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第15話 かつて大学街で行われた悪ふざけについて

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 その日はラッセルの誕生日だった。

 アルドレイク王国では第七王子の誕生日はとくに重要なものではない。王や王太子の誕生日は公式の祝宴があるが、それ以下の王子王女は、せいぜい新聞の社交記事に小さな記事がでるくらい。第七王子ともなるとそんなふうに世間に知らされることもない。

 とはいえ午後は王宮で祝いの席が設けられた。何もないときであればラッセルはその晩は王宮に留まっていたにちがいない。しかしその日、大学街では年に二度の〈祭り〉が繰り広げられていた。上のきょうだいと酒杯をかわしてすでにほろ酔い状態だったが、同じ学寮の友人たちに必ず戻ってこいと誘われていたから、ラッセルは日が暮れてから大学街へ帰っていった。

 月の後半には冬至がくるため、街のあちこちには今から緑の輪が飾られている。試験を終えてほっとした学生たちがおしかけるのにそなえて、居酒屋は街路にテーブルを並べ、薪ストーブを赤々と燃やしていた。テーブルのあいだには木を組んだアーチがたてられ、そこに吊るした緑の輪の下でキスをした相手は〈運命〉だという言い伝えがある。といっても、きっと人寄せのために適当にでっちあげられたものにちがいない。

 何はともあれ、ほろ酔いで気分の高揚したラッセルには、その景色は王宮よりもきらきらと輝いてみえた。街路で浮かれている学生たちは長いコートやマントを羽織り、襟を高く立てている。居酒屋の扉は開け放たれ、悪友どもの顔がちらりとみえた。
 薪ストーブが燃える音に混じって、どこかでロバの鳴き声が聞こえる。友人が居酒屋の中から早くこいと手招きしたから、ラッセルはうなずいた。ところが中に入りかけたまさにそのとき、横からぐいっと腕を引っ張られた。

「第七王子! いまごろおでましか?」

 みると秋の学寮対抗戦で戦った上級生だ。ラッセルより大柄で力自慢の筋肉学生だが、ラッセルは身軽さを生かして勝利したのだった。しかし相手はしごく上機嫌だった。きっと試験がうまくいったのだろう、一杯飲めとジョッキをおしつけてくる。断ることもできずに受け取ったラッセルの横を、長い黒髪が通り抜けた。ラッセルは空にしたジョッキを上級生に渡し、いそいで居酒屋の中に入った。待ち構えている友人たちに声をはりあげる。

「やっと来たぜ、おまえら――どうした?」

 すぐそこのテーブルで友人たちが固まっている。彼らの隣に立っているのは初めてみる学生だった。同学年は一堂に会する機会があったから、知らないということは上級生にちがいない。絹糸のようなまっすぐな黒髪がさらりとゆれ、青みがかった黒い眸がラッセルをみつめる。桜色の唇がかすかな微笑みを形づくる。
「誰かの誕生日祝いだって? 一杯もらってしまったよ」

 友人のひとりが息をふきかえした。
「は、はい! このラッセルの誕生日なんです。驚かせてすみません」
「きみなら知ってる。学寮対抗戦でみた」
「ルーク・セクストンさんですよね? あの、誰か一緒の人が――」
「奥に友達が来てるはずなんだ」
 友人に答えてそういったとたん、相手はふらっとした。
「おっと……」
「ちょ、ちょっと座ってください。すみませんさっきのアレ――」
「とても美味しかったよ。きみは飲まないのか?」

 微笑みながらそういわれて、ラッセルはびくりとした。
「あ、ああ……」
「ラッセル!」反対側で悪友のひとりが袖を引き、ささやく。
「まずい、まずいよ!」
「どうしたんだ?」
「おまえにサプライズで飲ませるやつ、給仕がまちがって渡して」

 上級生の膝がかくんと揺れた。ラッセルはあわてて彼の腰に手をまわして支えた。
「だ、大丈夫ですか?」
 友人のひとりがあわてて声をかけたが、相手はそっちに目もくれず、ラッセルの肩にもたれかかった。頬がほんのり色づいて、芸術家の手になる彫像のように整った顔立ちに生命が吹きこまれる。長いまつ毛が瞬き、ラッセルをじっとみつめた。
「いや、いい気分だ。たまにはこういうのも悪くないな。」

 唇のすきまから白い歯がこぼれた。胸の奥を撃ち抜かれるような衝撃が体を走ったが、ラッセルはなんとかこらえた。
「とにかく――そこに座って」
「ああ」

 相手の目はとろんとして、それがやたらと色っぽい。ラッセルのいうままにベンチに座ったが、ぴたりと肩をよせてくっついてくる。
「きみの試合は面白かった」
「それはどうも……」
「きっと負けると思っていたら予想外の展開で……いっしょに……みてたきょうじゅもよろろんで……」

 だんだんろれつがあやしくなり、ラッセルをみつめたまますうっとまぶたが下がる。肩に体重をうけとめたまま、ラッセルは悪友どもをじろりとみた。

「おい、何を飲ませた?」
「ダナエの惚れ薬。おまえをロバにキスさせるはずだった」
「はぁ?」
「給仕がグラスを渡して最初の一杯を飲ませるはずだったんだ」
「おまえが入ってくるのが遅くて」
「にしても効くの早すぎじゃないか」
「この人は俺とちがうんだ。くそ! それにダナエを入れるって……」

 男同士、同級生のあいだの悪ふざけ。大学街ではときどきあることだから、居酒屋の給仕も慣れていて、わずかなチップで引き受ける。上級生はラッセルと同じ色のマントを着ていた。体格はぜんぜんちがうのにこんなことになったのは、タイミングが悪かったのだ。戸口に入る直前でひきとめられなかったら――

「で、この人は誰だ?」
 声を低めてたずねたラッセルにひとりが答えた。
「ルーク・セクストン先輩。書誌学専攻の有名人」
「俺は知らない」
「だいたい図書館に引きこもってるからな。でも一度会えば忘れない」
「たしかに。飲み屋でみたのは初めてだけど……」
「友達が奥にいるといってたぜ」
「じゃあその人たちを探して――」
「だめだ!」
 ラッセルは鋭くいい、あわてて声を低めた。そのあいだも上級生――ルーク・セクストンはラッセルにもたれかかっている。

「よりによってダナエの惚れ薬だろ? 眠ってるあいだに学寮へ送ろう。このままだとどうなるかわからない」
「おまえなら平気だったろうに。でかいから」
「ロバは? どうする」

 ラッセルはため息をついた。
「給仕を呼んでこい。ロバはどうにかしろ。この人は俺が送る。学寮はわかるか?」
「第一だ。図書館のそば」
「わかった。俺の誕生日だ、俺がどうにかする」
「すまん……すまん、ラッセル」
「さすが腐っても第七王子だ」
「腐ってもはよけいだ。いいから連れ出すぞ。姉上や兄上にバレたら大変だ」
「末っ子はつらいな」

 実際のところ、ラッセルたちはかなりまずい状況だった。上級生に薬を盛ったと糾弾されるようになことになったら、ラッセルはともかく友人たちは終わりだ。
 給仕が水差しをもってこさせたが、上級生はラッセルに体重をあずけたまま眠りこんでいる。入り口近くのテーブルで幸いしたと思いながら、ラッセルは彼を
抱き上げた。起こして歩かせるよりこの方が早い。友人たちにまわりを囲ませ、マントで上級生の顔を隠して居酒屋の外へ運び出す。

 大学に入っても毎日なにかと鍛えていたから、痩身の上級生を抱えているのは苦ではなかった。ロバのいななきを背にラッセルは図書館の方へ歩いて行った。第一学寮は学寮の中ではいちばん古く大きい建物だった。ここも祭りの最中で人が出払っているのか、広いホールには人の気配がない。

 ラッセルは腕に抱えた荷物をのぞきこんだ。すると、青い月夜の色をした眸と目があった。

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