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第6話 ルーク・セクストンの困惑について

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 リリは脚立のてっぺんにいるルークのところへちゃんと飛んできて、おとなしく籠の中に入っていった。自分の言葉が通じているのを実感して、ルークの唇はまたほころんだ。籠の戸に頬をよせてのぞきこみ、中を検分するようにつついているリリをみつめる。
「けっこう広いだろう? 止まり木もある。昼間は好きに出入りできるように、籠の戸はあけて――」

 そのときだった。続き部屋の扉が勢いよく叩かれた。

「ルーク、中にいるか?」
「館長――お待ちを」
「入っていいか?」
「お待ちくだ――」

 あわてて脚立を下りようとして、ルークはよろめき、段を踏み外しそうになった。リリが籠から飛び出す。直後、執務室に笛のような音が響いた。
 ピーッ!

 え? 今のはまさかリリの鳴き声? ドラゴンは鳴かないのでは――脚立から転がり落ちそうになっているというのに、ルークの頭をよぎったのはそんな考えだ。
「ルーク!」
 続き部屋の方から呼ぶ声が響き、笛のような音は即座にやんだ。ルークは脚立から転がり落ちてはいなかった。足を踏み外したのは確実なのに、体は太い腕にしっかり支えられている。
 それが誰の腕なのかは、顔をみるまでもなくわかった。

「か、館長?」
「ドラゴンが鳴いたから何かあったかと――お、おい!」
「大丈夫ですから!」

 いつにない大声でルークは叫び、腕をふりまわした。小さなうめき声と共にラッセルの腕がゆるむ。ルークの肘が顎に命中したのだ。
「…痛っ……」
 パタパタッと羽ばたきの音がして、ラッセルの頭に空色の翼がかぶさった。
「お、おい! まて、つつくなよ! 俺は何も――」
 蜜色の髪の中からドラゴンの首がのびた。藍色の目の中で白い星がきらめき、翼が広がる。これはひょっとして、自分を助けようとしているのだろうか。ルークは後ずさりながら叫んだ。
「リリ、籠に戻って!」
「早くどけ――痛っ、こら髪を抜くな! 爪をひっこめろ!」
「リリ、私は大丈夫だから! やめなさい」

 今度こそドラゴンは(ラッセルの髪の毛を二本鉤爪にからめたまま)宙に舞い上がった。パタパタと籠の中に飛びこんでいく。ルークは紐を引いて籠の戸を閉めた。背後で大きなため息が聞こえた。

 ルークはゆっくりと振り向いた。
「館長、申し訳ありません。その、脚立から落ちそうになりまして」

 ラッセルは腰を伸ばし、ドラゴンの鉤爪でぼさぼさになった髪の毛を撫でつけた。ルークは琥珀色の眸からそっと視線をそらした。
「なるほど。だからそいつが鳴いたのか」
「ドラゴンは鳴かないと聞いていましたが」
「いや? 飼い主に危機が迫っている場合は鳴くこともある」

 ラッセルは両手を払い、するとむしられた髪の毛がはらはらと床に落ちた。ルークはかすかに眉をあげた。
「お詳しいですね。館長もドラゴンを飼われているのですか?」
「いや。知っているだけだ。王家は昔からドラゴンと関わりが深い」
「なるほど。本当に申し訳ありませんでした。二度と館長を襲わないよう、リリに教えます」
「ああ。よろしく頼む」
「ところで、ご用件はなんでしょう」
「用件?」
「私に用があって来られたのでは」
「ああ、そうだ。そのはずだが……」

 ラッセルは奇妙な目つきでルークをみて、コホン、と咳ばらいをした。
「悪い。度忘れした」
 ルークはラッセルの視線をずらすように顔をそむけた。
「そうですか。了解しました」
「思い出したら知らせる」
「はい」
「脚立、片付けようか?」
「けっこうです。自分でやれます」
「俺の方が力はある」
「この程度の脚立に苦労しているようでは、図書館の仕事は務まりません。ああ、そういえば館長」
「なんだ?」
「たしかに私はすこし健康から遠ざかっていたようです。副館長の任についてから運動不足気味でした」
 ラッセルの琥珀の眸がとまどったように揺れた。

「……そ、そうか?」
「今日からはリリがいますから、問題は解決するでしょう。リリに朝露をあげるために散歩に出ますし、リリと遊べば運動不足も解決します」
「……なるほど」
「それで館長、私は仕事にかかりたいのですが。ご用件を思い出したらお知らせください」

 頭上でカサカサッと音がした。ラッセルは上を見上げる。リリが籠の隙間から首を伸ばしている。
「……わかった。そいつも俺が邪魔らしいな」
「はい」
「肯定しなくても」
「申し訳ありません」
「いや。邪魔してすまなかった、副館長」




 ラッセルの背中が続き部屋に消えるのをルークはまっすぐ立ったままみつめていた。扉が閉まったとたん、ふう――と大きなため息が唇からもれる。細い右手がゆっくりあがり、左胸のあたりをそっと覆った。

「ああ……まだどきどきしている」
 頭上の籠からコツコツと音が響いた。リリの鉤爪が床をリズミカルに叩いている。ルークを息を吸って吐き、リリの立てる音に耳を澄ませた。激しく脈打っていた胸がだんだん穏やかになっていく。

 図書館職員たちは館長と副館長の仲の悪さを気にしている。しかしルークは、ラッセルを本当の意味で嫌っているのではなかった。実のところ、ラッセルがいまだに気にしている過去の出来事も、ルークにとってはどうでもよかった。

 問題はルークの心ではなく体にあった。ラッセルの琥珀色の眸をのぞきこむと、ルークの心臓はなぜかドキドキ脈打つのである。おまけに体の中心がおかしな感じで疼いて、かっと熱くなるのだった。

 最初にラッセルを目撃したときからルークはこの現象に悩まされている。ほんとうに自分でも理由がわからないから、対処もできなくて困っているのだ。

 ラッセルに面と向かうたび、体の熱が心に影響するのか、ルークからは冷静な思考が失われてしまう。体の衝動を抑えた反動が出るのか、つっけんどんな受け答えをしてしまうこともあるし、喧嘩腰になってしまうこともある。

 ルークは内心、それを恥ずかしいことだと思っていた。どうしてラッセルに対してのみ、自分はそんな風になってしまうのか? いったい何が起きているのか?
 図書館で調べようとしたこともあるが、答えはみつからなかった。

 ルークは左胸にあてた手を離した。

〈竜のヤドリギ〉でリリをみつける前、ルークはラッセルに「私の健康について、館長に心配してもらうには及びません」といった。あれはルークの本音ではなかった。しかし本心をラッセルに告げるわけにはいかない。

 ――私の健康に悪いのはきみだ。

 そんなこと、いえるわけがない。


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