上 下
11 / 44
本編

11.遠くにある路地(後編)

しおりを挟む
 手を洗っているとき、なぜか懐かしい気分が襲ってきた。歳も立場も気持ちの在り方もまったく違うのに、前も似たような状況があったような気がする。鏡をみつめたときそれが何かわかった。秀哉だ。そして昌行。

 小学生や中学生のころ、木登りをしたり雪合戦をしたりひとつのゲームで対戦したりと、犬みたいに遊んでいられたころは良かったのだ。僕のオメガ性がはっきりしはじめたころから、秀哉も昌行もなんとなく変わった。アルファの秀哉は何かというと僕を自分のうしろに置きたがるようになったし、ベータの昌行は秀哉に対して、僕には当時意味がわからなかった、わだかまりのようなものを持ちはじめた。

 三人の力学というのは複雑だ。ひとりとひとりの関係が三つ、つねに揺れ動いている。秀哉と昌行が妙な雰囲気の時、僕はあいだでどうにかできないかと思い、秀哉と僕が妙な感じになったときは昌行があいだでオロオロしていた。そして昌行と僕がごたごたしていたとき――秀哉はどうしたのだったか。

 テーブルに戻ると店主がいて、真壁に地酒の説明をしていた。僕はお冷をビールジョッキで飲みながら、店主が湧き水について話すのを聞いていた。峡さんは聞き上手だった。店主は峡さんに話を聞いてもらうのが楽しいようだ。僕だっておなじ。

 真壁が時々ちらっと投げる視線を僕は故意に無視して、ビールジョッキごしに峡さんを眺める。僕が真壁に興味があるなんて峡さんに勘違いされたら、それこそ悲劇だ。

 ずっと前から――自分にヒートがはじまる前から――僕は不思議に思っている。どういうわけかアルファには、オメガに対して自分が「権利がある」と思いこんでいる連中が多い。自分がアルファだからオメガは自分に興味を持つはずだ、といったような。ベータもこの思い込みを後押しする傾向があるし、もちろんオメガだってこれに乗っかってる連中がたくさんいる。

 だからアルファ・ベータ・オメガと三人そろうと、よくわからない三つ巴が生まれるわけだ。ひとりとひとりの関係が三つ。

 もっとも今の場合、僕は真壁との関係などまったく望んでいないから、これは店を出たとたん、酒精と共に蒸発するだろう。蒸発しないなら火をつけて大爆発でも、僕ひとりならかまわない。

「三波君って何歳なの?」
 急に真壁が聞く。
「二十六です」
「若いなあ。じゃあ学生時代もそんなに遠くないのか。俺は三十五。佐枝さんはどうでしたっけ?」
「俺? 今年で四十六」
「世代が離れると困ることってありますよね。下の方と話が合わないとか」
「昔の流行語とかテレビ番組とか? 事務の人に通じない洒落をいってしまったじゃないかって、たまにびくびくするよ」
「どういうのです?」僕は口をはさむ。
「え――そうだな……」

 峡さんは僕をまっすぐにみつめて、今は放送が終わったバラエティで流行っていたギャグをぼそっとつぶやいた。黒目が電灯を映して光っている。真壁が「俺、それ知らないなあ」という。

「え、でも僕は知ってますよ」
「そうなの?」真壁が猪口をおいてこちらへ身を乗り出す。
「ネット世代ですから」僕は動画配信サービスの名をあげた。「昔の録画もですけど、前に流行ったギャグのアレンジみたいなの、僕の世代は大好きなんですよ」
「そうか。じゃあこんなの知ってる?」
 峡さんは指をマークを作るように丸めてちょいちょいと動かす。

「若いころ一世を風靡したCMで、こういう振りでアイドルが踊りながらチャラララ~~ラララララ~~と上がってさ」
「チャラララララ~と下がるやつですよね。虫よけでしょ? それ今ネットで流行ってますよ」
「ほんとに?」
「ほんとですよ。踊りをコピーしたグループの投稿がウケて、真似しているのがたくさんいるんです」
「じゃあこれは?」
 峡さんは短く口笛でメロディを吹いた。

「この後にバババババーンって出てきて……」
「ああ、ケーシーテですよね。ひとりパロディアイドルの。僕はちょっと知ってます。この人ネット動画の走りみたいなPV作ってて面白いですよね」
「え、俺はそんなの知らないよ」
「真壁さん知らないんですか? でもデジタルネイティブの十代なんて僕より詳しいかもしれませんよ。古いCMやアイドルソングってネットでは今来てるジャンルで」
「そうか……なんかショックだな……」
「そうですか?」
「だって佐枝さんと三波君が話が合って、俺がわからないってさ」
「あ」

 僕は思わず声を上げた。
「どうしたの?」真壁が不審そうに僕をみる。
「思いつきました」
「何を?」
「今回『たべるんぽ』に書くレビューですけど、どんなスタイルで行こうか迷っていたんです。世代間の差をネタに、食材と料理が座談会をする形式にします」
「え、それどういう形式……」
「うん、うまくいきそうな気がします。もちろんお二人は出てきませんから大丈夫です」
「三波君」

 峡さんが僕を呼んだ。テーブルの下で靴のつま先が何かに触れた気がした。すぐにひっこんでいって、わからなくなる。
「書けたら読ませてほしいな」
「もちろんです」僕は即答した。




 多少もめたあと、会計は三人できれいな割り勘となった。

 最初は峡さんが自分が全部払うと伝票を取ったのだが、急に加わったんだから自分が出す、これでも上司だし、と真壁がいいだし、さらにふたりして、僕はビールしか飲んでないから出さなくていいとはじめたので、そうなるとこの機会自体、本来僕が頼んだことですからと僕の方も参戦せざるをえず、三つ巴の争いとなったのだ。

 しまいに面倒になった僕は、峡さんと真壁がなにやら話している間、店主に直接勘定を割ってくれるよう頼みにいった。これは悪い判断ではなかった。彼に食レポの話をして、店構えや本人の写真も撮らせてもらえたからだ。店主の反応はありがたいことに好意的で、またゆっくり来てねといってくれ、僕はほっとした。

 おかげで店を出た時はいい気分だったのだが、駅までの道がまずかった。真壁が僕の横からずっと離れず、家の方向を聞き出そうとしたり、もう一軒ふたりで行かないかと囁いてくるのだ。僕の本音はといえば、真壁をさっさと片づけて峡さんと二軒目へ行きたいくらいなのに、である。

「佐枝さんのこと気にしてるの? 大丈夫だよ」
「いえ、僕はもう帰るので」
「じゃあ送るよ」
「いりませんから」
「今度また飲まない? チャットのID教えてよ」

 すぐ隣にいると、真壁の匂い――アルファの匂い――が強く漂ってくる。真壁も僕の匂いを感じているのだろうが、どうでもよかった。峡さんは僕と真壁の前を歩いていて、僕は峡さんの隣へ追いつきたいのに、真壁はしつこく、モバイルを取り出しながらメールを教えてといってくる。

 僕は周囲を見渡した。すぐ先に地下鉄の入り口がある。多少遠回りになるが乗り継げば帰れるだろう。
「峡さん!」うしろから呼んだ。
「三波君?」
「僕はあそこから帰ります。今日はありがとうございました」

 ふりむいた峡さんの眼つき――それをがっかりしていると感じたのは僕の願望かもしれない。せっかく会ったのに、もう? とでもいうような。
 そうであればいい。僕は心の底からそう願った。彼の口調からはわからなかった。穏やかで優しかった。

「そうか。今日はありがとう」
「じゃあ」
「え、三波君行くの?」

 背後で真壁の声が聞こえたが、僕は小走りで地下鉄へ向かった。
 電車はすぐにホームへすべりこんできた。空いている車内で、僕は向かい側の窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりみつめた。結局今日、僕は何をしたんだろうか。ビールを二杯(これで済ませられたなんて奇跡のようなものだ)美味しい食べ物。写真を撮って店の人とも話した。真壁という闖入者はいてもそこそこ楽しかったと思う。でも……。

 僕は自分の爪をみる。日曜に磨いたばかりの靴はまだきれいだったが、つま先がうっすら白くなっている。路地で小石を蹴ったせいだ。
 テーブルの下で峡さんの靴と膝に触れたのを思い出した。

 あーあ。内心がそう呟くのが聞こえた。
 あーあ、三波朋晴。何にもならなかったぞ。デートにも、なんにも。
 おまけに圧倒的に飲み足りないときてる。
 自制したんだよ。酔っぱらって峡さんに変なことをいわないように――いや、真壁にそんなことを知られないように。
 馬鹿だな。
 どうせ馬鹿だよ。

 電車がアパートの最寄り駅につくと、僕は駅前のコンビニでビールの六缶パックを買った。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Take On Me 2

マン太
BL
 大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。  そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。  岳は仕方なく会うことにするが…。 ※絡みの表現は控え目です。 ※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

仔犬のキス 狼の口付け ~遅発性オメガは義弟に執心される~

天埜鳩愛
BL
ハピエン約束! 義兄にしか興味がない弟 × 無自覚に翻弄する優しい義兄  番外編は11月末までまだまだ続きます~  <あらすじ> 「柚希、あの人じゃなく、僕を選んで」   過剰な愛情を兄に注ぐ和哉と、そんな和哉が可愛くて仕方がない柚希。 二人は親の再婚で義兄弟になった。 ある日ヒートのショックで意識を失った柚希が覚めると項に覚えのない噛み跡が……。 アルファの恋人と番になる決心がつかず、弟の和哉と宿泊施設に逃げたはずだったのに。なぜ? 柚希の首を噛んだのは追いかけてきた恋人か、それともベータのはずの義弟なのか。 果たして……。 <登場人物> 一ノ瀬 柚希 成人するまでβ(判定不能のため)だと思っていたが、突然ヒートを起こしてΩになり 戸惑う。和哉とは元々友人同士だったが、番であった夫を亡くした母が和哉の父と再婚。 義理の兄弟に。家族が何より大切だったがあることがきっかけで距離を置くことに……。 弟大好きのブラコンで、推しに弱い優柔不断な面もある。 一ノ瀬 和哉 幼い頃オメガだった母を亡くし、失意のどん底にいたところを柚希の愛情に救われ 以来彼を一途に愛する。とある理由からバース性を隠している。 佐々木 晶  柚希の恋人。柚希とは高校のバスケ部の先輩後輩。アルファ性を持つ。 柚希は彼が同情で付き合い始めたと思っているが、実際は……。 この度、以前に投稿していた物語をBL大賞用に改稿・加筆してお届けします。 第一部・第二部が本篇 番外編を含めて秋金木犀が香るころ、ハロウィン、クリスマスと物語も季節と共に 進行していきます。どうぞよろしくお願いいたします♡ ☆エブリスタにて2021年、年末年始日間トレンド2位、昨年夏にはBL特集に取り上げて 頂きました。根強く愛していただいております。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

ひとしづくの、愛。

秋野
BL
β×Ω 運命に逆らう事は出来るのか…。 表紙▶︎誠羅さん

処理中です...