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第2話 王立図書館職員のひそかな楽しみ

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 王立図書館は歴史のある古めかしい建築物である。王宮や貴族の邸宅のような華麗さはみじんもないが、見る目のある者にしかわからない謙虚な美しさをたたえている。
 しかしその副館長のルーク・セクストンは、誰がみても美しい男だった。

 すらりとして均整のとれた肢体が図書館の中庭を歩くと、誰もが吸い寄せられるように彼を見てしまう。遠目にも美のオーラが感じられる背中には絹糸のような黒髪が流れ、きめ細やかな肌は内側から光を放っているようだ。

 たいていの場合、桜色の唇はきりりと結ばれていて、青い月夜の色をした眸はここにない何かに集中している。職員や知己が声をかけるとルークはハッとしたようにふりむき、長いまつ毛の下から、撃ち抜くような色気をたたえながら相手をみつめる。
 といっても、本人には相手をそんな気持ちにさせている自覚はない。副館長と話した人間は秒で理解するのだが、ルークは人間の外観というものにほとんど興味がなかった。そして図書館の職員たちは、そんなルークを折々に鑑賞するのを、勤務中のひそかな楽しみとしていた。

 しかし今日の副館長はいつものように遠くの物事に集中している目つきではない。彼の注意はすべて肩の上で羽ばたくドラゴンに向けられている。胴体と尖った尻尾は濃い青色で、翼の表は空色、裏側は純白で、アクセントのように明るい黄色の筋が走っている。まだ育ちきっていないらしく、胴体はルークの手のひらより少し長いくらいだ。

 中庭で立ち止まってドラゴンをみつめているルークの唇にはうっとりした笑みが浮かんでいた。ささやきかける小さな声は、図書館員の誰ひとりとして聞いたことがないにちがいない、優しい響きを帯びている。

「リリ、朝露はどうだった? もう十分?」
 ドラゴンは羽ばたきながら首をわずかに曲げると、藍色の目でルークをみつめた。眸の中心には輝く白い星がある。
「そろそろ仕事をはじめなくては。執務室におまえの籠が届いているはずだ」
 羽根がパタパタッと動いて、鉤爪がルークの袖をつかんだ。尻尾がルークの袖をぱしぱし叩く。
「籠に入るのがいやなのか? でも仕事中は遊んでやれないんだよ」

 ドラゴンはルークの手首に止まり、いやいやをするように首をふったが、今度は澄まし顔をした子供のように空色の翼を畳んだ。「おとなしくできる」といいたいのか、藍色の目の中心で白い星がきらめく。ルークは思わず微笑んだが、それは子供のような無邪気な笑みだった。
「私が仕事をしているあいだ、じっとしていられるって? ふふ、まずは執務室へ行こう」

 ルークが腕をのばすと、ドラゴンは鉤爪をゆるめてぴょんと飛び、今度はルークの肩に止まった。空色の翼のドラゴンと共に副館長の執務室へ回廊を歩いていく、そのうしろ姿が完全に見えなくなったとたん、中庭や回廊のあちこちで、数人がふーっと息をつく。

「今の、見ました?」
「見ました」
「すごい破壊力」
「どうしようかと思いました」
「あのドラゴン、リリちゃんっていうんですね」
「ああ、わたしリリちゃんの爪の垢になりたい!」
「俺は籠の敷き藁でいいです」
「止まり木でもいい。あの鉤爪にひっかかれたい」
「ちょっと、みんな大丈夫?」
「副館長のあの顔、見てないんですね? 寿命が十年はのびますよ」

 職員たちがひそひそと話しはじめる。さっきからずっと、声をあげそうになるのをこらえていたのだ。セクストン副館長は決してきびしい上司ではなく、館長以外の全員に公平なことで定評がある。しかしあんな無防備な微笑みは、これまで誰ひとりとして見たことがない。

「どうしたんだ? そんなところに集まって」
 いまだ興奮さめやらない職員たちのあいだに、よく通る声が響き渡った。
「あ、館長!」
「おはようございます」
「おはようございます。その、副館長が」
 職員のひとりがそういったとたん、その声はやや調子を変えた。
「ルークがどうかしたのか」

 職員たちの背後で腕を組んでいるのは館長のラッセル。蜜色の髪に琥珀色の目をした、王家の末の王子である。三カ月前、前館長が高齢と病弱を理由に退いたあと王命で館長に就任した。

 すらりとした美貌のルークに対して、ラッセルは堂々たる美丈夫だ。剣技は騎士にもひけをとらないともっぱらの噂で、末の王子でなければ騎士団に入っていてもおかしくはなかった。しかし今の王国では、王立図書館の館長は王家の末の王子の役職である。有能無能にかかわらず、歴代館長は末の王子の役職と法が定めている。

 ちなみにルーク・セクストンが副館長となったのも、ラッセルと同じ三カ月前のことである。ルークは前館長と共に図書館を運営してきた前副館長の補佐をつとめていた。前館長が退くと同時に退職した前副館長のかわりに、ルークが副館長を拝命したのだった。

「あ、いえ、その……何でもありません」
「何をいってる。ルークの話をしていたことくらいわかるぞ。なんだ、そのぽうっとした顔は」
「館長だってあれを見てたらぽうっとしますよ!」
 思わず声をあげた職員をラッセルはじろりとみた。
「だからルークに何があったんだ」

 副館長が執務室にペットのドラゴンを連れこんだといったら、館長はどう思うか。図書館利用者が動物を連れてくるのは禁止されているが、職員が働くバックヤードは、見守りの必要な赤子や動物を同伴することは許されていた。書庫など連れて行けない場所はあるが、副館長の執務室はどうだろう――?

「副館長はドラゴンと朝の散歩をしていました!」
「ドラゴン?」
 答えた職員をラッセルは驚いた目で見返した。それを皮切りに、他の職員たちも次々に声をあげる。
「〈竜のヤドリギ〉のサブスクドラゴンですよ!」
「名前はリリちゃんです」
「微笑んでいたんです、副館長が! そ、それにドラゴン撫でてました」
「可愛くて神々しくてお腹いっぱいな感じで」
「館長は見なかったんですか! どうして!」
「わかった、わかった――静かに」

 ラッセルは手をふって職員たちをしずめた。
「それでルークはどこに?」
「あ、その……執務室だと思います」
「ドラゴンを連れて?」
「あ、はぁ、たぶん……」
「わかった。おまえたち、仕事しろよ」

 職員たちは声をそろえてハイ! と答え、館長は副館長が向かった方向へ歩いていった。館長が見えなくなるまで職員たちは黙って目を見かわしたが、考えていることは全員おなじだった。

 あの二人、また喧嘩しませんように。

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