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第1話 王立図書館の副館長による早朝のドラゴン散歩が人々を驚かせた件について
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王立図書館の副館長がドラゴンの期間飼育をはじめたとき、王都の一部は大いにざわついた。
最初に気づいたのは配達人、それにコーヒースタンドの亭主だった。
王立図書館は大学街の中心にあり、朝寝坊の教授や学生を叩き起こすため、早朝からミルクやパン、新聞の配達人が忙しく働いている。コーヒースタンドも図書館の近くと学寮の近くにあって、そのどちらの亭主も、かの人を目撃した。
副館長は背筋をまっすぐ伸ばしたまま、まだ学生も教授もいない街路をぐるりとまわると、図書館の通用門へ戻っていった。配達人のひとりはコーヒースタンドに駆け寄り、黒髪を背中に垂らした副館長のうしろ姿をみつめながら、小声ではあったが興奮を隠せないまま亭主に話しかけた。
「ちょ、ちょっと。まさかあれ……ほんとにルークさん?」
「馬鹿な、副館長が朝からこんなところを歩いているわけが――」
「でもみて、あれ、ルークさんの頭の上を飛んでるの! ドラゴンよ!」
「ってことはまさか、セクストン副館長も〈竜のヤドリギ〉に?」
〈竜のヤドリギ〉は一年前、胡桃通りのはずれに開店した店だ。それ以来アルドレイク王国の貴族階級や上級官吏のあいだではドラゴンを飼うのが流行している。紳士淑女が革紐でつないだドラゴンを肩にとまらせたり、頭上をぱたぱたと羽ばたかせながら散歩する光景も、そこまで珍しいものではない。
「図書館の妖精とまでいわれる」
「めったに図書館から出てこないルークさんが」
「ドラゴンの散歩のために外に出るとは」
「こんなに朝早く」
「いったい何があった?」
配達人とコーヒースタンドの亭主は息の合った感想をつぶやき、顔をみあわせて苦笑いした。そのころにはもう、王立図書館の副館長ルーク・セクストンは図書館の重厚な建物の影に隠れてしまっていた。
ドラゴンはアルドレイク王国に古来から生息する、トカゲに似た生き物である。「生き物」といっても、人や鳥や獣の類ではなく、精霊族の一種だ。形はトカゲに似ているが、体は温かく、小さな翼で小鳥のように空を飛ぶ。成長しても小型の犬か普通サイズの猫くらいの大きさで、鳥のようにさえずることもないし、昔話の巨大な竜のように火を吹くこともない。
主たる生息地は湖をかこむ王領の森といわれ、ここでは捕獲を禁止されているが、翼をもつ存在だから、じっさいは森の外にもかなり生息していると思われている。王領の森をはじめ、人間の前に姿をあらわすことはまれだが、田舎ではときおり農家に住みつく個体もいて、その場合は幸運のしるしとして大事に飼われていた。
ペットとして飼われているドラゴンには、新鮮な卵の殻を毎日最低一個は与えなくてはならない。朝露が好物だから、飼い主に懐かせようと思ったら、晴れた日の朝は早起きして外を散歩させ、朝露を舐めさせるのも忘れてはならない。
ドラゴンの体色は赤、青、黄色、緑、黒とさまざまで、斑や縞柄といった模様がある個体もいる。ときどき珪砂や鉱物の結晶を与えると、体色がきれいになるという。
これら「ドラゴン飼育のマニュアル」も〈竜のヤドリギ〉で配布している。王都でドラゴンをペットにしようと思ったら、この店に行くしかない。
しかし王都でドラゴンと一緒に散歩している人々は、ドラゴンを所有しているわけではない。〈竜のヤドリギ〉の店主はドラゴンを売らないのだ。ドラゴンは精霊族の一種、本来なら森や湖のような自然を好む種族だから、王都の人間には売れないというのである。
そのかわり〈竜のヤドリギ〉ではドラゴンを月単位で貸し出している。定期飼育権料金は安くはないうえ、ドラゴンに与えるクリーム色の鶏卵の定期配達も同時に契約させられるから、庶民はややためらう値段になる。しかし貴族が社交に費やす金額にくらべればたいしたことはなく、上級官吏のふところが痛むほどでもない。
結果として〈竜のヤドリギ〉は大繁盛していた。流行が流行を呼んでいるわけである。
それにしても、王立図書館の副館長、ルーク・セクストンがドラゴンをサブスクしたって?
コーヒースタンドの亭主も配達人たちも、黙ってはいられなかった。一番にコーヒーを買いにきた学生や、新聞を受け取りに外へ出た教授に彼らはこの一大事件を話し、ニュースはあっという間に大学街一帯に広まった。王立図書館には王宮の官吏も頻繁に出入りする。そのためこの話題はその日のうちに王宮にも届き、一部の人々をざわめかせた。
毎日副館長に接している図書館職員たちも、これにはやはり驚いていた。
「副館長、どうしてドラゴン飼うことにしたんですか? 散歩とか大変じゃないですか?」
その日の夕方、好奇心を抑えきれなかったある職員がそう問いかけると、副館長の眉はほんのすこし上がった。
「健康のためです」
意外な答えに部下は思わず口をあけ、おなじ言葉をくりかえした。
「健康のため?」
「館長に指摘されたのです。引きこもりは健康に悪いと」
副館長の言葉は石の回廊に冷たく響きわたり、執務室の扉はいつもよりやや大きい音を立てて閉じた。
扉の外で職員たちは顔をみあわせた。
「引きこもり? 館長と今度はどんな喧嘩を――」
「しっ」
「聞かぬが花だぞ」
職員たちの声は自然に小さくなった。館長のラッセルと副館長のルークの関係に問題があることは、図書館の者には周知の事実だった。
最初に気づいたのは配達人、それにコーヒースタンドの亭主だった。
王立図書館は大学街の中心にあり、朝寝坊の教授や学生を叩き起こすため、早朝からミルクやパン、新聞の配達人が忙しく働いている。コーヒースタンドも図書館の近くと学寮の近くにあって、そのどちらの亭主も、かの人を目撃した。
副館長は背筋をまっすぐ伸ばしたまま、まだ学生も教授もいない街路をぐるりとまわると、図書館の通用門へ戻っていった。配達人のひとりはコーヒースタンドに駆け寄り、黒髪を背中に垂らした副館長のうしろ姿をみつめながら、小声ではあったが興奮を隠せないまま亭主に話しかけた。
「ちょ、ちょっと。まさかあれ……ほんとにルークさん?」
「馬鹿な、副館長が朝からこんなところを歩いているわけが――」
「でもみて、あれ、ルークさんの頭の上を飛んでるの! ドラゴンよ!」
「ってことはまさか、セクストン副館長も〈竜のヤドリギ〉に?」
〈竜のヤドリギ〉は一年前、胡桃通りのはずれに開店した店だ。それ以来アルドレイク王国の貴族階級や上級官吏のあいだではドラゴンを飼うのが流行している。紳士淑女が革紐でつないだドラゴンを肩にとまらせたり、頭上をぱたぱたと羽ばたかせながら散歩する光景も、そこまで珍しいものではない。
「図書館の妖精とまでいわれる」
「めったに図書館から出てこないルークさんが」
「ドラゴンの散歩のために外に出るとは」
「こんなに朝早く」
「いったい何があった?」
配達人とコーヒースタンドの亭主は息の合った感想をつぶやき、顔をみあわせて苦笑いした。そのころにはもう、王立図書館の副館長ルーク・セクストンは図書館の重厚な建物の影に隠れてしまっていた。
ドラゴンはアルドレイク王国に古来から生息する、トカゲに似た生き物である。「生き物」といっても、人や鳥や獣の類ではなく、精霊族の一種だ。形はトカゲに似ているが、体は温かく、小さな翼で小鳥のように空を飛ぶ。成長しても小型の犬か普通サイズの猫くらいの大きさで、鳥のようにさえずることもないし、昔話の巨大な竜のように火を吹くこともない。
主たる生息地は湖をかこむ王領の森といわれ、ここでは捕獲を禁止されているが、翼をもつ存在だから、じっさいは森の外にもかなり生息していると思われている。王領の森をはじめ、人間の前に姿をあらわすことはまれだが、田舎ではときおり農家に住みつく個体もいて、その場合は幸運のしるしとして大事に飼われていた。
ペットとして飼われているドラゴンには、新鮮な卵の殻を毎日最低一個は与えなくてはならない。朝露が好物だから、飼い主に懐かせようと思ったら、晴れた日の朝は早起きして外を散歩させ、朝露を舐めさせるのも忘れてはならない。
ドラゴンの体色は赤、青、黄色、緑、黒とさまざまで、斑や縞柄といった模様がある個体もいる。ときどき珪砂や鉱物の結晶を与えると、体色がきれいになるという。
これら「ドラゴン飼育のマニュアル」も〈竜のヤドリギ〉で配布している。王都でドラゴンをペットにしようと思ったら、この店に行くしかない。
しかし王都でドラゴンと一緒に散歩している人々は、ドラゴンを所有しているわけではない。〈竜のヤドリギ〉の店主はドラゴンを売らないのだ。ドラゴンは精霊族の一種、本来なら森や湖のような自然を好む種族だから、王都の人間には売れないというのである。
そのかわり〈竜のヤドリギ〉ではドラゴンを月単位で貸し出している。定期飼育権料金は安くはないうえ、ドラゴンに与えるクリーム色の鶏卵の定期配達も同時に契約させられるから、庶民はややためらう値段になる。しかし貴族が社交に費やす金額にくらべればたいしたことはなく、上級官吏のふところが痛むほどでもない。
結果として〈竜のヤドリギ〉は大繁盛していた。流行が流行を呼んでいるわけである。
それにしても、王立図書館の副館長、ルーク・セクストンがドラゴンをサブスクしたって?
コーヒースタンドの亭主も配達人たちも、黙ってはいられなかった。一番にコーヒーを買いにきた学生や、新聞を受け取りに外へ出た教授に彼らはこの一大事件を話し、ニュースはあっという間に大学街一帯に広まった。王立図書館には王宮の官吏も頻繁に出入りする。そのためこの話題はその日のうちに王宮にも届き、一部の人々をざわめかせた。
毎日副館長に接している図書館職員たちも、これにはやはり驚いていた。
「副館長、どうしてドラゴン飼うことにしたんですか? 散歩とか大変じゃないですか?」
その日の夕方、好奇心を抑えきれなかったある職員がそう問いかけると、副館長の眉はほんのすこし上がった。
「健康のためです」
意外な答えに部下は思わず口をあけ、おなじ言葉をくりかえした。
「健康のため?」
「館長に指摘されたのです。引きこもりは健康に悪いと」
副館長の言葉は石の回廊に冷たく響きわたり、執務室の扉はいつもよりやや大きい音を立てて閉じた。
扉の外で職員たちは顔をみあわせた。
「引きこもり? 館長と今度はどんな喧嘩を――」
「しっ」
「聞かぬが花だぞ」
職員たちの声は自然に小さくなった。館長のラッセルと副館長のルークの関係に問題があることは、図書館の者には周知の事実だった。
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