ報告ついでに書類を届けたりしていたのだが、そういった雑用は職員に頼み、ラッセルに報告することがあっても、打ち合わせや会議の席などですませることにした。
他の職員の目を意識すると、これまで自分がラッセルに対して無意識にとっていたつっけんどんな態度が恥ずかしくなって、できるだけ礼儀正しく穏やかに話すよう努力もした。その結果どうなったかというと、これまでのようによくわからない理由でラッセルと口論になって、周囲をハラハラさせることはなくなった。
このような副館長の変化をめぐって、図書館職員をはじめとした人々はさまざまな意見を交わしたが、それは本人のあずかり知らないことである。
すっかり朝が冷えこむ日々が来ても、現在のルークには出勤前の散歩が完全に習慣づいている。
これまでのルークなら、毎朝ぎりぎりまで官舎のベッドで丸くなっていたことだろう。ところがドラゴンと一緒に暮らしていると、だらだら朝寝を決めこむことは休日であっても不可能なのだ。ルークがいつまでもベッドにいると、リリが耳もとで羽ばたいたり肩をつついたりして起こしにくるのである。
夜はドラゴンを籠に入れておくようにという〈竜のヤドリギ〉の店主の言葉をルークは聞かなかったことにした。ルークがベッドに入ると、リリはルークの左肩へ下りてきて、ルークの首と肩のあいだで小動物のように丸くなって眠る。鉤爪を丸めたお腹にしまいこみ、首を水鳥のように折りたたんで。
ただし、これはルークのあずかり知らないことだったが、ルークが完全に眠りにおちて、けっして覚えていない夢をみたり寝返りをうったりするころには、リリはパチリと目を覚まし、ベッドをそっと抜け出していた。
リリはルークを起こさないよう、できるだけ音を立てずに寝室を飛び回る。サイドテーブルに置かれた読みかけの本やメモのあいだを歩きまわったり、ルークのマントの裾にまとわりついたりと、ひとり遊びをしてまたベッドに戻る。
毛布とルークのあいだにもぐりこむと、リリはルークの体をめぐる音に耳をすませた。ルークが明け方の夢をみているとき、ルークから響く音を通してリリもおなじ夢をみる。その夢はリリを――精霊族のドラゴンにしては驚異的な速さで――成熟させていた。
実は精霊族であるドラゴンが聞き取っているのは、単なる音、空気の振動ではない。ドラゴンにきこえるのはそのものの本性なのだ。つまり〈竜のヤドリギ〉の籠の中にいるドラゴンは、訪れる人間たちの本性をききとっている。もちろんあの店主の本性も。
とはいえドラゴンは小さくて非力だし、籠に入れられると何もできない。ルークが〈竜のヤドリギ〉にやってきたとき、いちはやくルークの本性をききとったリリにやれたのは、精一杯のアピールだけだった。でもルークはちゃんと、リリをみつけてくれた。あの恐ろしい店で気がついて以来、リリがいまほど幸せだったことはない。
リリは決意していた。何があってもルークのそばから離れないことを。
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