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第13話 テレンス公爵夫人クララの眼力について

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 館長室のデスクは黒塗りで幅広く、専用の椅子は革張りでクッションが効いている。座り心地はとてもいいが、ラッセルはここに座るとどうも落ちつかなかった。

 きっと前任の大叔父のことを思い出すせいだろう。大叔父と副館長の仲睦まじさは王家では有名な話であり、姉のクララだけでなく、父である現王にも聞かされたし、大叔父が公に退任を表明する直前にラッセル自身も目撃している。

 しかしそれも当然だ。大叔父の時代まで、副館長は館長が直接任命することになっていたからだ。王立図書館の長い歴史を紐解くと、これは吉と出たことも凶と出たこともあったが、館長と副館長は一心同体だとか、夫婦みたいなものとクララが思っているのは、長らく続いたこの伝統のせいでもあった。

「だからそんなところでサインしているのか? いまだにその椅子は自分のものという気がしないから?」
 ハーバートが紅茶のカップを片手にニヤニヤ笑う。館長室に入ってきたとき、ラッセルがデスクの手前に尻をのせて、妙な姿勢で書類を睨んでいたからである。

 王家の事情を知り尽くした年上の友人に、ラッセルはしかめっ面をした。
「そんなわけじゃない」
「大叔父上とここで会うときは、いつも前副館長が隣にいたよ。その椅子はパートナーがいないと落ちついて座れないものかもしれないな」

 ハーバートが訳知り顔でいう。ラッセルの場合は、大叔父が病気と高齢を理由に急に退任したために(周囲が思っていたよりも早く)館長職についた、という事情があった。
 副館長職を前任者の推薦で決定すると前館長が決めたのも、自分の病弱と図書館の将来を案じたからである。というのも大叔父の前の代は、無能な館長が自分の愛人を副館長に据えたことから、さまざまな問題が発生していたのだ。

「そういえば今日はまた職員がざわついていたな。何かあったのか?」
「いや、べつに――」
 返事の途中でドアがノックされた。ラッセルは傍目にもわかるくらいビクッとしてしまった。
「どうぞ!」
 空元気で声をはりあげる。開いたドアから顔をのぞかせたのは書類箱をかかえた職員である。

「副館長からです。手元にある資料をお渡しするので確認してくださいとの伝言です」
「副館長は不在なのか?」
「いえ、お隣にいらっしゃいますが」
 ハーバートが見守るなか、ラッセルは書類箱を受け取った。

「……そうか。ありがとう。わざわざ悪いな。また副館長におなじことを頼まれたら、俺が取りに行くといってくれ」
「いえ、副館長のお願いですから! 僕はちっとも苦じゃありません!」
 職員はニコニコと返事をし、ラッセルは内心げっそりしながらその背中を見送った。

「やはり何かあったんだな」
ふりむくとハーバートが腕組みをしている。

「まさかおまえ、副館長が顔をあわせたくないと思うようなことをしでかしたのか?」
「ちがう。今朝からいきなりこうなんだ。なんだかわからないが避けられている」
「馬鹿者、しっかり思い出せ。自分でも気づかないうちに何かやらかしたんじゃないのか?」
「いいがかりだ。昨日クララとここで話したあと、俺は一度もルークに会ってない。いきなり俺を避ける理由なんて」ラッセルははたと口をつぐんだ。「……ないはずだ」

 ハーバートは首をかしげる。
「ではこれも大学時代の因縁の続き?」
「元をただせばそうかもしれないが、今さら蒸し返すことじゃない。単にそういう……気分なのかも。俺もルークもちゃんと仕事をしてるし、職員が迷惑と思わないなら俺はべつに……いいんだが」

 ラッセルは書類箱の中身をデスクにひっくりかえした。
「クララ姉上もほっといてくれればいいんだ。ルークを気に入るだろうとは思ってたが」
「クララは美形に目がないが、人を見る目は備わっているぞ」
「俺とルークのことはわかってない」
「昨日のクララの訪問は副館長を見物するため?」
「いや、俺あてに持ちこまれる縁談について相談したかったらしい。ルークが出て行ったあとその話をしていたが、今後は全部断ると」
「ああ、そういうことか――」

 ハーバートはいきなり声をあげて笑い出した。ラッセルは憮然とした顔つきでそれを見守った。
「何がそんなにおかしい」
「いや、クララは子供のころから勘が鋭いのを思い出したんだ。本人も気づいていないことを見破るのが得意だった」
 ラッセルはきょとんとしてハーバートを見返した。
「つまりなんだ? あなたも姉上に何か見破られたのか?」
 ハーバートは笑いをおさめたが、目尻から涙をこぼしている。

「そのうち話してやろう。それより今日は別の話で来たんだ。〈竜のヤドリギ〉のドラゴンについて、どう思ってる?」

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